カテゴリー
社会・政治

総選挙前におさらいしておきたい言葉の断片

投票日まであと2日。
メディアでは与党勢力有利と伝えているが、実際のところは蓋を開けてみないと判らない。
あらためてここ数週間に渡る様々な記事を読み返してみた。その中で、心に残った言葉達を元記事の文脈から切り取り、並べてみた。
これは、言うなれば「言葉のサンプリング」である。
あえて引用元は最後に列挙する形にしてみた。誰の発言かはとりあえず気にせず、それぞれの言葉をかみしめて欲しい。真実を伴った言葉は、力があるはずだ。
見解の相違が国民を二分した時、おそらくどちらの言い分にも理はある。そして、ここに取り上げた言葉達が皆、立場や意見の違いを超えて説得力を持つ事を確認して欲しい。
これを以って総選挙前の最後のおさらいとしたい。

マニフェストなんか読むな。読むべきは国会議事録だ。今回の選挙は「ブログ選挙」などと言われているが、
単に情報を発信する、交換するだけでは意味がない。
僕らは僕たちが政治だと思っているものについて語っているが、それではいけない。
僕らは現実に行われている政治について語らなければならない。そして、それは僕らの手に入るところにある。

 財投の不良債権問題が表面化する前にカネの元になっていた郵政民営化が重要かとと言えば、またそこでそれは別問題だといった議論も起こるのだろう。しかし、民営化しておいたほうが敗戦処理にはよいのではないか。

今はデフレで民間に資金需要がないんですよ。銀行貸出がばんばん伸びていて金利がごりごり上がっているのならばいざ知らず、企業や家計がキャッシュを溜め込んでいるところで郵政が民営化しようが何しようが資金循環なんか変わるわけがない。もうちょっとマシなロジック考えられなかったんだろうか。あまりに子供騙しというか杜撰ですよ。

日本はどこかの独裁国家のような
エリート官僚は全部コネということはない。
世界に冠たるフェアな試験で
官僚は選抜されているわけであって、
それを理由もなく排除しようというほうが
フェアじゃない。
政治家は官僚と
ペーパーテストの秀才かどうかを競うんじゃなく、
別な次元で勝負するものだ。

今回の選挙で重要なことは、自民党か民主党かではなく、国民が構造改革を支持するか否かなのです。国民の支持を得て郵政が民営化されるのか、国民の意思に反して郵政が民営化されるのか。この分かれ道は、その先の大改革の成否に直結しています。

問題なのは、この郵貯の利益の源泉たる預託金は2008年にはほぼ全額が完済され、郵貯の資産から消滅するということだ。もし2003年度末で165兆円ある預託金が全て7年国債(利率0.95%と仮定)に置き換わったとすると、経常収益は2兆円以上低下する。前回書いたとおり、これは郵貯の経常利益がまるまるふっとぶ規模なのだ。
どこかの政党が郵政公社の問題は不要不急だとか言っていたが、それどころではない。300兆円近い資金をどう運用し、どう利益を出していくか。その経営戦略をとっとと練り上げないと、次に税金を投入するのは郵貯ということにもなりかねない。

 郵政の持つ金融部門が政府から切り離されないということは、事実上、総務省管轄下に置かれることになり、国債の担保とされている膨大な資金が金融庁の管轄外に置かれることになる。そんなことになれば、決済の安定性など原則的に不可能になり、そんな市場を世界が信頼するわけもない。

2001年の統計では、日本政府の建設投資がGDPに占める割合はアメリカのほぼ10倍だという。
農村漁村は建設依存症。無人島の一軒の番屋を守るために1千万近く投じて、裏の崖や谷をコンクリートで固めようとする国は他にないだろう。ほんのちょっと番屋を移動させれば崖から離れられるのに。
小さな集落を守るためにひとつの河川に百基を越える砂防堰堤をつくる国。
でも、天下りと一心同体のこの仕組みを自民党は手をつけない。ここが事実上の聖域なのに。(しかし談合がなくなれば、町の下請けは即死だろう。だから同時に雇用の流動化・受け皿問題も考えなければならず、そんなめんどい仕事はやりたくないだろう。今なお全産業就業者の一割が建設業に携わる日本。)
道路公団民営化問題が自民党の構造改革の限界を露呈した。自民党では永遠に無理だろうという絶望感。

我々有権者は投票によって政治を左右しますが、いちいち細かな政策までをも左右することはできません。具体的に言えば「郵政民営化が終わったら、また解散総選挙でもするのか?」という事です。政策だけを見て投票行動を行うにはそもそも限界があります。
従って「郵政民営化に対してどういう姿勢を取るか」というところから、さらにその先にある思想や行動を見通して投票する必要があるのです。少なくともいえることは「何もしない」議員だけは、しっかりと見抜く必要があるということです。

これまでも小泉総理は国政選挙・総裁選挙をともに信任投票的に活用し(郵政民営化が嫌だったら代えてくれ、という総裁選での言がその典型でしょう)、自らを選んだ以上はその統治を全面的に受け入れて当然だとしてきました。しかし本来、公約は政策パッケージにならざるを得ず、選挙の勝利はあくまで平均点としてパッケージがよいという以上の意味を有さないはずで、だからこそ公約を実際の政策とする際には別途プロセスを踏む必要があるのが自然です。

 戦後日本の政党政治では、政党が政策を尊重してこなかった。特に自民党の場合、あれもある、これもあるという雑居性が政党の幅の広さとして高く評価され、党内における不透明な交渉や妥協が民主的手続として尊重されてきた。しかし、権力に関する責任の所在が不明確であることが、日本の政党政治を毒してきたと私は思う。国民にとっては、選挙で投票することが重要政策についての選択につながっていない。
これからは、政党のリーダーが国民に対して重要政策を具体的に示し、その実現に向けて自党を統制、統率するというメカニズムを確立することが必要である。この転換は、妥協型民主主義から、(国民との)契約型民主主義へのモデルチェンジといってもよい。

 議員にとっては地域社会の繋がりが緩んでいるため、誰が自分に票を入れてくれたのか非常にわかりにくい。しかし、郵便局長会や労組の力は例外的に明確だ。当選したお礼参り先としてはこうした組織は欠かせない。これが小泉さん以外には郵政民営化を言う政治家が出なかった一因であった。

