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日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている

森進一の「おふくろさん」を巡って、作詞をした川内康範が「歌詞を勝手に改変した」と激怒しているいわゆる「おふくろさん騒動」。
この騒動はいまだに収束していない様だが、この件に対する世論の反応が興味深かった。
一言で言えば「意外」だった。
まず、たまたま目にした幾つかのテレビ番組では、明らかに「川内氏擁護」の論調だった。それ以外の多数の番組でも、判断には踏み込まず単なる「揉め事」として面白がっている様なニュアンス。明確な「森進一擁護」の論調は見当たらなかった。
テレビ以上に意外だったのがネットの反応。ネットでも森進一擁護の論調はかなり少数派。
あのたけくま先生でさえ、明確に「川内氏支持」を表明
川内氏に批判的なスタンスなのは、自分が目にした限りでは小倉弁護士 くらいか。
日頃からラジカルな改変パロディを好み、JASRACなどの権利団体を露骨に嫌悪する2ちゃんねるの様な場でさえ森進一を明確に擁護する人は少数派に見受けられた。これにはさすがに驚きを通り越して閉口してしまった。
「なるほど、見事に洗脳されてるんだなー」と妙に感心してしまった。
本来あるべき著作権の議論から見れば、明らかにバランスを欠いている。このアンバランスさに全く違和感を感じない日本人は、知らず知らずの内に「ゆがんだ著作権意識」に洗脳されているのではないか。
必ずしも、川内氏を支持する事を問題にしているわけではない。どちらが悪いかの判断は留保したとしても、今回の騒動では「本来あるべき議論」が欠落している。
それは「具体的に森進一がどんなセリフを語り、その内容のどの部分が問題なのか」という検証だ。
この「洗脳」のカギは日本の著作権法にある。日本の著作権法が定める「同一性保持権」は国際的にみても特殊な内容なのだ。
日本の著作権法が持つ特殊性を端的に説明している記事がクリエイティブコモンズのサイトにあった。
【CCPLv3.0】著作者人格権(同一性保持権)に関する議論 より抜粋。

ここで、皆さんに理解していただきたいのは、世界的には、著作者人格権のうち同一性保持権は、日本の著作者人格権とは基準が異なる、ということです。日本の著作者人格権は、著作者の意に反する改変について同一性保持権を広く認めています。これに対して、世界的には、著作者の名誉声望を害する態様での改変に限って、同一性保持権の行使を認めている国がほとんどなのです。

国際的な著作権法のベースとなるベルヌ条約でも、同様の制限事項がある。
ところが、日本の著作権法にだけはこの重要な制限事項がポッカリと抜けている。結果として、日本の原著作権者は「自分の気に入らない改変は全て認めない」と主張できる、絶対的で不可侵な存在になってしまっている。
そして、実際問題「オリジナルは基本的に絶対で不可侵」だという感覚は、日本人の中に無意識のうちに定着していないか。裏を返せば、著作物改変という行為そのものに必要以上の罪悪感を感じてしまう意識。
もちろんその感覚は法遵守という意味では真っ当なのだが、そこに疑問を持てないほど定着してしまっているところが「洗脳」と表現した所以だ。
その感覚は、一見「クリエイティブ」を保護している様でいて、現実には、改変やパロディに内在する「クリエイティブ」を不当に軽んじてしまう事になっている。日本の著作権法がなぜこのような形になったのか、その経緯は知らないが、そこには誰かの意志があり、何らかの力学が働いている。
日本には、著作権者や権利団体が他国に比べて強硬に振舞える土壌がちゃんと培われていたのだ。
昨今の著作権法を巡る動きとしては、これとは別に著作権保護期間の延長という問題がある。
欧米にならって著作権保護期間延長を訴えるのであれば、同一性保持権に関しても欧米にならって制限を設けたらどうか。そういう議論であれば、今よりも有意義になるのでは。どこかにトレードオフが無ければ権利者にとって虫が良すぎるというものだ。
余談になるが、先にも挙げた小倉弁護士の記事にあるように、仮に森氏側に非があったとしても、JASRAC管理楽曲を、作詞者が歌手に対して「今後いっさい歌わせない」と主張できる法的根拠は無いようだ。だから現行法においても、川内氏の主張は度が過ぎていることになる。この川内氏の暴走を諌める論調がメディアからほとんど出てこないのだから、深刻だ。
いずれにしても、現行法における同一性保持権の「過度な権限」からまず手をつけない限り、日本はいつまでたっても著作権後進国のままのような気がする。


