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はてなブックマーカーのブルース

自分のブログに入魂のエントリー書き上げて
はてなブックマークで2usersまでいったけど
その後ちょっと停滞気味になって
「あー自分でぶくましたい!」
「一刻も早く注目のエントリーに上げたい!」
てゆー時の話やけど
とりあえず
[self]とか[セルクマ]とかタグつけて
いさぎよさをアピールするのか
意味もなく直近のブクマコメントにレスポンスしたりして
ごく自然な流れを装うのかは
自由だ~~~!!
はてぶ is freedom
はてぶ is freedom
はてぶ is freedom
はてぶ is freedom
でも、注目のエントリーに上がったまま
結局3usersで終わったりしたら
かえってヘコむで

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メディアWatch

2007年X月–YouTubeを取り巻く近未来を妄想する

2007年X月。YouTubeが本格的にビジネスに乗り出してから半年が過ぎていた。
わずか半年の間にYouTubeの収益は劇的に伸び、Googleの牙城に近づくのは時間の問題という勢いになっていた。
YouTubeのビジネスモデルがベールを脱いだのは7ヶ月前だった。
その内容は、まさにYouTubeのサービスと同様に、「誰もが驚くほど革新的ではないのだが、極めて洗練された」ものだった。
アメリカ国内の各テレビ局、コンテンツ配信業者達はその内容を慎重に検討した上で、最終的には多くの企業がYouTubeとの提携を選択した。
3大ネットワークでは、いち早く提携を発表したNBCの他、CBSがYouTubeとの提携を選択。ABCだけはGoogleが囲い込みに成功し、連携を強めた形でGoogle Videoの大幅リニューアルを検討していた。
しかし、その他有名どころではウォルトディズニーが提携を拒否したくらいで、アメリカ国内のコンテンツ企業は、ほとんどがYouTubeとの連携を決断した。
そのビジネスモデルとは、具体的に以下の様なものだった。
まずYouTubeは、コンテンツを

  1. 一般ユーザがUPするカスタマーズコンテンツ(CC)
  2. 提携企業が自ら制作・配信するプロモーションコンテンツ(PC)

