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考察

「ブックマークレイプ」の恐怖

「A君(仮名)」はIT系の専門学校に通うごく普通の青年だった。
どちらかといえばおとなしく、友人も多いほうではなかった。
「A君」はかなりヘビーなネットユーザーで、学校に行っている以外の時間はほとんどネットを徘徊していた。
彼が「はてなブックマーク」を使い始めたのは、約2年前。
典型的なネガティブブックマーカーで、彼のブックマークは「これはひどい」「死ねばいいのに」といったタグで埋まっていた。
「A君」のコメントは口汚いわりに、切れ味とか小気味よさに欠けていた。
どこかズレていて、読むものに「不快感」だけを与えるようなタイプ。
2ちゃんねらー的価値観をひきずっているのが垣間見えるというのもあって、はてブ界隈ではそのネガティブコメントもスルーされる事が殆どだった。正直言って誰にも注目されていなかった。
それが「A君」を油断させていたのかもしれない。「どうせ誰にも注目されていない」という思いが彼の言動を大胆にさせていた。
「A君」にとって、はてなブックマークはちょっとしたストレス発散の場所であった。
ある日、いつものように「はてなブックマーク」のトップページにアクセスした「A君」は、しばし呆然とし言葉を失った。
「人気エントリー」のトップには、昨日まで無かったURLが凄い勢いでブックマークを伸ばしていた。
「はてなブックマーク-●●●のブックマーク」 http://b.hatena.ne.jp/●●●
●●●の部分には、「A君」の使用するidが記されていた。
「A君」のブックマークページが凄い勢いでメタブクマされ、午後1時の段階で200ユーザを超えていたのだ。
「なんなのこれ… 意味わかんない….. 」
そうつぶやきながら、「A君」は強烈な不安感を抱きつつ、恐る恐るブクマコメントに目をやった。
「この人はいつもこんな感じなんですね」
「頭悪すぎ」
「タグクラウドがこれほどシンプルな人も珍しいwww」
案の定、あざけりや嘲笑のコメントが並ぶ。
しかし、なぜこんなことになっているのだろう?誰か著名なブロガーがこのブックマークを晒したのだろうか?
完全にパニックに陥りながらも、「A君」は自らブックマークして、そのコメントで懇願した。
「意味がわかりません。不快なら謝ります。やめてください!」
しかし、凄い勢いで増えていくブクマコメントの山の中にその1行は空しく埋もれていく。
「A君」は自ら「スター」bstar.gifを連打して自分のコメントを目立たせようと試みるがブクマの勢いは衰えない。
ブックマークページの設定をプライベートに変更してもお構い無しにブックマークは数を伸ばしていく。
2時間ほど抵抗を試みた「A君」だったが、憔悴しきった彼は程なく「はてな」を退会した。
その後、「A君」が「はてな」に姿を現すことは2度と無かった。
「A君」のid消滅後はさすがにブックマークは勢いを失ったが、結局600を超えるユーザにブックマークされた彼のブックマークページは、その日の人気エントリー断トツの1位になってしまった。
パニックに陥った「A君」は気がついていなかったが、実際のところブクマコメントの内容は、100ユーザを超えたあたりから微妙に変化を見せていた。
最初の100ユーザまでは確かに嘲笑や罵詈雑言が殆どだったが、それ以降はむしろ
「なんでこれが人気エントリーなんだ?」
と、この現象自体を訝る声や、
「DQNかもしれないが、ここまで晒されるとむしろ同情。本人も謝ってるじゃん」
といった同情論の方がむしろ多かった。
いずれにしても、そういった興味本位や同情ブクマも含めて、ブックマーク数は600を超えてしまった。
この「事件」は、一言で言えば「ブックマーク炎上」で済んでしまうのかもしれないが、「メタブックマーク」の持つコミュニケーションの非対象性や残酷さを浮き彫りにした。
通常のブログ炎上には必ず「きっかけ」がある。具体的には、何らかの意見の表明や失言、コメント欄での酷い対応がトリガーになる。
そして、ブログ炎上であれば、コメント欄の閉鎖やエントリそのものの削除など、ブログ主の抵抗手段はある。別エントリーで反論することも可能だ。
しかし、ブックマーク炎上、特にこの事件の様な「メタブックマーク」炎上だと、殆ど効果的な抵抗手段がない。被害者である「A君」には、「退会」以外ブックマークを止める手立ては皆無だった。ただひたすら耐えるしかなかった。
そもそもメタブックマークとは、「ブックマーク」という素材を1段上から見下ろして俯瞰する性質を持っている。当事者とのコミュニケーション自体を拒否するスタイルとも言える。
あるブログが、この事件を「ブックマークレイプ」と称し、「炎上」の残酷性、コミュニケーションの不在が増幅された醜悪な出来事だったと批判した。
このブログ記事は多くの共感を集め、「ブックマークレイプ」という呼称が多く使われるようになった。
この「ブックマークレイプ」事件は様々な余波をネット上に残した。
まず、気に入らない相手がいるとその人のブックマークページをメタブクマして罵倒する、というパターンが流行し、頻発した。そのいくつかは、小規模ながらも騒動に発展した。
一方で、俗に言う「アルファブロガー」の面々は、最初の「ブックマークレイプ」事件がなぜ起きたのかという点に興味を持った。
しかし、その点については調べれば調べるほど謎が深まった。
事件前に「A君」のブックマークページを晒したブログ記事は皆無だったし、2ちゃんねるや大手ニュースサイトで取り上げられた形跡も皆無だった。
いったい何がトリガーになったのか、誰にも判らなかった。
その疑問に対する答えは、突然解明された。それも、極めてショッキングな形で。
”例の事件の真相”
と題された動画がYouTubeにアップされたのは、事件からちょうど1週間後のことだった。
その動画には、痩せ型の男が写っていた。彼は自分を「X(エックス)」と名乗った。
「X」は、「ブックマークレイプを起こしたのは自分です」と語りだした。
「X」は事件について淡々と語りだした。その内容を要約すると、