[追記]

近い将来、情報流に物流が追いつかなくなって、不均衡が発生するのは必然で、その時に配信系のネットワークだけでは機能不足だと思う。ある意味コンビニと同じだけど、全国規模で設置コストゼロですでに過疎地にオフィスがあるってことは強いですよ。
~中略~
「郵便局2.0」
これですよ。来年から「郵便局2.0」の逆襲がはじまります。

[引用元一覧]
国会議事録を読もう・言葉への信頼を取り戻せ
財投機関債を巡って
郵政民営化について
岡田民主党と嫉妬の政治
なぜ、郵政公社を民営化するべきなのか?
郵貯:改革の理由(2) 収益源のタイムリミット
郵政民営化法案問題をできるだけシンプルに考えてみる
選挙戦へのつぶやき1
郵政民営化と、保守主義と、システムエンジニア
小泉総理の解散権行使に対するオブジェクション
小泉流リーダーシップの意義+(読売新聞掲載の小泉論に対する補足)
政党選択の新たな意味
郵便局2.0 — 過疎地のオフィスを活用する方法

カテゴリー
社会・政治

争点としての「郵政民営化」が意味するもの

「民営化」とは何か。
一言で言えば、国有企業が民間企業になるという事だ。
マイクロソフトも、トヨタ自動車も、ユニクロも民間企業である。IBMもGoogleも然りだ。
どんな優良企業でも、10年後も存続している保証はない。民間企業である限り、経営破たんの可能性がゼロになる事はない。
要するに民営化とは、言い換えれば「リスクを負う」という事だ。「リスク」を代償に、経営上の「自由」を勝ち取ろうという話だ。
で、その「自由」の先にあるのが「飛躍」なのか、はたまた「破滅」なのか。そこが賛成・反対の分岐点になるわけだ。結局のところ、結果を左右するのは民営化後の経営陣の能力にかかっている
もし、経営陣が無能であれば、民営化へのプロセスがどんなに完璧でもいずれ破綻する。逆に、経営陣が正しく機能すれば、民営化法案の出来不出来ってのはあんまり関係が無くなる。安定した経常利益を維持できれば、懸案事項の殆どは杞憂に終わる。
「民営化」である以上、リスクをゼロにする事はハナから無理だ。
(郵政民営化に)リスクを賭ける価値があると思えば「賛成」、その価値が無いと思えば「反対」である。
そう考えると、民営化賛成+法案反対というのは、まやかしだと判る。
民間会社の成功を保証する法案など、どー弄ったって結局のところ有り得ないからだ。郵政株式会社の命運は、経営陣にかかっている。超当たり前の話。

カテゴリー
社会・政治

著名ブログの「最初の記事」を集めてみた

私があちこちのブログや個人サイトをマメに巡回する様になったのは、2005年になってからだ。だから基本的に、ネットでの「過去の話題」にはあまり明るくない。
たまにGoogle検索とかで、巡回先であるはずのブログの古い記事に出くわして「え、この人がこんな事書いてたのか」と驚く事がしばしばある。今とは芸風が違ってて意外な感じだったり、逆に何年も前の記事なのに、まるで昨日書いたものみたいに文体がブレていないのに感動したりする。
つーわけで、表題の様な事を思い立った次第。
著名ブログといっても、巡回先メインなので選定に偏りあり。それから文字通りの「最初の投稿」とも限らない。だいたい以下の様なルールで、幾つか集めてみた。

  • 基本的に2年程度以上続いているBlog(サイト)が対象
  • 自己紹介とか、「今日からブログ始めます」みたいなエントリーは除外
  • ブログサービスを転々としてる方とかの場合、旧サイトまでは追わない
  • ただし、過去ログとしてアーカイブされてるものは旧サイトでも対象とする

こういう試みは、やられる方からしたらかなり不快かもしれない。というか、自分がコレやられたら死ぬ程恥ずかしい(なんて書くとやぶ蛇なんだが)。でも、好奇心に負けたw。対象となったブロガーの皆さんには先に謝っておきます。ゴメンナサイ
あと、私の探し方が悪くて「それ最初の記事ちゃうちゃう」等のツッコミがあれば遠慮なくご指摘を。
では、新しいものから順に。
おまえにハートブレイク☆オーバードライブ(ykurihara氏)
2003.09.26 ひとまず
絵文禄ことのは(松永英明氏)
2003.09.13 ウェブログ=蜘蛛の巣丸太が「サイバー日記」になった理由 
極東ブログ(finalvent氏)
2003.08.14 平和教育の残酷さ
おれはおまえのパパじゃない(テラヤマアニ氏)
2003.05.04 二次会幹事
かみぽこぽこ。(かみぽこちゃん氏)
2003.03.22 近所の写真屋さん
愛・蔵太の気ままな日記(愛・蔵太氏)
2003.02.04 曇り
Bewaad Institute@Kasumigaseki(bewaad氏)
2003.01.01 問題はこれだ!
日日ノ日キ(吉田アミ氏)
1999.07.31 ニッキハジメ
趣味のWebデザイン(徳保隆夫氏)
2001.06.18 記念講演←間違ってました
1999.03.08 長野五輪招致問題
圏外からのひとこと(essa氏)
1999.01.15 「仏陀L」筋肉少女帯
IrregularExpression(gori氏)
1997.05.27 そしてゴリは吠える!
ARTIFACT ―人工事実―(kanose氏)
1997.01.26 Internetの大海で恥をさらしてやるぜ…
ykurihara氏、松永氏、テラヤマアニ氏、徳保氏の文章は今読んでも違和感があまり無い気がした。皆さんブレが無い。私などは、いまだに文体でしょっちゅう悩む。キャラがなかなか一定しない。その点、さすがだと思った。
finalvent氏は最初からこのクオリティですよ。これは到底マネできない。でもよく読むとちょっと今より若々しいかも。
かみぽこ氏は今と芸風が微妙に違って初々しい。
愛・蔵太氏、そっけない感じが今の芸風とも違う感じで興味深い。
吉田アミ氏の記事は1999年という独特の空気感が感じられて好きな文章だ。
特筆すべきはbewaad氏の熱さほとばしる文章!こっちの方が好きかもw
昨今の「小泉批判」エントリー群の原点を見た気が。
essa氏の『「仏陀L」筋肉少女帯』は「ですます」調じゃない文体が新鮮な感じがしたんだけど気のせいかな?次の『荒井由美』ではもうですます調になってる。意図的なのかな。内容は最初から共感しまくり!
20世紀からテキストを蓄積されてきた方々はそれだけで尊敬に値すると思った。変化の早いネット上で、「継続する」という行為は圧倒的な価値を生み出す気がする。
特に1997年からのテキストをアーカイブされているgori氏、kanose氏は別格。なにしろWindows98が存在しない時代からテキストを綴り続けているのだから。まさに「継続は力なり」。今回取り上げたサイトに限らず、今あるブログで5年後も続いているものがあれば、それは間違いなく「誰もが多くの人が知る存在」になっているだろう。それだけ「書くモチベーション」を失わない人が書いたテキストが面白くないはずがない。
ブログは、時に投げ出したくなる。
しかし、紆余曲折があっても「力尽きる」まで書き続けたい。
各記事を読んでいて、なんだかそんなモチベーションが沸いてきた。

