YouTubeで見る 1980~90年代日本のポップシーンで輝きを放った天才ミュージシャン10組

長らく日本の音楽シーンは不毛の時代が続いている。CD売り上げとかの話ではなく、クオリティの話だ。個別に見れば非凡な才能を持ったアーティストもいるとは思うが、総じて小粒でサウンド面で業界を牽引していく様な核になる人がいない。ヒットチャートは定型化してしまった即席ミュージックで溢れかえっている。その傾向は1990年代、ビーイングの隆盛あたりから始まってはいたと思うが、それでも今に比べれば個性と才に溢れたアーティストがたくさんいた。
そんなアーティストの中から「YouTubeで映像を紹介する」という前提で、10組を独断で選んでみた。彼らを知らない若い人にこそ見て欲しいなー。どのアーティストも強烈な個性で、きっと新鮮に感じるはず。
ヒット曲の有無はあまり関係が無い。ここに挙げた10組は皆、その独創性で「他のミュージシャン」に多大な影響を与えた(もしくは今も与え続けている)面々である。


いまみちともたか(バービーボーイズ)

そもそもこの企画を思いたったのは、はてなブックマーク「注目の動画」に上がっていたバービーボーイズの
目を閉じておいでよ” を見て、だった。
ソプラノサックスを持った男性と女性のツインボーカルという編成上の斬新さもさることながら、なんといってもギタリストいまみちの手がけるサウンドが素晴らしかった。
既成の枠に囚われない大胆なコード進行と独特のリフが味わい深い。YouTubeにもけっこう多くの映像があったのでどれを取り上げるか迷ったが、彼らのスタイリッシュな感じが良く出ていると思ったので、これ。
離れろよ


松浦雅也(PSY・S)

日本人独特の「ポップ」感覚。その最も上質な部分を抽出した様な人。マジ天才。
松浦氏の「ポップ」感覚は、後に彼がプロデュースした「パラッパラッパー」で一つの完成形に到達したと感じた。「パラッパラッパー」のサントラは歴史に残る名作。ピッチカートファイブの小西康陽がクラブでDJをやる時にパラッパの曲を回してたとかいう話もあったような。
PSY・S時代も佳作が多かったが、YouTubeでは選択肢が少なかった。とりあえずこれ。
電気とミント
ちなみに、前述のいまみちともたかもPSY・Sのレコーディングにしばしば参加していた。


イエローマジックオーケストラ

なんか紹介の順番が無茶苦茶ですけど(笑)。これはもう説明不要。世界のYMO。
この3人がユニットを組むなんて今思えばつくづく奇跡としか言いようが無い。
動画もたくさんあったけど、YMOのサウンドにおいて「ユキヒロ」のドラムがいかに重要だったか感じ取る事が出来るこの映像を選んでみた。
YMO-BEHIND THE MASK(’79LIVE)


戸川純(ゲルニカ)

つーか、YouTubeでゲルニカの映像を発見した時点で、死んだ。そして泣いた。
上述したYMOの細野晴臣がプロデュースしたコンセプトユニット。
とりあえず映像を見ていただければYMOとは別の意味で説明不要。
銀輪は唄う
初めて見る人は面食らうだろうが、繰り返し聞き込むほどに、戸川純の表現者としての稀有な才能と、上野耕路が創り上げるサウンド&アレンジの高度さに感嘆する。そしてハマる。
とはいえ、さすがにこれは聴き手を選ぶかな。
自分の場合は中学時代ゲルニカばかり聴いている変な子に育ってしまった。


フリッパーズ・ギター

小山田圭吾と小澤健二。この組み合わせもあらためて凄い。
今や小山田はコーネリアス名義でかなり先鋭的な音楽をやってるわけだが、オザケンのPOPさとミックスする事でこの当時の味わいが生まれたのかなとも思う。
BLUE SHININ’ QUICK STAR


田島貴男(オリジナルラブ)

一時期「渋谷系」なんて括り方もされたが、後に様々な音楽を取り込んで独特の存在感を放っている。
見方を変えれば迷走している様にも見える。良く言えばいまだ未完成。個人的にはJAZZ志向の強かった初期のサウンドが一番好き。
YouTubeではこれしか見つからなかった。
接吻
中島美嘉がこの曲をカバーしたのは記憶に新しい。


山下達郎

マイペースに息の長い活動をしているが、サウンドクオリティの高さは折り紙つき。
作曲、アレンジ、歌唱力、どれをとっても図抜けていて、レコーディング技術についてもサウンドエンジニア顔負けの知識を持つ。トータルな「音楽家」としてのレベルは日本でもトップクラスではないか。
YouTubeにはあまり映像が無かったが、ドラマ「漂流教室」に使われていたこれ。ええ曲や。
Loveland,Island


近田春夫(ビブラストーン)

様々な名義で様々な活動をしている近田春夫。その中でもビブラストーンの印象が強烈。HipHopを標榜しつつ、アメリカのそれとも、いわゆるJ-HipHopとも明らかに違うそのサウンドは唯一無二。
ブラスセクションまで揃えた分厚いサウンドに乗せて、日本社会を痛烈に風刺したリリックを独特のノリでしゃべりまくる。韻も殆ど踏まない。
しかしこれこそが「日本発」のHipHopスタイルと言えるのかもしれない。評価も、国内より海外での方が高かった感がある。
Mikky-D


