「悲しいとき」ミクシィ編 がネットランナー1月号の「ローレゾくん」に載ったよ!!
感謝感激だよ!!
こんな感じだったよ!↓
あれ?
でも、これホントにウチのブログなのかな?知らないアドレスだよ。拡大してみたよ。
http://otaba.jp/
もしかして、これが音極道茶室の正式なURLだったのかな!?Σ(゚д゚lll)
知らなかった!
自分のブログの正しいアドレスを知らなかったなんて!恥ずかしいよ!
というわけでアクセスしてみたよ。(・∀・)
えーっと、
『Otaba 世界初オタク系SNS』!??
マジっすか!オイラおたくなんだろうか!?自信無いよ!つか、ここウチのブログじゃないよ!
あ、そーか!きっとこの中に音極道茶室があるんだ!
くそー中見てみたいなー。くやしいなーーー。誰か招待してくれねーかなー。
と思ってよく見たら、「新規登録」ってボタンがあったよ。クリックしてみたよ。
そしたら、なんと自分で入力したアドレスに招待状が届くって!!超やさしいね、Otaba!!ユーザーのニーズに応えてる!!
メルアド入力してクリックしてみたら、ひろたつさんっていう知らない人から招待状が届いたよ!!
速攻で登録しちゃったよ!!
性別の選択肢が、「オタク/男性/女性」の三択だったよ!
ぐっじょぶだよ!馬淵なみだよ!
オイラはもちろん「オタク」を選んだよ。オタク系SNSなんだから当然だよね。
とゆーわけで、オイラもオタクの仲間入りだよ!
みんなも登録しよう!→クリック
「音極道J2」ていう名前で検索してみてね。マイオタ申請も気軽にね!!
ヲタク初心者だからやさしくしてね!!!
つか、何のエントリーだったか忘れちゃったね!
わかったつもりになってる人には伝わらない
小学校1年生の時、近所の映画館で初めて洋画を見た。
ブルースリーの傑作「燃えよドラゴン」とショーンコネリー主演「007 ダイヤモンドは永遠に」の2本立てだった。
字幕スーパーを読んでストーリーを理解するのは、6歳の子供には酷だ。
しかしどちらの映画も、当時見た内容を今でも鮮明に覚えている。自分にとってはそれだけ強烈な体験だった。大きなスクリーンの中で躍動するブルースリーやジェームスボンドの姿に胸を躍らせた。その面白さにすっかり興奮し、釘付けになった。個別のシーンもたくさん覚えている。
そして、映画館からの帰り道。一緒に映画を見た兄との会話の内容がまた忘れられない。
兄「おもしろかったのか?」
私「おもしろかったー!」
兄「ウソつけー。おまえ漢字も読めないじゃん。」
私「えー!?だって面白かったもん」
兄「じゃあ、007ってどこの国の人だか知ってるか?」
私「…うーんと、アメリカ」
兄「バーカ!!イギリスだよー。バーカ!!」
せっかく初めて映画を見た興奮に浸っているのに、それに思い切り冷や水を浴びせられたのが本当に悔しかったw。
たわいのないガキのケンカなんだけど。
そして、兄の指摘どおり、6歳の私はおそらくストーリーや舞台設定をほとんど理解していなかったと思う。
それでも当時の私にとって私なりに「おもしろかった」という事実は変わらない。007がどこの国の人か知らなくても、子供は映画を楽しむ。自分なりの楽しみ方をする。まず主役を直感的に見抜く。主役を助ける人は味方。イジメル人は敵。そんな単純な理解でも、燃えよドラゴンや007のような映画であれば十分に楽しめる。
「本当にわかってるの?」
「おまえにわかるの?」
「わかるわけないじゃん」
「わかってんなら説明してみろよ」
「わかってない」というのがたとえ事実だとしても、こういう言葉は「わかったつもり」になっている人には(悲しいかな)伝わらない。
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BEST 中島美嘉 ソニーミュージックエンタテインメント 2005-12-07 |
以前、中島美嘉のアルバムを購入しようと思ってAmazonで一度カートに入れたあげくに結局買うのを取りやめた、という経験が1度ならず2度もある。
そんな事もあって、このベストは買う事にした。で、聴きこんでの感想を一言で言えば。
『STARS』『WILL』『雪の華』があまりに素晴らしすぎて、他の曲が記憶に残らないorz。
全曲レビューがこの「聴き倒す」の作法だし、一応そのスタイルは守るが上記に挙げた3曲について中心に語ろうと思う。
正直言って、「ベスト」の割には曲のクオリティにばらつきが有り過ぎる。
アマゾンレビューなどを見ると、選曲そのものに「?」がつくという意見もあった。確かに「接吻」「ひとり」などが入ってないのは違和感がある。カバー曲やゲームの主題歌など、著作権絡みが面倒な曲を敬遠したのだろうか?だとしたら、「ベスト」アルバム舐めすぎ。ベストアルバムそのものが有る意味「手抜き」なんだから、そういう所はケチらないで欲しい。
では、曲順を無視して、M2.『STARS』から。
この『STARS』と、『WILL』の2曲は現在のJ-POPにおける最高峰と言ってしまおう。
この2曲は同じ作家陣の手に依る。
作詞が秋元康、作曲が川口大輔、そしてアレンジが富田恵一。
特に新しい事をしているわけではない。ただ、このような「王道バラード」路線は一歩間違うと酷く陳腐なものに成り下がる。これらの曲を傑作にした最大の功労者はアレンジの富田恵一だと思うが、作詞の秋元康、作曲の川口大輔もここでは本当に良い仕事をしている。
さらに中島美嘉の声が、曲と異常なまでに相性が良い。もうこれにヤラれた。
デビュー当時はもっとヘタだった記憶があったが、やはりこれは今回新たに録音し直したトラックらしい。今回のアルバムについて中島美嘉本人のインタビュー記事がある。以下抜粋。
でも改めて歌った「STARS」は、すごく難しかった。デビューのときは、そんなことぜんぜん感じなかったのに。だからきっと、あのときは何もわかっていなかったから歌えたんだなって思いましたね。
ああ、彼女は理想的な成長の仕方をしているな、と思う。
声の良さはデビュー時から際立っていた。一言で言うなら、「艶」である。「ツヤ」ではなく「艶」。「色気」とも違う。まさに「艶」という文字が持つ微妙なニュアンスを、中島美嘉の声は具現化している。
高級寿司店で食べる甘エビのネタに纏わりつくトロ味成分の様な「味わい」が彼女の声帯にコーティングされている。そして、キャリアを積むに従って彼女は自分の声の「良さ」を意識できるようになってきた気がする。
シングルと聴き比べるのも面白いかも。自分はまだシングル買ってないけど。
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STARS 中島美嘉 秋元康 冨田恵一 ソニーミュージックエンタテインメント 2001-11-07 |
M4.『WILL』
まず、アレンジの富田恵一について触れておこう。
