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「寄生獣」をハリウッドの最高傑作に

「寄生獣」ハリウッドで映画化”というニュースが飛び込んだのは7月15日の事だった。
なんてこった!ハリウッドだ!監督は「THE JUON」の清水崇だ!
「寄生獣」は個人的に最も思い入れの深い漫画であり、最も映画化して欲しい作品でもあったから、このニュースには興奮を抑えられなかった。同じ様な想いを抱いている人は想像以上に多かったようで、例えば「はてなダイアリー」を見ても、この記事に関する言及数がなかなかスゴイ数になっている。こんなに人気あったのか、と改めて驚く。
このニュースに対する反応としては、概ね「超楽しみ!派」「超不安!派」に分かれている様だ。どちらの気持ちもスゴク良く判る。私も期待感が膨らむその一方で、「デビルマン」や「キャシャーン」の悪夢が脳裏をかすめる。ハリウッドだから大丈夫と言っても「GODZILLA」の様な先例もある。
とにかく「寄生獣」は素材としては超一級だ。寄生獣の連載第1話を読んだ時から「これは映画だ!」と感じた。ハリウッドの最高傑作の1つに成り得るだけのポテンシャルはある。
まず「寄生獣」をご存知ない方の為に、ごく簡単に作品の概要を紹介しよう。
やはりWikipediaが良くまとまっているので以下引用。

『寄生獣』(きせいじゅう)は、岩明均による漫画作品。全10巻。講談社・月刊アフタヌーンに1990年1月号から1995年2月号にかけて連載され、作者の代表作となった。2004年には完全版全8巻で新しく発売されている。1993年第17回講談社漫画賞一般部門受賞、1996年第27回星雲賞コミック部門受賞。
一人の青年の数奇な運命を通して、生命の本質を峻厳に描きつつ、それ故に見えてくる人間性の尊さと人の浅はかさを訴えた内容は、各方面から注目された。

~中略~
あらすじ
ある日、空から多数の正体不明の生物が飛来してきた。それは、人間に寄生して脳をのっとり、別の生き物となって日常生活に紛れ込む。肉体ののっとられた部分は「考える筋肉」とでも言うべき特性を帯びていた。高い知性を持ち、刃物や紐などの形に自由に変形し、寄生した個体と同族を捕食の対象とする。捕食の際には寄生体全体が口となる。そのエサは人間。間一髪で脳ののっとりを免れ、しかし右腕に寄生された主人公の高校生・泉新一。その「右腕」・ミギーとともに始める寄生生物=パラサイトとの戦いを描く。

2003年に発売された完全版はこちら(全8巻)。
レビューに注目。すごい高評価っすw。

寄生獣―完全版 (1)

寄生獣―完全版 (1)

  • 作者:
    岩明 均
  • 出版社・メーカー:
    講談社
  • 発売日:
    2003/01
  • メディア:
    コミック
  • 評価:
    4.89
    (全19件)

さて、ではこの「寄生獣」がどんな映画になりそうなのか、
まずは、漏れ伝えられている情報から整理してみよう。(情報元: allcinema.net)

  • タイトルは原作の英語版と同じ「Parasyte」
  • 監督は「THE JUON/呪怨」の清水崇
  • 製作元はアメリカの大手、ニューラインシネマ(ロードオブザリング等)
  • 清水崇は脚本製作にもスーパーバイザーとして関わる予定
  • プロデューサはアングリー・フィルムズのドン・マーフィ、ヘンソン・ピクチャーズの
    リサ・ヘンソンと Kristine Belson、そして日本の一瀬隆重
  • CGを駆使して原作を忠実に再現するとの事(via WEB報知)

特筆すべきは、音頭を取るのが「ロードオブザリング」の映画化を実現させたニューラインシネマだという事。これは心強い。ベストと言ってもいいかもしれない。
監督は、個人的なイメージではジョンカーペンター(遊星からの物体X、ゼイリブなど)だったのだが、日本語版原作の機微を理解できる清水の方がベターかもしれない。
プロデューサ陣もいい感じだ。超ビッグネームではないが、「フロムヘル」のドンマーフィ、「ハイクライムズ」のリサヘンソンと、ジャパニーズホラーの仕掛け人一瀬。むしろマイケル・ベイあたりのビッグネームの方が駄作の確率は高まるような気がするのでこのスタッフ陣は好感が持てる。これは思い切り期待できる布陣だ。
さらに、作品を駄作にしない為に何が必要なのか。独断で妄想してみた。
●舞台は日本か、アメリカか
ハリウッドで映画化する以上、アメリカでヒットしなければ話にならないわけで、とりあえず主人公はアメリカ人になるだろう。「THE JUON/呪怨」の様に舞台だけは日本という力技もあるが、おそらく大掛かりなロケが必要になる今作は素直にアメリカが舞台になるのではないか。また、配役の選択肢を広げる為に舞台設定もハイスクールではなく、大学のキャンパスか何かになりそうな気がする。
●主演俳優を妄想する
「THE JUON/呪怨」の大ヒット要因として、サラミシェルゲラーやビルプルマンといった配役の妙があった。やはり成功するにはスターの存在は不可欠。(役名は変わるだろうけど)泉新一役には、ずばり若き日のダースベイダー役でスターになったヘイデンクリステンセンなどはどうだろう?弱弱しさと内に秘めた野性的狂気を兼ね備えた感じがイメージに合いそうだ。
その他では、ロードオブザリングのイライジャウッド、デイアフタートゥモローのジェイク・ギレンホールあたりかなぁ。
●右か左か
ファンの間では有名な話だが、アメリカのコミックは逆開きなので寄生獣のアメリカ版も全ページ裏焼きになり、「ミギー」が「Lefty」になっている
日本の歩き方:番外編気力島の中段下あたりに実際の画像が紹介されている。)
しかし、映画では本来の「ミギー(righty?)」に戻るのではないか。right には「正しい」とか「権利」という意味もある。これらはこの作品のテーマに通じる重要な言葉でもあり、ぜひここは「righty」でいって欲しい。
●最も重要なエピソード
「寄生獣」の中のエピソードはどれも外せない重要なものばかりだが、2時間前後の時間的制約の中で作品を成立させる為に、多くのエピソードが削られたり、新しいエピソードが追加されたりするだろう。ただ、絶対にカットして欲しくないエピソードがある。新一が、母親の姿をしたパラサイトと自宅で遭遇する場面だ。このエピソードが作品から外されたらそれだけで駄作決定と言ってもいいくらい。
新一が背負う悲しみの象徴、そしてミギーと新一が本当の意味で「融合」する、一番重要なシーンになる。
●作品のポイントは「ミギーのリアリティ」
ハリウッドのCG技術がフルに導入されるというのは、この作品の映画化をイメージするのに不可欠な要素だ。そして、硬質化するパラサイトのイメージに近いものは、14年も前に既に「ターミネーター2」で実現できている。おそらく勝負は「ミギーの柔らかさ、不気味さ、愛らしさ」をどこまで表現できるかにかかっている。漫画の読者がイメージする「ミギー」をそのまま再現できなかったらこの作品は終わりだ。
「気持ち悪いけど愛らしい」「ウザイけど頼もしい」味方としてのパラサイトの存在がこの作品を「ただのCGスプラッター」から一歩進んだものにする。どこまで感情移入できるだろうか。
ターミネーター2から早14年。その間ハリウッドのCGがどこまで進化したのか、想像しただけでワクワクしてしまう。
ちょっと余談になるが、「寄生獣完全版」の第2巻に、当時のファン投書と原作者のこんなやりとりがあった。以下抜粋(強調は引用者による)。