カテゴリー
TV・映画

駒大苫小牧暴力不祥事を総括する

日本高野連が駒大苫小牧野球部長の体罰問題について、「優勝取り消さず」の決定を下した事で、この騒動は一応の決着を見た。
「とりあえずホっとした」
「優勝は取り消されるべき」
「暴力はいかんだろ」
「問題の選手は札付きだったらしいじゃないか。部長は悪くない」
などなど、様々な意見が飛び交った。
しかし、イマイチかゆいところに手が届いていないというか、総じて表層的な話に終始している気がする。
この事件ってたぶんもっと奥が深い。
というわけで、この騒動が風化してしまう前にきっちり総括しておこうと思う。

●事件の経過

各種報道から、事件の経過を時系列にまとめてみる。

6月2日 朝の練習後、駒大苫小牧野球部長(27)が3年生部員1人を「エラーしてもにやけていた」として、練習後に注意したが、反抗的な態度をとったため平手で顔を3、4発~3、40発(回数について主張の相違あり)叩いた。
6月27日 夏の甲子園予選室蘭ブロック開幕
7月24日 夏の甲子園南北海道大会にて駒大苫小牧優勝。甲子園への切符を手にする。
8月4日 野球部生徒11名の喫煙・暴行事件発覚により明徳義塾が急遽出場辞退
8月6日 甲子園にて夏の全国高校野球大会開幕
8月7日 甲子園大会中の宿舎にて、
「夏バテ防止にご飯を3杯食べるという約束があるのに同じ部員がごまかそうとした」ので、野球部長が注意したが、やはり反抗的な態度をとったため、スリッパで1回叩いた。
8月8日 同校に「部員の親」を名乗る匿名の電話があり、校長、教頭ら学校幹部が暴力の事実を把握。しかし「子どもの将来(への配慮)や、粛々と大会が進行していることなどから、関係者に多大な迷惑をかけたくないという思いがあった」という理由で学校側は高野連への報告を行わなかった
8月9日 原正教頭が大阪へ向かい、部長と面会。部長が暴力の事実を概ね認める
8月20日 決勝戦で京都外大西を破り駒大苫小牧が夏の甲子園2連覇。
8月22日 駒大苫小牧高校の篠原勝昌校長が臨時記者会見を開き、野球部長の暴力不祥事を発表。同校は野球部長を謹慎処分とした。
8月23日 駒大苫小牧が、高野連に事件の概要を報告。
8月24日 体罰被害を受けた部員が札幌市内の病院で精密検査を受け、外傷性の顎(がく)関節症と診断。
8月27日 駒大苫小牧篠原勝昌校長が高野連に報告書提出。それを受け高野連では、部長を一定期間の謹慎、報告の遅れた同校野球部については警告とする処分案を決定。また、夏の甲子園優勝を取り消さない事、秋季大会及び国体への参加を認める事も併せて決定。

客観的事実をこれだけ書き並べてみただけで、疑問点がヤマほどあるのだがそれはとりあえず置いておいて、今回の騒動で浮き彫りになった問題点を整理してみよう。
問題点は大きく分けて2つある。ネット上の様々な議論もこの2つをどう判断するかで意見が別れている様に見受けられる。
その2つとは

  1. どこからが不正で、どこまでが許容範囲なのか。その線引きはどこにあるのか。
  2. 不正があったとして、それを誰がどのように裁くのか。

の2点だ。実はこれら2つについて、これまで長い間、何一つ明確にされないまま放置されてきた。本質的な問題はそこにある。以下、それぞれについて考察してみよう。

●どこからが不正で、どこまでが許容範囲なのか

駒大苫小牧の件について言えば、どこからが体罰/暴力の範疇に入るのかという問題になる。
学校教育法によれば、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒は基本的に体罰と解釈する事が可能だ。確かに、一般の生徒であればその論はある程度納得できる。
しかし、スポーツの世界において一流を目指す場合、どうしてもその訓練は過酷にならざるを得ない。過酷だという事はすなわち肉体的苦痛を伴ってしまうという事だ。だから、一般の高校生の授業と全国制覇を目指す野球部の練習とでは、同じスキームで判断基準を設けるのは現実的ではない。
例えば、駒大苫小牧の超強力打線を生み出した原動力として、竹バットを使用した打撃練習がある。
竹バットはボールを芯で捕らえないと、手に激痛が走る。その為、選手達は必死でボールをミートするよう心掛ける。駒大苫小牧の選手が、皆シュアなミート打法を体得している裏にはそういった鍛錬があるのだ。
こういった練習法だって、もし通常の体育の授業で導入してしまえば「体罰的だ」と言って反発する保護者が出てきて不思議ではない。しかし、今回の騒動でもスキームの違いを踏まえたきめ細かい議論は一切されなかった。
正直、今回の駒大苫小牧の件はグレーゾーンだろう。どこからが体罰かという議論はされないまま、件の野球部長は結局6月と8月の「2回」に渡って暴力を振るった事になってしまった。しかし、6月の件はともかく、スリッパで1回叩くのが暴力かどうか、議論の余地はあるだろう。もしスリッパではなくハリセンだったらどうだろう。新聞紙だったら?
6月の件にしても、もし野球部長が「あれは体罰ではない」と強硬に主張したなら事態は混迷を深めただろう。どの程度の力の入れ具合だったのか、どの部分を何回叩いたのか、結局のところ当事者にしか判らない。客観的判断は、被害者の肉体的損傷から判断するしか無いのだが、今回のように精密検査が2ヶ月半も経過した後となると、「顎関節症」と診断されたところで、2ヶ月半も前の暴行によって受けた損害だと客観的に証明する事は極めて困難だからだ。
結局、「大きくなり過ぎた騒ぎを穏便に収めたい」という方向で当事者全員の思惑が一致したが故の決着であり、本質的な問題は何一つ解決していない。
こういった「判断がやっかいな問題」をスルーしたままの決着はおそらく将来に禍根を残す。結局、「騒げば甲子園全国制覇という事実でさえ覆る可能性がある」という奇妙な事実だけが残った。
このままでは、今後もっと輪をかけてナンセンスな騒動が巻き起こるだろう。