MISIAの『Everything』を初めて聴いた時にアレンジの素晴らしさに感動して真っ先にアレンジャーの名前をチェックした。それが「富田恵一」だった。彼は、バラードアレンジでは今のJ-POP界で文句なくナンバーワンだと思う。ちょっと他とは次元が違う。
最も秀でているのは、そのベースアレンジ。この人はベースラインを先に考えてからコードワークを後付しているんじゃないかと思うくらいベースラインの練られ方が図抜けている。そして、ストリングスアレンジも同様に素晴らしい。上モノストリングスで奏でる構成音の選択が絶妙で、なんともセンスの良い心地よさを醸しだす。サウンドアレンジの一番下(ベース)と一番上(ストリングス)が良ければ全体の音像が良いものになるのは当然だ。
そして、この『WILL』では、秋元康の歌詞がまた良過ぎ。さすがである。おニャン子クラブのようなおちゃらけばかりではない。作詞家として長きに渡り一線を張り続けた懐の深さ。
それにしてもこの歌詞は出色の出来だ。歳を重ねて深みを増したのか。美空ひばりの「川の流れのように」を凌駕する秋元のベストワークだと思う。
『Stars』の世界観を踏襲しつつ、より普遍的で力強いメッセージ性を秘めている。
中島美嘉のボーカルを具体的にイメージする事で、かなりノリノリで書いたのではないか。
運命の支配じゃなくて 決めてたのは 僕の”WILL”
ここで泣いた。何度聴いても泣ける。既に50回以上聴いた。泣ける曲は数あれど、泣ける歌詞に出会うのは、私の場合そう多くない。
M9.『雪の華』
当初は、この曲も秋元・川口・富田トリオの作品なのかと思っていた。しかし、実際聴きこんでみると確かに違った。
アレンジはかなりオーソドックスで、どちらかと言えば抑制されている。中島美嘉のボーカルも熱唱し過ぎず、いい意味で落ち着きがある。
この曲の場合、その抑制具合が良いのだと思う。
メロディラインもすごくオーソドックスなんだけど、なぜか良い。
作曲の松本良喜は、どちらかと言うと手堅い曲を書く人で、ここでも松本良喜のキャリアの中でこの曲は突出してる気がする。
想像するに、やはりこれも中島美嘉の力なんじゃないか。作り手をその気にさせるというか。
他の曲については簡単に。
- Amazing Grace(’05)
- CRECENT MOON
- RESISTANCE
- 愛してる
- Love Addict
- FIND THE WAY
- SEVEN
- 朧月夜~祈り
- LEGEND
- 桜色舞うころ
- GLAMOROUS SKY
ピアノに綾戸智絵。予想以上でも以下でもない出来。中島にとっていい経験にはなりそう。
聴きこんでみると、普通にいい曲でした。
この曲は宇多田ヒカルを意識しているのがミエミエでちょっと萎えた。
そこそこ売れたみたいだけどベストに相応しい曲とは思えない。
大沢伸一先生が手掛けた佳作。これをシングルで出した意味は大きい。
『雪の華』と並べられちゃうといかにもツライ
多分悪くないんだと思う。多分。
これはちょっとひねり過ぎ。葉加瀬太郎もたまにはハズすって事で。
実験的?んーそうかも。
フツー過ぎる。
HYDE過ぎる。
ised@GLOCOMの倫理研第7回 が12/10に開催される。
講演者はわれらが小倉秀夫弁護士である。
演題は「 プラグマティックに匿名/顕名問題を考える」。
自分が関東在住だったら速攻でオブザーバー希望するところだ。
小倉先生が提唱してきた「共通ID構想」がised倫理研にて陽の目を見る。オグリンヲッチャーとしては実に感慨深い。
個人的な注目点は、小倉先生がどれだけホンネを言うか。自論をブラッシュアップできているか?である。
そこで、今エントリーでは小倉先生が提唱してきた「共通ID構想」の変遷をおさらいしておきたい。
2004/11/25
バランスが大切
HOT WIREDブログでは連載当初から匿名批判を続けていた小倉先生。始めはそれなりにうなずける主張だった。共通IDについてはこのエントリーが(おそらく)初言及。
私は、ISPに対し一定期間アクセスログの保管を義務づけるべきであるとの法改正には賛成しますし、レンタルサーバ業者(会員に無料レンタルサーバを提供しているISPを含む。)及びBLOG事業者が共同出資で共通IDを管理する会社を設立し、そこで発行されるIDの保有者の個人情報(住所・氏名等)をその新設会社で管理するというスキームが成立するのならばそれを支持します。また、発信者情報開示請求権の範囲を拡張する法改正(少なくとも開示請求者が、「違法性阻却事由のないこと」を主張・立証する責任を負わないことを明らかにする法改正)を支持します。
このエントリーの主張は正直いって同意できる。この頃の主張が一番まともだ。
複数のBLOG事業者やレンタルサーバ事業者共同出資のID管理というのも、
「ネット上に複数業者間の(閉じた)顕名空間を創る」
という解釈にしかならないから、技術的な障壁も無い。
匿名による情報発信を希望する人間は、共通ID対象外のBlogサービスを利用すればよい。
このエントリーのタイトル通り当初はある程度「バランス」がとれていたのだが次第に小倉先生の主張は変化していく。
2005/2/15
プロバイダ責任制限法第4条の見直し
小倉先生自身が「コメントスクラム」を浴びた事によりその主張は先鋭化。このエントリーは「コメントスクラム騒動」直後のものだ。「共通ID」のベースとなる考え方を窺い知る事ができる。
昨今問題となっている「コメントスクラム」という現象にしても、コメント投稿者がblog主に正しい氏名および住所を通知しなければコメント投稿ができないシステムの元では、おそらく発生し得ないでしょう。
とすれば、社会的なシステムとしては、インターネット上で批判を受けた者は、自らを公然と批判する者がどこの誰であるのかを──それが正当な批判であれ、不当な批判であれ、批判の名を
借りた単なる個人攻撃であれ──知ることができるというものが望ましいのではないかと思います。
「正等な批判」でさえ顕名である必要があると小倉先生は主張する。それが「真摯な議論を促進する」とも。
2005/2/27
J2氏への回答
TypeKey認証は、「ネット上での人格」から「現実社会での人格」をトレースする機能は全くありません。したがって、「匿名の恥はかき捨て」的な言動を抑制する機能は「TypeKey認証」にはありません。
TypeKeyで十分では?という私の意見に対する反論。批判された者が、批判者の「現実社会での人格をトレース」出来る事こそが、小倉先生の主張にとって重要である事がこのエントリーでさらに明確になる。
そして、小倉先生がこのエントリー当時抱いていた実現イメージを語っている貴重な部分がこちら。
技術的には、ADSL事業者等と提携して、その窓口において、運転免許証などの写真付きの身分証明書を提示させ、登録希望者との同一性を確認できた場合に登録を認めるシステム等が考えられるので、それほど非現実的ではありません。
そして、Hot Wiredブログ連載終了後、小倉先生の構想はさらに具体化?していく。
2005/5/27
実名主義の弊害?