投書:
「寄生獣」を映画化してください!ちなみに岩明さんスイセンのベスト1の映画は何でしょうか?

~以下略~
岩明 均(原作者)の返答:
映画というと、それぞれの良さがあってなかなかベスト1に絞れません。
ハラハラドキドキの退屈しないのが好きです。
最近見た中では「ターミネーター2」。変形するところが「寄生獣」みたいで面白かったです。
将来どっちが先だったか判らなくなって「寄生獣」がこれの真似だと言われたらいやですが。

岩明氏も連載当時からターミネーター2を意識していた様だ。ターミネーター2に出てくるT1000は「寄生獣」をヒントにしたという話もある。寄生獣のボスキャラ「後藤」が車を追うシーンは、ターミネーターそのままだ(あれは岩明氏の皮肉だったのかもしれないが)。
とにかく、いろいろな意味でターミネーター2と寄生獣は切っても切れない縁がある。
興味のある方は、”ターミネーター2 寄生獣”でググるといいかも。
清水崇氏の次回作は「THE JUON/呪怨」の続編だそうな。
「寄生獣」が完成するのは、2年後になるのか、3年後か。
とにかく、生きる楽しみが1つ増えた。映画館でミギーに会える日を楽しみに待つとしよう。

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誰もが名も無き「大企業戦士」に支えられている

今日はある友人Tの話をしよう。
Tは、とあるメーカー系大企業で携帯電話のファームウエアを開発している。
私とTは同期入社だった。入社後最初の配属先が同じだった。当時、まだ携帯電話なんてものは無く、ある通信機器ファームウエアの開発部署だった。一緒にコーディングをし、一緒にデバッグをした。まだ新人で、右も左も判らない中で切磋琢磨しあい、二人とも急激にスキルを伸ばした。
Tは素晴らしいライバルだった。本当に「優秀」な男だった。数年後には、完全にファームウエアに精通した「プロフェッショナル」になっていた。インサーキットエミュレータでOSの中まで追いかけた。原因不明のバグも、タスクのディスパッチタイミングがわずかに狂っていた事を看破して解決してみせた。
やがて私とTは別々のプロジェクトに転属され、お互いプロジェクトリーダーになった。
このテの業務はどんなプロジェクトでも程度の差こそあれ、過酷だ。月の残業が100時間なんてのはまだ少ない方。プロジェクトが佳境になると平気で残業は月300時間を越えた。しかしモチベーションは高かった。自分の作ったものが、様々な形で社会のインフラを支えている自覚があったからである。
当然プライベートな時間は殆ど無い。世間のニュースにも疎くなる。仕事以外の時間は、寝ているかメシ食ってるかあるいは酒を飲んでるかしか無い、そんな生活だった。
私は既に退社しているが、Tは今でも過酷な業務を軽やかにこなしている。
大企業はTの様な企業戦士だらけだ。特に優秀な人間ほど業務の負荷は高くなる。CNETのニュースなど呑気に読んでいる暇は無い。自分のプロジェクトに関係の無い技術に関しては驚くほど知識が無い。しかし、間違いなく彼らは「優秀」だ。そんな名も無き企業戦士達の名前がマスコミに取り上げられる事は無い。ネットの情報の渦の中で取り沙汰される事も無い。
昨日、「大企業には優秀な人がたくさん埋もれている」という記事を目にした。以下、抜粋。

大企業には優秀な人がたくさん埋もれている。
優秀な人を一つのプロジェクトに集結すれば、簡単に他社を圧倒できそう
なものだが、そうはならない。

なぜか?