岡村靖幸

なにかとお騒がせなオカムラちゃん。しかしその才能に疑問の余地は無い。
ミュージシャンにも熱烈なファン多数。2002年にはミュージシャン有志によりトリビュートアルバムまで作られた。
個人的には、溢れる才能を持て余し気味である事とその寡作具合から、漫画家の江口寿史とイメージが被る。
そーいえば、トリビュートアルバムは江口寿史がジャケット書いていた。やっぱ相通じるものがあるのかな。
YouTubeに、尾崎豊と競演してる興味深い映像があったのでそれ貼っときます。
岡村ちゃんわけえ!ほせえ!
尾崎豊&岡村靖幸  YOUNG OH!OH!


奥田民生

バリバリ「今」の人だけどユニコーン時代含めるとキャリアはけっこう長い。
その「リラックス具合」含めて才能だと思う。この人も海外で評価が高く、レコーディングとかで地味に凄い面子が集まる。”ロック”を肌で理解している人。個人的には作詞家としての才能も突出してると思う。
YouTubeではけっこう削除されちゃったのか、思ったほど数が無かった。
イージューライダー


他にも取り上げたかった人はたくさんいた。矢野顕子とか大貫妙子とかボガンボスとかRCサクセションとか。
とりあえず懐かしすぎ。それにしても皆すごい存在感だ。
2000年以降に世に出たミュージシャンで実力的にこのあたりの面子と肩を並べる人って誰かいたっけか?誰も思い浮かばない。
それこそが音楽業界の抱える最大の問題じゃなかろうか。
無許諾アップロード摘発に血道を上げるより大切な事があると思う。

ブラックマヨネーズの漫才に関する考察

昨年のM-1ではブラックマヨネーズがグランプリだった。
昨年は総じてレベルが高かった様に思うが、その中でもブラックマヨネーズは飛びぬけていたと思う。
そして、審査員だった大竹まことの発言(via Wikipedia)

「オーソドックス(な漫才)の凄さに吃驚した。別に新しいことをしなくても十分面白いことを再認識した」

という賞賛を私も違和感無く聞いていた。
しかし、最近YouTubeでブラマヨの漫才を幾つか見ていて、気付いた事がある。
彼らの漫才はやっぱり「新しい」んじゃないか、と。
ブラマヨの現在の漫才スタイルについては、やはりWikipediaからの引用が判りやすい。以下抜粋。

2005年からぼやき漫才のような形をとって、世の中の色々なことに対して吉田が不満を漏らし、小杉が「こうしたら良い」と案(最初は妥当な案だが徐々に無茶な案になる)を出し、それに対して吉田が的外れな文句をつけて笑わせるという芸風をも取り入れている。これは2005年初頭、吉田の「ラジオのようなフリートーク形式の漫才がやりたい」と言う提案から、二人の前に真っ白なノートを置いてその場の思いつきの会話形式でネタを作り書き込んでいったのが始まり。ちなみに、ネタの終盤あたりで興奮気味にツッコミをする小杉の顔に吉田がビンタをし、ネタの最後では必ずといっていいほど小杉の問いかけに対し吉田が皮膚科関係のことを言い終了する。