匿名が制限される事による批判例を2つ取り上げ、反論している。まず、「有益な内部告発が抑制される」という批判に対しては
内部告発者保護制度を充実させたり、内部告発を受け付けて真摯なもののみを拾い上げて公表する
NPO等の設立に奔走する方がよほど役に立ちます。
とし、内部告発に関しては別枠で新たな仕組みを設けるべきという見解。
また「ネット上での言動が理由で会社を首になったり左遷されたりする危険が生ずる」という批判に対しては、
元々すべきではないことができなくなることは、一般には「弊害」とはいいません。
つまり会社を首になるような言動は匿名でもしちゃいけません、とww。
2005/6/1
発信者情報開示システム
「共通ID」についての言及がある。やはり「小倉版共通ID構想」を読み解くのに最も重要なエントリーだ。
まずプライバシー侵害との兼ね合いについて釘を刺す。
この場合、氏名・住所等の公開は、潜在的な「被害者」のために行うのですから、本来、本人が望むか望まないかによって左右されるべきではありません(ex.自分は「ねずみ取り」に引っかかりたくないからといって、行動でナンバープレートをはずして自動車を運転することは我が国では許されていません。)
また、実運用の具体例としてWhoisデータベースの運用例を初めて取り上げる。
実際、IPアドレスを取得するにあたっては、氏名および住所等の連絡先をしかるべき登録機関に登録することが求められ、当該登録機関はこれを原則公開しています。インターネット上の紛争は当事者間で解決されるべきであり、紛争を当事者間で解決するためには紛争の一方当事者が他方当事者がどこの誰であるのかを知ることが不可欠だからです。
そして小倉先生の問題意識の核心がここ。
現行のプロバイダ責任制限法第4条は、この意味において根本的な欠陥があります。同法は、「加害者」を特定する段階で、実体法上の請求権があることの主張・立証を行うことを要求してしまっている点が問題です。しかも、違法性阻却事由がないことの主張・立証まで「被害者」に要求する多数説はこの欠陥をさらに拡大しています。
で、問題解決の具体構想が登場。
したがって、インターネットを「匿名の陰に隠れた卑怯者たちのパラダイス」にしないためには、プロバイダ責任制限法第4条を改正し、開示請求者が特定の発信者に対し不法行為に基づく損害賠償請求権等を有することを立証しなくとも、発信者を特定するのに必要な情報を有する者がこれを開示するような法的システムが求められます。また、Tor等の匿名化ツールが普及し、IPアドレスとタイムスタンプからでは発信者を特定することが困難となっていくのであるならば、ブログ事業者や掲示板の管理人等に発言者の個人情報を把握する義務を負わせることだって必要になっていくのではないかと思います。もちろん、個々の掲示板の管理人はもちろん、個々のブログ事業者ですら、コメント欄投稿者の個人情報までは把握し切れませんから、共通ID発行事業者に当該ID保有者の個人情報を把握させ、「被害者」から発信者情報の開示請求を受けた場合には共通ID発行事業者がこれを開示することとしておけばブログ事業者等は義務を果たしたものと見なされるようなシステムを用意しておく必要があるのかも知れません
超訳すると以下のような感じか。
- 現状のプロバイダ責任制限法では、開示請求者が損害賠償請求権を有する事の立証責任を負っているので不公平
- 開示請求者が、損害賠償請求権の立証無しに発信者情報を掌握できるような法的システムが必要
- その為の共通ID。共通ID発行業者が、ブログ事業者やレンタルサーバ業者等に「共通」なIDを発行し、発行者の個人情報を掌握する。
- 「被害者」から開示請求があれば共通ID発行業者が該「個人情報」を開示する
- 管理としてはWhoisDBに近いイメージ。
2005/6/8
プロバイダ責任制限法の改正に向けてのメモ(1)
共通IDについてさらに掘り下げたエントリー。
ここでは共通IDの発行業者は「発信者情報登録事業者」という表現に改められている。
そのようなことを可能とするシステムとして普通に考えられるのは、特定電気通信役務提供者に対し、戸籍上の氏名及び住民票上の住所(外国人の場合は、パスポート等に記載される氏名、住所等)を登録した者以外の者を発信者とする特定電気通信の媒介を禁止するという法的システムです。
また、発信者情報登録事業者が発行する「共通ID」を発信者と1対1対応させる措置を
講じた場合には、当該発信者について氏名・住所等の登録を受けたものとみなす旨の規定を設ければ、一般の電子掲示板管理者やブログ開設者などもこの義務に対応することができます。これで問題の多くが解決するのであれば、プロバイダ責任制限法の改正だけで済みますので、私のような者でもさらさらと草案を起草できそうです。
2005/6/18
プロバイダ責任制限法の改正について(2)
これまでの主張を整理したエントリ。
重要な部分は以下。
私の目指すところは、ある発言をネット上で行った者は、その発言を現実社会で行った場合と同様の責任をとる社会です。発言者がその発言に対する責任を自らとることにより、被害者が泣き寝入りをすることを防止することができますし、そうであればこそ、被害者が発言者に責任追及できない分特定電気通信役務提供者に責任追及することを制限することができます。
これが小倉先生のホンネだ。以前から変わっていない。
しかし実際には現実社会でも、表現の「匿名性」というのは確保されていると思うのだが。。。
郵便などはネットよりはるかにトレーサビリティが低い。
あと、すげー気になった部分。
また、公開プロクシーやTor等により、IPアドレスとアクセス日時から発信者を特定するという仕組みが時代遅れになりつつある以上、掲示板サービスやブログサービスの提供者などに発信者の個人情報を把握させなければ、発信者情報の開示を適切に受けて裁判による救済を受ける機会を被害者から奪うことになります。
何も言うまい。
2005/7/3
情報フロンティア研究会報告書
このエントリで小倉先生プチ進化。情報フロンティア研究会報告書の提言を借りる形で、初めて公開鍵に言及。
前提部分の認識自体は私が言い続けていることと共通していますし、情報発信者のトレーサビリティを確保するために公開鍵方式が有効なのであればそれを用いることに異存ありません。
2005/9/16
久しぶりに共通ID構想について
このエントリーはなかなか楽しい。
共通ID方式を利用することを法律で義務づけるなんて話は、提唱者である私もしていないのですけど、どうも意図的に話を歪めた上で批判されている方が少なくないようです。
ここで、
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
と思ったアナタ負け組。よく読めば小倉先生が正しいw
特定電気通信により第三者の権利が侵害された場合に当該特定電気通信の発信者がどこの誰であるのかを訴訟遂行が可能な程度に特定できるシステムが採用されている場合に初めて特定電気通信役務提供者は幇助者または利用主体としての損害賠償責任等を免れるものとし、当該システムが採用されていない場合には少なくとも幇助者として連帯責任を負うこととするというのが提案の根幹であり
つまり、超訳すると
- 共通IDつーのは具体例の一つにしか過ぎない。そこは本題ではない。
- 発信者が特定できる事が担保されているシステムであればそれでいい。
