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1995年

私の中で、1995年は「世紀末」という言葉が持つ不安感と退廃感が具現化した1年として強烈に記憶に残っている。
1995年の幕開けは、1月17日の阪神大震災だった。
6433人の犠牲者を出し、重軽傷者も43000人を超えた。しかしこの未曾有の大惨事でさえ影が薄くなってしまう程のテロ事件がその2ヵ月後に起きた。言うまでも無く地下鉄サリン事件だ。
BigBang:こちらのエントリーによれば、この年ワイドショーの65%がオウム事件の報道であった言う。これに阪神大震災の報道を加えれば90%近いのではないか。感覚的にはそのくらい阪神大震災とオウム事件に塗りつぶされた1年だった。
芸能人のゴシップ報道などは全て脇に追いやられた。裏を返せば芸能ゴシップがいかに「平和」を象徴するかが判る。そのくらい日本はある意味「危機的状況」にあった。
オウム真理教の犯罪は、地下鉄サリンや松本サリン、坂本一家殺害だけではない。
無限回廊:オウム真理教年表をあらためて熟読してみた。今読んでもその犯罪の数々に圧倒される。ましてや1995年当時は、これらの情報が連日新事実として少しずつ明らかになり、上祐史浩や村井秀夫がテレビに出ずっぱりで反論を繰り広げた。
そしてその矢先、村井秀夫が多くの報道陣の面前で刺殺された。予想を遥かに超える成り行きに国民の目は完全に釘付けになった。こちらのページのキャプチャ画像を見れば当時のメディアの空気を垣間見る事が出来る。
そんなジェットコースターの様に展開する情報の渦の中で、当時どのくらいの人が事件の全貌を消化できただろうか。
殆どの人は情報についていくのが精一杯で、消化不良を起していたのではないかと思う。
しかし、だ。
2006年の今に至っても、日本国民はオウム真理教が起した一連の事件をちゃんと消化したと言えるだろうか。私には、未だに消化不良のままの様に思えてならない。
そして、消化不良のまま事件は風化しつつある。
現実問題として、オウム真理教は破防法適用を免れ、存続している。
日本国民は、日本の社会は、存続してしまったオウム真理教(アーレフ)と、どう向き合っていけば良いのか。その「あるべき姿」のコンセンサスが取れないまま、重い宿題として10年以上放置されているのではないか。
松本智津夫次男の入学拒否にしても、「ことのは騒動」を巡る議論の噛み合わなさも、根本にはこの「放置されたままの宿題」があるのではないか。
事の発端となったジャーナリストの野田氏は、元公安関係者と聞く。1995年当時事件捜査の最前線にいたとすれば、「オウム」に対して我々には無い想いがあろう事は容易に想像できる。そして、滝本弁護士に至ってはご本人が1994年にオウム真理教によってサリンで殺されかけている。「ネットでDISられた」などとは次元が違う。
そういった背景を考慮した時、両氏の行動原理は十分に理解できるし、安易に批判する事は躊躇ってしまう。
その一方で、松永氏はオウム真理教が一連の犯罪に関与した事が明らかになった後に教団に復帰している。一般人の平均的感覚から言えば、その行動は理解できない。凡人には想像できない論理がそこにあるはずだ。
だから、例え松永氏が現在、教団に対して忌避感を抱いているのが事実だとしても、それは我々一般人が持つそれとは似て非なるものと理解した方が良い。
そういう意味で、松永氏が告白を決断した勇気には一定の敬意を表しつつも、plummet氏が言う ようなある種の「恐怖感」もまた拭いきれない。
1995年から放置されたままの「宿題」。いつになったら答えが出るのだろう。
私が今後の松永氏に期待するのは、その「宿題」解決のキーマンとなってもらう事である。
しばらくは黙して松永氏の言動を注視していきたい。


[追記]
松永氏は本気で語ってくれるのかもしれない。
オウム/アレフの物語
期待しています。

「1995年」への4件の返信

えー。
僕もオウムにはちょっとだけ係わり合いがありました。
ですので他人事ではない思いがあります。
今になって思えば、オウムに破防法を適用しないで何に適用するんだ、と思います。僕自身は当時、破防法の適用について結論できませんでしたが、まさか、ここまでのテロ組織が、厚顔無恥にも存続し続けるということが想像できなかったからかもしれません。
あと、ちょっとお願いですが、僕はオウムネタに強い興味がありますのでそれなりに「あそこのサイトのあの騒ぎを言っているのだな」と想像できますが、そうでない人のために参考リンクをつけておいてくださいませ。

まぁ、リンク貼ってる教祖さまのところから、さらに参考リンクあるし…(いい加減
あの年はボロボロだったよなぁ…
震災で親しい人なくして、テロは本来関係なかったはずなのに、たまたま旅行行ってた友人がまきこまれて(無事でしたが)。
ここ数日の彼の記事と、前の名前の時の今回みたいな事態があった時の事をザックリと調べてみた結果とを眺めてみると…
ごめんなさい、やっぱり『オウム』っていうのは、怖いです。
教団としての存在は勿論だけど、そこで培われてる(…のか、そもそもそういう人が多く集まるだけなのか)思想的なものが、怖いです。
きちんとあの時解体出来ていれば、きっと今ある入学拒否の問題とかも、もうちょっとは綺麗に収まりついていたのかもしれないのになぁ、と思います。

 突然の投稿をお許しください。
 私の知人は阪神大震災で都内の知人方に身を寄せて疎開していたとき、バイト出勤途上でサリンガスを吸ってしまいました。お見舞いの言葉がありませんでした。_| ̄|○

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