優秀な人をかかえた部の上司がその人を放したがらないからだ。
上司から見れば、優秀な人を一箇所に集めるのは不平等だ。
自分の部から優秀な人を持っていくなんてケシカランわけだ。

~中略~

本人のためにも社会全体のためにも。それゆえ志の高い優秀な人
はみな社外へ飛び出し、ベンチャー企業などで集結する。それが現在の
Google や Six Apart や「はてな」などの活力を生んでいるのであろう。

言いたい事は判らないでもないのだが、著者のたつを氏は大事な点を2つ見落としていると思う。
1つは、「優秀」にもいろいろな種類があるという事だ。ベンチャー企業に必要な「優秀」さとは違う種類の優秀さもある。
Google や Six Apart や「はてな」のような派手な企業だけが良い企業というわけでもない。
そして、もう1つは「優秀な人材を集積」した後に残る、幾多の「優秀な人材のいないプロジェクト」の存在だ。
大企業というのは、手掛けている事業がたくさんあるからこそ大企業なわけで。
大多数の社員を抱えているからこそ大企業なわけで。
そして、せっかく雇用しているのだから出来るだけ全ての社員に機能して欲しいと想うのが当然なわけで。
企業に、おろそかにして良いプロジェクトなど1つもない。おろそかにする位だったらとっくに撤退している。たつを氏は、「優秀な人材のいないプロジェクト」がどれだけ悲惨なものか、おそらく実感が無いのだろう。
笑わないプログラマの
「【軍曹が】携帯電話開発の現状【語る】」
「【軍曹が】携帯電話開発の現状【語る】(後半)」
という記事が以前話題になった。こういう開発現場の実態がテキストになる事はめったにない。なぜかと言うと、そんなテキストを書いている時間的余裕が無いから。そして、ここまで過酷なプロジェクトに関わってしまうと、それだけで消耗しきってしまうから。そういう意味で貴重な記録だ。
笑わないプログラマで赤裸々に語られたような開発現場も、1人の優秀な人間が投入される事で大幅に状況が改善される場合がある。関連部署に声高に最終仕様を通達するリーダー。流用元の不備を見抜いて早期に手を打てるリーダー。そんな人間が上層に一人いるだけで状況は一変する。1人の優秀な人間が、100人を救う場合が多々あるのだ。それが「大企業」だ。
今年の始め、Tと数年ぶりに酒を飲んだ。
Tは、わずかな余暇の時間を競馬に注ぎ込んでいる。Excel上で凝ったVBAスクリプトを組み、独自予想ソフトを構築してけっこうな利益をあげていると言った。
私が、
「そこまでやってんならAccess使えばいいじゃん」
と言ったら、Tは
「Access?何それ?」
と言った。
TはMicrosoft Accessを知らなかった。
私がBlogをやっている事も知らないだろう。もしかしたら「ブログ」自体知らない可能性もある。
それでもやっぱりTは「優秀」だ。
もしかしたら、はてなの伊藤 直也氏が使っている携帯電話には、Tの作ったコードが載っているかもしれない。

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「絶対音感」の虚実

plummet氏から「絶対音感」というちょっと意表をついたネタ振りを頂いたのは、ちょうど2週間前の事だ。
世界の中心で左右をヲチするノケモノ:ブログ漂流~あるいは一つの差別の類型より抜粋。

こういう音楽系の話は、専門家の極道に任せておくべきだったかな。つーわけでどうですかJ2さん(・∀・)ニヤニヤ

「こういう音楽系の話」がどんな話だったかはリンク元を参照。世間一般から見た「絶対音感」という言葉に対するイメージが垣間見れて興味深かった。
plummet氏からパスが来た時は、「よっしゃ、ノートラップでシュートや!」くらいの勢いだったのだが、思いとどまった。自分の経験と思い込みを頼りに自論を書き殴るのは簡単だが、それだけではいささか無責任な感じがしたからだ。
そこで、あらためて1998年のベストセラー「絶対音感」(最相葉月著)を読了し、このテーマに対する思考も少し深めてみた。そんなこんなで、2週間が経過してしまった次第である。
さて、「絶対音感」とはそもそも何なのか。最相葉月氏からの孫引きになるが音楽界で最も権威があるとされる「ニューグローブ音楽辞典」には以下の様に記されているらしい。

ランダムに提示された音の名前、つまり音名が言える能力。あるいは音名を提示されたときに
その高さで正確に歌える、楽器を奏でることができる能力である。

こう説明されてしまうとなんだかそっけないが、対して世間で語られる「絶対音感」にまつわる風評は、はるかに劇的で神秘的なものが多い。しかしそういった風評のほとんどは、正確さを欠いていたり、大仰だったり、絶対音感とは関係の無い話だったりする。いくつかピックアップしてみよう。

  • 自然界のあらゆる音が「ドレミ」で聞こえる
  • 正確には、絶対音感を持つ人の中にも「聞こえる人と聞こえない人がいる」。
    「絶対音感がある」という物言いは、「英語が話せます」というのと同じくらい幅が広い。「英語を話せる」と一口に言っても「日常会話くらいは」という人から「同時通訳」レベルの人までいるように、絶対音感の持ち主と言っても「ピアノの音に限定」「楽器は限定しないが苦手な音域がある」「体調が悪いと判らなくなる」「1Hzの違いも全て聴き分ける」など様々な人がいる。

  • 絶対音感は天才音楽家へのパスポート
  • 「絶対音感」と「音楽の才能」は全く関係が無い
    「優れた視力」と「画家の才能」に例えた人もいるが、いい例えだと思う。そのくらい的外れな話だ。クラシックの大作曲家の中でも、シューマン、チャイコフスキーなどは絶対音感が無かったと言われる。現在ポップフィールドで活躍しているプロのミュージシャンの中で、絶対音感を持つ人は5%に過ぎないと言われている。
    ジョンレノンが絶対音感を持っていたなんて話も聞かない。
    音楽家にとって、絶対音感は「あると便利なツール」でしかない。

