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自作音源を販売する為の音楽系アグリゲータまとめ(2009.2)

先日お伝えした通り、音極道名義のiTS配信が無事始まった訳ですが、配信の際どのアグリゲータを選択するか、というのが自分にとっても非常に悩みどころだったので、エントリとしてまとめておきます。 “iTunesStoreに曲を配信できる”アグリゲータ、というのを一つの目安にしてピックアップします。

[国内]

  1. BounDEE

    近年台頭著しいアグリゲータらしく、サンレコ2009年2月号の特集記事でもしょっぱなに紹介されてました。WEBサイトを見る限り、アグリゲータというより殆ど『レーベル』化してる印象。スペースシャワーTV系列の資金力をバックに、米国大手アグリゲータであるIODAと業務提携するなど大掛かりなビジネス展開。
    BounDEE取締役である福岡智彦氏のサンレコインタビューを読んでも、意図的に「レーベル」的役割を担っていこうという理念が読み取れます。
    国内アグリゲータとしてはおそらく一番充実した流通ルートを持っていると思われます。特にIODAとの提携によって、海外へのリーチはヘタなメジャーレーベルより強いでしょう。そこが最大の魅力。短所は、良くも悪くも発想が既存の音楽レーベルに近いところ。自分はそれが理由で選択しませんでした。配信時の利益配分率や流通ルート等、ミュージシャンにとっては情報開示が少なすぎるのも気になるところです。でも多くのプロを目指すミュージシャンにとっては超有力な選択肢の一つでしょう。


  2. viBirth

    2007年11月スタートのアグリゲータですが、2008年7月にMySpace公式ストアとしてリニューアルし、俄然注目を浴びるようになりました。
    アーティスト登録すると、月額¥3150で30GBまで曲ファイルをUP可能。viBirthが確保する流通ルートから配信したいサイトを選ぶと審査手続きをviBirthで代行。晴れて審査が通れば販売登録申請や権利処理、支払等すべてviBirthが代行するというシステム。ライツスケールが運営パートナーとなってます。運営会社は(株)ブレイブで、株式の60%を(株)フェイスが持ってますが、タイトーやスクウェアエニックスが資本参加しているあたりが興味深いです。販売サイトはiTunesStoreのほか、Napster、GIGA MUSICフル等。
    やはりなんといってもMySpace公式というのが最大の強みでしょうか。iTSの場合で利益配分56%というのも良心的な部類と思います。月額¥3,150を高いと見るか安いと見るかですが、1年で¥37,800、一方でリリースする楽曲数の制限が無いので、多数の曲を配信する程、1曲あたりのコストは下がります。年間30曲リリースした場合、1曲あたりのコストは年間¥1,260で、CDBabyまでとは言わないまでも、割高感はかなり軽減されます。


  3. Mind Peace

    最終的に音極道の楽曲配信に選んだアグリゲータです。国内アグリゲータでは老舗の部類に入ると思います。料金は一括プランと月額プランがあり、各プランでも内容によってさまざまなメニューになってますが、最安値のプランだと1曲月額¥150、年間¥1800で全提携サイトからの有料配信が可能です。一括だとライトS1というプランが年額¥15,000。このプランだと著作権管理はアーティスト自身となります。私が選択したのは、ライトL1という1年契約¥38,000で、提携先サイトの有料配信に加え、Amazonの陳列・発送までフォローしてくれる内容です。著作権管理も追加料金無しで代行してくれます。提携先販売サイトは、iTunesStore(Yahoo Japan Musicにもインデクスされます)の他、HMV★うたフル、CD販売先としてAmazonとなります。
    年額¥38,000は1年スパンで見るとviBirthとほぼ同額。viBirthでは楽曲数に制限なし(30GBの制限のみ)で、Mind Peaceは上限30曲。利益配分は卸値の90%(販売価格では無い)。こちらも良心的な配分と思います。
    正直viBirthとMind Peaceはかなり悩みました。結局Mind Peaceにした理由は大きく2つ。まず、携帯販売サイトであるHMV Mobileが3キャリア公式サイトであること。売れる売れないは別としても、日本でもっとも市場規模の大きい「着うた」市場でのマーケティングはどうしてもやっておきたかったというのがあって、提携先がDoCoMoに偏っているviBirthよりもMind Peaceの方がその意味で勝っていました。そして2つ目の理由は、自分がBounDEEを候補から外したのと関連するのですが、今後、様々な販売形態を試していこうとした時に、場合によっては無理なお願いをするかもしれない、そういった時に個別に相談できる関係を持ちたい、密なコミュニケーションが期待できるところが良いというのがあって、大資本がバックにない、インディペンデントな感じがCDBabyを彷彿とさせるMind Peaceになんとなく期待させるものがあったというのが決め手でした。そして(今のところ)十分期待どおりの対応をしていただいており、自分の判断は間違ってなかったと感じてます。
    ただ注意したいのは、原盤権を自分とMind Peaceとで共有する契約(ただし比率は99:1)になる点。著作権管理を代行してもらうと著作権も共有(99:1)という形になります。また、代行の場合は管理委託先はeライセンスに限定される点も注意。人によってはこれらの条件でNGという場合もあるでしょう。自分も悩みましたが、原盤権に関しては、アグリゲータと「密なコミュニケーション」を求める上ではむしろトレードオフとして必要かなと割り切りました。著作権管理については、とりあえず1stリリースがパブリックドメインな楽曲だったので良いとしても、今後に関しては保留です。場合によっては代行委託せずに著作権管理団体に直で依頼する道も検討中です。


  4. recommuni

    日本の音楽系SNSの草分け的存在。以前は完全招待性でしたが久々にアクセスしてみると普通に自分で登録できました。ちょっとまだ詳細を把握できてませんが、前述したサンレコ2009年2月号の記事には、レコミュニ内でのダウンロード販売に留まらず、「iTunesStoreや着うた&着うたフルサイトへのディストリビューションを委託することもできる」、との記述があります。


[海外]

海外のアグリゲータに関しては、既に先達の素晴らしいレポート記事が多数ありますので、それらの記事も併せてご紹介していきます。

  1. CDBaby

    まさに”WEBにおける個人音楽販売”のムーブメントを作りだした『源流』と言える超有名サイト。リンクは日本向けの窓口サイトです。CD販売がメインですが、iTunesStore等のダウンロード配信にも対応。詳しくは以下のリンク先の秀逸なレポートを読むのが一番わかりやすいと思います。
    iTunes Store デビューへの道(完結編)
    また、CDBabyという素晴らしいサイトがなぜ生まれたかが以下を読むとわかります。
    独立系ミュージシャンのサバイバルを助ける本物の漢


