ブラックマヨネーズの漫才に関する考察



昨年のM-1ではブラックマヨネーズがグランプリだった。
昨年は総じてレベルが高かった様に思うが、その中でもブラックマヨネーズは飛びぬけていたと思う。
そして、審査員だった大竹まことの発言(via Wikipedia)

「オーソドックス(な漫才)の凄さに吃驚した。別に新しいことをしなくても十分面白いことを再認識した」

という賞賛を私も違和感無く聞いていた。
しかし、最近YouTubeでブラマヨの漫才を幾つか見ていて、気付いた事がある。
彼らの漫才はやっぱり「新しい」んじゃないか、と。
ブラマヨの現在の漫才スタイルについては、やはりWikipediaからの引用が判りやすい。以下抜粋。

2005年からぼやき漫才のような形をとって、世の中の色々なことに対して吉田が不満を漏らし、小杉が「こうしたら良い」と案(最初は妥当な案だが徐々に無茶な案になる)を出し、それに対して吉田が的外れな文句をつけて笑わせるという芸風をも取り入れている。これは2005年初頭、吉田の「ラジオのようなフリートーク形式の漫才がやりたい」と言う提案から、二人の前に真っ白なノートを置いてその場の思いつきの会話形式でネタを作り書き込んでいったのが始まり。ちなみに、ネタの終盤あたりで興奮気味にツッコミをする小杉の顔に吉田がビンタをし、ネタの最後では必ずといっていいほど小杉の問いかけに対し吉田が皮膚科関係のことを言い終了する。

YouTubeではM-1時の映像が削除されてしまった様だが、以下の映像で典型的な彼らのスタイルを確認できる。
(いずれもM-1グランプリ直後の映像の様だ。)
http://www.youtube.com/watch?v=YZ17HVBre1g
http://www.youtube.com/watch?v=hDURdmSV4DU
「ハゲ」と「ブツブツ」という、あまりにベタなキャラ設定。きっちりパターン化されたネタの展開。
これらの要素が、ブラマヨ漫才が「オーソドックス」な印象を与える要因だろう。
しかし、それらは「カムフラージュ」だったのだ(なんだってー)
「新しい」漫才の代表格といえば、笑い飯が思い浮かぶが、ブラマヨの漫才にも実は笑い飯と同様の新しさが内在している。具体的には、日本のお笑いにおける基本中の基本「ボケ-ツッコミ」スタイルからの脱却である。
笑い飯が「Wボケ」というスタイルで、文字通りボケ-ツッコミそのものを破壊しているのに対し、ブラックマヨネーズは巧みにボケ-ツッコミを倒錯させる事によって、客も気付かないような「新しさ」を体現している。
ブラックマヨネーズのボケ担当は吉田敬(ブツブツ)で、ツッコミ担当は小杉竜一(ハゲ)である。
誰の目から見てもコテコテのボケ-ツッコミである。どこが倒錯やねんと。そう思われるかもしれない。その通りです。ごめんなさい。でも違うんです。
話が少し逸れるが、今の漫才はダウンタウンの存在無くして語れない。
ダウンタウンによる笑いは、日本のお笑い界に様々な「革命」をもたらしたと思うが、その1つに「浜田スタイル」と言っても過言ではない過激なツッコミがある。
ダウンタウンがもたらした新しさは、むしろボケ-ツッコミを必要以上にデフォルメする事による面白さである。そしてそれは最早新しさと言うよりは「定番」になりつつある。
浜田のツッコミはある種暴力的である。無駄にバイオレンス。
ケリを入れるのは当たり前、時に松本の鼻を摘んで左右にシェイクする。思い切り頬に平手を見舞う。ネクタイを引っ張って締める。やりたい放題である。その余りの突飛さに客は驚き松本も驚く。
それが新鮮な笑いを生む。そしてそれに影響を受けた若手芸人は多い。チュートリアルの福田も徳井の顔を思い切り平手打ちする。そして、ブラマヨも吉田が思い切り小杉の顔を張るのがお約束である。
興味深いのはブラマヨの場合、ボケがツッコミを張るという事だ。ここに「倒錯」の鍵がある。
ここでまず1つ指摘したいのは立ち位置である。
漫才におけるボケとツッコミの位置関係だ。
左に立つのは誰か。
ダウンタウンであれば松本人志であり、
やすきよであれば、横山やすしであり、
ツービートであればビートたけしであり、
フットボールアワーであれば岩尾望であり、
チュートリアルであれば徳井義実であり、
アンタッチャブルであれば山崎弘也である。
しかしブラックマヨネーズの場合左に立つのは(ツッコミの)小杉である。
左にはボケが立つ、というルールがある訳ではないのだろうし、実際ボケが右に立つコンビもブラマヨだけではない。しかしブラマヨの場合特別な意味がある様に思える。
「浜田スタイル」の蔓延に伴って漫才を見る客は
「右の人間が左の人間の頬をビンタする」
構図に慣れている。
そしてブラマヨの場合も立ち位置を逆にする事によってこの構図を守っているのだ。だから違和感が無い。
いや、違和感が無い理由はそれだけではない。そもそも吉田は本当にボケなのだろうか?
漫才の序盤、吉田の「でもなぁーー」からお約束のぼやきが始まり、小杉がツッコむというやりとりが続く。典型的なボケツッコミである。客はここで、吉田がボケで小杉がツッコミである事を確認しインプットする。
しかし、2人のテンションの上昇に伴い、よくよく聞くと吉田の口調は完全に「ツッコミ」のそれになっている。ブラマヨの漫才はWボケならぬ「Wツッコミ」なのだ。もうちょっと正確に言うと吉田のボケは「本人はツッコミになったつもり」という新しいボケなのである。メタ視点で初めてボケツッコミが成立しているという。だからこそ相手を「ビンタ」しても違和感が無いのである。客が序盤にインプットした「ボケ-ツッコミ」の認識がいつのまにか無意識のうちに揺さぶられているのだ。
JAZZ界の巨人マイルスデイビスは、晩年競演したプリンスについて
「本当の天才は才能をひけらかさないもんだ。プリンスはまさにそういう男だ。」
と評した。
ブラックマヨネーズの勝因は、客に「新しさ」を全く意識させなかった事にあると思う。
どうしても「斬新さ」を客に意識させてしまう笑い飯との差はそこにあった。
今年のM-1も明日に迫った。1年は早い。今年はどんな笑いが見られるのか、今から楽しみだ。

「ブラックマヨネーズの漫才に関する考察」への4件のフィードバック

  1. >「ハゲ」と「ブツブツ」という、あまりにベタなキャラ設定。きっちりパターン化されたネタの展開。
    >これらの要素が、ブラマヨ漫才が「オーソドックス」な印象を与える要因だろう。
    違うと思う。
    大竹まことが言った「オーソドックス」とは、むしろ貴方が「新しい」とおっしゃった「Wツッコミ」のことを指してるんじゃないかな? つうかwikipediaに書いてる「ぼやき漫才」って概ね「Wツッコミ」のことを指してるんじゃないの?
    ブラックマヨネーズの漫才を見てると大木こだま・ひびきとかぶって仕方がないんだけど。

  2. ブラックマヨネーズってやっぱりすごかったんだ。

    遅まきながら、M-1のチュートリアルのネタを見た。そりゃ、十分面白かった。ただ、

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