YouTubeではM-1時の映像が削除されてしまった様だが、以下の映像で典型的な彼らのスタイルを確認できる。
(いずれもM-1グランプリ直後の映像の様だ。)
http://www.youtube.com/watch?v=YZ17HVBre1g
http://www.youtube.com/watch?v=hDURdmSV4DU
「ハゲ」と「ブツブツ」という、あまりにベタなキャラ設定。きっちりパターン化されたネタの展開。
これらの要素が、ブラマヨ漫才が「オーソドックス」な印象を与える要因だろう。
しかし、それらは「カムフラージュ」だったのだ(なんだってー)
「新しい」漫才の代表格といえば、笑い飯が思い浮かぶが、ブラマヨの漫才にも実は笑い飯と同様の新しさが内在している。具体的には、日本のお笑いにおける基本中の基本「ボケ-ツッコミ」スタイルからの脱却である。
笑い飯が「Wボケ」というスタイルで、文字通りボケ-ツッコミそのものを破壊しているのに対し、ブラックマヨネーズは巧みにボケ-ツッコミを倒錯させる事によって、客も気付かないような「新しさ」を体現している。
ブラックマヨネーズのボケ担当は吉田敬(ブツブツ)で、ツッコミ担当は小杉竜一(ハゲ)である。
誰の目から見てもコテコテのボケ-ツッコミである。どこが倒錯やねんと。そう思われるかもしれない。その通りです。ごめんなさい。でも違うんです。
話が少し逸れるが、今の漫才はダウンタウンの存在無くして語れない。
ダウンタウンによる笑いは、日本のお笑い界に様々な「革命」をもたらしたと思うが、その1つに「浜田スタイル」と言っても過言ではない過激なツッコミがある。
ダウンタウンがもたらした新しさは、むしろボケ-ツッコミを必要以上にデフォルメする事による面白さである。そしてそれは最早新しさと言うよりは「定番」になりつつある。
浜田のツッコミはある種暴力的である。無駄にバイオレンス。
ケリを入れるのは当たり前、時に松本の鼻を摘んで左右にシェイクする。思い切り頬に平手を見舞う。ネクタイを引っ張って締める。やりたい放題である。その余りの突飛さに客は驚き松本も驚く。
それが新鮮な笑いを生む。そしてそれに影響を受けた若手芸人は多い。チュートリアルの福田も徳井の顔を思い切り平手打ちする。そして、ブラマヨも吉田が思い切り小杉の顔を張るのがお約束である。
興味深いのはブラマヨの場合、ボケがツッコミを張るという事だ。ここに「倒錯」の鍵がある。
ここでまず1つ指摘したいのは立ち位置である。
漫才におけるボケとツッコミの位置関係だ。
左に立つのは誰か。
ダウンタウンであれば松本人志であり、
やすきよであれば、横山やすしであり、
ツービートであればビートたけしであり、
フットボールアワーであれば岩尾望であり、
チュートリアルであれば徳井義実であり、
アンタッチャブルであれば山崎弘也である。
しかしブラックマヨネーズの場合左に立つのは(ツッコミの)小杉である。
左にはボケが立つ、というルールがある訳ではないのだろうし、実際ボケが右に立つコンビもブラマヨだけではない。しかしブラマヨの場合特別な意味がある様に思える。
「浜田スタイル」の蔓延に伴って漫才を見る客は
「右の人間が左の人間の頬をビンタする」
構図に慣れている。
そしてブラマヨの場合も立ち位置を逆にする事によってこの構図を守っているのだ。だから違和感が無い。
いや、違和感が無い理由はそれだけではない。そもそも吉田は本当にボケなのだろうか?
漫才の序盤、吉田の「でもなぁーー」からお約束のぼやきが始まり、小杉がツッコむというやりとりが続く。典型的なボケツッコミである。客はここで、吉田がボケで小杉がツッコミである事を確認しインプットする。
しかし、2人のテンションの上昇に伴い、よくよく聞くと吉田の口調は完全に「ツッコミ」のそれになっている。ブラマヨの漫才はWボケならぬ「Wツッコミ」なのだ。もうちょっと正確に言うと吉田のボケは「本人はツッコミになったつもり」という新しいボケなのである。メタ視点で初めてボケツッコミが成立しているという。だからこそ相手を「ビンタ」しても違和感が無いのである。客が序盤にインプットした「ボケ-ツッコミ」の認識がいつのまにか無意識のうちに揺さぶられているのだ。
JAZZ界の巨人マイルスデイビスは、晩年競演したプリンスについて
「本当の天才は才能をひけらかさないもんだ。プリンスはまさにそういう男だ。」
と評した。
ブラックマヨネーズの勝因は、客に「新しさ」を全く意識させなかった事にあると思う。
どうしても「斬新さ」を客に意識させてしまう笑い飯との差はそこにあった。
今年のM-1も明日に迫った。1年は早い。今年はどんな笑いが見られるのか、今から楽しみだ。

誰かに何かを伝えるための「リテラシー」(水伝騒動の私的総括)

まず、当ブログにおける前記2つのエントリーにおいて、『「水からの伝言」を信じないで下さい』の著者である田崎晴明先生、並びにその関係者各位の皆様に対して不快感を与える表現があった事を心よりお詫び申し上げます。
当該エントリーを書いた動機は他のところにありましたが、結果として議論に不要な多くの感情的反発を招いてしまった事はひとえに書き手である私に責任があります。申し訳ありませんでした。
尚、この総括エントリーを書くに至った経緯については、前エントリーのコメント欄におけるやりとり があります。もしご興味のある方はそちらをご覧下さい。
また、田崎先生へのご提案として当ブログで使用しているWEBサーバをミラーサイトスペースとして提供する案を考えていましたが、Google検索の問題については既に復旧した様ですね。なので、現状では必要無い状況になってしまいましたが、将来的にまた状況が変わった場合にはいつでも対応する用意がありますので、その時はいつでもお声をかけてください。
この総括をどういう視点で纏めるかについては、おおいに悩みました。書きたい事が多すぎたからです。ただ、単なる謝罪記事にも弁解記事にもしたくなかったので、今一度私の問題意識をアプローチを変えて「リテラシー」という視点に絞って述べてみようと思います。
そもそも、リテラシーとは何でしょうか。gooの英和辞書によると以下の様に説明されています。

literacy: 読み書きの能力; 教養

まさに私が問題にしたかったのは純粋な「リテラシー」であり、言い換えれば、
「読み手に真意をいかに端的・的確に伝えるか=書き手のリテラシー」
「印象操作や、まやかしのレトリックを排除していかに真実を読み取るか=読み手のリテラシー」
についての考察です。故に「科学」の問題ではないのです。
ここで話を「水からの伝言」に戻しましょう。
このエントリーを書くにあたり、水伝に関する過去の議論をいくつか読ませていただきました。それらを読む限りでは、水伝が問題視されている最も大きな要因は、この話が「学校の授業」で取り上げられている点にある様です。
私も同感で、水伝が学校教育の現場で用いられるのは問題があると思います。
水伝を教育の現場で使わないようにしてもらうには、教育関係者にその真意を「伝える」必要があります。教育関係者が皆納得するような「根拠」を提示すれば、大きな効果を挙げる事になります。
それでは何故、水伝が教育現場で取り上げられるのが問題なのでしょうか。
その理由について、田崎先生は「水からの伝言を信じないでください」 の中で、以下の様に書いています。