の2つに分類し、明確に区別した。
その上で、新たに月額5ドルの一般向け有料ユーザメニューを発表。有料ユーザには2つの特典が与えられた。その2つとは、

  1. YouTubeとの提携企業が権利を持つコンテンツに限り、ユーザが自由にアップロードが出来る。
  2. 動画コンテンツ版アフィリエイト『AdTube』のアカウントが取得出来る。

というものだった。
当初、多くの企業が1項には反発するのではと予想されたが、意外にもすんなりと受け入れられた。
その背景にはYouTubeが施した仕様変更があった。
まず、ユーザが動画をUPLOADする際に、そのコンテンツの権利者を自己申告する仕様になった。ユーザアップロード画面を表示した際に、アップロード可能なテレビ局、コンテンツ企業の一覧がリストされる。ユーザはそこから選択するだけでよかった。
そして、コンテンツがUPされると同時に権利企業宛にはUpload-Pingが送信された。Pingを受信した企業は、そのコンテンツの内容を精査し、問題がある様ならば削除依頼を出せばYouTube側で即座に削除する、という仕組みだった。
企業側から見れば、従来YouTubeにいったいどれくらい自社のコンテンツがUPされているのか把握できない状態だったので、提携にはメリットがあった。
また、UPするのが基本的に有料ユーザなので、身元を特定しやすいというのも企業側に安心感を与えた。
また、企業側が無闇に削除依頼を出す事も無く、その数は最小限度に抑えられた。これらのコンテンツのアクセス数に応じてYouTubeに支払う広告料が減額されたからである。
しかし、それ以上にインパクトがあったのはAdTubeの方だった。AdTubeのもたらすインセンティブはユーザ・企業双方に大きな変化をもたらした。
AdTubeの仕組みは極めてシンプルだった。
ユーザが自身のブログやサイトでYouTube上にある任意の『プロモーションコンテンツ』を紹介した際に、そこからのコンテンツ視聴回数に応じて報酬が得られるというもの。Google Adsenseなどとも違いそのアクセス単価も一律。単価そのものは、Google Adsenseと比較すると遥かに小額ではあったが、アクセス先が「単なる」企業サイトではなく上質な動画コンテンツだったので、面白いものを紹介すれば月額会費の5ドル程度は簡単に相殺する事ができた。
AdTubeのアカウント欲しさに有料会員の申込みが殺到し、半年間に有料ユーザは200万人に達した。YouTubeは有料会員からの収益だけで月額1000万ドルを手にする事となったのである。
AdTubeはネット上の秩序形成にも大きな役割を果たした。ユーザが「AdTubeのアカウント抹消」を何よりも恐れたからである。その結果、YouTube提携企業以外の「無許諾コンテンツ」がアップされる事も殆ど無く、またアップロードの際の自己申告の精度も極めて高かった。
また、カスタマーズコンテンツへのアクセスは報酬の対象にならなかった為、個人サイトで紹介されるコンテンツは次第にプロモーションコンテンツがメインになっていった。その結果、プロモーションコンテンツへのアクセス比率が飛躍的に増加していった。
このアクセス増加が、今度は企業側のプロモーションコンテンツの質の向上をもたらした。
ディスカバリーチャンネルは過去の番組のダイジェスト版をYouTubeに大量放出し、全世界で多くの新規契約を獲得した。
FOXテレビは、『24(トゥエンティーフォー)新シリーズ』の10分に及ぶ長尺予告編をYouTube用に制作した他、ジャックバウアーの少年時代や秘密工作員時代のエピソードなど、YouTube配信用のサイドストーリーを多数制作し、第2次「24ブーム」を作り出してDVD売上などで大きく収益を伸ばした。
そんなアメリカでの盛り上りをよそに、日本ではやや状況が違っていた。
日本のテレビ局、コンテンツ事業者は、日米の著作権法の違いなどもあり皆YouTubeとの提携に消極的だった。
唯一、テレビ神奈川が提携を目指したが、様々な障害の為まだ実現できずにいた。
また、YouTube上のコンテンツが多数「合法化」してしまった為、日本の番組がUPされても以前に比べ、簡単に発見・削除されるようになった。
その為か、一時は隆盛を極めたYouTubeへの「日本からのアクセス」は次第に減少していった。
そんな中、ワッチミーTVはフジテレビ系列制作の番組に限り、ユーザからの投稿を許可する事を決断。YouTubeへのアップが困難になっていた事もあり、多数の投稿を集めたが実際に公開を許されたコンテンツは少なかった。それでもユーザからは好意的に受け入れられた。
日本テレビは、『第二日本テレビ』内にユーザからの投稿コーナーを設けるべく検討に入った。
GYAOは、『日本版YouTube』サービス実現へ向けて根回しを始めていた。
日本にも、『変化』の波がじわじわと押し寄せていた。

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メディアWatch

著作権者が全ての流通をコントロールすべきという発想は「無断リンク禁止!」と同じ

前エントリー の続き。

YOUTUBEの最大の欠点は「著作権者の意思とは無関係に、許諾を得ずして映像が掲載出来てしまう」点にある。その結果、著作者が本来的に得られる利益を失ってしまう可能性が存在している。
煩悩是道場 – YOUTUBEは白く塗れない。少なくとも現状の儘では。