●誰が、どのように裁くのか

明徳義塾や駒大苫小牧について、表面上は高野連が裁定を下したように見える。しかし、事実上彼らを裁いたのは「匿名の告発者」だ。この状況はハッキリ言って最悪だ。
高野連には、前述したように「不正」を判断する客観的基準が無い
それだけでなく、不正が行われたかを調査する能力も権限もない
にもかかわらず「連帯責任」の名の下に高校球児の生殺与奪だけは手中にしている
考えても見て欲しい。今回の夏の甲子園出場校49校を見ても、
「選手の喫煙も無ければ指導者による体罰も無かった」
事を証明できる学校など一つも無いのだ。(というか、そもそもそんな事を証明できるはずがない)
ただ単に「誰からもタレコミが無かった」に過ぎない。
こんな状況で、「不祥事が発覚したら速やかに高野連に報告しなさい」と言う。お戯れもたいがいにして欲しい。報告したところで、どうせ「大会参加を自主的に辞退」させられるだけなのだから、「ばれないように全力を尽くす」のは自然の成り行きだ。
そもそも連帯責任というのは、大宝律令の時代から「相互監視させる事によって、低コストで秩序を維持する」という「統治者」の論理で導入されてきた。教育的意義など皆無だろう。あるならぜひ教えて欲しいものだ。「体罰」が時代錯誤だと言うなら、「連帯責任」はそれ以上に時代錯誤だ。本気で「不祥事の速やかなる自己申告」を促進したいのなら、「連帯責任」の全面撤廃しかない。今の状況のまま放置したならば、いずれ必ずや高校野球の有力校は「ライバル校の素行調査」に力を入れ始めるだろう。そして「匿名の告発者」が増えていくだけだ。

●最後に

駒大苫小牧の不祥事についてたくさんの記事を読んでみたが、その中では駒大苫小牧事件と人事管理
という記事が秀逸だった。人事管理という観点から、駒大苫小牧の指導スタッフに反省すべき点は確かにあると思う。
ただ敢えて弁護するならば、学校の部活動というのは基本的に希望者は全員受け入れなければならない。しかも、駒大苫小牧野球部はここ2、3年で爆発的に部員が増えてしまった。母体数が激増する一方で、ベンチ入りできる選手の数は変わらない。そんな中で、選ばれなかった選手の不満をフォローするのは並大抵の苦労ではないのだろうな、と思う。
それから、野球部長が8月に「スリッパで叩いた」理由であるところの「メシ3杯」について「くだらなすぎる」という論調が一部で見受けられたので、最後にそこだけフォロー。
確かに普通の人から見ればくだらない事なのかもしれないが、どんな些細な事も「徹底」したからこそ北海道勢初の「全国優勝」という奇跡が生まれたという事だけは理解して欲しい。
以下、「大旗は海峡を越えた」(田尻賢誉著)から抜粋。

04年の香田監督はチーム全体を対象にした特別な暑さ対策はしていない。~中略~
それでも、駒苫の選手達はバテなかった。
その理由は”食”だ。
とにかく食べた。03年には無かったノルマを設定。試合日、練習日に関わらず朝食からご飯は3杯以上を徹底した。甲子園滞在中、練習時間は高野連から割り当てられた2時間のみで普段よりお腹は空かないはずだが香田監督は「全部食べ終えるまではダメ」といって無理やりにでも食べさせた。
「正直、きつかったですけど、言われた事をやろうと思って食べました。
体調が悪い時ほど食べるようにしましたね」(桑原)
~中略~
最後の最後まで選手達の食欲は落ちなかった。その結果、メンバーのほとんどが大会中に2、3キロの体重増。夏バテとは無縁だった。

香田監督の下、駒大苫小牧がいかに独創的なトレーニングを積み重ねてきたかというエピソードは他にもたくさんある。夏の甲子園連覇という偉業を称えるエントリーを書くつもりで集めていたネタだ。それが、このようなエントリーになってしまったのはなんとも残念だ。

カテゴリー
社会・政治

PRIDE GP 2005 FINAL ROUND予想

明日8月28日に行われる PRIDE GP 2005 FINAL ROUND。
此度の選挙に負けず劣らず、素晴らしいカードの数々に興奮を抑え切れないw。
今回の予想は自信あるっす。

  • 第一試合 中村和裕 × イゴール・ボブチャンチン
  • 勝者ボブチャンチン。
    中村ががんばれば判定まではいくかもしれない。しかし、いかんせん中村にはフィニッシュパターンが無い。今のボブチャンチンは相当強い。

  • 第二試合 ヴァンダレイ・シウバ × ヒカルド・アローナ
  • 勝者シウバ。
    好カードだなあ。好試合必至だが、勝敗で言えばシウバ優位は動かないと思う。
    アローナはいい選手だが、ランペイジジャクソンに失神くらったり、ダンヘンダーソンに不覚をとったり、意外とモロさが目立つ。特に打撃系の超一流どころだと苦戦がち。それと、シウバから見てアローナの攻撃には意外性がない。シウバにとってアローナはやっかいだとしても、怖さは無いのではないか。