つまり、ちょっと過激な言い方をすれば、「水からの伝言」を使って道徳の授業をしようと思ったら、
どうしても、生徒たちに「ウソ」を教えなくては、ならないのです。道徳の授業で、
先生が「ウソ」を教えるのは、とても、とても困ったことです。

また、大阪大学の菊池先生は 「水からの伝言」を教育現場に持ち込んではならないと考えるわけ というテキストの中で、

1. 明白にニセ科学であること

という理由をメインに挙げ、それ以外にも9つの理由を挙げています。
それら全て理由として理解はできるのですが、なんというか「一番重要な点」が抜けているような気がするのです。少なくとも私が理由として考えているものは、挙がっていませんでした。
そもそも「ウソ」を教える事が本当に「とても困ったこと」なのでしょうか?
初等教育の現場においては、敢えて「ウソ」を教える事がしばしばあるのではないでしょうか?
例えば、「赤ちゃんはコウノトリが運んでくる」という伝説があります。
これは古くから初等教育における方便として使われてきました。
こんな方便が現在も使われてるかどうか定かではありませんが、子供にそう説明した教師がいたとして問題視されるでしょうか?
少なくとも「パパのおちんちんがママの…」などと教えた方が問題になりそうです。
他にも「サンタクロースはいるか」とか。子供に「ウソ」を教えたり、「事実」を言わない場面って意外にあると思うのです。
それらの例に思い当たったとき、「ウソだから」という理由だけではイマイチ説得力が弱い。
私が水伝を教育に持ち込んではいけないと思う一番の理由は、この話が一民間企業の「営業ツール」だからです。
「この話はそもそも一民間企業が言いだした話で科学的には明確に否定されています。
その企業はこの話を拠り所にして書籍や高額な機器を販売して利益を上げています。
そのような話を公的な教育機関が子供達に教えて蔓延させ、結果的に一民間企業の営業に加担してしまっているのは重大な問題です」
と説明した方が教育関係者にも問題点が直感的に「伝わる」のではないでしょうか。
次に、伝える相手を「一般大衆」に拡げた場合について。
反証実験が必要かどうかの議論はひとまず置いて、その前段の話について2点ほど気になった事を述べておきたいと思います。
私は一連のエントリーの中で、「翻意させる事を目的にしない」という事を繰り返し言いましたがその真意が伝わっていない気がするので補足します。
前述した菊池先生のブログでは、かなり以前から反証実験の是非が議論されていた様なのですが、その中で興味深い記事がありました。
もう一度、実験について というエントリーの中で、反証実験の目的を整理した部分です。以下抜粋。

(1)江本グループに見せて、「違うぞ」というため
(2)ビリーバーに「反証」として示すため
(3)半信半疑くらいの人に「実際には本のとおりにならないんだよ」というため
(4)「水伝」と関係なく、教育のため

私が想定していたターゲットは上記には含まれていません。
上記に付け加える形で書くならば
(5)まだ「水伝」を知らない人に先にカウンターを示すため
です。
理由は2つ。

  1. 社会全体を俯瞰すれば、まだ「水伝」の話を知らない人の方が遥かに多いと思われる事。
  2. まだ知らないうちであれば、「水伝」の話を信じそうな傾向の人でもすんなり受け入れる可能性が高い事

水伝の話を日本国民の半数以上が知っている状況でない限り、
信じている人+半信半疑の人+信じてない人<まだ知らない人
となるはずで、であれば最も多い層をメインターゲットに設定するのは利に適っています。
そして、まだ知らなければ「信じないでください」という提言を固く拒む理由は無くなります。信じやすい傾向の人は、基本的にメディアなどからの情報を「取捨選択する」意識が低い人(そしてそれがおそらく一番多数派)のはずで、だとすれば先に反証を刷り込んでしまうのが一番効果的と考えます。
もう1点だけ。
各所の記事や議論を読んでいて、「こんなのを信じちゃう人には科学の基本からちゃんと教え込まないと」的な発言を多く目にしました。学校教育に限定した話であれば有意義かとは思いますが、それを一般の人々に向けて行おうという話であればその考えは捨てた方が良いと思います。
なぜなら、教育というのは教える側と教わる側の目的が一致して初めて成り立つと思うからです。学ぶ気がない人間に無理やり何かを教え込もうというのは、一言で言えば傲慢であり反発を買うだけだと思います。
なんだか纏まりの無い文章になってしまいましたが、最後に。
田崎先生のテキストを読んで気になった点については、レポートの形に纏めて私信として後日お送りしようと思っています。先生は前エントリのコメント欄にて、

「一つのバランスを達成していると思っているので、大きな変更はしないと思います。」

とおっしゃっていましたが、「一つのバランスを達成している」というのは私も同感です。
ですから、修正等を求める意図は毛頭ありませんが、何かのご参考になればと思う次第です。
この話題をエントリで取り上げる事はおそらくもう無いと思います。まったく議論が噛み合わなかったのは少々心残りでしたが、お騒がせして申し訳ありませんでした。これも「書き手のリテラシー」の問題ですね。以後、自戒します。

『「水からの伝言」を信じないでください』と言うのならやるべき事は一つだろう?