  • 不眠症やノイローゼになる人がいる
  • そう訴える人がいるのは「事実」だろうが、それが「絶対音感」に起因するかどうかは甚だ疑問だ。自分の身近にも絶対音感を持つ人は何人かいるが、みんな心身共に健康そのものだ。「情報を認知する能力」と、「認知した情報をどう消化するか」は別の問題ではないだろうか。絶対音感が無くとも、時計の針の音が気になって眠れない人はいる。冷蔵庫のノイズが気になって眠れないのも、何も絶対音感保持者の専売特許ではない。

  • 一度曲を聴いただけで、演奏したり譜面にしたりできる
  • それができるのは、「既に譜面を書く能力がある人、既に演奏できる能力がある人」だけである。バイエルしか弾けない人が、ショパンの幻想即興曲を1回聴いて弾けるようになるという事は、当然有り得ない。それに、こういった事が「絶対音感保持者以外は無理」なのかというと、そんな事は無い。優れた相対音感の持ち主であれば、実はほぼ同じ事ができる。ただし基準音の特定が出来ない為、CメジャーやAマイナーなど、簡単な調に脳内変換する場合が多い。
    ただ、やはり聴き取りの速さ・正確さという意味では絶対音感保持者にはかなわない。

  • 純正律に違和感を覚える。
  • これは良く「絶対音感の弊害」として語られる事だ。
    plummet氏んとこのコメント欄でも、若隠居氏が指摘している(さすが博学です)。
    ちなみに純正律とは判りやすく言うと「和声がよりキレイに聞こえる様にチューニングした音階」であり、それに対して平均律というのは「1オクターブを12等分した音階」だ。ピアノなどの鍵盤楽器や、殆どの電子楽器はこの「平均律」でチューニングされている。要するに、平均律で絶対音感を身に付けると、純正律が「チューニングが狂っている」ように聴こえて気持ち悪いという話だ。
    しかし音階というのは、音の相関関係の定義であり、つまり「相対音感」にモロに関係するものだ。だから、純正律に違和感を覚えるのは相対音感保持者も同じ。平均律以外の音階を知らない、というのが違和感の元凶であり、正確に言うと絶対音感に起因するものではない。しいて言えば、絶対音感を獲得する過程でおそらく刷り込みが強すぎたのだろう。音感そのものよりは絶対音感を身に付けさせるまでの教育手法、過剰な刷り込みに無理があるのかもしれない。

  • 移調が苦手
  • 音楽家全体を見ても「移調が得意」「移調大好き」な人は極めて少ないだろう。曲を自在に移調して弾く、というのは高度なトレーニングの積み重ねが必要であり、絶対音感を持たなければ得意になれるという話ではない。これは推測なのだが、絶対音感を持つとソルフェージュの類はたいがいラクにこなせてしまうもんだから、他でラクをしている分、相対的に「移調が苦手」に感じるというだけの話ではないか。

ある程度の絶対音感は、全ての人にあるというのが私の自論である。
「音極道」に「耳道」のコーナーを作ったのも、そんな考えに基づくものだ。
私の場合、ヤマハで聴音などのソルフェージュ教育を幼少期に受けたのだが、6歳の時にカリキュラムを4ヶ月ほど休んだのが影響したのか、結局身に付かなかった。
「耳道」は自分にとっての「リベンジ」なのだ。
最相葉月氏の「絶対音感」に次のような記述があった。

絶対音感の記憶の深さは、よく母国語やバイリンガルに相当する言語の記憶にたとえられる。母国語を獲得する臨界期は六歳頃であり、バイリンガルになる為には個人差はあるが、六~九歳の間に複数の言語に晒されなくては母国語並みに話せるようにはならない。
  ~中略~  
一方、ダイタイ音感は、臨界期以降に習得する外国語にたとえられる。

この記述は、自分の個人的感覚にも合致する。絶対音感の体得過程は「外国語の習得」に近いと思う。だとすれば、何も絶対音感を諦める必要は無い。幼少期の様な急激な進歩はなくとも、地道な変化はあるはずである。
皆さんにもこういう経験は無いだろうか。
自分がいつも歌っているカラオケの18番。曲が始まった時に、イントロがいつもより高いな、もしくは低いな、と気付いた。
とか、
自分の思い出深い曲や、何度も繰り返し聴いた曲など、頭の中で音を正確にイメージできる曲がある。
などなど。これらは紛れも無く「絶対音感」の断片である。
私の場合、頭の中で音を正確にイメージできる曲は以下のような感じ。

  • イタリア協奏曲(バッハ)
  • 幻想即興曲(ショパン)
  • Yenショップ武富士のCM曲
  • 最近では

  • そのぬくもりに用がある(サンボマスター)

など。
自分の場合イタリア協奏曲の最初の音(F)をイメージしながら耳道をやると正解率が飛躍的に上がった。みなさんも好きな曲を何度も聴いて、その出だしの音が何なのかをチェックしておくと、自分の中の「基準音」になるかもしれない。
あと、最近耳道へのアクセスもお蔭様で増えてきたので、これを機会に耳道に関して少し解説。
ブラウザのアドレス欄に回答結果のパラメータがあるのでそれを参照すれば、回答直後にその正否を知る事ができる。例えば1問目正解直後のアドレス欄を見て ”http://www.virtual-pop.com/ear/ear_q2.php?q1=Y&dm=26901″
となっていたとすると、”q1=Y”の部分が結果パラメータで、この場合1問目正解という意味。不正解だった場合はここがq1=Nとなる。ブラウザの戻るボタンで戻れば同じ問題をリトライできる。
3問目、4問目は専門的過ぎて初心者の方には不親切であるのは否めない。もともと耳道は「自分」の為に作った頁だったので。最近は、挑戦者もお蔭様で増えてきたので、正解解説の頁を追加するのは前向きに検討したいと思います。
最後に。タイムリーにも、デイリーポータルZで絶対音感ネタが取り上げられていた
耳道の次はこちらに挑戦してみると面白いかも。