- ブログ事業者が共通IDを採用しない場合は被害者が当該ブログ事業者から損害の賠償を受ければいい。
なるほどーー。共通ID採用の義務化ではないですね。確かに。
しかし、共通IDを採用しないサービス事業者は損害賠償責任を全て負わなければならないとなると、事実上の強制でしょう。
小倉先生の「共通ID構想」を正しく理解するには、各リンク先を全て熟読する事が必要。
ちなみにised@GLOCOM倫理研の第5回高木浩光氏講演 の中で、高木氏が小倉先生の共通ID構想について少し言及されている。
ここでの高木氏の解釈は
「複数の事業者をまたがって同じIDを使う顕名システムを実現するわけですね。」
というもの。
共通IDは「顕名システム」を希望する人達の為の受け皿、という発想。
この解釈であれば私も異論は無いのだが…
しかし実際の小倉先生の主張は違う。
小倉先生の構想は、「匿名の卑怯者」を漏れなく排除する為の共通IDだ。
実名を出さないブロガーは全て「匿名の卑怯者」だ。
匿名の輩は他人を批判せず、お気楽日記だけ書いていれば良い、というのが小倉先生の言う「表現の匿名性」だ。
WhoisDB並にプライバシーダダ漏れの開示システムがその運用イメージだ。
小倉先生は今回どこまでホンネを包み隠さず主張するだろうか。
小倉先生が自分の主張をオブラートに包めば、それなりに緩い同意を得られて予定調和の盛り上らない議論になるだろう。
逆に、小倉先生がホンネを声高に叫びその真意が伝われば、サブスクライバーIDでさえ反対の立場を採る高木氏にとっては容認できないはずだ。
ised@GLOCOM倫理研第7回を刮目して見よ!
(つーか議事録を待て!ww)
まだ、このアイディアは全然ブラッシュアップしていませんが、前エントリーが予想外の反響だった事もあり、その後もいろいろ思考を巡らせて見てとりあえずの結論です。
※今エントリーでは、「ですます調」でいきますw なんとなく。
悪質リフォーム問題から始まって、次々と明らかになる談合体質、そして今回の耐震強度偽造事件…建築業界への信頼が地に落ちて前途真っ暗な印象を持ってしまう昨今ですが、信頼の失墜はそのまま「住環境の危機」として消費者に跳ね返ってくるわけでこれは誰にとっても深刻な問題です。
でもこれらの諸問題を解決するカギは、気がついてしまえばすごくシンプルな問題なんじゃないかと。
それが表題にもある、「消費者向け民間検査ビジネス」の創出です。この、「消費者向け」というのがポイント。こう書いてしまうとすごく単純に見えますが、実際のところ発想は単純です。
この発想のヒントになったのは、bewaadさんのエントリー
「建築物の安全基準遵守に関する規制のあり方」
のこの部分です。以下抜粋。
プリンシパル・エージェント問題の存在
プリンシパルとは依頼者、エージェントとは依頼者のために働く者のことですが、
エージェントにとっての利害とプリンシパルにとってのそれが同じ向きでない場合、
エージェントは自らの利益を優先させプリンシパルのそれをないがしろにする
インセンティブが働きます。本件でいえば買い手がプリンシパル、
検査会社がエージェントということになりますが、検査会社が買い手の利益に
なるよう厳しくチェックしても検査依頼が減るだけであれば、厳しいチェックを
期待できなくても止むを得ません。
これ読んで「なるほど」と思いました。検査会社が買い手にとってのエージェントとなり得ないのは実は当たり前で、それは「イーホームズ」や「日本ERI」にとってのクライアントが、最終的な買い手である「消費者」ではないからです。民間ビジネスが直接の「クライアント」の事情を汲んでしまうのは有る意味当然なので今後、どれほど検査手続きの見直しをしても、消費者保護という観点から見ればどうしても「限界」があるわけです。
そもそも、これまでの「構造検査」は、建築物を建てる上での法的手続きに組み込まれた「ルーチン」でしかなく、要するに「お役所仕事」をそのまま民間に発注しているだけのものです。彼らは「書類チェック」のプロであり、「建築」のプロではないわけですね。
それでも、「イーホームズ」の場合で見ると約120名の検査スタッフのうち、構造設計実務経験者が30名ほど在籍していると聞いており、わずかではありますが実務経験者が存在しているお陰で、今回の構造偽造問題発見に至ったと考える事ができます(これが前回のエントリーに繋がってきます)
そこで、「消費者向け民間検査ビジネス」です。「イーホームズ」や「日本ERI」に過度の期待をするのではなく、全く新しい消費者専門の民間検査ビジネスを立ち上げるのです。
文字通り「消費者」が直接のクライアントであり、様々な物件の様々な検査を消費者の依頼で実施してくれる企業・機関を創出・育成すれば良いのではないかという発想。
耐震構造だけでなく、リフォームの品質検査など、検査項目は消費者のニーズに合わせて揃えます。
重要なのは人材の確保ですが、このビジネスには設計施工の実務経験者だけを揃えます。今回の耐震強度偽造でも、「設計施工実務のベテランであれば直感的に異常だと気づく」という証言が複数なされています。
そんな「プロ」をどうやって確保するか。実は最適の人材がゴロゴロしてます。
それは、談合体質の崩壊によって過当競争に移行しつつある建設業界で、このままでは淘汰されてしまう中小の設計施工業者です。もともと日本という狭い国土には相応しくないほど建設業界は人が余ってますから、人材の確保は容易。彼らも今までの経験と知識を生かせるわけですからIT業界や介護ビジネスへ転身しなさい、などと無茶な注文をするより遥かに現実的です。
このビジネスにはもう一つの意味があります。それは、建設業界の信頼を失墜させた張本人達の受け皿にもなるという点。
例えば姉歯設計士などは、然るべき償いを終えてもらった後、三顧の礼をもってこのビジネスに迎え入れます。
世界一有名なサイバー犯罪者、ケビンミトニックがいまやセキュリティアドバイザーになっているのと同じ発想です。姉歯氏ほど「設計書偽造」の全てを知り尽くす人間はいないわけですからこのビジネスには最高の戦力になります。あまたいる悪質リフォーム業者も同じ。その手口を知る者を積極的に受け入れる事により、マイナスをプラスに転換できるわけです。
[追記]
コメント欄でのバイスさんのご意見に応えて。
このビジネスにおける民間検査は「設計段階」に限りません。そもそも設計書に100%忠実な「施工」が行われるとは限らないという心配もあります。「今住んでる私の家は大丈夫だろうか?」「まさにマンションを買おうと思ってるんだけどあの分譲マンションは信用できるんだろうか?」といった不安を抱えている人が日本中にいるわけで、そういう需要に対する供給をイメージしてます。(もちろん設計段階でもOKです。販売仲介業者が先取りして設計施工段階で審査を依頼し、それを優良物件の証とする販売戦略もアリでしょう。)
いま、政府で全建築物を再チェックするなんて話も出てますが、たとえそれが行われると仮定してもそのチェックが「ワンタイム」では今後の対策としてはあまり意味がありませんし、税金投入額も数千億円に及んでしまいます。
[追記ここまで]
まだイマイチまとまりが悪いですが、これが現時点で到達した私なりの提言です。
この発想を実現するには、障害がたくさんあるのかもしれませんがちょっと私にはまだ見えてません。