※当エントリーには、『「水からの伝言」を信じないで下さい』の著者である田崎晴明先生、並びにその関係者各位の皆様に対して不快感を与える表現があります。その件につきましては こちらのエントリー にてご本人に謝罪しています。


『「水からの伝言」を信じないでください』 という記事がはてなブックマークで人気になっていたので読んでみた。
元ネタもツッコミどころ満載なのはその通りだろう。しかしこの反論記事もけっこう粗雑な論理だと思うのだがぶくまコメントを読むと絶賛ばかりでちょっと萎えた。唯一、id:ipsychic氏のコメントにあった

今,現に信じている人にはまったく効果が無い駄文。

というのに同意。結局この記事は、「ハナから信じてない人」が溜飲を下げる程度の説得力しかない。
「水からの伝言」がインチキだと客観的に証明するには、反証実験しかあるまい。やるべき事はそれ一つだ。それが「科学的立場」というものだろう?なぜそれをしない?
著者の田崎氏はその疑問に対する答えをちゃんと先回りして用意してある。しかし何度読んでも意味が判らない。長文で恐縮なのだが、以下抜粋。

たしかに、科学の基本は実験です。今の科学は、これまでの数多くの実験や観察で得られた事実をもとにして作られています。
だからといって、すべての考えを、いつでも実験して確かめなくてはいけない、というわけではないのです。科学の知識がある程度まで増えてくると、新しく実験しないでも、何がおきるかが、ほぼ確実に、わかるようになります。過去の実験の結果についての知識と、総合的な理論をもとに考えることができるからです。たとえば、「あしたの朝、太陽はのぼらない」と言われても、これまで太陽がのぼってきたという観察事実と、なぜ太陽がのぼるのかという天体の運動についての知識を組み合わせれば、「いや、あしたも太陽はのぼる」と言いかえすことができます。
「水からの伝言」についても同じようなことが言えます。これまで、科学の長い歴史の中で、水を使ったさまざまな実験がおこなわれています。その結果、水のもっている性質が、言葉や人の心の影響を受けないことが、ほぼ確実に、わかっています。そのことは、水やさまざまな物質のふるまいについての物理学の理論から考えても、なっとくできることです。
上で書いたように、「水からの伝言」の「実験」はまったく信頼できないものですから、それが「本当でない」というために、新たに実験をする必要はないのです。
もし、「実験に対しては実験で反論するのが科学のルールじゃないのか?」と思われている方がいらっしゃれば、それは、まったくの考え違いです。上のような事をていねいに書いたのは、ほとんどの読者のみなさんが(そして、「水からの伝言」の実験をしている人たちが)科学者ではないからです。もし、これが科学者どうしであれば、話は単純です。これまでの考えとは違う新しい説が本当かどうかが問題になるときには、新説をだしている科学者の側に、説得力のある証拠をだす責任があります。仮に(私は、そうは思っていませんが)「水からの伝言」に「科学のルール」をあてはめていいとすれば、「ともかく、温度と過飽和度を一定に保ち、全サンプルについての統計を取ってください。話はそれからです」で終わりです。

この後、「もっと詳しい説明」というリンクがあるのだが、さらに長文なので割愛。
というか、全体的に文章長すぎ。これ全部読む人って最初から共感しまくってる人だけじゃないか?
で、信じたい人から見れば「なんかこの学者さん必死杉」と見えるだけで長文は逆効果でしかない。
結局言い訳をつらつら並べているだけで「反証実験が出来ない」理由など一つも挙げていない。
やればいいじゃん反証実験。
その結果を示すだけで、ごたくを並べなくとも完膚なきまでに否定できるじゃん。
元ネタと同じだけの労力を使う必要はない。田崎氏は物理学者だけあって、元ネタの実験条件に問題がある事をその前段で指摘しているわけだから、より管理された実験条件を整えればもっと効率よく結果が得られるわけだ。
”一週間これこれこういう環境化で「ありがとう」「ばかやろう」と浴びせ続けましたが、これだけのサンプルを取ってみても結晶構造に変化はありませんでした。”
それで「万事終了」じゃないか。
「そこまでする必要はないだろう?」と言うのなら、似非科学蔓延による弊害も「その程度」という事になる。
他にも、文章として粗雑な部分が散見される。
特に多いのが、「元ネタの実験は信頼性が低い」事しか証明していないうちから「間違っている」という結論を論拠に持ち出しているパターン。
例えば以下の部分。

本当にそうでしょうか? 教えたいことが正しいとしても、本当ではない「実験事実」を本当だといって(つまり、ウソをついて)教えてしまっていいのでしょうか? 実は、このような「実験事実」は本当ではなかったと、あとになって生徒たちが知ったとき、その授業についてどう考えるでしょう?