  2. TuneCore

    ダウンロード販売のみを考えるならこちらも有力な選択肢。ややコスト高という指摘もありますが、ロイヤリティが100%還元されるので販売数を多く見込めるアーティストであれば十分に相殺できるでしょう。TuneCoreに関してはtakeruiさんのエントリが参考になります。
    iTunesストアデビューだけならTuneCoreの方がよいんじゃないか。
    CDBabyかTuneCoreか – その損益分岐点


  3. IODA

    先述したBounDEEの提携先、サンフランシスコのアグリゲータ。直接IODAを利用する機会はあまり無い気もしますが、サイトを見るとそのポテンシャルが想像できます。BounDEE経由でこれらのコネクションが有効に機能するとすれば、かなりの魅力です。特にOur Partnersのページは、海外配信サイトのアーカイブとしても利用できそうな充実ぶりです。


  4. The Orchard

    米国の大手アグリゲータの1つですが、情報が少なすぎるので日本からOrchardを利用するメリット等はちょっと不明です。Tokyo Officeがある様な記述が見受けられますが詳細はちょっと不明です。すみません。


以上、ざっと名の知れたアグリゲータはとりあえずピックアップしてみました。おそらく2年後、3年後にはまた状況が大きく変わっているのかも知れません。
音極道としては、Mind Peaceとの1年契約を中心に、状況によってはCDBabyを併用した配信を模索していく予定です。

最後に、HMV★うたフルでの配信が無事始まったのでこの場を借りてご報告します!以下のQRコードからアーティスト検索結果画面に直接飛べます。
HMV検索ページQR

Amazon.co.jp ウィジェット

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「がくっぽいど」における三浦建太郎氏の対応は批判されて然るべき

初音ミクと同じ、YAMAHAのVOCALOID技術を採用した合成音声ソフト「がくっぽいど」におけるキャラクタ「神威がくぽ」のイラストを三浦建太郎氏が無償で手がけた。
(詳細については、ITmediaの記事を参照。)
この件について、有村悠氏の批判エントリー 「プロは無償で商品を作ってはならない」 が物議を醸している様だ。
私個人としては、「今回の」三浦建太郎氏の一連の対応には、おおいに問題があると思っている。そういう意味で、有村氏の見解を全面的に支持する。
しかしながら、有村氏のエントリーが妙に誤解を招きやすいというか、揚げ足を取られやすいというか、かゆいところに手が届いていない印象を持ってしまったので、少なくとも私が何故「三浦氏に問題がある」と考えるか、という点について言及しておきたい衝動に駆られた。その点だけ端的に述べておきたい。
まず、今回のイラスト無償奉仕のニュースを聞いて真っ先に感じた違和感は、
「ニコニコ動画の世界には無償で」という理由による無償奉仕にも関わらず、ニワンゴ及びニコニコ動画ユーザには1円たりとも恩恵が無い
という点だ。
結局その恩恵をこうむったのは本来対価を支払うはずだった発売元のインターネット社だけである。
それどころか、インターネット社は「三浦氏の無償奉仕」を美談として積極的に喧伝し、イメージアップのツールとして利用しているフシも見受けられる。イメージアップと言えば聞こえがいいが、正直言ってこれは今回の商品のメインターゲットであるニコニコユーザに対する徹底した媚びへつらいである。企業戦略としてはある意味当然だがちょっとやり方があざとすぎる。そして前述した様に実際にはニコニコユーザになんらメリットはもたらしていない。
三浦氏がどこまで自覚的であったのか、単に純粋な思いを発売元に利用されただけなのかは不明だが、どちらにしてもプロとしては脇が甘すぎるし、有村氏が指摘するような”悪しき前例”として今後さまざまな場面で利用されてしまう可能性も高い。
三浦氏が本当にニコニコ動画&ユーザに貢献したいと思うならば、例えばあらかじめキャラクタの全面二次利用許諾を宣言してしまうとか、いくらでも他にやりようはあったはずだ。逆に三浦氏がこの仕事の対価を受け取ったところで、それを問題視したユーザがいたとは思えない。
そもそも「自分はニコ厨だからニコニコ動画には無償で」という発想は、理由としては極めて感情的、端的に言えば「アマチュアリズム」である。もちろんそれは悪いことではない。むしろ人間味があって良いことかもしれない。
しかし、プロが仕事の場に「アマチュアリズム」を持ち込む時は慎重でなければならない。最低限のルールとして、それを公言しては(もしくは公言を許しては)アウトではないか。
定食屋のオヤジが知り合いにタダでメシを食わせたとしても、大勢の客の前で「タダでいいよ」と声高には叫ばないだろう。誰だってそのくらいのデリカシーはあるはずだ。三浦氏にだって、他の客は対価を払っているのだろう。そこに想いが至らないのであれば、やはりプロとしては軽率に過ぎる。
有村氏のエントリーに関して言えば、タイトルが「プロは無償で作品を作ってはならない」ではなく、「プロは無償で商品を作ってはならない」なところがポイントかな、と思う。
プロだって「作品」を無償で配布するのはよくある事だ。しかし、「商品」を無償で、とは普通言わない。そのあたりで今回の違和感をうまく言い表していると個人的には思った。

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日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている

森進一の「おふくろさん」を巡って、作詞をした川内康範が「歌詞を勝手に改変した」と激怒しているいわゆる「おふくろさん騒動」。
この騒動はいまだに収束していない様だが、この件に対する世論の反応が興味深かった。
一言で言えば「意外」だった。
まず、たまたま目にした幾つかのテレビ番組では、明らかに「川内氏擁護」の論調だった。それ以外の多数の番組でも、判断には踏み込まず単なる「揉め事」として面白がっている様なニュアンス。明確な「森進一擁護」の論調は見当たらなかった。
テレビ以上に意外だったのがネットの反応。ネットでも森進一擁護の論調はかなり少数派。
あのたけくま先生でさえ、明確に「川内氏支持」を表明
川内氏に批判的なスタンスなのは、自分が目にした限りでは小倉弁護士 くらいか。
日頃からラジカルな改変パロディを好み、JASRACなどの権利団体を露骨に嫌悪する2ちゃんねるの様な場でさえ森進一を明確に擁護する人は少数派に見受けられた。これにはさすがに驚きを通り越して閉口してしまった。
「なるほど、見事に洗脳されてるんだなー」と妙に感心してしまった。
本来あるべき著作権の議論から見れば、明らかにバランスを欠いている。このアンバランスさに全く違和感を感じない日本人は、知らず知らずの内に「ゆがんだ著作権意識」に洗脳されているのではないか。
必ずしも、川内氏を支持する事を問題にしているわけではない。どちらが悪いかの判断は留保したとしても、今回の騒動では「本来あるべき議論」が欠落している。
それは「具体的に森進一がどんなセリフを語り、その内容のどの部分が問題なのか」という検証だ。
この「洗脳」のカギは日本の著作権法にある。日本の著作権法が定める「同一性保持権」は国際的にみても特殊な内容なのだ。
日本の著作権法が持つ特殊性を端的に説明している記事がクリエイティブコモンズのサイトにあった。
【CCPLv3.0】著作者人格権(同一性保持権)に関する議論 より抜粋。