[3/6追記]
この記事は、「おふくろさん騒動」を素材に著作権について語るエントリーなので、「揉め事」としてのゴシップ的側面はスルーしてます。そこをご理解ください。
そういう意味で、「あえて空気読んでない」部分はあると。
もう少し言わせていただけば、ゴシップとしてのこの騒ぎは最早マスコミの「恣意的報道」の真骨頂なので、報道の論調をそのまま鵜呑みにするのは慎重な方が良いと思います。
PE’Zの「大地讃頌問題」との比較で言えば、例えば森進一がセリフの追加を、レコーディング時に行っていて、それを発売前に川内氏が差し止めた、という流れであればPE’Zの場合と同じになります。現行法においても、川内氏が主張できるのは、
「冒頭にセリフを追加するな」
までであって、セリフの有無に関わらず、
「この曲を歌うな」「おれの曲は今後歌わせない」
というのは、権限の範疇を越えているのではないでしょうか。
「上から目線」というのは、この記事に関しては自覚していて、しかしこの表現が一番言いたい事が伝わる気がしたのでそのままにしました。

「日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている」への45件の返信

という訳で、ここのブログの記事は改変して貼り付けしても問題ないとのことなので、皆さん、ブログのネタに困ったらここから記事を頂戴しましょう。
その際、改変やパロディに内在する「クリエイティブ」を主張できますので大丈夫です。

川内支持は森のむかつく発言があっての事でしょ。
それすっとばして著作権だけで語るのは微妙にずれてると思う。
むしろあれだけジャスラック嫌ってたりしても、日本人は感情が先なんだということ。 著作権なんたらはもうすっとんでいってしまってる。演歌の国の人々ということ。 まったくもって日本的。

JASRACに全権利全部委託してるから、両方とも文句言えないのでは‥‥。

通りすがりさん
日本では同一性保持権は神聖不可侵なので大丈夫じゃないです
まあ、それはいいとしてJASRACに歌わせないよう申請するって言ったときは僕も「は?」って思いました
森進一の態度はオイオイって感じだったので擁護はしませんが、歌いたきゃ歌えますよね
イメージ商売だからやらないでしょうが

大勢に流されて見えにくくなる意見が、分かり易く説明されていますね。これからも期待しています。
しかし、大勢が洗脳されていることを問題にしているブログなのに、洗脳されきった人間が、本文を読んでもそのことに気づけずに下らないコメントを残しているこの悲しさ。
しかし、この下らないコメントが「洗脳が大勢に行き渡っている」と主張するこのブログの正しさを見事に物語っているのでよいのかな?

日本は特殊なのですね。
非常に参考になりました。
やはり世界標準に合わせて
著作権保護は死後75年まで
延長するべきですね。

コメントの皆さんの返答になるかわかりませんが、追記しました。

他所の庭を見て自分達が違っていることを一々ネガティブに捕らえて、それを「ゆがむ」と表現するような、きょろきょろと落ち着きの無い姿勢こそ日本的だなあと感じました。

たろへ
「オマエは洗脳されているんだ」という教祖様の言葉が届かないのか?このエントリーを100回読み直せ。

【紹介】日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている

音極道茶室: 日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている 日本の原著作権者は「自分の気に入らな…

