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YouTube独断Best5シリーズ第2弾。
最初はPRIDEだけでBest5選ぼうと思ってたけど、ドリームステージがガンガン削除依頼だしてる事もあってPRIDE系はちょっと品揃えがイマイチ。急遽、K-1込みに。格闘技ファンならずとも必見の映像集です。




5位-- PRIDE8 イゴール・ボブチャンチン vs フランシスコ・ブエノ

初期PRIDEの伝説のKO劇。PRIDEの凄さを象徴する試合としてトレイラー映像等でも一時期使われまくった。特にこの映像のラスト、ブエノの表情を正面から捉えたスローモーション映像を見ればその破壊力が判る。



4位-- Dynamite(2002) アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ vs ボブ・サップ

ボブサップをただのデクの棒だと思ってる人は必見。
当時、世界最強のヘビー級格闘家として最盛期を迎えていたノゲイラに、まだ無名だったボブサップが挑んだ試合。サップは単に「大きい」だけのイロモノ的位置づけでノゲイラの圧勝と思われたが、常識外れた身体能力とモチベーションの高さでノゲイラをあと一歩のところまで追い詰めた。これはボブサップのベストバウトだろう。
セコンドにはジョシュバーネットが付き、練習量豊富でよく体が動いていたし、ハングリー精神に満ちていて闘いへの気力も充実していた。
ノゲイラ戦でコアな格闘技ファンの注目を浴びたサップは、この直後K-1に乗り込んで稚拙な打撃技術にも関わらずパワーだけでアーネストホーストをKO。格闘技の常識を次々とぶち壊し、一躍スターダムにのし上がった。今では酷い体たらくだが、この年のサップは本当に強かった。



3位-- K-1(1997) フランシスコ・フィリオ vs アンディ・フグ

当時、極真空手最強の呼び声が高かったフィリオがK-1に初参戦した試合。
片やアンディ・フグは前年K-1グランプリを初制覇して最も好調だった時期。極真時代のフグとフィリオの因縁もありこの試合はおおいに注目を浴びた。試合はまったく腰の入っていないパンチ一撃でフィリオがフグを衝撃KO。
スローモーションで見るとホントに腕だけのパンチなのに喰らったフグの頭蓋骨の揺れが凄い。
フィリオはこの年勢いにのってK-1グランプリ本大会にも参戦。1回戦のサムグレコ戦もワンパンチKO。フィリオの余りの強さに、K-1ファンはマンガの世界を目の当たりにしたかの様なロマンに酔いしれた。準決勝でアーネストホーストに判定で敗れたが、当たれば一撃で決まってしまうという緊迫感が試合を最高に面白いものにした。2000年には、今度はジェロムレバンナがこのフィリオを一撃で壮絶KOし、「千年に一度のKO劇」と語り継がれる事となる(映像があればバンナvsフィリオを3位にしたかった)。
フィリオが全盛期だった頃は、K-1が最もエキサイティングな時代だったと思う。



2位-- K-1パリ大会(2002) ジェロム・レバンナ vs マーク・ハント

前年のK-1グランプリで優勝候補筆頭だったバンナは、一回戦でハントに破れ、結局ハントがグランプリの覇者となった。この試合は、バンナにとっては地元パリに凱旋してのリベンジマッチであり、絶対に負けられない試合だった。
特に2ラウンドはK-1史上に残る壮絶な打ち合い。個人的には、これがK-1最後の名勝負と思う。
昨今のK-1にはこの当時の輝きはもはや無い。



1位-- PRIDE21 ドン・フライ vs 高山善廣

文句無しで、日本格闘技史上のベストバウトと思う。ホンモノのド突き合いとはこういう事だ。何度見ても感動する。マジ凄すぎ。
一流は一流を知る、とでも言おうか。二人とも真のプロフェッショナルでエンターテイナーでもあるからこそこんな試合になったと思う。
正直、高山ってそんなに好きじゃなかったのだが、この試合ですっかり評価が変わった。高山はその後、ハードな試合内容の蓄積が影響したのか、脳梗塞で倒れる。
2年の休養リハビリを経て今年7月現役復帰した。

PRIDE, K-1には他にも名勝負がたくさんある。
YouTubeに映像が無かったり、尺が長すぎて今回取り上げなかった試合もある。
いろいろ悩んだけど、1位だけは絶対(笑)。