ここで、皆さんに理解していただきたいのは、世界的には、著作者人格権のうち同一性保持権は、日本の著作者人格権とは基準が異なる、ということです。日本の著作者人格権は、著作者の意に反する改変について同一性保持権を広く認めています。これに対して、世界的には、著作者の名誉声望を害する態様での改変に限って、同一性保持権の行使を認めている国がほとんどなのです。

国際的な著作権法のベースとなるベルヌ条約でも、同様の制限事項がある。
ところが、日本の著作権法にだけはこの重要な制限事項がポッカリと抜けている。結果として、日本の原著作権者は「自分の気に入らない改変は全て認めない」と主張できる、絶対的で不可侵な存在になってしまっている。
そして、実際問題「オリジナルは基本的に絶対で不可侵」だという感覚は、日本人の中に無意識のうちに定着していないか。裏を返せば、著作物改変という行為そのものに必要以上の罪悪感を感じてしまう意識。
もちろんその感覚は法遵守という意味では真っ当なのだが、そこに疑問を持てないほど定着してしまっているところが「洗脳」と表現した所以だ。
その感覚は、一見「クリエイティブ」を保護している様でいて、現実には、改変やパロディに内在する「クリエイティブ」を不当に軽んじてしまう事になっている。日本の著作権法がなぜこのような形になったのか、その経緯は知らないが、そこには誰かの意志があり、何らかの力学が働いている。
日本には、著作権者や権利団体が他国に比べて強硬に振舞える土壌がちゃんと培われていたのだ。
昨今の著作権法を巡る動きとしては、これとは別に著作権保護期間の延長という問題がある。
欧米にならって著作権保護期間延長を訴えるのであれば、同一性保持権に関しても欧米にならって制限を設けたらどうか。そういう議論であれば、今よりも有意義になるのでは。どこかにトレードオフが無ければ権利者にとって虫が良すぎるというものだ。
余談になるが、先にも挙げた小倉弁護士の記事にあるように、仮に森氏側に非があったとしても、JASRAC管理楽曲を、作詞者が歌手に対して「今後いっさい歌わせない」と主張できる法的根拠は無いようだ。だから現行法においても、川内氏の主張は度が過ぎていることになる。この川内氏の暴走を諌める論調がメディアからほとんど出てこないのだから、深刻だ。
いずれにしても、現行法における同一性保持権の「過度な権限」からまず手をつけない限り、日本はいつまでたっても著作権後進国のままのような気がする。


[3/6追記]
この記事は、「おふくろさん騒動」を素材に著作権について語るエントリーなので、「揉め事」としてのゴシップ的側面はスルーしてます。そこをご理解ください。
そういう意味で、「あえて空気読んでない」部分はあると。
もう少し言わせていただけば、ゴシップとしてのこの騒ぎは最早マスコミの「恣意的報道」の真骨頂なので、報道の論調をそのまま鵜呑みにするのは慎重な方が良いと思います。
PE’Zの「大地讃頌問題」との比較で言えば、例えば森進一がセリフの追加を、レコーディング時に行っていて、それを発売前に川内氏が差し止めた、という流れであればPE’Zの場合と同じになります。現行法においても、川内氏が主張できるのは、
「冒頭にセリフを追加するな」
までであって、セリフの有無に関わらず、
「この曲を歌うな」「おれの曲は今後歌わせない」
というのは、権限の範疇を越えているのではないでしょうか。
「上から目線」というのは、この記事に関しては自覚していて、しかしこの表現が一番言いたい事が伝わる気がしたのでそのままにしました。

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「ニコニコ動画(β)」とは結局何だったのか

ここ数日ネットではニコニコ動画の話題で騒然という感じだった。
大方議論は出尽くした感もあるが、技術的理解度のばらつきが余計な混乱や誤解を招いている様に見受けられるし、重要なポイントが見過ごされてる気もするので、ここまでの総括を兼ねて整理しておきたい(長くなる予感)。
まず、この件を知らない方の為にあらためて経緯をまとめてみる。

2007年1月15日 YouTubeやAmebaVisionの動画に任意のタイミングでコメントを付けられる
サービス「ニコニコ動画(β)」開始。大きな話題を集める。
※ちなみにニコニコ動画の試験サービスは2006年12月から既に行われていた。
1月31日 ニコニコ動画βの月間PVが早くも1億を突破
2月7日 ニコニコ動画βの投稿コメント数が1000万件突破
2月20日 この頃からニコニコ動画へのDDoS攻撃が断続的に行われる
2月23日 ニコニコ動画βサービス一時停止。アナウンス上の停止理由は、DDoS攻撃の激化だったが
その後、YouTubeからニコニコ動画ドメインに対するアクセス遮断が判明。
2月24日 ニワンゴがニコニコ動画βサービスの終了、新サービスへの移行準備に入る事を発表。
2月27日 ニコニコ動画停止を影響で、YouTube動画に字幕を付けられる同系統のサービス「字幕in」の
アクセスが急増。1日200万PVに。
なお、字幕inのサービス自体は、1月14日から既に始まっていた。
3月1日 3月5日よりニコニコ動画を再開すると発表。
YouTube対応は当面見送り、替わりに自前動画投稿サイト「SMILE」(仮)のサービスも開始すると発表された。

こうした一連の経緯を受けて、ブログ界隈でもこの話題で盛り上った。
特に注目を集めたのは、「ニコニコ動画はYouTubeにとって脅威だった」「アクセス遮断はYouTubeにとって失敗だった」といった論調の記事で、代表的なものは以下のエントリ。
ニコニコ動画とYoutubeとWeb2.0時代の終焉
Mind Clip ニコニコ動画がYouTubeに嫌われた本当の理由。
これらの記事に対するカウンタとして、昨日あたりからはてなブックマークでも人気になっているのが「最速インターフェース研究会」のエントリー
「ニコニコ動画はYouTubeにとって脅威になったのでアクセス拒否された」みたいな論調に話を持って行きたがる人たちについて
紹介は省くが他のブログにも興味深いエントリーが多数あった。
以上がこれまでの大まかな流れ。さてここからがこのエントリーの本題。


ニコニコ動画βの技術的考察

冒頭にも書いた様に、技術的な誤解が元で議論が拡散してしまった印象を個人的に持ってるので、まずその点についてちょっと整理したい。
ニコニコ動画βの実装において、重要と思われるポイントは以下の3点。

  1. 主要な機能は全てFlashで実現されていた
  2. サービスを(YouTubeとの事前交渉無しに)実現する為には、FLVファイルのURI取得(ぶっこ抜き)が必須だった
  3. FLVファイルのURI取得は、YouTube-APIでは提供されていなかった

