そもそも同一性保持の概念は「音楽」にそぐわない

 
プロのミュージシャンが「他人の曲」を演奏する時
 
「完コピ」する者など皆無だ(いたら笑い者だ)
  
  
  
「同一性保持」を言い出したら
 
例えば「JAZZ」というジャンルは消滅する
 
JAZZがインプロビゼーション「即興」で創られるからだ 
 
演奏するたびにJAZZは形を変える
 
 
 
ヒップホップもそうだ
 
「同一性保持」とは真逆の発想がヒップホップを生んだ
 
 
 
法律がどうであれ
 
それが 「音楽」の実態であり コンセンサスである
 
 
法律がどうであれ
 
そもそも同一性保持の概念は「音楽」にそぐわない
 
 
 
「おふくろさん」のバースについて言えば
 
川内氏が創作した部分は 一語一句変えられていない
 
イントロにすら かぶっていない
 
トッピングにすらなっていない
天丼の横に漬物の小皿を置いただけだ
 
 
「音楽」のパフォーマンスにおいて これは日常茶飯である
 
 
 
法律がどうであれ
 
それが 「音楽」の実態であり コンセンサスである
 
 
法律がどうであれ
 
そもそも同一性保持の概念は「音楽」にそぐわない
 

どうやら「おふくろさん」のバースには裏事情がいろいろあるっぽい

一週間に4エントリーなんて初めてかも?
仕事に支障が出てきたので(笑)しばらく小休止の予定だったけど、「おふくろさん」のバース部分に関してちょっと調べたら新たな疑問がいろいろ出てきたので、メモとして手短に書き留めておく。
まず、百聞は一見にしかず、YouTubeにあったバース付き「おふくろさん」はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=vOyRGDrcBsU
実際聴いてみると、セリフなんかじゃなく明らかな「バース」。これ同一性保持権にひっかかるのかけっこう微妙。バース部分が終わってから、メインのイントロが始まっててわりとその境目がハッキリしてる。
それはそれとして、このバース、調べてみるとかなり謎が多い。
ハッキリ言って、これは揉め事にならない方がおかしいよ。なんか明るみに出ていない裏事情がいろいろありそう。

調べてわかった事
  • このバース部分にはちゃんとした「作詞家」がいる。ちなみに作曲は原曲と同じ猪又公章とのこと。
  • 「作詞」は、保富康午氏とみて間違いなさそう。Wikipediaの氏の項目 作品欄にも「おふくろさん(前奏部分)」という記述がある。
  • 保富氏は、川内氏に勝るとも劣らない大御所っぽい。JASRACのデータベース で検索すると、
    「科学忍者隊ガッチャマン」や「サザエさんのうた」の作詞、「大きな古時計」の訳詞などを手がけている
  • 「おふくろさん」のJASRAC登録に、保富氏の名前は無い
  • 「おふくろさん」の前奏部分が独立してJASRAC登録されているということも無かった
新たな疑問
  • 普通、新たにバースを作るとなったら、同じ作詞作曲家に依頼するのではないか?作曲は猪俣氏なのに作詞が保富氏になったのは何故?
  • 保富氏には、おふくろさんがバース付きで歌われても著作権料が入らない。これほどの大御所がこの仕事を請けたのにはどんな理由が?
  • そもそも、なぜ別の作詞家に依頼してまでこのバースを作る必要があったのだろう?
  • 素朴な疑問だが、仮に保富氏が今も存命で、今回の騒動に関してバース部分の「保富氏自身の著作人格権」を主張して川内氏と対立したら、法解釈的にはどうなる?
    JASRAC登録が無いので財産権は無いにしても、人格権は有効そうだよね?