コメント欄等でツッコミいただければ幸いです。
マスコミを賑わす耐震強度偽造事件。11月29日には衆議院国土交通委員会にて、事件の当事者が一同に参考人招致された。その様子はTV放送されたのだが、実に興味深かった。
正直、この事件に関する情報はあまりフォローしていなかった。ただ漠然と、最も責任が重くまた糾弾されるべきは最終的に検査を通した「イーホームズ」じゃないかと考えていた。
ソフトウェア開発に置き換えてみても、バグを出したコーディング担当者よりもデバッグ工程でバグを見逃した試験担当者の方が問題視されるからだ。
しかし、この事件についてはちょっと考えを改めざるを得ない様だ。
姉歯設計士の偽造に気付き、最初に国交省に通報したのが「イーホームズ」だったとは知らなかった。正直驚いた。
マスコミはこの重要なポイントを軽視しすぎじゃないか?
マスコミの論調と、実際の事件の景色とは大きく隔たりがないか?
確かにイーホームズには検査を通した重大な責任がある。しかし、裏を返せば自らの瑕疵が間違いなく糾弾される不祥事を、自ら告発したという事だ。
いまどき、こういう決断ができる企業は貴重だと思うが。
マスコミの論調を鵜呑みにすると、自ら告発しておきながら責任逃れに終始している事になる。しかし、イーホームズが告発していなかったら事件はおそらく今も発覚していない。何か妙ではないか?
委員会では事件発覚までの詳細な経緯が、イーホームズ藤田東吾氏の証言で明らかになった。いずれ議事録が公表されて細かいやり取りはWEB上でも確認できる様になると思うので、明らかになった事実関係だけを箇条書きにすると以下の様な感じ。
- 姉歯氏の偽造を発見したのは、イーホームズ社内の内部監査での事。
- この内部監査は今年4月から定期的に行っている。
- 内部監査では構造計算検査業務のみならず、他の部門や財務処理など全ての業務をチェックしている
- 監査対象は、基本的に無作為抽出。しかし外部からの情報提供によって監査対象を絞り込む場合もある。
- 今回の場合は後者。ある構造設計士から「姉歯氏要注意」の情報を得て、姉歯氏設計の案件を中心に洗い直した。
- その結果、複数の物件で構造計算書の偽造が判明。
- イーホームズが関連各所に事実確認し、姉歯氏が数年前から常習的に偽造を行っていた事が判明。
- 事態の深刻さを認識したイーホームズが、国土交通省へ通報。
さらに藤田氏は重要な新事実を次々に明かす。
内部監査のきっかけとなった外部からの情報提供について詳細を問われると、
「1年ほど前、姉歯氏の偽造をある検査機関が発見したがその事実は隠蔽されたという情報だった」
という主旨の発言。
さらに「その検査機関名」を具体的に問われると、やや躊躇した後、「日本ERI」の名を明らかに。
この指摘は、ヒューザー社長が圧力をかけたとか、木村建設がリベート貰ったなどという末節の話より遥かに重要だ。委員会で突然名指しされた日本ERIは即座に記者会見を開き隠蔽の事実を否定したが、結局、姉歯氏が関与したという物件の安全性は確認できていない。
他には、藤田氏の以下の発言が印象に残った。
今回私どもが(偽造を)発見してから約一ヶ月近く経ってようやく他の行政でも発見できてきたわけです。それだけ難しいんです。発見するのは。(ここで、開き直るな!等の野次が飛ぶ)
開き直ってなどいるわけではないです。あのー、簡単に見るという事ではなくてですね、
…中略…
構造計算だけでもかなり多岐に渡った検査要件がございます。この(検査要件の)中では発見できなかった。という点では、制度上の問題においては本省の指導の下で改善していかざるを得ないと思っております。
他行政や他機関が出来なかったものを、(イーホームズが)通常見ないところまで見た結果発見できて公表できたという点では、どうかその点だけはご理解頂きたいと思います。
それは民間解放の一つの成果だと、私自身は自負をもっております。
この発言を藤田氏の自己弁護と切り捨てるのは容易い。
しかし、この言葉が何かひっかかる。私には、単なる自己弁護とは思えないのだ。
その主張を裏付ける様に、ここにきて平塚市や台東区、長野県など自治体の検査物件にも次々と偽造が発覚している。
日本ERIが検査した姉歯物件も結局偽造である可能性が高い。
そしてこんな報道もある。以下抜粋。
偽装発見難しい…自治体悲鳴、システム改善求める声も
マンションなどの耐震強度偽装問題で、姉歯建築設計事務所(千葉県市川市)による構造計算書の偽造を見抜けなかった自治体から、「現在の確認システムでは、今回のような偽装を発見するのは難しい」として、政府に対し、建築確認のシステム自体を見直すよう求める声が相次いで上がっている。
再発防止の観点から、検査機関のチェック体制などに加え、建築確認システムの改善についても、国は何らかの対応を迫られそうだ。
…中略…
姉歯秀次・1級建築士(48)は今回、構造計算書の数値を一部変えたうえで、間違った結果が出た時に表示されるエラーの文字を消したり、別の数値を変えたりして、全体につじつまが合うようにしていたとみられている。このため、改ざんは、入力された数値などマニュアルの各ポイントを調べるだけではわからず、実際に数値を打ち込み、再計算して初めて見つかったという。
ただ、「認定プログラムの計算結果を疑うという前提に立つと、今後、検査側は、すべての申請物件について再計算しなくてはならなくなる」(平塚市建築指導課)。それは「事実上、不可能」というのが、各自治体に共通した見方だ。
いずれにしても、姉歯氏やヒューザー小嶋社長の言動はこの事件の本質ではない。いまさら圧力だのリベートなどは、スキャンダルではあっても驚く話ではない。
それよりも、「この事件を発見できたのは民間委託の成果」と言った藤田氏の言葉に真実味を感じてしまう私はバイアスがかかっているのだろうか…
もし今も行政のみが確認検査を行っていたら、と想像した時に、「事件発覚」の場面をどーしても想像できない。
余談になるが、国交委員会の質疑で質問相手を藤田氏に絞り数々の新事実を引き出したのは日本一の子宝議員 馬渕澄夫議員である。GOOD JOB。
今回の馬渕議員の質疑はマジで好感が持てた。いずれ民主党を背負う存在になったりして。
[2005/11/29追記]
fladdict.netのTaka氏から、当エントリーで取り上げている「はてなブクマ論争から、モヒカン族の本質が見えてきた」の「モヒカン」云々の部分は釣りだった宣言をいただきました。釣りエントリーを絶賛してしまうといういささか間抜けな構図ではありますがw、しかしながら、本エントリーの主張が変わる事はありませんので、修正せずに記事はこのまま残します。「モヒカン」云々の部分はスルーという事で一つ。
fladdict.net のエントリー「はてなブクマ論争から、モヒカン族の本質が見えてきた」 が素晴らしい。しかし、ぶくまコメントを見る限りなんとなくTaka氏の問題提起が正しく理解されていないようにも思える(Taka氏ご本人にその真意を確認した訳ではないので、私の方が思い込みで解釈している可能性も否定はできないけど)。
とにかくこの記事に刺激を受けてしまったので、私自身が考える「技術至上主義」についてちょっと言及しておきたくなった。
Taka氏の上記エントリーから、私自身が読み取ったメッセージはこうだ(超訳)。
はてなにはモヒカン族と呼ばれる「技術至上主義者」がたくさん棲息していたんじゃなかったの?