2,3については、最速インタフェース研究会さん始め、幾つかのブログが既に指摘している通り。
またFLVパスの具体的な取得方法については、ニコニコ動画みたいなものを作ってみるテストと問題点 というエントリーでZAPAさんが実に丁寧な検証をされているので、興味のある方はそちらを参照されたし。
ここで補足しておきたいのは、スクレイピングという手法自体は必ずしも「不正」という訳ではないよという点。特に、API提供というトレンドが無かった頃のWEBにおいては当たり前に行われていた手法の総称で、そもそも「正しい」とか「正しくない」という範疇の話ではなくて、あくまで当事者間の利害関係によってケースバイケースで語られるべきもの。
だから「なんだ、やっぱニコニコ動画は不正なアクセスをしてたのか」みたいなリアクションはいささか過剰反応だし、逆に「アクセス遮断しやがった!」と逆切れできる程の正当性も無いよというレベルで捉えるのが丁度良いと思う。
[追記]
この部分は、「スクレイピング」という言葉自体をネガティブな意味だと解釈している人が見受けられたので、その点に関する補足として読み取って欲しい。
今回の「当事者間の利害関係」まで踏み込めば、ぶっこ抜き行為がYouTubeにとって少なくとも「ウェルカムではない」のは確かで、過去にflvパスの取得仕様が突然変更された事を考えてもそれは明らかだとは思う。しかし本当に「不正」ならばその時点でRimoもアウトなわけで、ここは早計な判断で結論を急ぐべきでもないと思う。
[追記ここまで]
それよりもここで強調したいのは、1の方。ニコニコ動画にしろ字幕inにしろ、Flash無しには有り得ないという点。ニコニコ動画βが短期間に開発を進められたのも、字幕inが個人の非営利サイトで実現できているのも、Flashというプラットフォームがそれだけのポテンシャルを機能として最初から持っていたから。
ニコニコ動画βを異常に過大評価しちゃってる人には、そこが伝わって無い気がした。
実際、Flashでの実装はある程度ActionScriptに精通した人であればハッキリ言って簡単だ。
その実証として、私もちょっとした「なんちゃってニコニコ動画」を作ってみた。開発工数は2時間。

Flash上のローカル変数にコメントの履歴20件分とその時のタイムコードを配列で残しているので、動画を先頭に戻して再生すれば、自分のコメントも時間軸に沿って再生される
(他人のコメントは当然残らない、念のため。また、ローカル変数なのでリロードすればクリアされる)
このサンプルではサーバサイド連携はしていないが、あとはこの情報をサーバサイドに飛ばしてDBに蓄積し、XML情報としてFlash側にフィードバックしてあげれば、それだけでニコニコ動画の仕様はほぼ実現できる。
動画は以前話題になったJRメドレーを選んでみた。
ちなみにコメント位置の縦座標はランダムにしているので、再生の度に位置が変わる仕様になっている。
動画再生中の定期的なタイムイベントをPlayerオブジェクトが生成し、それを受けるリスナーオブジェクトを登録して、その時のタイムコードをこれまたPlayerオブジェクトから取得、文字列オブジェクトを動画上にアタッチしてフレームイベントでアニメーション、などなど、必要な機能がいたれりつくせりなFlashだからこそ実現できる。
何が言いたいかというと、この程度の「マッシュアップ」の可能性は、YouTubeが配信プラットフォームにFlashを選択した時点で当然折込済みだったろう、という事。
今でこそFlash Video(flv)は動画ポータルにおける配信フォーマットの主流になったが、そもそもこの流れを作ったのがYouTubeとGoogleVideoであり、2005年当初は比較的マイナーな存在だった。
例えばGoogleにしても、GoogleMapをAjaxで実装した時「Flash採用を嫌ったのでは」という見解が支配的だった。それが動画配信ではあっさりとFlashを選択したのも、その圧倒的な可能性を見抜いていたからに他ならない。
つまり、彼らの先見性にやっと時代が追いついてきた、というのが昨今の状況であって、ニコニコ動画が秀逸なサービスである事に異論は無いにせよ、「YouTubeがニコニコ動画に脅威を感じた」とまで言ってしまうのは、いささか欲目が過ぎるのではないかと思う。
ちなみに、Flashファイル上の動的テキストが検索にヒットする事は無い。そもそもSEO的にFlashは不利というのが定説で、ほぼ画面全体がFlashで覆われていたニコニコ動画βは、Player部分のみFlashを採用しているYouTubeと比べても検索との親和性は低い。


ニコニコ動画βが「画期的」だった点

ニコニコ動画が「画期的」だった事に疑問の余地は無いと思う。特に「これはスゴイ」と感じたのは異常なまでの「コメントする時の障壁の低さ」だった。
2ちゃんねるに書き込んだ事はいまだに無いが、ニコニコ動画には仕様確認も兼ねて何度かコメントしてみた。
で、実際コメントしてみて驚いたのが、その「気楽さ」だ。
どんな場違いなコメントも、あっという間に流れていく。誰も自分のコメントなど気に留めていない。そのくせ、妙な一体感が醸成される。そもそも書き手を特定する情報が無いから絡まれたりする心配も無い。
2ちゃんねるで言う「この速さなら言える」状態が定常的に続く感じ、とでも言おうか。気楽にも程がある。
あれほどまでに「書き込む快感」が増幅されるサービスは過去に体験した事が無かった。正直楽しかった。
これは2ちゃんねる文化を擁する日本でしか生まれないサービスだな、と感じた。
コメントするのに、id登録すら必要無いというのはよく考えるとかなり大胆だ。コメンターの絶対数を推測する手がかりを捨てるのは運営サイドとしては勇気がいる。そして、その結果生まれた「気楽さ」がアクセスの急増に寄与した最大要因だと思う。

最後に

結局「ニコニコ動画β」とは何だったのか。
一言で表現するのは難しい。
WEB2.0的世界観に内在する不確実性とか、YouTubeがいまだに抱える著作権問題とか、衆愚としての2ちゃんねる文化とかこれまで問題視されながらも存在し続けてきた様々な要素をすべて巻き込んで2ヶ月足らずで巨大化し、散ったあだ花か。
ニコニコ動画βについて何を語っても妙な残尿感が残る。エントリーを書き進めていくうちにかえって混乱してきた。
もうすぐニコニコ動画の新サービスが始まる。
今後どんな展開になるのかはわからないが、何か進展がある度に短絡的な判断を下してあれこれ言うのはしばらく慎みたい。
なんとなくそんな気がしてきた。全然まとまってないw。ゴメンナサイ。
[追記]
要望いただいたので一応「なんちゃってニコニコ動画サンプル」flaファイル置いときます。
Flash Pro.Ver8です。
nicosample1.zip