ちなみにこのBlogのTOP画像で睨みを効かせているのはドン・フライだったりする。

ここ10日ほど、亀田騒動でネットもマスコミも騒然といった感じだった。

で、その文脈の中で、しばしば24年前の「薬物オレンジ事件(毒入りオレンジ事件とも言われる)」が取り沙汰されている。

亀田興毅も所属する協栄ジムが起こした日本ボクシング史上に残る一大スキャンダルなので、その事件の名が挙がるのはまあ当然なのだが、何に驚いたって、肝心の「薬物オレンジ事件」騒動についての詳細な情報がネット上にほとんど皆無な事。Googleで検索すればそれなりに件数はヒットするものの、どの記事を見ても情報が少なすぎるし、明らかな間違いもあったりで、事件の内容を詳しく知りたいと思っても全然情報が得られない。

例えば、はてなキーワードの「毒入りオレンジ」の項の記述はこんな感じ。

日本ボクシング史上最悪と言うべきスキャンダル。

1975年3月4日発売「週刊文春」で故金平正紀協栄ボクシングジム会長が具志堅用高の防衛戦の相手に薬物を混入したオレンジを食べさせたと糾弾し騒動になった。

まず、基本的な誤りとして、このスクープを週刊文春が報じたのは1975年じゃなく1982年。
[追記]
はてなキーワードの記述が1981年に修正されてた。でも正しいのは1982年。


あと、ここが重要なのだが、薬物混入の対象となった相手選手の名が明記されていない。実はこの「相手選手」が超重要なのである。このあたりをキチンと考察すると亀田騒動との関連も良く判るのだが、相手選手の実名を挙げた上でこの事件について詳細に解説しているサイトは私が探した限りでは一つも無かった。

これはいけない。この事件について何かテキストを残さなければ、という衝動で、このエントリーを書こうと決めた次第。


前置きが長くなったが、本題に入ろう。
まずは このリンク先を見ていただきたい。ビデオリサーチ社が発表したボクシング中継の歴代視聴率TOP10である。先日の亀田戦は視聴率歴代2位にランクインしている。では亀田でさえ超えられなかった視聴率歴代1位の試合は何か。

1978年5月7日の具志堅用高vsハイメリオス戦である。

そして、この試合こそが、協栄ジムが相手選手の食物へ薬物混入を画策した(と言われる)最初の試合なのだ。


まず、この試合の背景を簡単に解説しよう。

具志堅にとってはハイメリオスとの2度目の闘いであった。
両者による最初の試合は、具志堅のタイトル初防衛戦(1977年1月30日)。
具志堅が序盤にダウンを奪われ、その後も決めてを欠いたまま判定にもつれ込み、結局僅差の判定で具志堅が勝った試合であった。
試合後、具志堅の両目は大きく腫れ上がりどちらが勝者か判らない様な苦しい試合だった。

ハイメリオスはこの階級の初代世界王者でもある超実力者だった。間違いなく具志堅の対戦相手の中では最強だった。

その後は具志堅も危なげない強さで防衛を重ねた。そして、5度目の防衛戦として再びこのハイメリオスと戦う事となったのである。

日本が誇る若き天才ボクサーが、唯一大苦戦をした相手とのリターンマッチ。それが高視聴率の要因となったのだ。


結局、歴代最高視聴率を記録した具志堅vsハイメリオスのリターンマッチは、13ラウンド具志堅がKOでリオスをマットに沈めた。
具志堅はその後防衛記録を13回まで伸ばし、日本を代表するボクサーとして歴史に名を残した。ハイメリオスはこの後一戦だけして現役を引退する事となる。
[追記]
※正しくは、具志堅戦直後に引退し1992年にカムバックして2試合戦った様だ。


そして、この試合からおよそ4年後、協栄ジムによる薬物スキャンダルが週刊文春に報じられ世間は大騒ぎとなった。

当時私は中学3年だった。具志堅の世界タイトルマッチは全てリアルタイムで見ていたから、このスキャンダルはかなりショックだった。

この薬物疑惑の発端は、具志堅vsハイメリオス再戦の際、協栄ジム金平正紀会長がリオスの宿泊先ホテルの料理長に働きかけステーキに薬物を混入させたという内容だったと記憶している。だから当初は薬物オレンジではなく薬物ステーキ疑惑だった。
ちなみにこれが「薬物オレンジ事件」と言われる様になったのは、一連の疑惑追及の中で金平会長が渡嘉敷勝男選手の対戦相手である金龍鉱にオレンジを贈っていた事が発覚して、話題の中心がそちらに移っていった(疑惑発覚当時渡嘉敷は現役世界チャンピオンだったが具志堅は既に引退していた)為と思われる。