これだけ「ぶくまコメント論争」がヒートアップしてるのに、技術至上主義者ならではの視点で解決策を提示している人は皆無だね。こーゆー時こそ出番なのにね。がっかりだね。
はてなに「真の」技術至上主義者はいないね。
「モヒカン」≠「技術至上主義」だね。
いや、これはちょっと超訳し過ぎかもしれないが…
ちなみに、Taka氏は11月20日のエントリー「はてなブクマのコメントを隠すブックマークレット」 で、まさに「技術至上主義」な視点を提示した。正直「やられた」と思った。今回の記事もこの延長線上にある。
いずれにしても、Taka氏は自身を「技術至上主義者」と位置づけ、またこの言葉をポジティブな意味で使用している。そこがキモだと思う。
さて、こっからが私自身の主張になるのだが。
プログラマを始め、ソフトウェアに携わるすべての技術者にとって「技術至上主義者」は1つの理想形だと思っている。すべてのソフトウェア技術者は「正しく」技術至上主義者であるべきだ。
「正しい」技術至上主義者とはどういう意味か?
話を具体的に進める前にちょっと脇道に逸れるが、サイバー法の世界的権威ローレンスレッシグが1999年に書いた「CODE」という名著がある。この本は多くの人に読まれているのだが、プログラムを開発した事の無い人がこの本を読むと非常に多くの人が「誤読」してしまう。
以前、企業か財団法人かは失念したがどこかの会長さんの挨拶原稿(pdfファイル)をネット上で拾った事がある。その挨拶では、レッシグの「CODE」について言及していた。思い出しながら書くが、曰く
サイバー法の権威レッシグという人は、「CODE」という本の中で、将来人々がプログラムコードに支配される世の中になる、と警鐘を鳴らしました。
これ典型的な誤読パターン。この会長さんは、「CODE」の本の中で「コードは法である」という章がなぜ冒頭にあるかを理解していない。過去も現在も未来も「コードは法」なのだ。これは逃れられない現実であり、将来予測ではない。
レッシグが予測したのは、いずれ「権力」がその「現実」に目をつけてコードに対してどんどんコミットしてくる世の中になる、という未来であり、(サイバー空間において)「コードは法」であるというのは、「当たり前の事」として理解するべき現状認識でしかない。
そして、この「コードは法である」という事実を認識する事が、「正しい」技術至上主義者の第一歩だ。
「法」とは社会の秩序を保つためのルールだ。サイバー空間において秩序を形成するのはまぎれもなく「コード」である。
コードが無ければ、人はサイバー空間に存在する事すらできない。CPUはコードが無ければ微塵も動作しない。キーボードを打鍵すれば割り込みハンドラという「コード」がイベントを処理し、上位アプリケーションへ通知する。ブログにコメント欄があるのは、ブログ設計者がそう設計したからだ。コメント欄を閉じるという選択肢がブログ主に与えられているのも、はてなのぶくまコメントが50文字以内なのも、全て設計者の意図だ。サイバー空間においては様々なソフトウェアが連携してその森羅万象全てを司る。あるアプリケーションを人が操作する時、そのアプリの設計者はその空間において全知全能の「神」となる。だからこそ責任が重い。プログラム言語だけ知っていても優秀な技術者にはなれない。
私は大企業社員時代、ある携帯キャリアの交換ネットワーク開発に携わった。全国のネットワークセンターに設置するオペレーション端末のアプリ開発リーダーだった。この時の経験は今でも貴重な財産だ。
とにかく仕様書のレビューを徹底して行った。実際に端末を操作するオペレータにも何度も参加してもらって意見を聞いた。
例えば、オペレータが直接入力するフィールドがあって、その桁数が48文字だったとする。そうすると、すかさず「なぜ48文字なのか」説明を求められる。設計者は全ての質問に論理的根拠をもって答えられないといけない。
「そのフィールドの全ての入力パターンを洗い出し、さらに全体のディスク容量や新たな入力パターンが追加された時の事を考慮に入れて決定した仕様です」
と自信を持って答えられるだけの根拠だ。
48文字で仕様が決まったとしよう。これを詳細設計に落とし込むとまた新たな問題に直面する。
「万が一48文字を超えた入力があった時にどうハンドリングすべきか」
要するに準正常ルートである。
またオペレータに意見を聞く。すると、状況によってエラー画面を出して欲しい場合と、超えた分はカットしてデータ格納して欲しい場合がある事が判る。それを仕様にフィードバックする。
どんな些細な事でも曖昧にできない。「決定」しなければならなかった。「全知全能の神」のつらいところだ。
なぜここまで仕様検討を徹底したかというと、逼迫した線表ゆえに開発工程後の仕様変更が絶対に許されなかったからだ。責任重大だったので当時は必死だった。
しかし、この時の経験のお陰で「コードは法である」という感覚は体に染み付いている(と思う)。
社会で機能する法設計をするには、まず社会を熟知しなければならない。そして人間を熟知しなければならない。
サイバー空間において、「コードが法である」以上、コード設計も同じ責務を負っていると思う。ユーザーが人間である以上、技術の知識だけでは良い技術者にはなれない。
私のイメージする「正しい」技術至上主義者とは、いい加減でワガママな人間の問題を技術の問題に翻訳して解決しようという発想を持つ人である。技術による「大岡裁き」である。
そんな訳で、今回のTaka氏の主張にはおおいに共感した次第。
[2005/11/26追記]
なんだか大事な点が抜け落ちている感じがしたので追記。
Taka氏のエントリーから読み取った「メッセージ」にさらに1つ追加するとしたら、
「Let’s CODE!!」
だろう。ぶくまコメント問題に関して、結局みんな「発言」するばっかで誰も「CODE」を書かなかった。
実際にCODEを書いたのはTaka氏だけだ。私が「やられた」と思ったのは、「実際にCODEを書くという行為」であって、「Bookmarkletによる解決方法」そのものではない。
というか、ぶくまコメント問題そのものの落しどころは正直わからない。Taka氏も同様の趣旨の事を「Bookmarklet」エントリーに書いている。
「考えて判らないのなら、試しに何かCODEを書いてみよう」そーゆー発想の人がもっといるかと思ったのに、という想いが出発点にある。
「モヒカン族考察」が出発点ではないので、そういう意味で誤解を招きやすいのかもしれない。
「ブックマーカー」ブックマークの恐怖
先日、アクセス解析を見ていたら、見慣れないリンク元からのアクセスを発見した。