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ヨギータ・ラガシャマナン・ジャスラック

ドウモー コンニチワー
ボクゥハ ラクゴカノ
ヨギータ・ラガシャーマナン・ジャスラック
ト モウシマスケドモ
キョウハ コンナニタクサンノ
チ、チ、チョ、チョ、
チョサ、チョサ、
ゴメンナサイ
チョット ハツオンスィニクイ コトバ ダカラ
チョ、
チョサ、チョサク、チョ、
チョサクケンリョウ
ヲ モラッテ メチャメチャ ウレスィ ダケド
ボクハ コナイダ ハジメテ
ユートゥーブ ノ ヒトト オハナシシタ ダケド
ユートゥーブ ノ ヒト イガイト フレンドリーダッタ ダケド
ホンライナラバ コッチモ シツレイガアッチャイケナイ ダケド
ソンナノ ボクカラ シテミタラ
フレンドリートカ ソンナノカンケイナイ!
ソンナノ ゼーンゼンカンケイナイ!!
エゲツナーイ キンヨクヤデー
サイシュウテキニ
ユートゥーブノ トップページニ ニホンゴノ ケイコクダスッテ
ニホンガワノ ヨウキュウノ ベタサ ニ ドギモ ヲ ヌカレタヤロ!!
マサカ 2007ネンニ コノ ヨウキュウ ヲ 
フルテンション デ イッテクルトハナー
元ネタ(そろそろ消される予感)
R-1ぐらんぷり 2007 (チュートリアル徳井)

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どんなに愛されても「幸せ」にはなれない ”Rimo”という名のシザーハンズ

シザーハンズ。
両手がハサミで出来ているが故に、人間社会に適応できなかった人造人間エドワードの物語。
はてながリリースした新サービス「Rimo」(リィモ)は、超マジで「テレビそのもの」を目指すという、実体を伴ったWEB上のサービスとしてはおそらく世界初の画期的な試みである。
コンテンツとしては十分な魅力と可能性を感じる。
今後、多くのユーザに支持されるだろう、とも思う。
しかし、どんなに多くのユーザから愛されたとしても、”Rimo”は「幸せ」にはなれないだろう。
つまり、”Rimo”はビジネスとしては成功しないだろう。
というか、”Rimo”の存在そのものがビジネスとして成功できない「宿命」を併せ持ってしまっている様に思う。
このあたりのニュアンスをどう伝えればよいのか難しい。どう表現しても、批判と受け取られてしまいそうな文章になる。
あれこれ思案していて、「シザーハンズ」を思い出した。シザーハンズに例えたなら、少しはこのエントリーの意図を伝えられるかもしれない。
「Rimo、君は悪くない。
でも君がいくら”テレビ”になりたいと願っても、それは無理なんだ。
だって君の体は”WEB”で出来ているからね。」


サービスの収益について尋ねると、川崎さんは「ノープランです」とからりと笑う。サービスに自信はある。まずはたくさんの人に使ってもらい、楽しんでもらうのが先決だ。「人がたくさん集まれば、それだけで価値が生まれるはず。それこそ『こっちの方がテレビより面白い』とでもなれば、ビジネスも成り立つだろう」(神原さん)
YouTubeをテレビで“ダラ見” はてな、Wii対応の動画サービス (2/2)

「人がたくさん集まればそれだけで価値が生まれるはず」
「ユーザから支持さえ集められれば、ビジネスは何とかなる」
この様なある種楽観的な考え方は、WEBビジネスの世界では珍しいものではないし、むしろ支配的な考え方と言える。しかし、この理屈は「WEBビジネス」を志向するサービスで成り立つ話であって、「テレビ」を志向する「Rimo」に通用するかどうか。
Rimoのユーザがどの様に振舞い、そこで何が起こるのかを具体的に想像して欲しい。
ユーザは、TOPページURL http://rimo.tv/ にアクセスしたまま、「テレビの様に」コンテンツを視聴し始める。Rimoはコンテンツ抽出のアルゴリズムに則り、あらかじめ想定されたトラフィックを流し始める。ユーザは、流れ出したコンテンツをひたすら「消費」する。その行動パターンは、ネットユーザではなくテレビ視聴者のそれになる。
彼らは、殆ど存在感を発揮する事なくRimo上に滞留し続ける。彼らが起こすアクションは、基本的にスキップボタンかチャンネルボタンをクリックするだけ。Rimoのアクセスログには、ザッピングの痕跡だけが淡々と記録されていく。
この様なユーザが1000万人になろうが、1億人になろうが、それは「頭数」以外の意味を持たない。
何が言いたいかと言うと、ユーザの「能動的な意思表示」が有って初めてWEBは価値を創出できるという事だ。
GoogleやAmazonのビジネスモデルを持ち出すまでもなく、WEB上で成功したあらゆるビジネスは、「ユーザアクションの正確な把握」と「そこから潜在ニーズを的確に読み取る」という2つの大原則から成り立っていると言って過言ではない。

これまでのインターネットサービスでは、「文字を書き込む」「検索する」「設定項目を入力する」といった操作をする必要がありました。Rimoはそんなめんどうな操作をできるだけ取り払いました。
はてなダイアリー日記 2007-02-16

と豪語するRimoのコンセプトは確かに斬新だが、言い換えれば「WEBである事のメリットは全て捨て去りました」と言っているに等しい。そう考えると、Rimoのアクセスユーザ数をビジネスに結びつけるのは想像以上にハードルが高いと気づく。
クリッカブル広告の類は、そもそもRimoのコンセプトにそぐわないし、現状のUIを考えてもいかにも収まりが悪い。テレビを志向しているのだからテレビCMと同じ形態でCMを流せば良いという発想がやはり自然だろう。
そうなると、単純な視聴人数をベースにした広告収入という事になり、つまりテレビの視聴率競争という土俵にWEBインフラをぶらさげて参入、みたいな話になってくる。
しかし正直、スケールメリットの勝負になってしまうとWEBに勝ち目は無い様に思う。
テレビは一度電波を発信してしまえば、それを1万人が視聴しようが、1億人が視聴しようが同じコストだ。WEBではどう逆立ちしても、配信規模の増大に伴ってランニングコストが膨らむという基本構造は変わらない。ちなみにWEB上で1000万ストリーム同時配信しても、テレビ視聴率換算で約16.7%にしかならない。
「Rimo」はどんなにテレビを装ってもWEBサービスである。常識的でベタな話をすれば、ビジネスとして成功させるにはコンセプトを軌道修正すべきと思う。
しかし一方で、それこそツマラナイだろと思う自分もいる。
WEBの世界では非常識がしばしば新しい常識を生み出す。もしかしたらとてつもないブレークスルーがRimoをきっかけに起こらないとも限らない。