  • 第三試合 マウリシオ・ショーグン × アリスター・オーフレイム
  • 勝者オーフレイム。
    昨日やっとTVの特番で前回の戦いぶりを見て驚いた。オーフレイムは昨年と別人だ。体が一回り大きくなってる。相当鍛えこんだのではないか。戦いぶりも完璧で、よく考えてみると、ビクトー、ボブチャンチンに勝っての準決勝というのは、4人の中で一番ハイレベルなブロックだったかもしれない。ショーグンは一筋縄ではいかないと思うが。どの位余力を残して勝つか、が優勝予想の一つのポイント。

  • 第四試合 ローマン・ゼンツォフ × ファブリシオ・ヴェヴェドゥム
  • 勝者ヴェヴェドゥム。
    ゼンツォフ情報少なすぎ。ヴェヴェドゥム順当勝ちとしか言いようが無い。

  • 第五試合 吉田秀彦 × タンク・アボット
  • 勝者吉田。
    このマッチメイクは嫌らしい。吉田は勝って当たり前と思われそうな相手なのに妙にリスキーだ。体重差も酷いし。つーか、アボットまだいたのか。

  • 第六試合 エメリヤー・エンコ・ヒョードル × ミルコ・クロコップ
  • 勝者ミルコ。
    ヒョードル不利。ミルコ相手に打撃でペースを掴むのは並大抵ではない。かといってタックルから入るわけにもいかない。ミルコはタックル切りも大得意だし。
    つまり、ヒョードルにとっては、ノゲイラと違ってミルコのようなタイプはおそらく一番苦手だろう。ミルコ遂に悲願達成か。

  • 第七試合 ヴァンダレイ・シウバ × アリスター・オーフレイム
  • 勝者オーフレイム。
    昨日のTVで桜庭がやはりオーフレイム優勝と予想していて驚いた。
    ショーグンの試合を見ていて、やはり「シウバと戦いぶりが似てるなあ」とつくづく思った。シウバの前にショーグンで予行演習ができるオーフレイムはその意味で物凄く組み合わせの利があると思う。先に言った通り、別人の様にレベルアップしている印象もあるし。懐も深くてシウバにとっても苦手なタイプっぽい気がする。
    しかし、準決勝でのダメージの深さによってどちらにもチャンスはある。特にオーフレイム。ショーグン相手に無傷でいられるかちょっと心配。勝ってもケガで結局リザーバーの出番、とかだと悲しすぎる。

    [2005/8/28追記]

    _| ̄|○

カテゴリー
TV・映画

ホリえもんはフツーに当選する

というか、表題のような見解がネット上でもメディアでもほとんど皆無?なのに驚く。(それとも私がたまたま目にしていないだけなのか?)
著名ブログでは、R30氏のエントリー「政治家ホリエモンをなめてはいけない」が異彩を放っているが、この記事も裏を返せば「政治家ホリエモンはなめられている」事が前提になっている。
選挙というのは、「どれだけ嫌われているか」は殆ど問題じゃない。
あくまで、「投票してくれる層がどれだけいるか」だけが重要だ。
前回参院選での鈴木宗男や辻元清美らの善戦を見てもそれは明らかだ。
ホリえもんは良くも悪くも存在感がデカすぎる(敢えてカリスマ性とは呼ぶまい)。その引力の強さが、「郵政民営化」の是非といった他の争点を霧散させてしまうのだ。つまり、ホリえもんを徹底的に毛嫌いするアンチであれば、たとえ民営化賛成でも彼には投票しないだろうし、その逆もまた有るという事だ。広島6区の有権者は頭の中で「ホリえもんが好きですか?」というYes/Noクイズにまず答える事になる。
東京商工会議所が今年4月に発表した、新入社員意識調査では「理想の社長」1位はホリえもんだった。「新しいことへの挑戦や行動力がある」「先見性、創造力がある」などが理由らしい。それらの評価が正しいかどうかはともかく、ホリえもんシンパは実際のところ結構存在するのだ。
仮にホリえもんに対する評価で、世の有権者層の4割がアンチ、シンパがその半分の2割、残り4割がどちらでもない(興味無し)だとしよう。
シンパ2割が全員ホリエもんに投票し、アンチは全員他の候補者に投票したとする。民営化賛成はどの世論調査でも過半数を超えているので、おおざっぱに、残り4割のホリえもん無関心層のうちの半数が民営化賛成のホリえもんに投票してしまうとそれだけで、全体の40%を得票してしまう計算になる。実際にはこんな単純な票読み通りにはならないだろうが、少なくとも「勝算は十分にある」と考えてもなんら不思議はない。
そもそもホリえもんが出馬した最大の動機はなんだったのだろうか。
個人的には、雪斎氏のエントリー「堀江貴文の決断」が最も真相に近いのではないかと思う。特に重要な部分を抜粋してみる(強調は引用者による)

堀江氏が議席を取れなかった場合の処遇は、先ず政府の経済・産業政策関係の諮問会議や審議会のポストが提供されるということであろう
当然、そこには、「財界総理」と呼ばれる奥田禎・トヨタ会長を含め、財界の歴々が集まっているし、
そうした場所に三十歳過ぎにして出入りできるようになることは、堀江氏にとっては「大いなる出世」を意味しよう。