結論から言えば「著作権者が全ての流通をコントロールして然るべき」という発想も、「変えるべき常識」の一つだと思っている。
「著作権者の意思とは無関係」であるからこそ、そこにはまだ開拓されていないマーケットが眠っている。
そもそも、YouTubeに無許諾コンテンツをアップロードする人々のモチベーションとは何だろう?
彼らは何故、わざわざ自分の所有する秘蔵VTRを労力を費やしてUPするのだろうか。
そんな事をしても、彼らには何の得も無いはずなのに
そこに悪意はあるか。犯罪性は本当にあるのだろうか?
そこにあるのは、日頃私たちがWeb上で素晴らしい記事に出会ったり、腹を抱えて笑ったネタを自分のブログやサイトで紹介する行為と根本的に同じ動機ではないのか?
彼らは、「価値を共有したい」だけなのだ。
「こんな面白い画像を持っている。」
「これは誰が見たって驚くだろう。」
多くの人に見て欲しい。自宅のビデオラックにただ眠らせておくのはもったいない。そういう動機がほとんどではないだろうか。
しかし残念ながら、彼らの行為はまるで悪質な海賊業者と同等の犯罪であるかのような扱いを受けている。
JASRACやテレビ局サイドを始めとする著作権利者達は、「自分達のコントロールが効かない」事を極端に嫌う。しかし、その発想はWEB上で「無断リンク禁止!」を叫ぶ人の論理と同じではないか。
WEBサイトにおけるリンク行為は、広義のコピー行為だ。リンクをクリックした時、そのコンテンツがアクセス者のローカルキャッシュにコピーされる。WEBサイトのユニークアクセス数とはすなわちローカルPCのキャッシュにそのWEBコンテンツがコピーされた総数であり、アクセス数が多いほどそれは「社会的評価」のバロメータになる。YouTubeそのものが、アクセスの伸びに伴って「無視できない存在」になってきた事を考えればそれは自明だ。無断リンクを嫌悪する人は、まさに第三者によるリンク行為を自分のコントロール下に置こうという発想に他ならない。
無断リンク禁止と主張する自由はあっても、それが「常識」では無い事はネットユーザなら判るだろう。
コンテンツの価値を判断するのは、最終的にはユーザである。その認識があれば、「全ての流通を著作権者がコントロールする」発想がWEBには明らかに不向きであることは感覚的に判る。
思いもよらないところからリンクされて、突然大量のアクセスが流入する、という事はWEBの世界では良くある事だ。そういう現象を受け入れる覚悟を持った権利者には、今までの常識にはなかったビジネスチャンスが生まれるだろうと思っている。私が前エントリーで言った「金鉱」とはそういう事だ。
そもそも一般ユーザに著作権法の知識を求める時点で、どこか間違っている。
現実に、我々は毎日タダでテレビから流れるコンテンツを楽しんでいる。ウラにある複雑怪奇な権利処理を意識する事も無く。
もちろんテレビ放映とYouTubeが抱える問題が同じと言っているわけではなく、今のYouTubeにおいてもユーザに権利問題を意識させないような利益配分の仕組みを、サービス供給側に閉じた形で構築する事は不可能ではないはずだという話だ。だからこそこれは「意志の問題」だと繰り返し言っている。
面白いものや価値のある画像をひたすら求める一般ユーザは、視点を変えれば著作権者の良きレップに成り得る。そういう一般ユーザと悪質な海賊業者を明確に区別する論理を持たないと、いずれ著作権ビジネスは立ち行かなくなる。好むと好まざるとに関わらず、時代はもうそういう所まで来ていると思う。
YouTubeのビジネスモデルは不透明ではあるが、NBCを落とした事実から見て、権利者にとって魅力的なインセンティブを提示できるなんらかの構想を持っている事は明らかだろう。(ビジョンも無しに膨大なランニングコストを払い続けるはずが無い)。
クリアすべき問題は多いだろうが、目指すべきゴール地点は前向きに設定して欲しい。
というか、YouTubeは確実に前を向いているはずなのだが、肝心のユーザ側が(権利者でもないのにも関わらず)著作権侵害を理由にYouTube批判をするのでは本末転倒な気がしてならない。
これが既得権益を有する既存勢力と新興ビジネスとの「政治の問題」であるがゆえに。