なんか情報持ってる人がいらっしゃったら教えてください。

日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている

森進一の「おふくろさん」を巡って、作詞をした川内康範が「歌詞を勝手に改変した」と激怒しているいわゆる「おふくろさん騒動」。
この騒動はいまだに収束していない様だが、この件に対する世論の反応が興味深かった。
一言で言えば「意外」だった。
まず、たまたま目にした幾つかのテレビ番組では、明らかに「川内氏擁護」の論調だった。それ以外の多数の番組でも、判断には踏み込まず単なる「揉め事」として面白がっている様なニュアンス。明確な「森進一擁護」の論調は見当たらなかった。
テレビ以上に意外だったのがネットの反応。ネットでも森進一擁護の論調はかなり少数派。
あのたけくま先生でさえ、明確に「川内氏支持」を表明
川内氏に批判的なスタンスなのは、自分が目にした限りでは小倉弁護士 くらいか。
日頃からラジカルな改変パロディを好み、JASRACなどの権利団体を露骨に嫌悪する2ちゃんねるの様な場でさえ森進一を明確に擁護する人は少数派に見受けられた。これにはさすがに驚きを通り越して閉口してしまった。
「なるほど、見事に洗脳されてるんだなー」と妙に感心してしまった。
本来あるべき著作権の議論から見れば、明らかにバランスを欠いている。このアンバランスさに全く違和感を感じない日本人は、知らず知らずの内に「ゆがんだ著作権意識」に洗脳されているのではないか。
必ずしも、川内氏を支持する事を問題にしているわけではない。どちらが悪いかの判断は留保したとしても、今回の騒動では「本来あるべき議論」が欠落している。
それは「具体的に森進一がどんなセリフを語り、その内容のどの部分が問題なのか」という検証だ。
この「洗脳」のカギは日本の著作権法にある。日本の著作権法が定める「同一性保持権」は国際的にみても特殊な内容なのだ。
日本の著作権法が持つ特殊性を端的に説明している記事がクリエイティブコモンズのサイトにあった。
【CCPLv3.0】著作者人格権(同一性保持権)に関する議論 より抜粋。

ここで、皆さんに理解していただきたいのは、世界的には、著作者人格権のうち同一性保持権は、日本の著作者人格権とは基準が異なる、ということです。日本の著作者人格権は、著作者の意に反する改変について同一性保持権を広く認めています。これに対して、世界的には、著作者の名誉声望を害する態様での改変に限って、同一性保持権の行使を認めている国がほとんどなのです。

国際的な著作権法のベースとなるベルヌ条約でも、同様の制限事項がある。
ところが、日本の著作権法にだけはこの重要な制限事項がポッカリと抜けている。結果として、日本の原著作権者は「自分の気に入らない改変は全て認めない」と主張できる、絶対的で不可侵な存在になってしまっている。
そして、実際問題「オリジナルは基本的に絶対で不可侵」だという感覚は、日本人の中に無意識のうちに定着していないか。裏を返せば、著作物改変という行為そのものに必要以上の罪悪感を感じてしまう意識。
もちろんその感覚は法遵守という意味では真っ当なのだが、そこに疑問を持てないほど定着してしまっているところが「洗脳」と表現した所以だ。
その感覚は、一見「クリエイティブ」を保護している様でいて、現実には、改変やパロディに内在する「クリエイティブ」を不当に軽んじてしまう事になっている。日本の著作権法がなぜこのような形になったのか、その経緯は知らないが、そこには誰かの意志があり、何らかの力学が働いている。
日本には、著作権者や権利団体が他国に比べて強硬に振舞える土壌がちゃんと培われていたのだ。
昨今の著作権法を巡る動きとしては、これとは別に著作権保護期間の延長という問題がある。
欧米にならって著作権保護期間延長を訴えるのであれば、同一性保持権に関しても欧米にならって制限を設けたらどうか。そういう議論であれば、今よりも有意義になるのでは。どこかにトレードオフが無ければ権利者にとって虫が良すぎるというものだ。
余談になるが、先にも挙げた小倉弁護士の記事にあるように、仮に森氏側に非があったとしても、JASRAC管理楽曲を、作詞者が歌手に対して「今後いっさい歌わせない」と主張できる法的根拠は無いようだ。だから現行法においても、川内氏の主張は度が過ぎていることになる。この川内氏の暴走を諌める論調がメディアからほとんど出てこないのだから、深刻だ。
いずれにしても、現行法における同一性保持権の「過度な権限」からまず手をつけない限り、日本はいつまでたっても著作権後進国のままのような気がする。