「著作権後進国」とまでおっしゃるのであれば、諸外国の立法例はお調べになったんですよね。クリエイティブ・コモンズの説明は、中立的な立場からなされたものとはもちろんいえませんから、それのみに拠って議論を展開するのはいかがなものかと思います。
例えば、フランス、スイス、韓国、オーストリアあたりの著作権法をご覧いただくといいと思いますが、「名誉又は声望」を害することを要件としていない立法例もないわけではありません。これらの国も、みんな「後進国」だとおっしゃるのであればそれまでですが。
意に反する改変を禁止するという規定の仕方は、同一性保持権侵害の成否について著作者の意思を尊重するという点で、たしかに著作者に広い権利を認めたものといえます。これに対して、「名誉又は声望」を害するかどうかというのは、裁判所が客観的見地から判断することになりますが、それはつまり、著作物の価値や改変の程度、改変の目的、改変前後の社会的評価についての判断を裁判所に委ねるということを意味します。
日本では、裁判官の公正中立に対する信頼が伝統的に厚いようですから、それでも構わないのかもしれません。でも、自由主義的な考え方からすれば、国家機関たる裁判所に文化の価値評価を行わせるなんてまっぴらごめんだ、というのもあり得る立場でしょう。単純に、著作者の権利が限定的だからいい、広いから後進国だ、といえる問題でもないと思います。
……とまあ、ここまで書いておいてなんですが、私も現行著作権法の同一性保持権の規定は少しかたすぎると思ってはいます。日本法には、アメリカのようにフェア・ユース規定があるわけでもないし、フランスやスイス、スペインのようにパロディを特別に認める規定があるわけでもない。そうだとすると、ちょっとこれは問題が大きいなあと思っていて、現実には同一性保持権不行使特約なんかを結んだりもするようですが、ものが人格権なだけに、果たして契約で対応しきれるのかどうか。
まあいいや、そんなことが言いたかったわけではないです。今回の問題は、大衆に広く愛唱された歌謡曲をどう扱うかであるわけで、そういう場合に、大衆が「森進一ムカつく」と思ったのであれば、それはそれで感想として正当であって、別に間違ってはいないと思うんです。いたずらに法律論を振りかざして、「ゆがんだ著作権意識」とか「洗脳」とかいうべきではない。別にみんな、川内さんの著作権を重視しているわけじゃないですよ。2ちゃんねるなんて、完全に「耳毛」呼ばわりじゃないですか。
あと、小倉先生のエントリの読み方についても気になりましたが、長くなったし面倒くさいのでそれは書きません。

大変勉強になりました.
色々と無意識のレベルにまで定着していることって多いと思いますが(そしてそうでなければ日々の生活が大変だからなのですが),何かをきちんと考えるためには「自分にとってのあたりまえ」を改めて色々な視点から考え直さなくてはいけないなぁと感じます.そうすることで究極には得られない客観性を追及していき,まともな議論が出来ていくのかもしれない,と思いました.
どうもありがとうございました!

え~っと,もうひとつ.私の感じていることなのですが,ここで問題としていること/問題としたいことの本質は,著作権についてではないような気がしています.法律なんてものは人間が決めている以上,完全なものではないですし,国が違えば生い立ちも違い出来上がった著作権も違うでしょうし.
で,私が思う音極道茶室さんの問題としたいことというのは,「対象とする問題について,どこが問題なのか深く考察もしないまま煽るマスコミと,問題を考察するために大事な情報が欠落した状態で感情のまま思ったことを口にする大勢の人々の在り様」であると思うのですが,いかがでしょうか?