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IT

YouTubeを白く塗れ!常識が変われば景色も変わる

YouTubeの急激な台頭をきっかけに、ネット界隈では著作権論争が喧しい。
確かに、今の法解釈に照らせばYouTubeは限りなく黒に近いと言えるかもしれない。というか、権利者が本腰を入れて法的措置を取ればYouTubeに殆ど勝ち目は無いだろう。
しかし、実際問題としてまだそうなっていない。最終的な「黒」判定はまだ出ていない。
日本にレンタルレコード業が台頭した時、まだ著作権法に「貸与権」は無かった。極めて違法性の高いビジネスだった。それが今では細かな問題はあるにせよ、ビデオを含めたレンタル業は完全に社会に根付いた。
コンセンサスさえ取れれば法は後からついてくる。どういう意志を持つかが重要なのだ。YesかNoか。是か非か。
Napsterは違法だから潰れたのではない。単純に言えば、RIAAに「No」を突きつけられたから消滅した。もし、Napsterが提示した和解案にRIAAが「Yes」と言えば、それだけで歴史は変わっていただろう。
だからこそ、今「YouTubeを白く塗れ」とネットの片隅から声高に叫びたい。
これは意志の問題であり、政治の問題なのだ。人類はどちらのベクトルに叡智を絞るべきか。前進か後退か。
http://www.youtube.com/上にある無許諾コンテンツが全てデッドリンクになった時、誰が何を得るというのだろう。それが本当に著作権利者の願う世界だろうか?よく考えてみて欲しい。
以前から、「合法違法関係なく、すべての”コピー”はニーズでありビジネスチャンスである」というのが私の自論だ。
著作権法は、素人の作った赤面ラブソングも、ビートルズの「イエスタデイ」も平等に守る。そこに一切の区別は無い。
しかし現実は違う。価値の無いコンテンツは頼まれたって誰もコピーしない。全てのコピー行為には必ず”ニーズ”があるのだ。法律論だけを語るとこの重要な視点が欠落してしまう。
判りやすい例を挙げると、削除依頼もしていないのにYouTubeに1つも自局のコンテンツがUPされていないテレビ局が仮にあったとして、その局はその事実を喜べるか?という話だ。
宇多田ヒカルの1stアルバム「FirstLove」は800万枚売れた。「ダビンチコード」の発行部数は全世界で1000万部を超えた。これらは即ち「合法コピー」の数で、それがそのままコンテンツの「社会的評価」を測るバロメータになっている。
しかし、テレビ局の配信するコンテンツは(一部のドラマやバラエティを除けば)たった一度電波に乗り、「視聴率」という全く当てにならない「評価」だけを得た後にお蔵入りして眠っている。「ピタゴラスイッチ」や「スプーの絵描き歌」がON AIR時どれだけの視聴率を取っただろう?YouTubeを潰した後にテレビ局主導でネット配信を始めたところで、それらのコンテンツに眠る価値を果たして見出せるだろうか。YouTubeの様なCGMスタイルによって初めて為せる業じゃないか。権利者にとっても、そこにはとんでもなく巨大な「金鉱」が眠っていないか。
確かに、権利者は違法コピーから対価を「取り損なって」いるだろう。しかし、それは必ずしも「損失」を意味しない。「削除」してしまえば、それこそ永遠に「取り損なって」しまう。1つ1つのコピー行為に潜む「ニーズ」を意識した時、即「削除」は、権利者にとって果たして「賢い対応」だろうか?
もし、無許諾コピーに対して「削除」以外のアプローチを権利者が模索し始めれば、権利者とユーザの関係も必ずや変化してくる。
本来、著作権者とユーザは「敵」じゃない。何かを創作する人は自分の作品を一人でも多くの人に知って欲しいものだし、ユーザはただひたすら「良い作品」を求めているだけだ。旨いラーメンを作りたいラーメン屋と、旨いラーメンを食いたい客の利害が相反するわけが無いのだ。
最後に、レッシグの著作「Free Culture」の冒頭で紹介されていた示唆に富んだエピソードを紹介しよう。長いのでストーリーを要約する。概要はこうだ。
ライト兄弟が1903年に飛行機を発明した当時、アメリカの法律では、土地の所有者がその地下、上空も全て所有するという立場を採っていた。そして飛行機が発明された42年後の1945年、ノースカロライナに住む2人の農民が実際に訴訟を起こし、問題が顕在化する。
自分の土地の上空を飛ぶ空軍機に驚いて、飼っていたニワトリが納屋の壁に激突して死んだという。農民は、政府(空軍機)が自分の土地を無断通行していると訴えた。
法廷は、「古代思想において、コモンロー上の所有権は宇宙の果てまで続く」事を認めた。
しかしこの訴訟を裁いたダグラス判事は、判決でその思想を覆した。レッシグの引いた判決文から孫引き。

この思想は現代世界では場違いである。議会が宣言した通り、空中は公共の高速道路である。
それが成立しなければ、あらゆる大陸間をまたがる航空路線は、その運営者を無数の不法通行訴訟にさらす事になってしまう。そんな発想は常識的におかしい

一般感覚としての「常識」が、法解釈の定説を覆した英断だった。この判決が違う結果だったら、今頃、飛行機は権利処理の超やっかいな乗り物だったりして。
無許諾コンテンツは問答無用で「削除」の(権利者にとっての)常識。
対価を徴収できないコピー行為=「犯罪」という(権利者にとっての)常識。
これらの常識は、実は「権利者」の首を絞めていないか。
常識が変われば景色も変わる。
少なくとも、NBCはYouTubeと手を組んだ。
YouTubeを批判する方々はこの事実をどう受け止めてるのだろう?YouTubeが起爆剤となって、著作権の考え方が大きく変わるのを期待するのはそんなに愚かな事ではないはずだ。

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モブログ

YouTubeで見る坂本龍一パフォーマンスBest5

長らくご無沙汰でした。なんか、長文書くにもリハビリが必要な感じ。
というわけで、唐突ですが前からやろうと思っていた「YouTubeで見るランキング企画」的エントリー。
第一弾は教授です。

5位– Diabarum (Beauty Tour’90)
セネガルが生んだ世界的ボーカリスト、ユッスーンドゥールとのコラボレイト。
この2人の競演は何度かあるが、この曲が一番ユッスーの良さを引き出していると思う。
ユッスーンドゥールについての詳細は、
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/y-ndour.htm

4位– Ballet Mecanique (Live 1987)
ソロになってからのリリース曲では個人的に一番好きな曲。
楽曲も歌詞もスケール感が素晴らしい。ドラマ「ケイゾク」の主題歌にもなった中谷美紀の「クロニックラブ」は、この曲のリメイク。クロニックラブのアレンジも好きだった。ちなみにクロニックラブのYouTubeはこちら。 