[3/6追記]
この記事は、「おふくろさん騒動」を素材に著作権について語るエントリーなので、「揉め事」としてのゴシップ的側面はスルーしてます。そこをご理解ください。
そういう意味で、「あえて空気読んでない」部分はあると。
もう少し言わせていただけば、ゴシップとしてのこの騒ぎは最早マスコミの「恣意的報道」の真骨頂なので、報道の論調をそのまま鵜呑みにするのは慎重な方が良いと思います。
PE’Zの「大地讃頌問題」との比較で言えば、例えば森進一がセリフの追加を、レコーディング時に行っていて、それを発売前に川内氏が差し止めた、という流れであればPE’Zの場合と同じになります。現行法においても、川内氏が主張できるのは、
「冒頭にセリフを追加するな」
までであって、セリフの有無に関わらず、
「この曲を歌うな」「おれの曲は今後歌わせない」
というのは、権限の範疇を越えているのではないでしょうか。
「上から目線」というのは、この記事に関しては自覚していて、しかしこの表現が一番言いたい事が伝わる気がしたのでそのままにしました。

この動画戦国時代を最後に制する大本命は「字幕.in」なんじゃね?

盲点だった。
ニコニコ動画やRimoの派手さに目を奪われっぱなしだったのと、非営利個人サイトということで、ついつい軽視してしまっていたのかもしれない。
しかし、考えれば考えるほど、「字幕.in」はヤバイ。
本家のYouTube含め、どのサービスも軽視できないジレンマやリスクを抱える中で、「字幕in」だけがあらゆる障壁を回避できる可能性が高いという結論に達した。
satoru.netの中の人は可及的速やかにビジネス化に向けて動き出すべきだ。
私がマネーの虎の高橋がなりだったなら巨額の出資を申し出るところだ。
ヒントを与えてくれたのは、「字幕.in」に投稿されたこの秀逸作品である。
mixi経験者ならきっとお気に召すだろう。何度見ても笑える。

勘のいいユーザ達は、この作品を見ただけで
「なるほど『字幕.in』はこうやって遊べばいいのか」
と即座に理解する。
そして、表面上の仕様は似通っていても「ニコニコ動画」とは全く別のサービスである事に気付く。
さらに、この「面白さ」にはどこか既視感があることにも気付くだろう。
代表的なものを挙げると、以前はてなのコアユーザ達を震撼させ、笑いのどん底に突き落としたこの動画だ。

この作品の素材となった「キーボードクラッシャー」君の動画は、他にも無数のバリエーションを生み出しちょっとしたブームとなった。
そして興味深いのは「字幕in」のサービスにおいても、素材となる動画が特定のものに集中する傾向があるという事だ。
これらのヒントを元に考察してみると、「字幕.in」というサービスは、他のサービスが共通に抱える問題、具体的には
1.素材コンテンツの確保
2.著作権問題
2.回線インフラ及び負荷対策
のすべての要素において、大きなアドバンテージを持つと気付いちゃったのだ。
以下、そのポイントを順に説明しよう。


1.素材となる動画のインデックス数は、少なくて良い

もちろん多くても困ることはないが、必ずしも大量の動画は必要ない。
先に述べた通り、同じ動画を使い回すことで、別の面白さが醸成されるからだ。
極端な話、字幕素材として「使える」ものが数十動画程度でも、サービスは十分可能だろう。