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スポーツ・格闘

TBスパムに完敗しました

以前にも100近いTBスパムの嵐に襲われた事があり、BlackList系のプラグインで弾いておりましたが、今日また50近いTBスパムに晒され、いちいちリスト化してもイタチごっこというか、きりがないので新しいPlugin入れました。
ゑBLOGさんのトラックバックSPAM防止プラグインです。IrregularExpressionさんも導入しているヤツ。
今後、元記事に拙ブログへのリンクが無いトラックバックははじかれますのでご注意ください。
まだ、動作確認できてない(つか、TBがこないと正常動作してるかわからない)ので、もし、トラブルや、TB送れねーぞゴルァ、という方はコメント欄なりメールなりでタレこんで頂ければ幸いです。

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ネットWatch

「荒らしはスルー」の真意

ブログみたいなもんを続けていると、コメント欄などで不意打ち気味に理不尽なパンチが飛んでくる場合がある。
どんなに当たり障りの無い事しか発言していなくても、理不尽パンチの洗礼を浴びる確率はゼロではない。ましてや、他者から見て刺激的な主張を声高に叫べばその確率は跳ね上がる。
残念ながら、それがネット空間の現実だ。
ネットは、常に「四角いリング」に変貌する危険性を秘めている。
しかしながら、その事を自覚している人は驚くほど少ない。自覚しているつもりでも、いざ自分に「理不尽パンチ」が飛んでくると、その瞬間に我を見失い感情にまかせて暴走してしまう。そして、「炎上」する。
ボクシングのようなプリミティブな格闘技でさえ、「感情的になったら負け」とよく言われる。頭に血が昇ってしまうと、必ずガードはあまくなり大振りが目立つようになる。そうなってしまったらセコンドはもう頭を抱えるしかない。どんなにハートは熱くても頭は冷静に。これはあらゆる勝負事に共通の鉄則である。
ネットには古くから「荒らしはスルーで」という名言がある。
この言葉はネット上の心得としては基本中の基本だが、なかなか奥が深い。
以前、小倉弁護士がこの「荒らしはスルー」について否定的なコメントをした事がある。
ANNEX OF BENLIのコメント欄より以下抜粋。

「荒らしはスルー」なんていうのは、「匿名発言者から誹謗中傷を受けても泣き寝入りせよ」というのと同義ではないですか?

うーん、こう思ってしまうのも判らないでもない。しかし、この発言は根本的に「スルー」の意味を取り違っている。「スルー」=「泣き寝入り」と解釈してる時点で、パンチくらっとりますがな。ボコボコになっとりますがな。その解釈だと、「相手からパンチくらっても殴り返すな」になっちゃう。そりゃあツライ。
真の「スルー」の意味は違う。要するに「荒らしはスルーせよ」というのはダッキングしろ!ウィービングでかわせ!という事だ。相手のパンチを喰らうな、という事だ。
ボクシングであれば、自分のパンチが当たったら自分の拳に感触が残る。いくら「当たってない」、と主張したところで相手にはバレバレだ。しかしネットでは違う。パンチを放った方も、果たしてそのパンチが相手に当たったのか定かではない。だから、どんな捨てゼリフでも必ず発言者は現場に帰ってくる。相手のリアクションを確かめに。発言した事自体を忘れてない限り、相手のリアクションを確認したくなるのは人間のサガだ。それ故、いつまでもリアクションが無いと発言者は次第に焦れる。そして「もしかしてオレのパンチ当たってなかった?」と不安になる。逆に言うと、どんな内容であれリアクションしてしまうとパンチが「当たった」事を相手に確認させてしまう。そして、相手に次の発言(=パンチ)の機会を与えてしまうのだ。そして不毛な応酬が始まる…
「スルーする」とはそういう事だ。もし相手の攻撃が真っ黒けの反則(不法行為)だった場合はしかるべき措置を取れば良い。「スルー」はあくまで防御技術であって、泣き寝入りとは違う。
さて、こんなエントリーを書く気になったきっかけは、「若隠居の徒然日記」突然の閉鎖を受けてである。
若隠居氏の主張そのものは「概ね」正論だった。「概ね」と付けたのは、氏が感情的にエスカレートしていく過程で、いくつか失言めいたものがあったからで、そもそもの主張は正論だ。というか、「入居を断る時に人種や国籍を理由にしない」というのは、不動産業界でもコンセンサスが既にとれているはずで、本来は議論の余地など無いはずだった。
しかし、いかんせん若隠居氏は冷静さを失いすぎた。甘くなるガード。パンチはどんどん大振りばかりになる。
プロレスリングノアに「橋誠」という選手がいるが、橋誠の闘いぶりとダブった。熱い想いは十分伝わってくるのだが、ひたすら真っ直ぐに突っ込んでいき、空回りする。しまいにはタッグパートナーであるはずの秋山準 に叱咤のビンタを喰らう。(さしずめ、JSF氏が秋山準 というところか?)
なんか表現キツ過ぎ?などと自問自答しながら書いてるが、本心だから仕方がない。
つまるところこれはご隠居への「辛口エール」である。
ご隠居に限らず「ブログ本体」が消え去って自分のブラウザにブックマークだけが残るのは、切ない事この上ない。ダッキング、ウィービングでフットワーク軽やかにいきたいもんですな。自戒も込めて。
[2005/7/23追記]
ちょっと筆が足りないかなと思ってたら案の定bewaadさんからツッコミが来た。