[音楽][本] 日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている : 音極道茶室

漱石と鴎外と太宰と藤村の「著作権ビジネス」 : 活字中毒R。 森進一の事件は取り上げてこなかったけど、案外世間は川内派が多いのは確かに驚きでした。こうして戦前…

※1と※8はJASRACのカルト信者か何かか。
かなり薄気味悪いな。

なんだか私はこの問題はおかしい、とも思うのです。
確かに「著作権」とか、法律的とか、上下関係とかっていう問題もあるかもしれません。
しかし、この歌って、誰のものですか?
歌う人?作った人?
いいえ・・・
聞く私たち全てだと、思うのです。
歌う人も、多くの人に聞いてもらいたい、と思って歌っているのでは?
彼が歌わなくなったらら、この歌はなくなりますか?
いいえ・・・
カラオケで歌うでしょ?
もう、長いことそうしてきた歌に、今更・・と思うのは、気が良すぎますか?
セリフ・・入れては、そんなにいけないんですか?
確かにオリジナルをいじられていい気はしないかも。
でも、そこは大人同士。もう少し話をしてほしい。
そして、誰のための歌なのかを、もう一度思い出してほしい、と私は思う。
権利とか、法律とかじゃなくて。
歌って、本来もっと自由なものじゃない?

川内氏激怒「卑しい心の子どもにレインボーマン歌わせない」

資料写真: 愛の戦士レインボーマン → amazonで詳細情報を確認 大御所・川内康範氏の怒りがおさまらない。ついに「あいつらの心は腐ってい…

ネットで盛り上がらないのは著作権概念がどうこうより森さんって誰?って人が多いからじゃないでしょうか

作者を貶める為にそいつの作品を引用する表現は正当化されるのか。

音極道茶室: 日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている 法的な正当性の話は横に置いておく。そもそも、「クリエイティビティ」を活かすってだけの話なら「著作…

[著作権]日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されてなどいない

音極道茶室: 日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている 本来あるべき著作権の議論から見れば、明らかにバランスを欠いている。このアンバランスさに全く違和感…

>森さんって誰?
|Q。)<誤読四天王の一角を(ry
な自分は別な何かに毒されていそうと云えそうですねぃ

お久しぶりです。
小倉+匿名という「単語」を出しているだけでこの荒れよう(笑)。
小倉という「単語」を書かなかったならば、J2さんが言いたかったことはそれなりに伝わったような気もするのですが。
真面目なことを言いたい場合は小倉という「単語」は出さないほうがいいのではないでしょうか、今後いっさい。
(それにしても普通の小倉さんが可哀相だなあ)

おぷんそすの世界でも、日本だけは、オレオレGPLが通じる国だから特別なのら。オカシス

おふくろさん騒動についてのまとめ

どうも著作権のことを根本から良くわかっていない人が多い。
みんながよくわからないのをいいことに「川内氏の行動は法的に根拠がないらしい」とか洗脳を試みる者もいた…

他人によるパロディ作品に原作者の名前が書かれていたら怒るのも当然だと思います。
この場合は一部改変ですが。

[雑記]「気に入らない」ということで歌わせないとは?

このところ著作権関係の情報を穿り返している。いろいろあって面白いのだが、そのなかで森進一の「おふくろさん」に歌詞を追加して勝手に歌ったとして作詞家の川内康範氏…

川内康範氏の主張に違和感を感じ続けていたものがはっきりした。つまり権利至上主義という自我肥大なのだ。伊吹文部科学大臣がの「人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になるんですね」を思い起こす。

 この問題は著作権の問題じゃない、というのがたけくま先生をはじめ、多くの人の認識なんだろうと思う。おそらくもうちょっとデリケートな個人間の問題のような。
 そのデリケートな問題に著作者人格権が動員されてる事を小倉先生が「JASRACに委託されてる場合、著作権はそういうもんじゃなくなりますよ」と解説してくれた。
 その2人の文から感じるのは「たぶん、著作権法は感情や思想のもつれを解く道具じゃない」って事。
 個人間の問題にマスコミが土足で踏み込んで、そこに著作権法が出てくるのは大変に美しくない光景ですね。(そう思ってるからこの騒動についての知識は非常に貧弱…なのにコメントしてごめんなさい。)
 確かに「ゆがんだ著作権意識」の苗床は整ってる気がするので、j2さんの警告は自分への戒めとして重く受け取っておくべきかも。

多数決で決まるんだ?「こうあるべき」って奴は?
「よそ様はこうなんだよね」ってか?物知りな事で。
この文章の論調からは、「本来こうある方がみんなハッピーになれる。それに、世界もこうしてる」ではなく、
「世界はこうしてる。日本だけが変だ。世界にあわせるべきなんじゃないか?」という話にしか見えない。
こういう書き方だと、「グローバルスタンダード様に洗脳されてますよ」とか言われるんじゃないですかね?