「政策関係の諮問会議や審議会のポスト」というのは実に鋭い指摘だと思う。ズバリ、ホリえもんのターゲットは総務省だ。
今年の春頃、ソフトバンクの孫正義氏が携帯電話用800MHz周波数帯域の割り当てをめぐって総務省と大喧嘩をした。その強硬姿勢は他のキャリアからも総スカンをくらい、結局ソフトバンクはその後総務省との対立姿勢を大幅に軟化せざるを得なかった。
ライブドアは現在、Livedoor Wireless(D-cubic)という大掛かりな無線LANビジネスを立ち上げようとしている。M&A一辺倒でのし上がってきたライブドアにとって、この「自主」ビジネスの意味は大きい。そして、このビジネスに絡んでライブドアは2GHz帯の周波数割り当てを虎視眈々と狙っている。
関連記事
そんな状況下で今年春のソフトバンクの失敗は良き「反面教師」だったはずだ。
ビジネスの成功の為に「国家への影響力」を欲する。これこそが合理主義者堀江貴文に相応しい出馬動機であり、そう考えれば「社長を辞めない」事も当然だ。
もちろん選挙で勝った方が、諮問委員会のメンバーなどよりさらに「国家への影響力」は大きいし、自民党に売る「恩」も大きい。
だから「最初から勝つつもりはない」という見解は違うと思う。おそらくホリえもんは本気だし、勝つ可能性も十分にある。そもそも、負けず嫌いの塊のような男が「選挙に負ける」という屈辱に我慢できるはずがない。神取忍を見て痛感したが、有名人が選挙に負けるというのは想像以上にカッコ悪いのだ。

カテゴリー
IT

小泉純一郎の人となりを示す8年前の出来事

私が小泉純一郎という政治家に強烈な印象を受けたのは、1997年の事だった。
当時、橋本内閣の厚生大臣だった小泉は国会議員永年在職(25年)表彰を辞退した。
永年在職表彰を受けると、国会議員には2つの特典が与えられた。
ひとつは、国会が100万円出して画家に肖像画を描かせ、国会の委員会室に飾ること。
もう一つは毎月30万円の特別交通費支給だった。
しかし小泉は
「自分が国会議員をやってきた25年間のうちに国の財政も悪化してきた。その責任を担っている自分が表彰を受け、特典を得るのはおかしい」という理由で、本来堂々と受け取れるはずだった「名誉ある特典」を自ら拒否したのだった。
月額30万円というと大した事無い様に感じる人もいるかもしれない。しかしこの年額360万円の特別支給は非課税で、しかも引退後も終生支給を受けられると言うまさに国会議員の「既得権益」そのものだった。
実際、この「既得権益」を自ら手放すなど前代未聞だった。「変人」の面目躍如である。肖像画を辞退した政治家は過去3名いたらしい(成田知巳、伊東正義、渡部一郎)が、特別交通費はしっかり受け取っていたようだ。「政治腐敗を正す」はずだった社民党や共産党の政治家も、みな例外なくこの既得権益の恩恵に預かっていたのである。
このニュースは当時マスコミもそれほど大きく取り上げなかった記憶がある。実際このエピソードは現在でもそれほど広くは知られてはいないようだ。メディア向けのパフォーマンスではなかったところに意味がある。こういうエピソードにこそ、その人間の本質が表れる。以後、小泉純一郎は個人的に「最も注目すべき政治家」の1人になった。
そして、その3年半後、小泉内閣が誕生した。就任後、小泉が真っ先に手を付けた改革の一つが国会議員改革だった。国会議員歳費法改正案など関連法案が可決され、永年在職議員の特典制度は2002年4月をもって廃止されたのである。
時は経ち、2005年。小泉政権に対して世論は賛否渦巻いている。亀井静香氏をはじめ、多くの人間が「小泉は変わった」と言う。しかし、8年前から小泉純一郎は何一つ変わっていない。
1998年産経新聞正論での小泉インタビュー記事を読めば、それが良く判る。このインタビューは小泉の行動論理を知る上で必読だ。昨今の小泉の言動と照らし合わせても全く違和感が無い。
今度の選挙が、政権選択選挙だとするならば、それは小泉純一郎か岡田克也かのリーダー選択選挙でもある。
岡田克也は以前フジテレビ「報道2001」の番組中、古森義久氏から、民主党の外交政策に関して
「今どき外交で、国連中心主義なんて言ってる先進国は一つも無い」
とツッコまれた事がある。
どんな反論をするのかなと思って見ていたら、なんと岡田は「我々は”国連中心主義”という表現を使った事は無い」と言い放った。
あの発言も私にとっては衝撃だった。小泉とは逆の意味で。
2003年衆院選の民主党マニフェストには 
「国連中心主義で世界の平和を守ります。」と明記してある。というか、イラク派兵等に関して民主党議員が政府批判をする時には「国連中心主義」というのは常套句だ。さすがにあの発言を聞いたときには「岡田、(人として)大丈夫か?」と心配になった。
アルピニスト野口健のWEBサイトでは、橋本内閣行政改革の一環として郵政民営化案が議論された当時、民主党議員達がいかに民営化に前向きだったかが紹介されている。その彼らがなぜか今は「全党一致」で民営化反対だ。これは「政治家の行動論理」が為せる業である。小泉の行動論理が政治家の常識を逸脱しているのと対照的だ。
ついでに言えば、民主党の言う「あと2年は公社で」というのは反対理由になるのだろうか?なぜなら政府案でも公社が民営化をスタートするのは2007年だからである。しかも、完全民営化まで10年かけて段階的にやる、3年毎に民営化委員会が制度のチェック・見直しを検討する事も明記されている。とにかく今の政治家で郵政民営化を声高に叫んでいるのは小泉一人だ。牽引役がいなくなれば郵政民営化は自然消滅するだけだ。
話を元に戻そう。
小泉の政策が全て正しいわけではないだろう。
いつの日か、民主党による政権交代が実現するのもやぶさかではない。
しかし、例え郵政民営化を争点から外したとしても、プリミティブな「信頼感」という部分で「岡田民主党」が選択肢になる事はどうしても考えられないのだ。

カテゴリー
音楽

郵政民営化反対派の言い分まとめ+それに対するツッコミ

ここ数日、郵政民営化について俄か勉強を始めた。
元々民営化には「漠然と賛成」なのだが、反対派の論理もしっかり把握する必要があると思い、たまたま本屋で見つけた「だまされるな!郵政民営化」という本を買って読んでみた。

だまされるな!郵政民営化―金持ちを優遇して、貧乏人にツケを回す社会がやってくる

だまされるな!郵政民営化―金持ちを優遇して、貧乏人にツケを回す社会がやってくる

  • 作者:
    荒井 広幸
    ,
    山崎 養世
  • 出版社・メーカー:
    新風舎
  • 発売日:
    2005/07
  • メディア:
    単行本