3位– 死んだ女の子(元ちとせ)
恥ずかしながらこのパフォーマンスは知らなかった。YouTubeで初めて見たんだけど、かなり最近のパフォーマンスっすね、これ。んで、元ちとせのボーカリストとしてのポテンシャルをあらためて痛感。5位のユッスーと比べても全然負けてない。日本のマーケットより、最初から世界に目を向けた方がビッグになれる気がする。教授のピアノも心なしか熱を帯びてる。ここでの教授のプレイは、的確でツボを押さえていてオイシイ。参考になる。

2位– 1919 (Live ’97)
MPI X IPM (Music Plays Images X Images Play Music)と題された伝説のライブ。
映像をメディアアーティストの岩井俊雄が担当。これもYouTubeで初めて映像見たけど、想像以上に素晴らしい。画面左側がリアルタイムの坂本。照明を浴びて黄色く光っている。右側が映像の坂本。色あせたモノクローム。時間を越えた同一人物2人による連弾。曲そのものがポリリズムのループが延々と続く
ミニマルな音楽なので、右側の映像ループが見事にハマッている。右側のピアノはおそらくYAMAHA特性のMIDI搭載グランドピアノ。両方のピアノから発せられる音が光となって天に昇りやがてグルグルと廻りだす。この2人のコラボレートは、アルスエレクトロニカという世界的なメディアアートの祭典でグランプリを獲った。

1位– 笑っていいともテレフォンショッキング(1986.04.09)
岩井俊雄とのコラボレーションがダントツ一位、の予定だったが、いろんな意味でやはりこれが一番必見。

  • EPOからの紹介
  • タモリの初々しい司会
  • なんといっても若い(!)教授
  • 貼ったポスターが「メディアバーンライブ」!!
  • ツアーメンバーとTibetan Danceの旋律で唄う「友達の輪」
  • 紹介した友達が立花ハジメ

もうこれ以上無い完璧な展開。
で、さっき気付いたんですが、これアップしたの自然体 さんだったんですね。超~~GoodJob!

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ネットWatch

文藝春秋社は入社試験TOPの人間を採用しない

もう1年以上前の雑誌記事になる。
元「文藝春秋」編集長の堤堯氏がWiLLの2005年5月号で語ったエピソードが妙に印象に残っている。

文藝春秋社の入社試験は、筆記試験で一番の成績を得た者を、それだけで合格者のリストから外す
頭デッカチの秀才を警戒するのである。雑誌記者に秀才は要らない。足腰と好奇心の強さ、発想力と
人脈形成力があればいい。
当方が試験を受けたとき、一番はかの松井やより嬢だった。例によって外され、彼女は朝日新聞に行った。

筆記試験一番の者を無条件で不合格にしてしまうというのは、考えてみれば結構とんでもない話だ。今もその風習が残っているのかは定かではないが、文藝春秋社の常務まで勤めた堤氏が言うのだからそういう事実は確かにあったのだろう。
知識以上に、発想力や人脈形成力をより重視するのは理解できる。しかし、筆記試験一番という事実が「発想力が無い事」の証明にはならない。知識もあって、さらに好奇心も発想力も人脈形成力もある超逸材だって世の中にはいるはずだ。というか、普通はそう考える。
ところがこの乱暴な論理も、「松井やよりはそれで朝日新聞に行った」という実例を聞かされると妙な説得力というか、凄みを帯びてくる。
これって、もはや「論理」ではなく「経験」とか「勘」の世界。この理不尽な採用基準も文藝春秋社が蓄積してきた人事採用「経験」から生まれてきたものだと容易に想像できる。
そして、この手の話はなんとなく「時代」を感じる。昔はわりとこういう話のネタとして面白い逸話が多かった気がする。ある種の「乱暴さ」が高度成長時代のダイナミズムを醸しだしていたというか。翻って今の世の中は「論理」が過剰に重要視され「経験」とか「勘」みたいな要素が随分と蔑ろにされている様な気もする。
まあ、全てが理詰めだと面白みに欠けるのは確かだ。こういう会社が1つくらい有ってもいいのかもしれない。論理を逸脱する事で「得られる何か」もある。そして、それは時にとても大切なものかもしれない。

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「電車の中で(エロ?)漫画を読んでいたという理由で有能な社員を解雇しちゃった」辻豊という人は実在するのか