そのリンク元URLが全く見覚えの無いものだったので興味本位でアクセスしてみた。
アクセスしたそのサイトの左上には、「Momonga Bookmark」というロゴ。聞いた事がない。デザインはなかなかこざっぱりしていて美しさと機能性のバランスが良い感じ。Googleツールバーを見るとまだページランクは0。
新興のソーシャルブックマークサービスかな?と最初は思った。よく見るとその横に
「モモンガブックマークは『ソーシャルブックマーカー』をブックマークする全く新しいサービスです」
という解説文。
「うーん、はてなブックマークでいうお気に入りみたいなもんだろうか?」
TOPには「現在の注目ブックマーカー」がリストされている。そこには、はてなブックマークでも見覚えのあるidがいくつか見えた。
「あー、なるほど。 Alpha Clipper Clipsみたいなところなのかな」
と思いつつ、注目ブックマーカーの一番上にリストされている名前をクリックして見た。日本における著名な「ギーク」の一人だった。
そこには、ちょうど「はてなブックマーク」と同じ様に短いコメントが並んでいた。唯一つ、はてなとの明らかな違いはコメントの殆どが英語だった事。ごく稀に、日本語やフランス語のコメントも混ざっていたが、大半は英語だった。
「うぉ、ナニコレ!オモシロそう!」
よく見ると、各コメントの横に言語選択のボタンらしきものがあった。「ja」のボタンをクリックすると、そのコメントが即座に日本語に切り替わった。Ajaxっぽい。どうやらこのサイトは完璧なマルチリンガルを実現しているらしい。これは自動翻訳だろうか。その割にはほぼ完璧に違和感の無い日本語になっていた。
私はすっかり夢中になって各コメントを読み漁った。
…しかし、読み進めるうちにその内容に愕然とした。心なしかマウスを握る手が震える。
「この人、日本じゃ一応”ギーク”らしいよ。」
「”アルファブロガー”でもあるってwww」
「これはひどい」
「ブックマークコメントも酷いが、その元記事も酷いね」
「これは是非Timに読ませたい。どんな顔するかなw」
他の「ブックマーカー」もチェックしてみた。
日本では「勝ち組」であるはずの面々が軒並みネタにされていた。
自分の中の価値観が混乱し始めていた。
特に、”Ajax”や”WEB2.0”といった言葉に無条件反応してClipしまくっているブックマーカーは大人気だった。
「ちゃんと記事読んでるのかよ」
「あとで読む、らしいよwww」
こんな調子だ。読んでるうちに気分が悪くなった。
「モモンガブックマーク」は、海外の正真正銘の「アルファギーク」達が、日本の「ソーシャルブックマーカー」の傾向やレベルの低さをネタに楽しむサイトだったのだ。
これはフィクションである。
「モモンガブックマーク」なんてサイトは(多分)実在しないし、日本のネットユーザーは(多分)笑いモノになるようなレベルではない。
この話は要するに、「トゥルーマンショー」である。当事者でしかないと思っていた自分が実は想定外の観客に注視された「ショーの出演者」だったという構図だ。その現実にある日突然直面してしまった時に、人は誰でも少なからずショックを受けるはずだ。想定内であれば、ショックは小さくて済む。はてなユーザーが、はてなブックマークでネタになったところで、それほど驚かない。
でも、「ソーシャルブックマーク」という存在を全く知らず、理解も出来ないレベルの人から見れば「はてなブックマーク」は「モモンガブックマーク」以上に気味の悪い場所に感じるかもしれない。
彼らは「ブクまコメントの内容」以前に、自分が知らない場所で「ショーの出演者」になっていた事にショックを受ける。
ブクまコメント論争や、無断リンク論争など、どれも突き詰めれば「情報弱者と情報強者の軋轢」だ。その根本原因は共通している。
そして、ネット世界は基本的に、情報格差がもつある種の「残酷さ」を内包した世界だ。オフラインの社会に比べて「情報弱者をサポートする仕組み」が圧倒的に少ない。能動的に「情報」を摂取し続けなければあっという間に取り残される、完璧な「弱肉強食」の世界だ。
それが良いとか悪いとか言いたいのではない。この現実を忘れがちな人が多いのではないか、と言いたいだけだ。
ネットにおける「強者と弱者」は相対的なものでしかない。自分より強者が現れれば、その時点で自分は弱者だ。「モモンガブックマーク」のストーリーではそれをデフォルメしてみた。
ブログという言葉が一般的に認知された事で、ネットには今まで以上に「情報弱者」が無防備に大量流入してきている。WEBページがHTMLで書かれている事も知らない人々だ。彼らとどう対峙していくべきか。これからも思わぬ形で「情報格差の軋轢」が次々と表面化するだろう。その覚悟だけはしておいた方が良いと思う。自らが「弱者」側になる可能性も含めて。
「悲しいとき」ミクシィ編
悲しいとき
自分が招待した人が、全然やる気なかったとき
悲しいとき
コメントキター!と思ったら「メンテナンスのお知らせ」だったとき
悲しいとき
「お気に入り」に入れてた人が退会していたとき
悲しいとき
「ブロガー」コミュのトップ画像が「渡辺淳一」になってたとき
悲しいとき
誰もミクシィに招待してくれないとき
自分は「2ちゃんねらー」かもしれない
いまだかつて、自分が「2ちゃんねらー」だとは一度も思った事が無かった。
もし、誰かに問われたならば、自信をもって明確に否定していただろう。
なぜ、「2ちゃんねらー」ではないと自信をもって言い切れたかと言えば
「一度も2ちゃんねるに書き込みを行った事が無い」
という事に尽きる。一度も書き込んだ事が無いのに「2ちゃんねらー」であるわけがない、と思っていた。
しかし、ちょっと自分でも疑念が沸いてきた。それはScott氏の一連の記事を読んで。
上記の記事は物議を醸した日経BPのコラム「ブログで自滅する人々」
を受けてのものだが、Scott氏はこのコラムの筆者も「2ちゃんねらー」だろうと断じている。
で、私もScott氏の意見に概ね同意した。うん、そーだよね、と。
で、あれ?と思った。2の記事からもリンクが貼ってあるScott氏の定義からいけば、私は「2ちゃんねらー」だろう。Scott氏の記事に特に異論も無い。
じゃあ、やっぱり自分は「2ちゃんねらー」なんかな。
そもそも、「2ちゃんねらー」という定義が人によって明らかに異なるように見受けられる。
そこがよくわからない。「2ちゃんねらー-Wikipedia」
を読んでもやっぱりよくわからない。
そもそも2ちゃん「ユーザー」って何?リードオンリーでも「ユーザー」なんかな?