荒らしは明後日の方向にパンチを打っているのですから、文字通り勝手にやらせておくこと、ダッキングやウィービングすらしないことこそがスルーではないかと。

理屈で言えばbewaadさんのおっしゃる通りだと思う。しかし、私が強調したかったのは心構えであり、「かわす」イメージを持つ事で感情のコントロールを「意識」する事だ。
ここが非常に重要なのだが、どんなに明後日の方向のパンチでも現実に自分が攻撃を受けたとき、少なからずショックを受ける場合がある。ダメと判っていても反応せずにはいられない精神状態になるのが人間というものだ。
ダッキング、ウィービングと表現したのは、「かわす」イメージを持つ事が冷静さを保つ上で重要だから。実際に「スルー」する事は時に難しい。
ついでに言うと、相手の批判がもし内心「的を射ている」と思ったら、その時点でパンチは当たっているので観念しようw。
[追記ここまで]
最後に私自身4月以降あえて「スルー」していた人権擁護法にも少し触れておこう。
基本的なスタンスは4月からあまり変わっていない。時期尚早論である。むしろ、若隠居氏のブログでのコメント欄等を見て、ますますその想いを強くした。今の日本では、有意義な人権論議を存分にできるほど社会が成熟していない。本来、人権意識を啓蒙するはずの諸団体は間違った方向に進んでいるし、それをチェックするべきマスコミは腑抜けだ。近年になってやっと憲法改正論議がまともになってきた様に、人権論議もいつかまともになる時期がきっと来る、と思う。
さらに言えば、今の日本で最も深刻な人権問題であるDVや幼児虐待に対して、今の人権擁護法案ではあまりに無力だ。もっと強い介入権限を定めた個別法を順次制定していくべきと思うがどうか?なんて、全然進歩のない主張を今更繰り返すのはちょっと恥ずかしい。
[若隠居氏関連記事]
ミイラ取りとミイラ(週刊オブィエクト)
若隠居さんへ(bewaad institute @ kasumigaseki)
若隠居さんに関連してとりとめなくも併せて。
差別と訴訟と日本人(松坊堂日乗の逆襲)
Re:Re:若隠居さんがブログを閉じた。(Scott’s scribble – 雑記。)
Re:若隠居さんがブログを閉じた。 若隠居さんがブログを閉じた。も併せて。
追伸:plummet氏から振られた「絶対音感」エントリー。着手してみると話がどんどん大きくなってきて、今さらになって最相葉月著「絶対音感」読むところからやり直してますw。もうしばらくお待ちを。

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TV・映画

日本で最もGoogleページランクの高いサイト

前エントリーのコメント欄にて、風見敬吾さんから日本語サイトで最もページランクの高いのは慶応大学WEBサイトのランク9ではないかとご指摘いただいた。
どうやらご指摘の通りの様で、Wikipediaには

日本では慶應義塾大学のトップページのランク9が最高となっている。

と明記されていた。(ちなみに東京大学のサイトも調べてみるとランク9だった。)
Wikipediaを参照する事はしばしばあるが、大概自分の不得手な分野の予備知識を得る為で、Googleに関しては、身の回りに参考書籍などが比較的揃っている事もあって盲点だった。反省。
それにしても、YahooでもHotWiredでも首相官邸でもなく(いずれもランク8)、なぜ「慶応大学」なのだろうか?
ページランクで高い評価を得るには、英語サイトの方がはるかに有利である。言うまでも無く世界で最も使用されている言語だからだ。そこで、慶応大学WEBサイトのEnglish版を見てみると、驚いた事にランク10(最高ランク)だった。これはなかなかスゴイ数字で、本家Wired.comやCNNでさえランク9である。慶応大学サイトの英語版がランク10となれば、そこから直接リンクが張られている日本語版ページがランク9なのもある程度納得できる。それにしても、極東の1大学のWEBサイトがなぜWired.comやCNNなど世界中から参照されるポータルサイトよりランクが高いのか、ますます興味をそそられた。いったい何処からリンクされているのだろう?ちょっと調べてみた。
Googleには、そのURLがどんなところからリンクされているのか調べる機能がある。検索語句の入力欄に、調べたいURLを入力し、その前に”link:”という文字列を付加してあげれば良い。
例えば音極道茶室にリンクしているサイトを調べたい場合
link:http://www.virtual-pop.com/tearoom/
と入力して検索すると、リンク元がリスト表示される。以前はページランク4以上のリンク元しかリストされなかったのだが、最近はそうでもないみたいだ。(というか精度が落ちている気もする)
この機能を利用して、慶応大学サイトのリンク元を検索してみると、あーーなーるほど。思い切り納得してしまった。
リンク元にはW3Cの勧告や関連ドキュメントがどっさり!
検索結果約 3,640 件。そのうち、たぶん8~9割方W3C関連。
W3Cとは、World Wide Web Consortiumの略。WWW技術の標準化と推進を目的とする国際学術研究開発組織で、無理やり強引に例えると、「インターネットのルールを決める国会」みたいなところ(かなり強引)。
で、そのW3Cはマサチューセッツ工科大学(MIT)、欧州情報処理数学研究コンソーシアム(ERCIM)、慶応大学湘南藤沢キャンパス(Keio-SFC)の3機関がホスト機関として共同運営に当たっている。その為、ほとんどのW3C勧告ドキュメントには、

“Copyright © 2005 W3C® (MIT, ERCIM, Keio), All Rights Reserved. W3C liability, trademark, document use rules apply.”