このエントリーは、愛・蔵太さん風味で(笑)。
有能だが辞めてもらった理由」 という記事が話題になったわけですが。
で、はてなブックマークの反響がこちら
なんか記事をそのまま真に受けちゃってる人があまりに多いのに驚きました。
そんな中、id:fuktommyさんという方が、「何を今さら」というタグと共にURLを紹介されていたので見てみると
有能だが辞めてもらった理由 – 解雇する自由
驚いた事に、この新聞記事は2年以上も前のものだった様です。そして上記URLには、投稿者の氏名含め全文が紹介されていました。辻豊という会社経営の方で、39歳だそうです。ほとんど僕と同世代ですね。
で、この方が語るエピソードが事実であると仮定すると、概要はこんな感じです。

  1. 辻さんは社員数十人規模の会社経営者。
  2. やる気と向上心は誰にも負けないと自負する好印象の30代男性を試用社員として採用。
  3. その社員は有能だったが、夕方の満員電車社員章を付けたまま性描写ばかり載った漫画本を読んでいたのを目撃。
  4. その件でこの社員を社長室に呼んだが、本人が「漫画本を終業後に読んで悪いんですか」と言い張るので解雇。

こんな単純なストーリーなのに疑問点が多すぎて、これが事実とは俄かには信じられません。
個人的に気になる点を挙げてみると、

  • 「満員電車」なのに読んでる本の内容とか社員章付けてる事とか判ったという辻さんと、この社員の距離・位置関係はどんな感じだったか
  • 社員数十人の会社で、社員章なんてあるのか
  • 仮に社員章があったとして、まだ正社員でもない試用期間に渡すものなのか
  • 辻さんが最も気に入らなかったのは、社員章を付けてた事なのか、漫画を読んでいた事なのか、その漫画がエロかった事なのか
  • 会社名を伏せたところで、社員数十名の会社経営者の辻豊と言っちゃったら何もかもバレバレではないか
  • 2004年当時の39歳といったら、むしろ今の若者より多く漫画を読んだ世代ではないか

などなど。
他にも、会社経営に携わる者の実感として、せっかく有能な新人なのに業務上のミスでも勤務態度でもない理由で解雇できるなんて、すごく人材に恵まれた会社なんだなあとか。
あとちょっと補足すると、
社員章については、僕自身これまで4つの会社に勤務して社員章なんて頂いたのは社員数万人規模の大企業だけだったのですごく不思議な感じがしたわけです。実際のところどうなんでしょうか。あったとしても、試用期間中に渡しちゃうもんなんでしょうか。よくわかりません。
それと、社員君の反論が「終業後に漫画を読んで悪いんですか」という主張だった事から推測すると、辻さんが気に入らなかったのは、「漫画を読んでいた事」であって、エロとか社員章はあまり関係無い様ですね。
もし辻さんのお説教が「せめて社員章は外そうよ」とか、「漫画はいいけどエロは恥ずかしいよ」という内容だったらこういう反論にはならない気もします。
それにしても、辻さんはなぜこんなに漫画を毛嫌いするのでしょうか。ほぼ同世代の僕から見るとリアリティ無さ杉です。
小学生低学年の時には、もうガキデカとかこち亀とか始まってましたし、中学時代にはすすめパイレーツとかサーキットの狼とか。高校生位の時にはもうスピリッツなども創刊されて、めぞん一刻とか。少年誌では北斗の拳とかドクタースランプとかタッチとか。
もう思いっきり「漫画世代」なわけで。例え辻さん本人が漫画を読まない人だとしても、漫画を読んでるだけでその人を蔑む様な偏見ってのは醸成し得ない世代だと思うのですが。
さらに辻さん、社員数十名を抱える社長様です。大企業ではないでしょうが、決して小さな数でもありません。人件費とか考えても、年商は億単位でしょう。それなりに交友関係とかも広い筈です。大阪中央区に住む年商億単位の会社社長辻さんと言えば、多分周辺地域の人ならすぐ判るのでは無いでしょうか。
辻豊さんをご存知の方がいらっしゃったら、コメント欄とかで教えてくれるとうれしいです。個人的には、もともとこの辻豊さんという人はいないんじゃないかと思ってますが。
このエントリーでは、個人的印象を垂れ流しただけで、何の証明にもなってません。この疑惑は証明できません。あくまでこの新聞記事は「誰か」の個人的体験を綴った投稿欄でしかないので。
というか、新聞とか雑誌とかの投稿記事欄ってのは、作り手にとっては捏造しまくっても殆どばれない場所だというのも、頭の隅に入れておいても良い気はします。
以上、「ちょっと調べて書く日記」でした。実はあんまり調べてません。ごめんなさいごめんなさい。