反対派の急先鋒である荒井広幸参議院議員と、民主党の政策ブレーンで「高速道路無料化」論の提唱者でもある山崎養世氏の共著である。
「この本読んだらオイラも反対派に鞍替えかな」と半ばワクテカで読んだのだが、結論から言うと、自分の様な俄か論者でさえツッコミどころ満載で、かなりガッカリの代物だった。
とは言え、反対派の主張はかなり判りやすい形でまとまっていたと思うのでまずこの本から、反対派の言い分を抜粋して箇条書きにしてみよう。

  1. 郵便貯金が「銀行」のひとつになり国民はATM手数料105円を支払う。結局、国民生活の負担が大きくなるだけ
  2. 過疎と呼ばれている市町村には約24700局以上もの郵便局があるが存続が約束されているのは2000だけ。おばあちゃんが年金を受け取りに行けなくなる
  3. これまでの郵便簡易保険は全国誰もが加入することができたが生保化で「職業」などで断られるようになる
  4. 銀行口座が開設できなかったりクレジットカードを持てなかったりそんな人々が増加する可能性がある
  5. 地域にある小さな銀行、信用金庫が破綻に追い込まれる
  6. 郵便の値段が上がる。都心はサービスが向上するものの地方で暮らす人々には高くて不便なものになる。不公平な時代がやってくる!
  7. 財投国債こそ諸悪の根源であり、そこにメスを入れない民営化は意味が無い
  8. 政府は郵政が「税金を納めていない」と言うが、固定資産税見合いの二分の一を納付している。生田(正治日本郵政公社総裁)さんの下で公社の改革の成果でさらに公社改革で資本が積み上がれば、その出た分の2分の一程度を国庫納付する事になっている。
  9. 郵政民営化法案はアメリカからの対日要求に全面的に従った格好だ。郵貯・簡保を外資の生贄にするつもりか!
  10. 郵政三事業は独立採算制で国民の血税は使われていない。だから公務員削減の口減らしには当てはまらない。

本から抜粋する限りでは、反対派の言い分は以上だ。
以下、順にツッコミを入れていこう。
ATM手数料を支払う、おばあちゃんが年金を取りにいけない、簡保に加入できない、口座が開設できない、どれをとっても何一つ確定していない話で危機感を煽っているだけだ。確かに懸念もあるだろうが、その為に10年という移行期間も設定されている。郵便事業と窓口業務に関してはユニバーサルサービスが維持出来る様に、局の設置含めて国が関与する旨法案に定められている。
移行期間中は民営化委員会が三年ごとの見直しをやる。
ユニバーサルサービス確保の為の2兆円の積み立て基金もある。(2兆円が果たして妥当な額かという議論はあるが。)
それら一切の事について一言も言及しないで不安だけ煽るのはいささか恣意的だ。
簡易保険の審査については、既に民間で無審査の保険商品が数々出ている昨今の状況を無視している。全ては保険料と保証額のバランスの問題ではあるが、民営化に反対する根拠としてはいかにも弱い。
地域にある小さな銀行、信用金庫が破綻に追い込まれるというのは確かに有りえない話ではない。これは民営化のデメリットの1つではある。しかし、現状日本の全ての銀行の納税総額が合計約1500億、一方骨格経営試算における民営化後の郵政各社の初年度納税総額は国会議事録によると4000~5000億。つまり日本中の全銀行が納める3倍近い納税額が見込める。国民への増税無しでこれだけの税収が見込めるメリットと零細金融機関の破綻リスクデメリットを総合的に比較検討する必要がある。
地方が不便になるというのは、根拠が無い。先にも触れたが法案には全国一律のユニバーサルサービスを維持する事が義務付けられている。郵便の値段が上がる可能性は確かにある。しかし、公社であれば未来永劫値上げしないという保証も無いのだからこの議論はあまり意味は無い。
財投国債こそ諸悪の根源であるというのはその通りかもしれない。山崎養世氏の反対論における核心部分である。
(詳しくは山崎氏のBlogを参照)。
しかし、そもそも郵政民営化というのは財投国債廃止を妨げるものではない。というか、郵政民営化賛成の人間であれば、皆財務省改革だって賛成するはずで相反するものではない。それに山崎氏は郵貯簡保による財投債の直接引き受けが平成19年度までの経過措置である事についてはなぜか触れない。そして、特定郵便局の既得権益などについても一言も触れずに、財投国債廃止すれば民営化は必要ないと言う。これでは、民主支持団体の既得権益を守るためのカムフラージュと勘ぐられても仕方無いのではないか?郵政公社のままであれば、財投債にメスを入れてもそれに変わる新たな逃げ道が用意されかねない。郵政民営化は、さらなる財務省改革の追い風にこそなれ、妨げにはならないはずだが。
郵政公社が国庫納付しているとか、血税が使われていないというのは詭弁だ。新規事業を一切行わないと仮定して、2016年度の経営見通しを予測すると公社の場合1300億の黒字、民営化した場合は600億の赤字だと竹中大臣は国会で答弁した
反対派はこれを反対の論拠にするが、これこそいかに公社が優遇され間接的に税金の恩恵を受けているかの証左である。都合よく生田総裁の名前を出しているが、当の生田総裁本人が民営化の必要性を国会で何度も証言しているのは何故かスルー。
郵貯・簡保が外資の生贄になるという論調も反対論の中では根強いものだがそれが事実であれば、なぜ既にある民間の大手銀行が全て外資の餌食になっていないのか不思議だ。
持ち株会社は公的な機能を持った特殊会社であり、買収不可能。郵便事業会社、窓口ネットワーク会社についても持ち株会社の100%子会社であり買収は理論的に無理。
銀行と保険については他の民間企業同様、銀行法の規定や独禁法の規定といった一般法規があり、敵対的買収については商法、会社法の一般的な規定に基く必要な防衛策を講じていれば問題は無いはずだ。そもそもアメリカの対日要求は全て日本の国益に適っていないという前提でなければこの論は成り立たない。陰謀論めいた話まで持ち出さないと民営化に反対できないというのは、反対派の論拠が希薄である事の証明にしかならない気がするのだが。。。
郵政民営化法案は、改善の余地も確かにあるのだろう。しかし、文句だけ言うなら簡単だ。
問題は民営化の意義を今一度考える事。民営化なのだから、リスクがあるのも事実だが、一切のリスクを負わないというのは幻想ではないか。
最後に民営化の必要性を補強するページを列挙しておく。
特に、幻影随想別館で黒影氏が取り上げているサイトはどれも必見。
特定郵便局の既得権益が想像以上に理不尽で驚いた。
田中氏、徳保氏の記事も判りやすく素晴らしい。
幻影随想別館:郵便局問題のお勉強中(黒影氏)
今週のひとこと:政党選択の新たな意味(田中直毅氏)
趣味のWebデザイン:なぜ、郵政公社を民営化するべきなのか?(徳保隆夫氏)