”本当ではない「実験事実」”、”つまりウソをついて” とさりげなく断言しちゃってる。
その前段ではそこまで証明しきれてないのに。

そういう、ばらつきの大きい結果がでてくると、実験している人のちょっとした思いこみと一致するような結果だけが選ばれて、まるで意味のある結果がでてきたように見えてしまうことが多いのです。

一般論としてはよく理解できるけど、これも根拠の無い憶測でしかない。「水からの伝言」で恣意的な選択が行われた事を客観的に証明するには前に戻るが反証実験以外にない。
きりがないのでこのへんで止めておくけど、結局「結論先にありき」という意味ではこの反論記事も元ネタと同じ。
要するにこのエントリーで何が言いたいかというと、いちゃもんをつけるのが目的ではなくて、リテラシーだなんだと言っても結局人は「信じたい記事」に対してガードが甘くなるんだなーという事。
「だまされないぞ」という想いが強い人は「○○に騙されるな」という類の記事に対してガードが甘くなる。
それって別に悪い事ではない。むしろその方が人間らしい。
でもそういう傾向を誰でも持っているという事をちょっとは自覚しておいた方がいいと思った次第。


[追記]
コメント欄やぶくまコメントにちょっと返答します。
そもそも、科学者がなぜ「似非科学」を批判するかというと、「科学の体裁をとって」間違った知識を蔓延させるから、でしょう?
単なる宗教的思想であれば、それは少なくとも「科学者」が問題にすることではない。
だから、科学者がやるべき事は、似非科学の「科学的に間違った部分」を客観的に証明することであって、「非科学的な事を信じる全ての人々を翻意させること」ではないのです。ここ重要。
似非科学は科学の体裁を装っているだけで「科学ではない」のだから、それが社会的にさほど害が無いのであればスルーすればよいだけだし、社会的な弊害が見過せないレベルのものであればその時はキッチリと叩くべき。それだけの話。
で、いざ「キッチリ叩く」となった時に、「新規なことを主張する側が立証責任を負う。」などと「科学者の論理」を持ち出すのはナンセンスこの上ない。相手はそもそも科学者ではないのだし、それよりも「科学者側から反証実験はしない」と言われて一番喜ぶのは似非科学を提唱する側だから
原理原則を理由にして敵を喜ばせてどうする。つくづく学者というのはケンカが下手だ。
「水からの伝言」の話で言えば、
「良い言葉、悪い言葉の定義」「結晶の美醜の判断」は問題ではない。
言葉の善悪に関しては「ありがとう」「ばか野郎」という具体例がでているのだから、それを使って実験すれば反証には十分。
結晶の美醜にしても、「言葉の波動は結晶に影響を与えない」事を証明できれば事足りるのだから、美醜はそもそも問題にはならないはず。
というか、科学者の皆さん是非反証実験をしてください!今まで無関心でしたが俄然興味が沸いてきましたw

『初恋の嵐』というバンドを知っていますか

YouTubeでJ-POPの音楽を適当に漁っていたら、思いがけず『初恋の嵐』のデビューシングル、『真夏の夜の事』のPVを発見してしまった。4年前の記憶が蘇った。また何度も繰り返し見てしまった。
もちろんご存知の方にとっては私の解説など不要だろう。しかし、まだこのバンドを知らない人が多いのではないかと思い、突発的にこのエントリーを書いている。
この曲が発売された当初、ヘビーローテでこの曲ばかり聴いていた。
ボーカル、ギター、ソングライティング担当の西山達郎を中心とするスリーピースバンド『初恋の嵐』は、2002年にメジャーデビューし、1枚のシングルと1枚のアルバムを残した。
2000年頃からインディーズでの活動で着実に人気を獲得していった彼らはユニバーサルと契約し、2001年からレコーディングに入った。
しかし、2002年3月、バンドの中心メンバー西山が急性心不全で急逝する。
レコーディングは頓挫。しかし、全国のファンから寄せられたリリースの要望を後押しに残るメンバー、スタッフが音源を引継ぎ、アルバムを完成させた。
曲だけ聴いても素晴らしい。PVだけ見ても秀逸。
しかし、その裏にあるエピソードを知り、さらにこの曲の歌詞が持つ世界観に気付いた時、感動が倍化する。
メンバーの急死、それを信じたくないファンの思い、日本人独特の哀愁漂うメロディ、想像と現実が交錯する歌詞の世界観、その世界観を見事に再現したPVの絶妙な演出。
幾多の要素が折り重なって、奇跡の名曲に仕上がっている。
J-POPには、ヒットチャートに現れない隠れた名曲がある。この深い味わいを堪能して欲しい。