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ジューシィフルーツ

元日本テレビアナウンサー薮本雅子のブログが、例の盗撮アナウンサー絡みで炎上してるわけだけど、きっかけとなった「盗撮に思う」というエントリーの はてなブックマーク に、id:gotanda6氏のこんなコメントが。

gotanda6 バックラッシュ 若い人は知らないと思うけどこの「おばちゃん」は元ジューシーフルーツ。まあジューシーフルーツも知らないと思うけど。

炎上騒ぎそっちのけで、このコメントに反応。えっと、ジューシィフルーツ超好きでした。3曲目までシングル買いました。
しかし、ジューシィフルーツはボーカル&ギターのイリアが紅一点だったはず。てことは、イリア=奥野敦子=薮本雅子???まーさかー。アリエナス。年代違いすぎるし。
と思っていろいろ調べてみると、どうやらジューシィフルーツはデビュー後次第にセールスが落ち込み、プロデューサー近田春夫の手を離れて後「謎の中学生美少女」がキーボーディストとして参加していたらしい。その「謎のキーボーディスト」が薮本雅子だったと。
詳細はこちらの記事が事の経緯をほぼ完璧に網羅してます。良い仕事。(長文ですが薮本雅子に関する記述は、中間あたりの「27分の恋」に関する解説部分。)
書き殴りライナーノーツ 特別編
デビュー曲の『ジェニーはご機嫌ななめ』は、30万枚を超えるスマッシュヒット。この時代はYMOの成功がトリガーとなって、尖がった才能の持ち主が妙にエネルギーを発散し始めていた良い時代だった。
つーわけで、ありましたよYouTube(笑)。スゴイよYouTube。あんたは出来る子や。さすがに謎の中学生キーボードは出てませんけど。デビュー曲『ジェニーはご機嫌ななめ』の貴重映像。

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ジョンケージ『4分33秒』オーケストラ実演の様子

ジョンケージという、20世紀を代表する前衛作曲家がいる。『4分33秒』はおそらく彼の作品の中で最も有名だろう。
この曲をおおざっぱに説明すると合計4分33秒間演奏者が「何もしない」沈黙の音楽である。初演はピアニストによるものだったが、これまであらゆる楽器の演奏家がこの曲を「演奏」している。
YouTubeで、この曲のオーケストラによる実演映像を見つけた。
おもろい。何度見てもコントにしか見えない。客なんて半笑いじゃないか?つか、明らかに曲間でワザと咳とかしまくってるw。
しかし、全然失礼な感じじゃないんだな。むしろリスペクト感が伝わってくる。
客も演奏者もなんだか楽しそうでいい。
ジョンケージには賛否両論あるが、個人的には正真正銘の天才であったと思う。そして、凡人から見れば突出し過ぎた天才は「ネタ」でしかない。
『4分33秒』はiTMSでもダウンロードできると聞く。ジョークなのかマジなのか。というか、ジョークで良いのだ。
ネタとして扱うのは、凡人が天才に敬意を表す作法なのかもしれないと、映像を見てて思った。

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ネットWatch

全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる

このゴールデンウィークに、遅ればせながら『ウェブ進化論』を読了した。
この本を読み終えて自分の中に込み上げた「想い」は、一切漏らさず胸の中にしまっておこうと思っていたが、長尾確先生の「ウェブ進化論」批判エントリー を読んで考えが変わった。
当初、正直なところ「ウェブ進化論」という本にあまり期待感は無かった。というと語弊があるかもしれないが、梅田さんがウェブ上に記した文章はおおかた目を通しているつもりだったし、この本は「ウェブの世界で何が起こっているのか判っていない人に向けた解説書」であるといった紹介を随所で見かけてしまった為だ。だから、自分にとっての「新しい刺激」はあまり期待していなかった訳だ。
しかし実際読んでみると、その様な浅はかな先入観は吹き飛んでしまった。確かに全編を見渡せば既知の話も多かったのだがそんな事は関係なかった。不覚にも感動してしまった。梅田さんがこんなに「熱い」人だとは正直思ってなかった。
この本は、極論すれば素人向けの解説書ではない。もちろんそういう側面もあるだろうが、それは本質ではない。ましてやGoogle賞賛の書などではない。この本は、梅田さんが全てのWEBエンジニアに向けて叱咤激励を込めた「熱きメッセージ」である。少なくとも私はそう読み取った。なぜ「そう読み取った」のか、ちょっと具体的に説明を試みる。
この本は冒頭、序章書き出しの重要な部分でいきなり「ムーアの法則」の話から入る。ここがまず「意外」だった。以下引用。

情報技術(IT)が社会に及ぼす影響を考える上で絶対に押さえておかなければならないことがある。
インテル創業者ゴードン・ムーアが1965年に提唱した「ムーアの法則」に、IT産業は40年たった今も
相変わらず支配され続けており、これから先もかなり長い間、支配され続けるだろうという点である。

