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パクリ考察

「ブックマーカー」ブックマークの恐怖

先日、アクセス解析を見ていたら、見慣れないリンク元からのアクセスを発見した。
そのリンク元URLが全く見覚えの無いものだったので興味本位でアクセスしてみた。
アクセスしたそのサイトの左上には、「Momonga Bookmark」というロゴ。聞いた事がない。デザインはなかなかこざっぱりしていて美しさと機能性のバランスが良い感じ。Googleツールバーを見るとまだページランクは0。
新興のソーシャルブックマークサービスかな?と最初は思った。よく見るとその横に
「モモンガブックマークは『ソーシャルブックマーカー』をブックマークする全く新しいサービスです」
という解説文。
「うーん、はてなブックマークでいうお気に入りみたいなもんだろうか?」
TOPには「現在の注目ブックマーカー」がリストされている。そこには、はてなブックマークでも見覚えのあるidがいくつか見えた。
「あー、なるほど。 Alpha Clipper Clipsみたいなところなのかな」
と思いつつ、注目ブックマーカーの一番上にリストされている名前をクリックして見た。日本における著名な「ギーク」の一人だった。
そこには、ちょうど「はてなブックマーク」と同じ様に短いコメントが並んでいた。唯一つ、はてなとの明らかな違いはコメントの殆どが英語だった事。ごく稀に、日本語やフランス語のコメントも混ざっていたが、大半は英語だった。
「うぉ、ナニコレ!オモシロそう!」
よく見ると、各コメントの横に言語選択のボタンらしきものがあった。「ja」のボタンをクリックすると、そのコメントが即座に日本語に切り替わった。Ajaxっぽい。どうやらこのサイトは完璧なマルチリンガルを実現しているらしい。これは自動翻訳だろうか。その割にはほぼ完璧に違和感の無い日本語になっていた。
私はすっかり夢中になって各コメントを読み漁った。
…しかし、読み進めるうちにその内容に愕然とした。心なしかマウスを握る手が震える。
「この人、日本じゃ一応”ギーク”らしいよ。」
「”アルファブロガー”でもあるってwww」
「これはひどい」
「ブックマークコメントも酷いが、その元記事も酷いね」
「これは是非Timに読ませたい。どんな顔するかなw」
他の「ブックマーカー」もチェックしてみた。
日本では「勝ち組」であるはずの面々が軒並みネタにされていた。
自分の中の価値観が混乱し始めていた。
特に、”Ajax”や”WEB2.0”といった言葉に無条件反応してClipしまくっているブックマーカーは大人気だった。
「ちゃんと記事読んでるのかよ」
「あとで読む、らしいよwww」
こんな調子だ。読んでるうちに気分が悪くなった。
「モモンガブックマーク」は、海外の正真正銘の「アルファギーク」達が、日本の「ソーシャルブックマーカー」の傾向やレベルの低さをネタに楽しむサイトだったのだ。


これはフィクションである。
「モモンガブックマーク」なんてサイトは(多分)実在しないし、日本のネットユーザーは(多分)笑いモノになるようなレベルではない。
この話は要するに、「トゥルーマンショー」である。当事者でしかないと思っていた自分が実は想定外の観客に注視された「ショーの出演者」だったという構図だ。その現実にある日突然直面してしまった時に、人は誰でも少なからずショックを受けるはずだ。想定内であれば、ショックは小さくて済む。はてなユーザーが、はてなブックマークでネタになったところで、それほど驚かない。
でも、「ソーシャルブックマーク」という存在を全く知らず、理解も出来ないレベルの人から見れば「はてなブックマーク」は「モモンガブックマーク」以上に気味の悪い場所に感じるかもしれない。
彼らは「ブクまコメントの内容」以前に、自分が知らない場所で「ショーの出演者」になっていた事にショックを受ける。
ブクまコメント論争や、無断リンク論争など、どれも突き詰めれば「情報弱者と情報強者の軋轢」だ。その根本原因は共通している。
そして、ネット世界は基本的に、情報格差がもつある種の「残酷さ」を内包した世界だ。オフラインの社会に比べて「情報弱者をサポートする仕組み」が圧倒的に少ない。能動的に「情報」を摂取し続けなければあっという間に取り残される、完璧な「弱肉強食」の世界だ。
それが良いとか悪いとか言いたいのではない。この現実を忘れがちな人が多いのではないか、と言いたいだけだ。
ネットにおける「強者と弱者」は相対的なものでしかない。自分より強者が現れれば、その時点で自分は弱者だ。「モモンガブックマーク」のストーリーではそれをデフォルメしてみた。
ブログという言葉が一般的に認知された事で、ネットには今まで以上に「情報弱者」が無防備に大量流入してきている。WEBページがHTMLで書かれている事も知らない人々だ。彼らとどう対峙していくべきか。これからも思わぬ形で「情報格差の軋轢」が次々と表面化するだろう。その覚悟だけはしておいた方が良いと思う。自らが「弱者」側になる可能性も含めて。