2.素材そのものが「面白い」必要はない

むしろ意味不明な方が、ナイスな字幕が付いた時の面白さが増幅される。
これはとても重要なポイントだ。
まず、日本語である必要は全く無いどころか邪魔になる位なので、頭の固い日本の著作権利団体を最初から相手にする必要が無い。
先の「ミクシィ」作品はテレビドラマ「24」のトレイラーが素材となっているがそれも必然性はそれほど無いので、その気になれば運営者側が自前で素材動画を制作して、それをお題として提供する事も可能だ。
その場合だと、ユーザのアップロードにすら依存せずにサービスは成り立つ。
フランス語やポルトガル語や中国語やスワヒリ語の映像もあると良いかな。交渉窓口さえある国なら、日米より許諾は得やすそうだ。
レアな言語の方が秀逸な字幕作品を生みやすそうだし、「空耳」部門なんかも佳作が増えるだろう。
[追記]
考えてみると、「24」にしてもトレイラーなんだから、許諾とれる可能性はあるよね。いろんな映画やドラマのトレイラーを積極的に素材とすれば、逆にそこから広告料収入だって夢じゃない。いずれにしても、いろいろと前途は明るい。


3.クライアント側のキャッシュが再利用される頻度が高い

上記、1,2の要素が結果的にキャッシュの再利用率を飛躍的に高める。
実際、「字幕.in」で同じ動画の複数作品を見てみると、ロードされるのは最初の作品だけだった。
整理すると。
素材動画が少なくていいから、ぶっこ抜きとかしなくても無問題。
権利問題クリアも全然いけそう。
回線インフラも負荷も、キャッシュ利用率が高くてウマー。
すごいよ。ノープロブレムだよ。
非営利なんかでやってる場合じゃないよ。
うかうかしてると、他に横取りされちゃうよ。
文面は軽めのノリですが、内容は超マジです。
とりあえずsatoru.netの中の人にトラックバックしといたろ。

「ニコニコ動画(β)」とは結局何だったのか

ここ数日ネットではニコニコ動画の話題で騒然という感じだった。
大方議論は出尽くした感もあるが、技術的理解度のばらつきが余計な混乱や誤解を招いている様に見受けられるし、重要なポイントが見過ごされてる気もするので、ここまでの総括を兼ねて整理しておきたい(長くなる予感)。
まず、この件を知らない方の為にあらためて経緯をまとめてみる。

2007年1月15日 YouTubeやAmebaVisionの動画に任意のタイミングでコメントを付けられる
サービス「ニコニコ動画(β)」開始。大きな話題を集める。
※ちなみにニコニコ動画の試験サービスは2006年12月から既に行われていた。
1月31日 ニコニコ動画βの月間PVが早くも1億を突破
2月7日 ニコニコ動画βの投稿コメント数が1000万件突破
2月20日 この頃からニコニコ動画へのDDoS攻撃が断続的に行われる
2月23日 ニコニコ動画βサービス一時停止。アナウンス上の停止理由は、DDoS攻撃の激化だったが
その後、YouTubeからニコニコ動画ドメインに対するアクセス遮断が判明。
2月24日 ニワンゴがニコニコ動画βサービスの終了、新サービスへの移行準備に入る事を発表。
2月27日 ニコニコ動画停止を影響で、YouTube動画に字幕を付けられる同系統のサービス「字幕in」の
アクセスが急増。1日200万PVに。
なお、字幕inのサービス自体は、1月14日から既に始まっていた。
3月1日 3月5日よりニコニコ動画を再開すると発表。
YouTube対応は当面見送り、替わりに自前動画投稿サイト「SMILE」(仮)のサービスも開始すると発表された。