というわけで、唐突だがこれを投票企画にしてみた。
以下に私自身の「2ちゃんねる」との関わり方を列挙する。
それを読んだ上で、私が「2ちゃんねらー」と思うかどうか投票して欲しい。
で、参考にしたいので「なぜそう思ったのか」をコメント欄に書きこんで頂けるとうれしい。
内容は「私」の話だが、ペルソナ設定の一例と捉えれば一般化した議論も可能だろう。
(※一応、投票は連投防止の為にIPアドレスだけ取ってます。直近50名の投票IPを参照してガードをかけてます。)
私の場合。
- ほぼ毎日「2ちゃんねる」にアクセスしている。
- 「2ちゃんねる」に書き込みをした事は無い。
- 「2ちゃんねる」を見る時間は平均すれば一日あたり1時間弱位。
- 必ずチェックするスレは4、5スレ程度。あとは日によってまちまち。
- 「人大杉」で一時期アクセスできなかったので、それ以来「禁断の壷」を使用している。
- 2ちゃん発祥の「祭」に当事者として関わった事は多分無い。
- 「2ちゃんねる」の存在を特に否定しない。実際存在しているのだから、自分なりの利用法を考えている。
- 「祭」の動機が安直だったり、先鋭化した場合は嫌悪感を覚える事も多い。
こんな私は「2ちゃんねらー」だろうか?
<!–
function execVote(){
if( document.voteform.vote[0].checked == false && document.voteform.vote[1].checked==false){
alert("投票内容を選択してください。");
return;
}
xmlhttp = this.XMLHttpRequest ? new XMLHttpRequest() : new ActiveXObject("Microsoft.XMLHTTP");
xmlhttp.onreadystatechange = function(){
if(xmlhttp.readyState == 4 ){
if( xmlhttp.status == 200 ){
var targetdiv = document.getElementById('voteresult');
var retval =xmlhttp.responseXML.getElementsByTagName('retval');
var retcode = retval[0].getElementsByTagName('code')[0].firstChild.nodeValue;
if( retcode==0 ){
targetdiv.innerHTML= '投票は受け付けられました。‘ ;
}
else if(retcode==1){
targetdiv.innerHTML= ‘直近の投票で同一IPを検出しました。
連続投票は出来ません。‘ ;
}
else{
targetdiv.innerHTML= ‘エラーが発生しました。‘ ;
}
}
else{
alert(“Error: “+xmlhttp.status+” “+xmlhttp.statusText);
}
delete xmlhttp;
}
}
xmlhttp.open(‘POST’,’/tearoom/chuser_vote.php’,true);
if( document.voteform.vote[0].checked ){
votevalue = 1;
}
else{
votevalue = 2;
}
xmlhttp.setRequestHeader(“Content-Type” , “application/x-www-form-urlencoded”);
xmlhttp.send(‘vote=’ + votevalue);
}
function dispVote(){
xmlhttp = this.XMLHttpRequest ? new XMLHttpRequest() : new ActiveXObject(“Microsoft.XMLHTTP”);
xmlhttp.onreadystatechange = function(){
if(xmlhttp.readyState == 4 ){
if( xmlhttp.status == 200 ){
var resdiv = document.getElementById(‘dispresult’);
var grdiv = document.getElementById(‘egraph’);
var yesdiv = document.getElementById(‘dispchuser’);
var nodiv = document.getElementById(‘dispnochuser’);
var retdata =xmlhttp.responseXML.getElementsByTagName(‘data’);
var retcode = retdata[0].getElementsByTagName(‘code’)[0].firstChild.nodeValue;
var chusercnt = retdata[0].getElementsByTagName(‘chuser’)[0].firstChild.nodeValue;
var nochusercnt = retdata[0].getElementsByTagName(‘nochuser’)[0].firstChild.nodeValue;
var chuserper = (chusercnt / (Number(chusercnt) + Number(nochusercnt)))*100;
var nochuserper = 100-chuserper;
if( retcode==0 ){
resdiv.innerHTML= ‘
現在の投票状況
‘ ;
grdiv.innerHTML=’‘;
grdiv.innerHTML+=’‘;
yesdiv.innerHTML = ‘‘;
yesdiv.innerHTML+= ‘ おまえは2ちゃんねらーだ: ’+chusercnt+’ 票 (‘+Math.round(chuserper)+’%)’ ;
nodiv.innerHTML = ‘‘;
nodiv.innerHTML += ‘ おまえは2ちゃんねらーではない: ’+nochusercnt+’ 票 (‘+Math.round(nochuserper)+’%)’ ;
}
else{
resdiv.innerHTML=( ‘
データを取得できませんでした
‘ );
yesdiv.innerHTML=( ‘おまえは2ちゃんねらーだ: — 票’ );
nodiv.innerHTML=( ‘おまえは2ちゃんねらーではない: — 票’ );
}
}
else{
alert(“Error: “+xmlhttp.status+” “+xmlhttp.statusText);
}
delete xmlhttp;
}
}
xmlhttp.open(‘POST’,’/tearoom/chuser_disp.php’,true);
now = new Date();
xmlhttp.send(‘now=’+now.toLocaleString());
delete now;
}
// –>
スクリプトはとりあえずWindowsのIE6とFirefoxでは大丈夫っぽい。
けど、動作確認は不十分。なので不具合報告などあれば、そちらもコメント欄にお願いします。