  • 3ヶ月前から周到に準備していた。
  • あらかじめ、今回の計画に相応しいはてなユーザを100名ピックアップした。
  • その100名にはてなポイントを「投げ銭」した後、「こちらの希望URLをはてなブックマークしてくださればまた投げ銭します」
    とメールを出した
  • その後、当たり障りのないURLをブックマークする指示を出し、従ってくれたユーザには投げ銭、というやりとりを繰り返した。
  • 確実に指示に従ってくれた80名に、今回のターゲットを伝えた。今までの10倍のポイントを差し上げますとも伝えた。
  • ブックマークする時間、コメント内容も指示した。
  • 事件の経過は完璧に計画通りだった。最終的な600超というブックマーク数は予想より多かった。
  • 「ブックマークレイプ」事件という呼び名は、気に入っている

こんな内容だった。
そして最後に、
「この計画の動機は、私怨ではありません。
私がやった事の意味は、いずれ判る日が来るでしょう。では、さようなら」
そう言って、「X」はおもむろに小刀を取り出し、自らの腹に突き立てた。
飛び散る鮮血がビデオカメラにも付着した。血まみれの手でビデオカメラをストップするところまでを映し出し、その動画は終わった。
このショッキングな動画は、UPから1時間半後に削除された。
しかし、この間にダウンロードした数人の人間が、YouTubeやニコニコ動画に再掲した為、多くの人間がこの動画を眼にすることとなった。
その日の夜には、「男性が自宅で割腹自殺」という記事が新聞各紙に掲載された。
あれから3ヶ月。
「X」が起こした「ブックマークレイプ」事件は、数あるネット事件の中でも最悪の後味の悪さを残した。しばらくはネット全体がなんとも言えない重苦しさだった。
「X」は「やった事の意味は、いずれ判る日が来る」と語った。
しかし、彼がこの事件を計画した動機も、なぜ自殺する必要があったのかも、誰にも判らない。
しかし、1つ気がついたことがある。
あれ以来、「ブックマーク」でのネガティブコメントが激減した事を。