の記述があり、”Keio”の部分が慶応義塾大学サイトへのリンクになっているので、つまりほとんどのW3Cドキュメントに慶応大学への直リンクが張られているという事だ。W3Cのドキュメントは世界中の言語に翻訳され、どのページもランク6~ランク9クラスなので、これはランクが高くなって当然。
ちなみになぜ慶応大学がW3Cのホストに?というと、やはりSFC研究所長村井純氏の功績が大だろう。
JUNET設立者で、「日本インターネットの父」と呼ばれる偉大な人。詳しくはこちら参照。しかし、W3Cのホストをやってるっていうのはあらためてスゴイ事なんだなあと実感。
今日の結論。
ページランクを上げるには、W3Cのホスト機関になればいい。

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著作権

ページランクリポート 2005/7/15

ほぼ3ヶ月周期でGoogleページランクの大掛かりな改変があるわけですが、ウチも含めて巡回先界隈が本日軒並みランク改変されてました。というわけで例によって報告。

サイト名 ランク  
Annex of BENLI(小倉弁護士) (`・ω・´) 初登場で6。さすが有名人は違うw
an_accusedの日記(an_accusedさん) (´・ω・`)変わらず。でもハテナユーザで5は異例
週刊オブイェクト(JSFさん) (`・ω・´)落ち着くべき場所へ
IrregularExpression(goriさん) (`・ω・´)有名所が遂に大台!
BI@K(bewaadさん) (`・ω・´)や、こちらはさすがでございます。
ひたすら無題 Ver2.0(サスケットさん) (`・ω・´)(`・ω・´)隊長2UPーーーー!
音極道茶室 (`・ω・´)(`・ω・´)2UPいいのかーー?(申し訳無い)
幻影随想(黒影さん) (`・ω・´) 着実に大台へ!別館も4にUP!
若隠居の徒然日記(若隠居さん) (`・ω・´)不利なGooブログでもUP.首謀者効果w
世界の中心で左右をヲチするノケモノ(plummetさん) (´・ω・`)変わらず。今回の改変で明らかにハテナはランク低め。
カレーとご飯の神隠し(カリーさん) (`・ω・´)着実にUP。しかし5でも妥当と思うが
ニヤリ(和尚さん) (`・ω・´)(`・ω・´)2UP和尚キター
夢幻の如(cioさん) (`・ω・´)cioネエもUP!フィーーーン!

前回リポートと同様、ランクが上がったサイトは色づけしてます。特に濃いのは複数ランクUPです。
何度も言いますがページランクにアクセス数は殆ど影響を及ぼしません。どのくらいリンクされているか。リンク元のページランクはどのくらいか、ってのが最大要因であります。
いや、しかしこの界隈(どの界隈?)はランクUP度が物凄い。地道に続けていればランクは上がっていくのが道理ですが、それにしてもランク5がゴロゴロ。すごい事になってきました。
その中で、ハテナユーザのランクは今回の改変で低めの傾向がより顕著になりました。なんたって、finalventの日記や、ARTIFACTハテナ系愛蔵太の気ままな日記おれはおまえのパパじゃない、などの大御所系の皆様が軒並み4のままですから。
大御所と言えば、IrregularExpressionさんが遂にランクUP.なんでこんなに時間がかかったんでしょうか。不思議です。
ご隠居のGooブログは、前回も書いた通り末尾スラッシュの問題があって、ランクが分散してしまう為、「若隠居の徒然日記」は実質5あるでしょうね。スラッシュ有りも無しも両方4にUPしていました。さすがは工作員首謀者です(冗談です)。
どうも、日本語ブログはある程度認知されると殆どが3~5に集約されてしまって、差がつかなくなってしまいますね。「音極道茶室」が切込隊長やら真鍋かをりと同じランクってどうよ?さすがにマズイだろという気がします。-_-;;
海外の有名ブログ、例えばkottke.orgDAILY KOSなどは軒並みランク8ですからね。やっぱり英語圏は被リンクのスケールが違うのでしょう。
そんな中、オグリンはさすがですね。ANNEXが、本家BENLIの方を早くも抜いてランク6。しかし、更新もコメントも殺伐としてきて肝心の内容が最近はグダグダなのが気になりますが。。。
ただ一応、毎度のエクスキューズですが、改定前後はページランクが不安定になるのでこの数字で落ち着くとは限りません。
[関連エントリー]
ページランクリポート 2005/4/22
ページランクからBlogを読む

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Flash

ボーダフォンにエールを送る

ボーダフォンが約半年ぶりに契約者数純増に転じた
これはほんの序章である。以前と同じだけの輝きを取り戻せるかはまだ予断を許さないが、これからは「目の離せない」反撃の一手を次々と繰り出してくるのは間違いない。
暗く長いトンネルの出口が見えてきたと断言しよう。
「暗く長いトンネル」とは契約者数が純減に低迷したこの半年を指すのではない。「J-PHONE」ブランドが消滅した2003年10月からの長い長いトンネルだ。
企業を生かすも殺すも、結局は「人材」である。そして、いくらいい「人材」を抱えていても、その能力を発揮できる「環境」が整ってないといけない。「人材」と「環境」。ロングスパンで見れば、企業が伸びるかどうかはこの2つでほぼ決まりだ。「環境」も「人材」も外からは見えない。だからその変化に誰も気付かない。
「水濡れ修理の保証除外」「ハッピータイムの突如廃止」などまともな神経とは思えない数々の経営判断、その集大成としての「消えた10の約束」。
M&Aだけで巨大化してきたボーダフォングループ経営陣の無能さ、そして誤った経営判断に対して日本人社員が「No」と言う事ができない「社内環境」。それらの問題に世間が気付いた時には、もはやボーダフォンは取り返しのつかないほど大きなモノを失っていた。
そして極めつけが、昨年夏の「希望退職制度の実施」である。
復活の為の最後の砦「人材」までもが大量に離れていく…
おそらく、大量の離職者を生んだ昨年の夏がボーダフォン内部的には「どん底」だった。
「どん底」の体制で生み出された製品が市場に並ぶまでにはタイムラグがある。昨年末からの3G製品群がまさに「どん底」の体制で生み出されたものだとすればその品質のお粗末さも理解できる。それが契約者純減に繋がったわけだ。
そして今、ボーダフォンは既に「どん底」を脱している。
そのきっかけは、「NTTドコモの社長になるはずだった男」津田志郎氏の電撃移籍、ボーダフォン社長就任である
しかし驚くのはまだ早かった。
津田志郎氏は社長就任わずか2ヶ月後の2005年2月7日、なったばかりの社長を退き会長職に、ボーダフォンUK社長のウィリアム・ティー・モロー氏が日本法人の社長にそれぞれ就任すると発表
就任後わずか2ヶ月でのさらなる社長交代発表をネガティブに解釈している人もいるようだが、それはとんでもない間違いだと思う。
モロー氏の役割は、本国ボーダフォン経営陣の懐柔であり、それはとりもなおさず日本独自路線を進むという津田氏の並々ならぬ決意の現れである。
これは「攻めの人事」だ。ボーダフォングループ本体経営陣が日本におけるボーダフォン再生の足枷となっている事を悟った故の英断である。そもそも、社長就任2ヶ月では、まだペナントレースは始まっていない。キャンプだけで退任するプロ野球の監督などいない。ただでさえ、津田氏は社長就任を反故にしたドコモへのリベンジという強いモチベーションがある。
「新生ボーダフォン」の象徴は、新しい2つの東芝機種だろう。
1つは、斬新なデザインが話題の着ぐるみ携帯V501T。牛型携帯で話題の「ブル」の着ぐるみが持つ大胆さは強烈で新鮮。この大胆なアイディアを具現化した時点で、次の何かを期待させてくれる。久しぶりにボーダフォン端末で「ときめいた」。
もう1つは、V902T
実用に耐えうる3G携帯はこれが初めてと言っても良いだろう。これでやっと3Gもスタートラインに立った。反撃はこれからだ。
携帯電話の総契約者数は約8800万人。日本全体の15歳~64歳までの総人口(約8400万人)を超えている。とんでもない数字だ。もはや市場は飽和状態に近づいている。イーアクセスやソフトバンクなどが新規参入してくればさらに競争は激化する。これからは、どのキャリアも契約者純減は珍しくなくなる。
ドコモだってauだっていつどうなるかわからない。
狙われるもんより、狙うもんの方が強いんじゃ 」 by 広能昌三(仁義なき闘い)
これからのボーダフォンはちょっと楽しみだ。