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文藝春秋社は入社試験TOPの人間を採用しない

もう1年以上前の雑誌記事になる。
元「文藝春秋」編集長の堤堯氏がWiLLの2005年5月号で語ったエピソードが妙に印象に残っている。

文藝春秋社の入社試験は、筆記試験で一番の成績を得た者を、それだけで合格者のリストから外す
頭デッカチの秀才を警戒するのである。雑誌記者に秀才は要らない。足腰と好奇心の強さ、発想力と
人脈形成力があればいい。
当方が試験を受けたとき、一番はかの松井やより嬢だった。例によって外され、彼女は朝日新聞に行った。

筆記試験一番の者を無条件で不合格にしてしまうというのは、考えてみれば結構とんでもない話だ。今もその風習が残っているのかは定かではないが、文藝春秋社の常務まで勤めた堤氏が言うのだからそういう事実は確かにあったのだろう。
知識以上に、発想力や人脈形成力をより重視するのは理解できる。しかし、筆記試験一番という事実が「発想力が無い事」の証明にはならない。知識もあって、さらに好奇心も発想力も人脈形成力もある超逸材だって世の中にはいるはずだ。というか、普通はそう考える。
ところがこの乱暴な論理も、「松井やよりはそれで朝日新聞に行った」という実例を聞かされると妙な説得力というか、凄みを帯びてくる。
これって、もはや「論理」ではなく「経験」とか「勘」の世界。この理不尽な採用基準も文藝春秋社が蓄積してきた人事採用「経験」から生まれてきたものだと容易に想像できる。
そして、この手の話はなんとなく「時代」を感じる。昔はわりとこういう話のネタとして面白い逸話が多かった気がする。ある種の「乱暴さ」が高度成長時代のダイナミズムを醸しだしていたというか。翻って今の世の中は「論理」が過剰に重要視され「経験」とか「勘」みたいな要素が随分と蔑ろにされている様な気もする。
まあ、全てが理詰めだと面白みに欠けるのは確かだ。こういう会社が1つくらい有ってもいいのかもしれない。論理を逸脱する事で「得られる何か」もある。そして、それは時にとても大切なものかもしれない。

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全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる

このゴールデンウィークに、遅ればせながら『ウェブ進化論』を読了した。
この本を読み終えて自分の中に込み上げた「想い」は、一切漏らさず胸の中にしまっておこうと思っていたが、長尾確先生の「ウェブ進化論」批判エントリー を読んで考えが変わった。
当初、正直なところ「ウェブ進化論」という本にあまり期待感は無かった。というと語弊があるかもしれないが、梅田さんがウェブ上に記した文章はおおかた目を通しているつもりだったし、この本は「ウェブの世界で何が起こっているのか判っていない人に向けた解説書」であるといった紹介を随所で見かけてしまった為だ。だから、自分にとっての「新しい刺激」はあまり期待していなかった訳だ。
しかし実際読んでみると、その様な浅はかな先入観は吹き飛んでしまった。確かに全編を見渡せば既知の話も多かったのだがそんな事は関係なかった。不覚にも感動してしまった。梅田さんがこんなに「熱い」人だとは正直思ってなかった。
この本は、極論すれば素人向けの解説書ではない。もちろんそういう側面もあるだろうが、それは本質ではない。ましてやGoogle賞賛の書などではない。この本は、梅田さんが全てのWEBエンジニアに向けて叱咤激励を込めた「熱きメッセージ」である。少なくとも私はそう読み取った。なぜ「そう読み取った」のか、ちょっと具体的に説明を試みる。
この本は冒頭、序章書き出しの重要な部分でいきなり「ムーアの法則」の話から入る。ここがまず「意外」だった。以下引用。

情報技術(IT)が社会に及ぼす影響を考える上で絶対に押さえておかなければならないことがある。
インテル創業者ゴードン・ムーアが1965年に提唱した「ムーアの法則」に、IT産業は40年たった今も
相変わらず支配され続けており、これから先もかなり長い間、支配され続けるだろうという点である。

「1965年に提唱した」「IT産業は40年たった今も」といった表現がとても重要で、これは梅田さんの意図として「この本はここ2、3年のトレンド解説とは違う」という事を強く印象付ける必要があったという事。
そしてその意図は、第一章『「革命」であることの意味』においてさらに明確になる。
ブライアン・アーサーの講演を引き合いに出した上で

そこで彼は、情報革命を5つの大革命のうちの一つだと彼の歴史観の中に位置づけた。

と指摘する。今度は「歴史」という視点である。現在進行形の「情報革命」を、18世紀の産業革命や20世紀初頭の自動車革命と同列に語るという新鮮さ。そして、この視点こそ「現代のWEBエンジニア」には決定的に欠けている。
GoogleやAmazonのAPIを弄り倒し、CPANを漁り、prototype.jsをHACKし、TIPS記事なんかをせっせとブクマしている若いエンジニア層というのは基本的にそういう世界が好きで好きでたまらない人々だ。日々の試行錯誤の中で自分の書いたCODEが起こす「小さな奇跡」が楽しくて仕方がない(もちろん全て楽しい事ばかりではないにせよ)。そして、人間というのは「楽しくて」やっているウチは、意味とか理由とか深く考えないものだ。ましてや「歴史上の意味」なんて想像だにしない。しかし視点を変えてみれば、これから起こるであろう人類史上の大変化に直接携わる事の出来る場所に生きている。この日本というIT先進国で。このエキサイティングな運命にもっと感動していい。なんという好運だろう。
全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる工業技師の様なものだ。これから起きる「革命」の一翼を確かに担っている。
18世紀イギリスから端を発した産業革命は、主に織物・紡績といった軽工業分野において次々と発明の連鎖を起こした。ジェニー紡績機、水力紡績機、ミュール紡績機、力織機と幾多の技術革新が折り重なり、社会の産業スキームが劇的に変化した。
歴史的視点で見た時に、どの「技術革新」が優れていたかを考察する事はそれほど重要な話ではない。
そして、GoogleかYahooか、という話も同様に重要な話ではない。長尾先生が指摘する「人間の介在」の話は、まさにウェブ進化論の92ページあたりから述べられているGoogleとYahooの対立軸であって、どちらが正しいかはこれからの歴史が判断してくれる事だ。そして梅田さん自身もそこは判断を留保している。以下抜粋。

ヤフーとグーグルの競争の背景には、サービスにおける「人間の介在」の意義を巡る発想の違いがある。なんと面白い競合関係であることだろう。

だから、長尾先生の批判は「ヤフーに肩入れしたグーグル批判」であって、この本の論旨と相反するものではないように思える。
「ウェブ進化論」の最後に「はてな」の話が出てくる。その内容は梅田さんがブログ上でしばしば言及している「はてな」評そのものであるが、これが「最終章」に置かれている事にまた意味があると思う。
「ムーアの法則」「5大革命」で始まり、「はてな」で結ぶ。この大きな論旨の流れそのものが、ウェブ進化論をエンジニアへの「熱きメッセージ本」と読み取った所以である。
あとがきにこれまた興味深い記述がある。