カテゴリー
MovableType

「郵政民営化は争点ではない」と言う事の浅はかさ

民主党は、郵政民営化から国民の目を逸らす方針の様だ(まあ当然だけど)。
総選挙争点は郵政民営化ではなくムダづかい削減 岡田代表、会見で
以下抜粋。

 岡田代表はまた、郵政民営化を衆議院総選挙の唯一の争点とみなす小泉首相の発言に対して、それは大きい争点ではなく、敢えて挙げるとすれば、ムダづかいをなくすことだと指摘。さらに「前提は、政治家が身を正していくこと」だと述べ、議員年金の廃止、議員定数の削減から始まり、公務員人件費削減など3年間で10兆円のムダづかい削減に向けてを取り組むとの考えを明らかにした。

民主党の最大の失敗は、郵政民営化に全党一致で反対してしまった事だ。これは小泉手法を結果的に全面サポートしてしまっている。民主党が造反無く一致団結してしまった事で、小泉総理の目論む「タグ付け」がより完璧になってしまったからだ。
今回、郵政民営化に反対票を投じた議員は自民公認から外される。棄権したものに関しても、侘びを入れ、民営化賛成を明言したものだけが自民党公認となる。つまり、政見放送を見なくとも、候補者の演説を聞かなくとも、自民公認候補=郵政民営化賛成だと、有権者にインプットされてしまった。逆に自民公認から外されたもの=民営化反対者だと、極めて判りやすいタグ付けに成功した。
さて、ここで「もっと大事な事がある」と言っていたハズの民主党が民営化反対で一致団結してしまった事で、有権者は、このタグ付けを、民主候補者にまで拡大する事ができる。皮肉な事に、造反者を出さなかった事で、民主候補者=民営化反対 のレッテルが有効になったのだ。郵政民営化についてだけは、各候補者の主張を聞く必要が無くなったわけだ
ここまで強力な「タグ付け」に成功した選挙は過去に例が無いだろう。そしてこれが有権者の投票行動に必ずや影響を及ぼす。選挙演説など一度も聞かず、誰一人政見放送も見ずに投票所にいった者でも、とりあえず自民候補者は民営化推進だと判断できる。このタグ付けが最終的に大きな効果を発揮するだろう。
民主が本当に、「郵政民営化など争点ではない」と考えるならば、郵政民営化に対する判断を各候補者の自由意志に任せるべきだ。おそらく、それをやられるのが実は小泉首相にとっては一番イヤなのではないか。せっかく有権者にインプットした「タグ」の効力が弱まる。とりあえず民主党候補者の主張は各候補者良く聞いてみようという気にさせてしまう。
そもそも、「何が争点か」を争点にするなんていうメタな議論は、国民生活には何ら関係の無い話だ。こんなやり方では、民主に風は吹かんね。
「郵政民営化?どっちゃでもええがな。各候補者好きにしたらよろし。」
という一言が言えれば、「もっと大事な事がある」というスローガンも説得力を増す。小泉の「タグ付け」を弱体化できる。
逆に言うと、この方針転換が民主盛り返しの必須条件だと思うが。
今のままだと、どんなに民主党が選挙演説やマニフェストでとぼけても、選挙当日、いざ投票用紙を目の前にした時、殆どの有権者は「郵政民営化」という言葉を真っ先に思い起こすだろう。

カテゴリー
ネットWatch

名プロデューサー小泉純一郎

参院で、郵政民営化法案が否決された。
それを受けて小泉総理は、即座に衆院解散総選挙の意向を示した。
今日午後3時の段階では、公明神崎代表と小泉総理の間で一応8月30日公示、9月11日投票という事で合意に到った様だ。
選挙に向かうとしたら、このテンポの速さが重要だ。一切逡巡しない事。それが国民には意志の強さとして目に映る。
反して、「勝った筈」の民営化反対派は歯切れが悪い。亀井静香の「解散などしないと思った」というセリフに象徴されるように、見事なまでに間抜けっぷりを晒している。勝負どころがわかっていない。
いやー、はっきりいって面白すぎる。選挙上等。これほど「投票したくなる」選挙は無い。
改革派vs守旧派。本来単純に色分けなどできなかったものが、郵政民営化反対か賛成かというリトマス紙によって、これ以上無いくらい単純化され明確になった。結果として反対派=守旧派が公認から外される。国民から見て実に判りやすい。
驚いた事に、反対派は自民党公認に対する未練を隠そうともしない。既に勝負が始まっている事を自覚していない。事の成り行きの早さについていけてないのだ。
テレビでは「小泉の政治手法に対する批判」に持っていこうとしてるが、選挙で国民に選択の機会を与えてくれる事で、「国民不在の政局闘争」という批判が的外れになる。
単純にどこが強いのか。
守旧派自民 vs 改革派 どっちが選挙上手?
改革派自民 vs 民主 どっちが改革派?
守旧派自民 vs 民主 全特と全逓 どっちが票田?
これは、PRIDE GRANDPRIX 2005 である。見たい戦いを実現してくれるファン重視のイベントである。ミルコ対ヒョードルである。
選挙の演出としては過去に類を見ないワクワク感だ。
個人的には、今回は200%自民支持だ。レイムダック化へまっしぐらと思われた小泉政権がここにきてまたでかいエンターテインメントを提供してくれた。
守旧派が新党を結成するのか。党首はだれなのか。自民党の新たな公認候補の目玉は誰になるのか。影の薄い民主党はどこまで存在感を取り戻せるか。選挙まで目が離せない事だらけだ。