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音楽

今年の阪神が強い理由

藤川球児   中継ぎ 防御率 1.01
ウイリアムス 中継ぎ 防御率 2.61
久保田     抑え  防御率 2.11
橋本     中継ぎ 防御率 1.85
江草    中継ぎ 防御率 1.80
上の5人全員登板数30試合以上。
ちなみに、登板試合数が12球団で一番多いのが藤川、2位がウイリアムス。
何この層の厚さw
敗戦処理に出せる投手がいないw
正直な感じ、2003年より強い。

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音楽

「共通ID」主張するなら真剣に

 ネットにおける匿名発言を排除したい一部の方々は、連日あちこちのブログで出張コメントをされているようです。
 ただ、ネットでの匿名卑怯者を排除したい、あるいは、共通IDの導入を確実に実現したいというのであれば、自分のブログや他所様のコメント欄でぐだぐた騒いでいても何の意味もありません。
お得意のだだっ子型消耗戦術は通じません。「俺を説得しきれないからって議論を打ち切りやがった。論破だ、論破だ」と叫んでみても、そんなことはお構いなしに連日匿名の発言は増え続けます。
「共通ID」導入論者は自ら積極的にネット世論を説得しなければならないのです。
 それには、「共通ID」の実現可能性やインセンティブを、技術的なシミュレーションに則して、具体的かつ論理的に説明できなければなりません。つまり、従前匿名の卑怯者達の発言による被害の実態がどのくらいで、共通IDを導入しないとどの位ネット社会全体に不利益を生じ、またプロバイダーや事業者を圧迫するかを、共通ID導入コストとの比較により、論理的に説明できなければなりません。
ネット世論は、IT技術者に実現可能なのかを確認したり、プライバシーの安全性を再検証したりするわけですから、現状のアーキテクチャではネット社会が立ち行かなくなるという具体的な危惧を論理的に説明できなければそもそも話になりません。
 実名論者のうち「共通ID」導入を主張する人々は、まずこれができていないといえそうです。それどころか、「市井の人々のプライバシーなどそれほど重要視するものではない」という意図が見え隠れする人が運動の中心に立つと、むしろ、「共通ID」など実現させてはならないという決意を固くしてしまい、逆効果となるように思います。
 そして、ネットでのトレーサビリティについていえば、プロクシや海外中継のアクセスさえ禁止すれば事足りるという多数派のコンセンサスが得られているので、現実的な対策を実施しつつ、非現実的なものを導入しなくとも済むような対案を用意するのがベストです。
非現実的だとコンセンサスが得られているものについて、これを実現しないのはけしからんと言ってみても、通常相手にされません。
 また、実名論者も共通ID導入支持者も、未だ少数派にとどまっています。したがって、ネット世論を盛り上げるためには、高アクセスを誇る大手サイトに取り上げられることが必要です。そのためには、たくさんのブロガー、特に匿名性による不利益を判りやすく述べるオピニオン・リーダーの存在が必要です。アルファブロガー系が担ぎ出されてくれればベストですが、少なくとも匿名支持者にもある程度説得力のあるブロガーが表に出ることは不可欠です。
 また、プロバイダーやブログ事業者にビジネスモデルを提示し、コスト回収の見込みを聞いてもらうことも必要です。インセンティブも提示できず、コスト負担だけを要求し、共通ID導入賛成に転じてもらおうだなんて、甘いとしか言いようがありません。
 そうすると、いくつかのシステムベンダーにはプロトタイプ等を開発してもらう必要がでてきます。机上の空論で議論だけしてみても、実際に「コード」を開発する人が出てこないのであれば、共通IDはそこまで、という感はやはり否めないといえるでしょう。
 あとは、行政に関する部分等で、総務省などが暴走するのをかすかに期待するしかなさそうですね。