シリコンバレーにあって日本にはないもの。それは若い世代の創造性や果敢な行動を刺激する「オプティミズム」に支えられたビジョンである。

梅田さんがグーグルを俎上に上げて強調したかった事も、その理念そのものではなく、「目が澄み切っている彼ら」が持つ強さではないか。
さらに、あとがきを締める本当に最後の言葉。

息子や娘に対し「おまえたちのやっていることはどうもわからん」という気持ちを抱くお父さん方や
「ネット・ベンチャーなんかで働くのではなく、○○電気とか○○自動車とかに就職してくれればよかったのに…」と心配する
お母さん方にとって、この本が何かの役に立てばなぁとも思っている。

お父さん方やお母さん方へのメッセージの様でいて、実は梅田さんが気にかけているのはその「息子や娘の行く末」なんである。「理解できないとしても、彼らの邪魔だけはしないでね」という(笑)。
私はこの本を帰省先の実家で読んだ。PCもネットも無い環境だった。だからこそ最後までキッチリ読了出来たのだと思う。そうでなければいてもたってもいられず読書を中断してPCの電源を入れていた事だろう。読んでる途中何度かそういう衝動に駆られた。年甲斐も無く熱いものが込み上げてきた。テラハズカシス。
エンジニアがこの本を読んで真っ先に書くべきものは「書評」ではなく「CODE」なのだ。

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「NHK番組のネット配信、55万コンテンツ全面解禁!」とか安易に信じない方がいい

NHKの持つ膨大なコンテンツがネットで全面解禁になるかもよスゴイね!という類の話が幾つかのメディアで報道されて話題になっている。
折りしもフランスでは、国立視聴覚研究所(INA)のアーカイブ10万件がインターネットで閲覧可能 になったばかりだし、「すわ日本もか!」と盛り上るのは無理も無い。
しかし、日本のメディアというのはどこまでも信用ならない様だ。油断のスキも無い。
まずは5月5日早朝の読売記事から見てみよう。以下、全文引用。

NHK番組のネット配信、07年度にも全面解禁

 竹中総務相の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」(座長・松原聡東洋大教授)は4日、NHK番組のインターネット配信について、2007年度にも全面解禁する方向で最終調整に入った
 約55万本にのぼるNHKの番組を有効活用する狙いで、5月中にまとめる最終報告に盛り込む。
 NHK番組のインターネット配信は、総務省の指針で業務の規模で年10億円程度まで認められているが、この上限を撤廃する。ネット配信は、受信料を充てるのではなく、利用者に直接課金する方向で検討しており、利用者の直接負担を禁じた放送法の改正を視野に入れている。
 NHKが保有する過去の番組は約55万本あり、埼玉県川口市のNHKアーカイブスなどで約5700本の番組が公開されているほか、通信事業者を通じて、一部番組を有料で提供している。しかし、懇談会では国民的な財産であるNHKの番組が十分活用されていないとの意見が大勢を占めている。
 同時に懇談会では、NHKのチャンネル数削減や子会社の整理・統合を進めて業務範囲を縮小する方針を固めており、これらを進めることでネット配信の全面解禁に反対している民放側の理解を得たい考えだ。
 また、テレビ番組のネット配信を巡っては、出演者などの著作権処理のルールが定まっておらず、権利者から番組ごとに個別に許諾をとる必要がある。
 このため、懇談会では、俳優、作曲家、レコード会社など業界ごとにある著作権管理団体が権利者の権利を集中管理し、許諾手続きを簡素化できるような体制の整備を求める方向だ。
 ただ、権利者側は、配信を差し止める権利がなくなるなど権利の切り下げにつながるとの警戒感が強い。このため、配信可能な番組の範囲は、今後議論される権利処理のルールにも影響される見通しだ。
(2006年5月5日3時0分 読売新聞)

この記事は、かなり詳細な内容に踏み込んでいるし、具体的な数字も出ていて信憑性も高い様に感じられる。
ところが、だ。この記事の当事者であるはずの松原聡東洋大教授のサイトを読んでみると唖然とする事が書いてある。以下抜粋。

 しかし、最近の新聞報道については、座長としては一切取材を受けておりません。どういうソースでの報道なのか、正直、見当がつかないでいます。特に、本日(5日)の読売新聞。「NHK番組、ネット配信全面解禁へ」という記事にはちょっとびっくりです。「懇談会は4日、最終調整に入った」とありますが、座長の松原は取材を受けておりませんし、最終報告案をどうするか、で一人で熟考中。竹中大臣はたしか外遊中のはず。4日に懇談会の誰が「最終調整に入った」のでしょうか・・・。
 また、記事の中身にも問題があります。NHKは55万本の過去の番組があり、そのうちの5700本しか公開していないとあります。その通りなのですが、「インターネット配信の上限が10億円」だから、公開が遅れているのではなくて、過去の番組の中で、5700本しか権利処理が済んでいないから、遅れているのです。(もちろん、10億円という上限に問題があることは間違いないのですが・・・)。10億円を撤廃したからといって、55万本が公開されるわけではありません。
 さらに言えば、これは私自身が調査を依頼して、その結果を見て驚いたのですが、その5700本の権利処理も、インターネット公開ではなくて、「施設内公開」で取っているそうです。川口市の施設などに行かない限り、この5700本も見られないわけです。NHKは、過去の番組をインターネットで配信する気は、最初からなかったと考えざるを得ないのではないでしょうか。(5月5日)

要約すると、

  • 座長の松原聡氏は、マスコミの取材すら受けていない
  • 「最終調整」に入ったなんて話は当の座長松原氏も寝耳に水
  • 公開が遅れている要因は、10億の予算上限ではなく権利処理
  • 権利処理済と思われた5700本も、施設内公開の権利であり、現状ネット配信は無理
    (つまりネット公開可能コンテンツは現状ゼロ)

要するに、ハッキリ言ってこの読売記事は飛ばし。
そして、この読売記事から18時間以上もたった後、共同通信が以下の記事を配信。全文引用。

ネット配信全面解禁を検討 50万本のNHK番組

 【香港5日共同】竹中平蔵総務相は5日夕、訪問先の香港で同行記者団と懇談し、過去に放送されたNHK番組のインターネット配信を全面解禁する方向で検討すべきだとの考えを表明した。
 NHKが保有する過去の番組は約50万本あるが、竹中氏は「NHKが持っているコンテンツ(情報の内容)をもっと活用するのがNHKのため、国民のため、関連する産業のためだと思う」と強調した。
 さらに、総務省の指針で年間上限10億円程度としているNHK番組のネット配信の規模についても「足かせになっている。どのような形でクリアしたらいいか議論しないといけない」と述べ、改正に前向きな意向を示した。
(共同通信) – 5月5日21時56分更新