秘伝のタレを抱え込みたい創業者とアレンジを加えたいのれんわけの弟子の争いみたいなものか。
客にしてみれば上手い物が安く食べられればそれで良い。

[著作権]音極道茶室: 日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている

ゆがんでるかどうかは置いといて、私も気になってたんですよねコレ。セリフ追加で訴えられる?ライブとかだったらセリフ追加するのは普通の事だと思うんだけど…。と、ず…

森進一の件ですが、あれは著作権と別々に切り離して考えるべきだと思います。
いくらプライドの高い作詞家であろうが、「一度や二度なら普通は許す」というのが普通だからです。
多くの人間に支えられて歌手が続けられるのに、「俺が歌ってやるから感謝しろ」という失礼な姿勢が今回、問題にされているからです。
また、作詞は音楽にもっともに合う発音を厳選するなど、常人では理解できない領域に達することがあり、個人の勝手で改変するというのは、他者の自分に対する仕事を踏みにじる姿勢になるからです。
著作権が話題に出たとしても、この場合の問題点は全くの別物である、と考えるべきでしょう。

森さんのセリフは基本的に前奏の時なんだが…
川内さん、前奏の時は無言で..とかいった譜面や作詞をしたのかね?そうでなければ、おかしいよな。
いるかの深夜放送で歌を流す時、ずっと重ねてリクエストを読み上げていて、笑いネタにしたけど、それは問題になってないのだが…

>24
アレンジを加えたくせに、「(創業者の店名)の味」って掲げるから創業者が怒るんでしょ。
うちの名前を使うのなら、ちゃんとうちの味を使えと。
使わせないうんぬんは感情的対立の産物なので、ここでは置いておく。

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昔の若者です。
その昔、喜劇俳優だった森重久弥が、いつのまにやら、メディアの中で、天皇と呼ばれていた時代があり、今、メディアの中では、北島三郎が、御大々と呼ばれており、NHKをはじめ、その事に全く違和感なしで、放送している。視聴者の私から見れば、相変わらず芸能界の内輪事を、押しつけてくるなと言いたくなる。
日本人の特質として、事の本質を、様々な角度から、自分で考えてみると言う事をしないで、他人(メディア等含)の考えに乗っていくところがあり、結局そこを上手に突いて行こうと、様々な策が国中を飛び交っている。
川内康範は、賞や、名誉を数多くもらっている、立派な人という前提に立って、放送内容や記事が、編集されていかないかを、厳しくチェックしていく必要があると、私は思っている。
音楽は、いつの時代でも、その良し悪しは、大衆が決めるものである。

>この記事は、「おふくろさん騒動」を素材に著作権について語るエントリーなので、
>「揉め事」としてのゴシップ的側面はスルーしてます。そこをご理解ください。
>そういう意味で、「あえて空気読んでない」部分はあると。
>もう少し言わせていただけば、ゴシップとしてのこの騒ぎは最早マスコミの
>「恣意的報道」の真骨頂なので、報道の論調をそのまま鵜呑みにするのは慎重な方が良いと思います。
世論の読み解き方を見る限り、あなたの記事自体「恣意的報道」以外の何物でもありません。
こういうの”ダブルスタンダード”って言うんですよ
知ってます?

せっかくもたれた話し合いの場をすっぽかし
その後も倣岸不遜な態度をとられたうんぬんで
これは単純に著作権を語れる問題じゃないと思うんですが

川内氏の存在は、単なる老害としか感じられません。忘れ去られようとしている老人の依怙地な偏屈な憤慨、もはや聞く耳を持たず相容れあうことを拒んだ一方的な主張。悪い老い方の見本になっていると思います。こんなふうに老いたくはないものです。

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