「1965年に提唱した」「IT産業は40年たった今も」といった表現がとても重要で、これは梅田さんの意図として「この本はここ2、3年のトレンド解説とは違う」という事を強く印象付ける必要があったという事。
そしてその意図は、第一章『「革命」であることの意味』においてさらに明確になる。
ブライアン・アーサーの講演を引き合いに出した上で

そこで彼は、情報革命を5つの大革命のうちの一つだと彼の歴史観の中に位置づけた。

と指摘する。今度は「歴史」という視点である。現在進行形の「情報革命」を、18世紀の産業革命や20世紀初頭の自動車革命と同列に語るという新鮮さ。そして、この視点こそ「現代のWEBエンジニア」には決定的に欠けている。
GoogleやAmazonのAPIを弄り倒し、CPANを漁り、prototype.jsをHACKし、TIPS記事なんかをせっせとブクマしている若いエンジニア層というのは基本的にそういう世界が好きで好きでたまらない人々だ。日々の試行錯誤の中で自分の書いたCODEが起こす「小さな奇跡」が楽しくて仕方がない(もちろん全て楽しい事ばかりではないにせよ)。そして、人間というのは「楽しくて」やっているウチは、意味とか理由とか深く考えないものだ。ましてや「歴史上の意味」なんて想像だにしない。しかし視点を変えてみれば、これから起こるであろう人類史上の大変化に直接携わる事の出来る場所に生きている。この日本というIT先進国で。このエキサイティングな運命にもっと感動していい。なんという好運だろう。
全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる工業技師の様なものだ。これから起きる「革命」の一翼を確かに担っている。
18世紀イギリスから端を発した産業革命は、主に織物・紡績といった軽工業分野において次々と発明の連鎖を起こした。ジェニー紡績機、水力紡績機、ミュール紡績機、力織機と幾多の技術革新が折り重なり、社会の産業スキームが劇的に変化した。
歴史的視点で見た時に、どの「技術革新」が優れていたかを考察する事はそれほど重要な話ではない。
そして、GoogleかYahooか、という話も同様に重要な話ではない。長尾先生が指摘する「人間の介在」の話は、まさにウェブ進化論の92ページあたりから述べられているGoogleとYahooの対立軸であって、どちらが正しいかはこれからの歴史が判断してくれる事だ。そして梅田さん自身もそこは判断を留保している。以下抜粋。

ヤフーとグーグルの競争の背景には、サービスにおける「人間の介在」の意義を巡る発想の違いがある。なんと面白い競合関係であることだろう。

だから、長尾先生の批判は「ヤフーに肩入れしたグーグル批判」であって、この本の論旨と相反するものではないように思える。
「ウェブ進化論」の最後に「はてな」の話が出てくる。その内容は梅田さんがブログ上でしばしば言及している「はてな」評そのものであるが、これが「最終章」に置かれている事にまた意味があると思う。
「ムーアの法則」「5大革命」で始まり、「はてな」で結ぶ。この大きな論旨の流れそのものが、ウェブ進化論をエンジニアへの「熱きメッセージ本」と読み取った所以である。
あとがきにこれまた興味深い記述がある。

シリコンバレーにあって日本にはないもの。それは若い世代の創造性や果敢な行動を刺激する「オプティミズム」に支えられたビジョンである。

梅田さんがグーグルを俎上に上げて強調したかった事も、その理念そのものではなく、「目が澄み切っている彼ら」が持つ強さではないか。
さらに、あとがきを締める本当に最後の言葉。

息子や娘に対し「おまえたちのやっていることはどうもわからん」という気持ちを抱くお父さん方や
「ネット・ベンチャーなんかで働くのではなく、○○電気とか○○自動車とかに就職してくれればよかったのに…」と心配する
お母さん方にとって、この本が何かの役に立てばなぁとも思っている。

お父さん方やお母さん方へのメッセージの様でいて、実は梅田さんが気にかけているのはその「息子や娘の行く末」なんである。「理解できないとしても、彼らの邪魔だけはしないでね」という(笑)。
私はこの本を帰省先の実家で読んだ。PCもネットも無い環境だった。だからこそ最後までキッチリ読了出来たのだと思う。そうでなければいてもたってもいられず読書を中断してPCの電源を入れていた事だろう。読んでる途中何度かそういう衝動に駆られた。年甲斐も無く熱いものが込み上げてきた。テラハズカシス。
エンジニアがこの本を読んで真っ先に書くべきものは「書評」ではなく「CODE」なのだ。