誰がいつ何処で語ったかが明記されてる点で、読売記事よりは良い。しかし、この記事にしても結局

  • 誰が=竹中大臣が
  • いつ=5日夕
  • どこで=外遊先の香港で
  • 誰に=同行記者団相手に

語ったと言うだけの話。
どう見たって、これ竹中氏の個人的見解だろう。記者会見ですらない。ニュースバリューとしてはなんとも心許ない。「検討すべき」と言ってるって事は、逆に言えば「今はまだ検討すらしてない」って事の証左だし。
おそらく外遊先で唐突にこんな話が出たのも、読売の飛ばし記事がトリガーだろう。語ったのが5日夕というのがいかにもそれっぽい。そして、竹中大臣の意に関わらず、現状のNHKの状況は松原氏がサイトで語っているような体たらく。
なんだかなあ。もちろん、竹中大臣も松原氏もNHKコンテンツのネット解禁には前向きな訳で、そこには私も期待するけどしかしながら、少なくとも報道のニュアンスと現実とでは、あまりに乖離があり過ぎる。
こんな、政治的立ち位置とほぼ無関係な記事でさえ、いちいち疑わないとならんのか。日本のメディアはどうかしてます。

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小倉先生へ~ローカルプロクシによる「セーフティブログサービス(仮)」のご提案

すみません、ised議事録エントリーはまた次に延ばします。
というのも、「肯定派も否定派もハッピーになれる共通ID論争の落としどころ」をモヒカンチックにあれこれ考えていてちょっとしたアイディアが浮かんだので小倉先生宛にご提案したくなったのです。
落としどころと言っても、これはあくまで「ここから始めてみてはどうでしょう?」という内容です。このアイディアなら

  • 法改正も不要
  • 現行技術で可能
  • 一切の個人情報不要
  • 他のネットコミュニティへの影響無し
  • コスト的にも現実的

と思います。ビジネスパートナーさえ見つかればすぐにでも実現に向けて動き出せます。

概要

  1. 極めて高度なトレーサビリティとコメント制御機能を備え、さらになりすましや自作自演対策、法律アドバイザーまで備えた、ブロガーの安全を最大のウリとする「セーフティブログサービス(仮)」をベータサービスとして無料で立ち上げます。
  2. その最大の目的は、「マーケティング」。
    まず、このサービスがどれだけユーザを集めるかを以って、「安全なブログ」に対する市場ニーズを測定します。
  3. さらにユーザの顧客満足度も調査。顧客満足度が低ければこのサービスの安全対策が機能していないか、もしくはユーザがさらなる安全を求めている事になり、もっと本格的な施策が必要という根拠になります。
    逆に顧客満足度が高ければ、すなわち市場ニーズが満たされた事を示すわけで、そのまま本サービスに移行します。

アーキテクチャの詳細

トレーサビリティの確保(もちろんIPアドレスレベル)にはいろいろな方法が考えられると思いますが、ふと思いついたのが「プロクシの積極的利用」という逆転の発想。これけっこうイケルと思うんですが。
具体的には、表題にもある通り「ローカルプロクシ型のアプリケーションソフト」を事業者側で無料配布し、コメント投稿したい人にはそれを自分のPCにインストールしてもらうというもの。
ちょうど、2ちゃんねるの『禁断の壷』のようなものをイメージしてます。名付けて『禁断のコメントスクラム』略して『禁コメ』(笑)。
で、コメント投稿やエントリー投稿はこの『禁コメ』経由でしかできないような仕組みを実装する。ローカルプロクシだから、負荷の問題もありません。
これであれば、外部プロクシなどの利用はシャットアウトできるし、サーバ、クライアント両方を事業者側でコントロールできるので自由度がすごく高い。
例えば、インストールとアンインストールを繰り返す様な人でも、『禁コメ』側でMACアドレス情報を取得してしまえば、それとアプリケーションIDを紐付けしてその行動をトレースできます。
複数のPCを駆使して自作自演を試みる場合でも、外部プロクシ利用をシャットアウトしているので同じアクセス回線を使用する限り、同一IPアドレスからの発信である事は把握できます。
なりすましはもっと困難。アプリケーションIDだけでほぼ大丈夫。
コメント禁止等の制御も、アプリケーションIDベースで行えばIPアドレスによる制御より遥かに確実で細やか。
あとは、ホスト名を逆引きできないアドレスからの投稿はサーバ側ではじくとか。とにかくいろんなレベルの制御が実現可能。
しかも、個人情報の登録が一切無くても実現できる。当然ながら何らかのアカウント登録と組み合わせる事も可能ですが。
100%じゃないにせよ、はてなやTypeKeyのアカウント認証と比べても荒らし行為は遥かにハードルが高くなるんじゃないかと思います。

その他の対策

さらに、万が一コメント欄等でトラブルが起きた場合に備えて、法律アドバイザーをラインナップしておきます。で、このサービスのユーザに限り無料で相談できる。もちろんこのアドバイザーには小倉先生が就任します。
バランスを考えて、他にも専門家の方がいればベストかと。
私見ですが、一般人が訴訟をあきらめる一番の理由は、トレーサビリティなんかよりもやはり費用(と時間)なんじゃないかと思います。すごく高額な印象がある。相談だけで30分数万円とか聞かされれば、普通の人は尻込みしますよ。だから無料で気軽に相談できる窓口があれば、相談者は多いかもしれません。
「その他の対策」っつーか、これが一番荒らし抑制効果がありそうです(笑)。

個人的な予想

このサービスがもし実現されたとして果たしてどうなるのか。
個人的な予想を言えば、まずユーザ数はそれなりに集まると思いますが、既存のブログサービスを脅かす程にはならないと思います。なぜなら、ブログを開設してる人の殆どは、コメントスクラムの心配より「もっとアクセス欲しいリアクション欲しい」だと思うからです。
ただ、ビジネス的にはちょっと面白いかもと思っていて、何故かというと結局こういうサービスを一番欲しているのは「実名ブログを書いている有名人」だから。
だとするとビジネスモデル的旨みはあります。。少ないユーザ数でもかなりの高アクセスが期待できるからです。
他のブログサービスは、金払ってでも有名人ブログを囲い込みたい、というのが殆どですから。
結局、こういうサービスが新しく出来てそれなりに安全対策が機能すれば「これで十分じゃん?」となるのではと個人的には思います。
アーキテクチャに関しては思いつきなのでまだ落とし穴や考慮漏れがありそうで若干不安は残りますが、そして小倉先生から見たらこれでも不十分なのは承知していますが、「共通ID登録業者」よりはビジネスパートナーも見つかりやすいと思います。
こういうアプローチも小倉先生にとってマイナスにはならないと思いますが如何でしょう?