誤解が無い様に強調しておくが、具志堅用高は本当に強いチャンピオンだった。同階級の中では間違いなくその実力は頭抜けていた。先の歴代視聴率TOP10を見れば、半分の5試合が具志堅の試合である。それだけ見るものを納得させ、熱狂させたのだ。

『薬物オレンジ』スキャンダルの真相は今もって闇の中ではあるが、仮に本当だったとしても具志堅の戦績が不正に依拠した偽りのものだったとは思わない。薬物に頼る必要など基本的にはなかった。
しかしだからこそ、金平会長が薬物投入を思い立ったのがハイメリオスとのリターンマッチであったというのは、かなり説得力があったのである。


だから、「亀田はランダエタと再戦してきっちり勝てば良い」という意見には素直に同意できない。

両者の再戦がもし実現すれば、状況は具志堅vsハイメリオス再戦の時と酷似する。

具志堅vsハイメリオスの2度目の闘いは、歴代一位の視聴率と日本ボクシング史上最悪のスキャンダルを生んだ。

亀田vsランダエタの2度目の闘いは、果たして何を生むのだろうか。

トリノオリンピックで日本勢の不調が続く中、「カーリング」が俄然注目を集めた。ネット界隈でも多くのブロガー達が「カーリングおもろい!」と賛辞を送り、一方で的外れなカーリング批判記事を書いたジャーナリストは強い反発を招いた。小泉首相までがカーリングに言及。こんな状況を数日前まで誰が予想しただろう。

erictさんが、カーリングに纏わるメディアの良記事をまとめている。

不可視型探照灯:カーリングの裏舞台を伝えるマスコミの眼差し

必見。カーリングに纏わる話は「イイ話」が多いんで、裏話を知れば知るほどますますハマる。

日本のカーリングを語る時、「常呂町」を抜きには語れない。
今回の日本代表でも、小野寺、林、本橋のレギュラー3選手が常呂町の出身である。残る代表の目黒、寺田は南富良野の出身だが、中学高校時代は常呂町で腕を磨いた。人口は現在わずか5000人に満たない。そんな小さな町から3名ものオリンピック選手を輩出し、彼女らは世界のTOPと互角に渡り合った。

それは町ぐるみで「カーリングの歴史」を積み重ねてきた多くの人達の長い尽力の賜物であり、決して偶然ではない。そして、その「カーリングの聖地」常呂町が、あと11日で消える。
常呂町は今年3月5日に北見市に吸収合併されるのだ。


切ない。


これは単なる市町村合併じゃない。箱物誘致でも企業誘致でもなく、「カーリング」というコンテンツ、文化そのものを町興しの中心に据えた常呂町の慧眼に、全ての地方自治体は学ぶべきである。
常呂町が育て上げてきた「文化」を引き継ぐ北見市の責任は重大だ。北見市はその意味を正しく理解しているだろうか。

1980年にカーリングの元世界チャンピオンが北海道に招かれ、幾つかの町で普及活動をした。それ以来、北海道のローカルニュースや地元番組ではカーリングがしばしば紹介された。常呂町が町を挙げてカーリング普及に努める様子も、何度か特集番組を見た記憶がある。だから北海道では、カーリングの認知度はかなり昔から結構高かった。

しかし、それでも殆どの人はカーリングを正しく理解できていなかったと思う。

スイープ時の滑稽な動作などが要因だと思うが、学校などでカーリングはもっぱら「笑い」のネタだった。
掃除中に、箒を素早く動かしながら「カーリング~~!」と言えば、たいがいウケた。

あー今思えばなんと罪深い。ごめんなさいごめんなさい許してくださいマリリン。


映画「シムソンズ」も、観客動員がうなぎ上りと聞く。この映画にかける常呂町民の想いに関して、Sankei WEBにこんな記事があった
以下抜粋。

一方、「シムソンズ」を映画にしたいという話が町に舞い込んできたのは昨年3月。折しも合併が決まった後のことだった。町は映画を「卒業制作」と位置づけ、全面協力を約束。主演の女優、加藤ローサさん(20)らにカーリング指導を行った。漁協や農協は、カキやホタテ、タマネギなどの名産品を提供、炊き出しを行った。町民はこぞってエキストラとして出演、町ぐるみで作り上げた映画となった。


泣ける。

「シムソンズ」見に行かなくちゃ。

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