YouTubeで見るPRIDE・K-1名勝負Best5

YouTube独断Best5シリーズ第2弾。
最初はPRIDEだけでBest5選ぼうと思ってたけど、ドリームステージがガンガン削除依頼だしてる事もあってPRIDE系はちょっと品揃えがイマイチ。急遽、K-1込みに。格闘技ファンならずとも必見の映像集です。


5位– PRIDE8 イゴール・ボブチャンチン vs フランシスコ・ブエノ
初期PRIDEの伝説のKO劇。PRIDEの凄さを象徴する試合としてトレイラー映像等でも一時期使われまくった。特にこの映像のラスト、ブエノの表情を正面から捉えたスローモーション映像を見ればその破壊力が判る。

4位– Dynamite(2002) アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ vs ボブ・サップ
ボブサップをただのデクの棒だと思ってる人は必見。
当時、世界最強のヘビー級格闘家として最盛期を迎えていたノゲイラに、まだ無名だったボブサップが挑んだ試合。サップは単に「大きい」だけのイロモノ的位置づけでノゲイラの圧勝と思われたが、常識外れた身体能力とモチベーションの高さでノゲイラをあと一歩のところまで追い詰めた。これはボブサップのベストバウトだろう。
セコンドにはジョシュバーネットが付き、練習量豊富でよく体が動いていたし、ハングリー精神に満ちていて闘いへの気力も充実していた。
ノゲイラ戦でコアな格闘技ファンの注目を浴びたサップは、この直後K-1に乗り込んで稚拙な打撃技術にも関わらずパワーだけでアーネストホーストをKO。格闘技の常識を次々とぶち壊し、一躍スターダムにのし上がった。今では酷い体たらくだが、この年のサップは本当に強かった。

3位– K-1(1997) フランシスコ・フィリオ vs アンディ・フグ
当時、極真空手最強の呼び声が高かったフィリオがK-1に初参戦した試合。
片やアンディ・フグは前年K-1グランプリを初制覇して最も好調だった時期。極真時代のフグとフィリオの因縁もありこの試合はおおいに注目を浴びた。試合はまったく腰の入っていないパンチ一撃でフィリオがフグを衝撃KO。
スローモーションで見るとホントに腕だけのパンチなのに喰らったフグの頭蓋骨の揺れが凄い。
フィリオはこの年勢いにのってK-1グランプリ本大会にも参戦。1回戦のサムグレコ戦もワンパンチKO。フィリオの余りの強さに、K-1ファンはマンガの世界を目の当たりにしたかの様なロマンに酔いしれた。準決勝でアーネストホーストに判定で敗れたが、当たれば一撃で決まってしまうという緊迫感が試合を最高に面白いものにした。2000年には、今度はジェロムレバンナがこのフィリオを一撃で壮絶KOし、「千年に一度のKO劇」と語り継がれる事となる(映像があればバンナvsフィリオを3位にしたかった)。
フィリオが全盛期だった頃は、K-1が最もエキサイティングな時代だったと思う。

2位– K-1パリ大会(2002) ジェロム・レバンナ vs マーク・ハント
前年のK-1グランプリで優勝候補筆頭だったバンナは、一回戦でハントに破れ、結局ハントがグランプリの覇者となった。この試合は、バンナにとっては地元パリに凱旋してのリベンジマッチであり、絶対に負けられない試合だった。
特に2ラウンドはK-1史上に残る壮絶な打ち合い。個人的には、これがK-1最後の名勝負と思う。
昨今のK-1にはこの当時の輝きはもはや無い。

1位– PRIDE21 ドン・フライ vs 高山善廣
文句無しで、日本格闘技史上のベストバウトと思う。ホンモノのド突き合いとはこういう事だ。何度見ても感動する。マジ凄すぎ。
一流は一流を知る、とでも言おうか。二人とも真のプロフェッショナルでエンターテイナーでもあるからこそこんな試合になったと思う。
正直、高山ってそんなに好きじゃなかったのだが、この試合ですっかり評価が変わった。高山はその後、ハードな試合内容の蓄積が影響したのか、脳梗塞で倒れる。
2年の休養リハビリを経て今年7月現役復帰した。

PRIDE, K-1には他にも名勝負がたくさんある。
YouTubeに映像が無かったり、尺が長すぎて今回取り上げなかった試合もある。
いろいろ悩んだけど、1位だけは絶対(笑)。
ちなみにこのBlogのTOP画像で睨みを効かせているのはドン・フライだったりする。

24年前の「薬物オレンジ事件」の情報がネットに少な過ぎるので詳しく書いてみる

ここ10日ほど、亀田騒動でネットもマスコミも騒然といった感じだった。
で、その文脈の中で、しばしば24年前の「薬物オレンジ事件(毒入りオレンジ事件とも言われる)」が取り沙汰されている。
亀田興毅も所属する協栄ジムが起こした日本ボクシング史上に残る一大スキャンダルなので、その事件の名が挙がるのはまあ当然なのだが、何に驚いたって、肝心の「薬物オレンジ事件」騒動についての詳細な情報がネット上にほとんど皆無な事。Googleで検索すればそれなりに件数はヒットするものの、どの記事を見ても情報が少なすぎるし、明らかな間違いもあったりで、事件の内容を詳しく知りたいと思っても全然情報が得られない。
例えば、はてなキーワードの「毒入りオレンジ」の項の記述はこんな感じ。

