タイムマシンで時間を超越し、どこでもドアで空間を飛び越え、タケコプターで空を自由に飛び回り、暗記パンで天才になる….
ドラえもんとは、人間が持つ底なしの「欲望」の象徴。
それがかろうじて、夢のある物語になったのは、藤子不二雄の絶妙なキャラクタ設定に拠る。
ドラえもんが私欲のない「ロボット」である事。
そしてのび太がどうしようもなく無能である事。
この2点が無ければ、ドラえもんは子供向けアニメとして成立しなかった。
ドラえもんが人間で、自ら進学し就職していく立場だったら…
もしくは、のび太が抜群に頭の切れる野心家だったら…
とても少年少女にオススメできるようなストーリーにならないのは想像に難くない。おそらく生臭くって見てられない。
その「生臭さ」は、全ての人間が持つ「欲望」が発する腐臭である。間違いなく、人は多かれ少なかれその腐臭を発しているのだが、出来ればその事実を認めたくないのが普通だ。
誰だって、自分の体臭がキッツイ事に気付けばヘコむ。もしくは少しでもその匂いを軽減しようと思う。
ホリえもんは、その「欲望」に対して類稀なる「素直さ」を持った人間だったのだと思う。「欲望」に対してあまりに従順な言動故に、ある者は心酔し、ある者は嫌悪した。
結局シンパにしてもアンチにしても、どちらもホリえもんを通して自らの「欲望」を見たという点では同じだ。
彼を認めれば、自らの「生臭さ」を認める事になる。多くの人を苛立たせ、また感情的にした本質はそこにあるのだと思う。
ドラえもんが欲望の「象徴」だとすれば、ホリえもんは欲望の「権化」だ。
おそらく「ホリえもん」という呼び名はただ単に小太りの風体からだけ由来するものでは無いのだ。「金」という異次元ポケットを手にした生臭いドラエもん。「ホリエもん」とは、今更ながら実に上手い事名付けたものだと感心する。
「カネで手に入らないものは無い」
それは100%の真実では無いにせよ、ある程度「真理」である。だからこそ多くの人間がこの言葉に過剰反応したのだ。私から言わせれば、収入格差をもって「勝ち組」だの「負け組」だの言う連中は皆ホリえもんと同類である。ホリえもんの価値観を否定するのであれば、億万長者の「負け組」も、一文無しの「勝ち組」だっているという事を認識できなければおかしい。
犬にかぶらせろ:ほりえもんというブロガーの最期という記事は、ホリエもんの欲望に対する「素直さ」をウィットに富んだ表現で実に上手く指摘していると思う。以下抜粋。
がんばって書いたエントリーがカトゆー家で取り上げられアクセスが伸び、その感覚が忘れられずまた気合の入れたエントリーをアップ今度はTBNや朝目新聞にも取り上げられる。そうなると、すっかり有名ブロガー気取りでもうその感覚が忘れられなくなるわけだ。で、次はもっとがんっばって書くんだけどそうそう取り上げられないもんだから事件は起きる。嘘を書いたり、他人を攻撃する内容を書いたりするわけだ。
それでも取り上げられなくて自分のエントリーを自分でブクマ(粉飾決済)してしまう場合もあったり。
いってみればブロガーの欲望。
この例えは的を射過ぎてるよママン。
多かれ少なかれ、どんなブロガーも「ブロガーの欲望」という腐臭を漂わせている。
まったくもって、人間ってやつあ醜悪だ。だから面白いんだけど。