こうした一連の経緯を受けて、ブログ界隈でもこの話題で盛り上った。
特に注目を集めたのは、「ニコニコ動画はYouTubeにとって脅威だった」「アクセス遮断はYouTubeにとって失敗だった」といった論調の記事で、代表的なものは以下のエントリ。
ニコニコ動画とYoutubeとWeb2.0時代の終焉
Mind Clip ニコニコ動画がYouTubeに嫌われた本当の理由。
これらの記事に対するカウンタとして、昨日あたりからはてなブックマークでも人気になっているのが「最速インターフェース研究会」のエントリー
「ニコニコ動画はYouTubeにとって脅威になったのでアクセス拒否された」みたいな論調に話を持って行きたがる人たちについて
紹介は省くが他のブログにも興味深いエントリーが多数あった。
以上がこれまでの大まかな流れ。さてここからがこのエントリーの本題。


ニコニコ動画βの技術的考察

冒頭にも書いた様に、技術的な誤解が元で議論が拡散してしまった印象を個人的に持ってるので、まずその点についてちょっと整理したい。
ニコニコ動画βの実装において、重要と思われるポイントは以下の3点。

  1. 主要な機能は全てFlashで実現されていた
  2. サービスを(YouTubeとの事前交渉無しに)実現する為には、FLVファイルのURI取得(ぶっこ抜き)が必須だった
  3. FLVファイルのURI取得は、YouTube-APIでは提供されていなかった

2,3については、最速インタフェース研究会さん始め、幾つかのブログが既に指摘している通り。
またFLVパスの具体的な取得方法については、ニコニコ動画みたいなものを作ってみるテストと問題点 というエントリーでZAPAさんが実に丁寧な検証をされているので、興味のある方はそちらを参照されたし。
ここで補足しておきたいのは、スクレイピングという手法自体は必ずしも「不正」という訳ではないよという点。特に、API提供というトレンドが無かった頃のWEBにおいては当たり前に行われていた手法の総称で、そもそも「正しい」とか「正しくない」という範疇の話ではなくて、あくまで当事者間の利害関係によってケースバイケースで語られるべきもの。
だから「なんだ、やっぱニコニコ動画は不正なアクセスをしてたのか」みたいなリアクションはいささか過剰反応だし、逆に「アクセス遮断しやがった!」と逆切れできる程の正当性も無いよというレベルで捉えるのが丁度良いと思う。
[追記]
この部分は、「スクレイピング」という言葉自体をネガティブな意味だと解釈している人が見受けられたので、その点に関する補足として読み取って欲しい。
今回の「当事者間の利害関係」まで踏み込めば、ぶっこ抜き行為がYouTubeにとって少なくとも「ウェルカムではない」のは確かで、過去にflvパスの取得仕様が突然変更された事を考えてもそれは明らかだとは思う。しかし本当に「不正」ならばその時点でRimoもアウトなわけで、ここは早計な判断で結論を急ぐべきでもないと思う。
[追記ここまで]
それよりもここで強調したいのは、1の方。ニコニコ動画にしろ字幕inにしろ、Flash無しには有り得ないという点。ニコニコ動画βが短期間に開発を進められたのも、字幕inが個人の非営利サイトで実現できているのも、Flashというプラットフォームがそれだけのポテンシャルを機能として最初から持っていたから。
ニコニコ動画βを異常に過大評価しちゃってる人には、そこが伝わって無い気がした。
実際、Flashでの実装はある程度ActionScriptに精通した人であればハッキリ言って簡単だ。
その実証として、私もちょっとした「なんちゃってニコニコ動画」を作ってみた。開発工数は2時間。