日本ボクシング史上最悪と言うべきスキャンダル。
1975年3月4日発売「週刊文春」で故金平正紀協栄ボクシングジム会長が具志堅用高の防衛戦の相手に薬物を混入したオレンジを食べさせたと糾弾し騒動になった。

まず、基本的な誤りとして、このスクープを週刊文春が報じたのは1975年じゃなく1982年。
[追記]
はてなキーワードの記述が1981年に修正されてた。でも正しいのは1982年。
あと、ここが重要なのだが、薬物混入の対象となった相手選手の名が明記されていない。実はこの「相手選手」が超重要なのである。このあたりをキチンと考察すると亀田騒動との関連も良く判るのだが、相手選手の実名を挙げた上でこの事件について詳細に解説しているサイトは私が探した限りでは一つも無かった。
これはいけない。この事件について何かテキストを残さなければ、という衝動で、このエントリーを書こうと決めた次第。
前置きが長くなったが、本題に入ろう。
まずは このリンク先を見ていただきたい。ビデオリサーチ社が発表したボクシング中継の歴代視聴率TOP10である。先日の亀田戦は視聴率歴代2位にランクインしている。では亀田でさえ超えられなかった視聴率歴代1位の試合は何か。
1978年5月7日の具志堅用高vsハイメリオス戦である。
そして、この試合こそが、協栄ジムが相手選手の食物へ薬物混入を画策した(と言われる)最初の試合なのだ。
まず、この試合の背景を簡単に解説しよう。
具志堅にとってはハイメリオスとの2度目の闘いであった。
両者による最初の試合は、具志堅のタイトル初防衛戦(1977年1月30日)。
具志堅が序盤にダウンを奪われ、その後も決めてを欠いたまま判定にもつれ込み、結局僅差の判定で具志堅が勝った試合であった。
試合後、具志堅の両目は大きく腫れ上がりどちらが勝者か判らない様な苦しい試合だった。
ハイメリオスはこの階級の初代世界王者でもある超実力者だった。間違いなく具志堅の対戦相手の中では最強だった。
その後は具志堅も危なげない強さで防衛を重ねた。そして、5度目の防衛戦として再びこのハイメリオスと戦う事となったのである。
日本が誇る若き天才ボクサーが、唯一大苦戦をした相手とのリターンマッチ。それが高視聴率の要因となったのだ。
結局、歴代最高視聴率を記録した具志堅vsハイメリオスのリターンマッチは、13ラウンド具志堅がKOでリオスをマットに沈めた。
具志堅はその後防衛記録を13回まで伸ばし、日本を代表するボクサーとして歴史に名を残した。ハイメリオスはこの後一戦だけして現役を引退する事となる。
[追記]
※正しくは、具志堅戦直後に引退し1992年にカムバックして2試合戦った様だ。
そして、この試合からおよそ4年後、協栄ジムによる薬物スキャンダルが週刊文春に報じられ世間は大騒ぎとなった。
当時私は中学3年だった。具志堅の世界タイトルマッチは全てリアルタイムで見ていたから、このスキャンダルはかなりショックだった。
この薬物疑惑の発端は、具志堅vsハイメリオス再戦の際、協栄ジム金平正紀会長がリオスの宿泊先ホテルの料理長に働きかけステーキに薬物を混入させたという内容だったと記憶している。だから当初は薬物オレンジではなく薬物ステーキ疑惑だった。
ちなみにこれが「薬物オレンジ事件」と言われる様になったのは、一連の疑惑追及の中で金平会長が渡嘉敷勝男選手の対戦相手である金龍鉱にオレンジを贈っていた事が発覚して、話題の中心がそちらに移っていった(疑惑発覚当時渡嘉敷は現役世界チャンピオンだったが具志堅は既に引退していた)為と思われる。
誤解が無い様に強調しておくが、具志堅用高は本当に強いチャンピオンだった。同階級の中では間違いなくその実力は頭抜けていた。先の歴代視聴率TOP10を見れば、半分の5試合が具志堅の試合である。それだけ見るものを納得させ、熱狂させたのだ。
『薬物オレンジ』スキャンダルの真相は今もって闇の中ではあるが、仮に本当だったとしても具志堅の戦績が不正に依拠した偽りのものだったとは思わない。薬物に頼る必要など基本的にはなかった。
しかしだからこそ、金平会長が薬物投入を思い立ったのがハイメリオスとのリターンマッチであったというのは、かなり説得力があったのである。
だから、「亀田はランダエタと再戦してきっちり勝てば良い」という意見には素直に同意できない。
両者の再戦がもし実現すれば、状況は具志堅vsハイメリオス再戦の時と酷似する。
具志堅vsハイメリオスの2度目の闘いは、歴代一位の視聴率と日本ボクシング史上最悪のスキャンダルを生んだ。
亀田vsランダエタの2度目の闘いは、果たして何を生むのだろうか。