Flash上のローカル変数にコメントの履歴20件分とその時のタイムコードを配列で残しているので、動画を先頭に戻して再生すれば、自分のコメントも時間軸に沿って再生される
(他人のコメントは当然残らない、念のため。また、ローカル変数なのでリロードすればクリアされる)
このサンプルではサーバサイド連携はしていないが、あとはこの情報をサーバサイドに飛ばしてDBに蓄積し、XML情報としてFlash側にフィードバックしてあげれば、それだけでニコニコ動画の仕様はほぼ実現できる。
動画は以前話題になったJRメドレーを選んでみた。
ちなみにコメント位置の縦座標はランダムにしているので、再生の度に位置が変わる仕様になっている。
動画再生中の定期的なタイムイベントをPlayerオブジェクトが生成し、それを受けるリスナーオブジェクトを登録して、その時のタイムコードをこれまたPlayerオブジェクトから取得、文字列オブジェクトを動画上にアタッチしてフレームイベントでアニメーション、などなど、必要な機能がいたれりつくせりなFlashだからこそ実現できる。
何が言いたいかというと、この程度の「マッシュアップ」の可能性は、YouTubeが配信プラットフォームにFlashを選択した時点で当然折込済みだったろう、という事。
今でこそFlash Video(flv)は動画ポータルにおける配信フォーマットの主流になったが、そもそもこの流れを作ったのがYouTubeとGoogleVideoであり、2005年当初は比較的マイナーな存在だった。
例えばGoogleにしても、GoogleMapをAjaxで実装した時「Flash採用を嫌ったのでは」という見解が支配的だった。それが動画配信ではあっさりとFlashを選択したのも、その圧倒的な可能性を見抜いていたからに他ならない。
つまり、彼らの先見性にやっと時代が追いついてきた、というのが昨今の状況であって、ニコニコ動画が秀逸なサービスである事に異論は無いにせよ、「YouTubeがニコニコ動画に脅威を感じた」とまで言ってしまうのは、いささか欲目が過ぎるのではないかと思う。
ちなみに、Flashファイル上の動的テキストが検索にヒットする事は無い。そもそもSEO的にFlashは不利というのが定説で、ほぼ画面全体がFlashで覆われていたニコニコ動画βは、Player部分のみFlashを採用しているYouTubeと比べても検索との親和性は低い。


ニコニコ動画βが「画期的」だった点

ニコニコ動画が「画期的」だった事に疑問の余地は無いと思う。特に「これはスゴイ」と感じたのは異常なまでの「コメントする時の障壁の低さ」だった。
2ちゃんねるに書き込んだ事はいまだに無いが、ニコニコ動画には仕様確認も兼ねて何度かコメントしてみた。
で、実際コメントしてみて驚いたのが、その「気楽さ」だ。
どんな場違いなコメントも、あっという間に流れていく。誰も自分のコメントなど気に留めていない。そのくせ、妙な一体感が醸成される。そもそも書き手を特定する情報が無いから絡まれたりする心配も無い。
2ちゃんねるで言う「この速さなら言える」状態が定常的に続く感じ、とでも言おうか。気楽にも程がある。
あれほどまでに「書き込む快感」が増幅されるサービスは過去に体験した事が無かった。正直楽しかった。
これは2ちゃんねる文化を擁する日本でしか生まれないサービスだな、と感じた。
コメントするのに、id登録すら必要無いというのはよく考えるとかなり大胆だ。コメンターの絶対数を推測する手がかりを捨てるのは運営サイドとしては勇気がいる。そして、その結果生まれた「気楽さ」がアクセスの急増に寄与した最大要因だと思う。

最後に

結局「ニコニコ動画β」とは何だったのか。
一言で表現するのは難しい。
WEB2.0的世界観に内在する不確実性とか、YouTubeがいまだに抱える著作権問題とか、衆愚としての2ちゃんねる文化とかこれまで問題視されながらも存在し続けてきた様々な要素をすべて巻き込んで2ヶ月足らずで巨大化し、散ったあだ花か。
ニコニコ動画βについて何を語っても妙な残尿感が残る。エントリーを書き進めていくうちにかえって混乱してきた。
もうすぐニコニコ動画の新サービスが始まる。
今後どんな展開になるのかはわからないが、何か進展がある度に短絡的な判断を下してあれこれ言うのはしばらく慎みたい。
なんとなくそんな気がしてきた。全然まとまってないw。ゴメンナサイ。
[追記]
要望いただいたので一応「なんちゃってニコニコ動画サンプル」flaファイル置いときます。
Flash Pro.Ver8です。
nicosample1.zip