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『初恋の嵐』というバンドを知っていますか

YouTubeでJ-POPの音楽を適当に漁っていたら、思いがけず『初恋の嵐』のデビューシングル、『真夏の夜の事』のPVを発見してしまった。4年前の記憶が蘇った。また何度も繰り返し見てしまった。
もちろんご存知の方にとっては私の解説など不要だろう。しかし、まだこのバンドを知らない人が多いのではないかと思い、突発的にこのエントリーを書いている。
この曲が発売された当初、ヘビーローテでこの曲ばかり聴いていた。
ボーカル、ギター、ソングライティング担当の西山達郎を中心とするスリーピースバンド『初恋の嵐』は、2002年にメジャーデビューし、1枚のシングルと1枚のアルバムを残した。
2000年頃からインディーズでの活動で着実に人気を獲得していった彼らはユニバーサルと契約し、2001年からレコーディングに入った。
しかし、2002年3月、バンドの中心メンバー西山が急性心不全で急逝する。
レコーディングは頓挫。しかし、全国のファンから寄せられたリリースの要望を後押しに残るメンバー、スタッフが音源を引継ぎ、アルバムを完成させた。
曲だけ聴いても素晴らしい。PVだけ見ても秀逸。
しかし、その裏にあるエピソードを知り、さらにこの曲の歌詞が持つ世界観に気付いた時、感動が倍化する。
メンバーの急死、それを信じたくないファンの思い、日本人独特の哀愁漂うメロディ、想像と現実が交錯する歌詞の世界観、その世界観を見事に再現したPVの絶妙な演出。
幾多の要素が折り重なって、奇跡の名曲に仕上がっている。
J-POPには、ヒットチャートに現れない隠れた名曲がある。この深い味わいを堪能して欲しい。

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社会・政治

レッシグ氏に、YouTubeについて質問してみた

昨日、札幌市立大学が主催する産学連携公開講座というのに出席したのだがなんと講演者はあのローレンスレッシグ教授だった。講演のあと質疑応答の時間があったので、レッシグ氏にYouTubeについての見解を訊いてみた。
レッシグ氏がYouTubeをどう見ているのか、以前からメッチャ興味があったのだがまさか自分が直接質問する機会に恵まれるとは夢にも思わなかった。巡り会わせというのは不思議なものだ。
以下は、私の質問とそれに対するレッシグ氏の返答。私の英語力ではあまりに心許ないので、当日の伊藤穰一氏の同時通訳をベースに一部筆者の意訳を交えながらテキストに興してみる。
(録音ソースがあるのでpodcastしたいところだが今のところは保留。主催者側を通して許諾願いは出してみる。)


-J2
(簡単な自己紹介の後)
今、日本でもYouTubeという動画サイトが大変な人気なんですけれども、レッシグ先生から見てYouTubeっていうのはどういう存在なのか、ぜひお聞きしたいと思います。
-Lessig
複雑な気持ちのMIXだ。
一つはYouTubeによって、クリエイターがコンテンツをより簡単に配信するという事を行えるのは良い事だ。
しかしながら、彼らはビジネスモデルの中でかなり法律ギリギリのところでビジネスを行っていて著作権違反のものがたくさん載っている事を理解した上で彼らはビジネスを進めている。
その結果、おそらくは国に対して、もっとYouTubeみたいな使い方をlimitする方向に法律を変えようというプレッシャーが掛かってくるのではないか。
今までのところYouTubeというのは訴えられるとか裁判というのはまだそれほど起きていない。
どちらかというとコンテンツ企業側はYouTubeと契約をして、自分達のコンテンツが配信されればそれによって自分達の売上にもそれが反映されるという方向で模索しているようだ。
例えばワーナーミュージックがYouTubeと契約をして、限られたエリアの中でワーナーミュージックの一部コンテンツがReMIXされたものはYouTubeに載せる事が出来る。
ワーナーによるコントロールが効くエリアの中で行われているという意味では、我々が求めているオープンなシェアリングではなく、結果的には契約に基いたコントロールがまた強まっていくのではないか。
YouTubeは、(コンテンツ)シェアリングの一つのあり方を社会に提示している訳だが、これを社会全体が見て、自分達が求める未来かどうかという検討をして、いろいろな企業が集まってやはりこういうスタイルは都合が悪いとなった時に、結局法律が変えられてYouTubeの様なビジネスがlimitされてしまう事が一番心配だ。


テキストを読んだだけでは伝わらない部分を少し補足すると、講演時や他の質問に対する答えに比べてこの時のレッシグ氏は歯切れが悪かった。注意深く言葉を選びながら話をしていた感じ。
YouTubeの有り方をどう位置付ければ良いのか、レッシグ氏も判断しかねている印象を持った。
返答の冒頭で即座に”mix”という単語が発せられたのが印象深い。
おそらくYouTubeが余計な刺激を与えてしまうと、結果的にレッシグ氏の活動にも支障が出かねないという心配が大きいのだろう。それも理解できる。
レッシグ氏の困惑は即ちビジネスマンと学者の発想の違いなのかもしれない。
ここまでのところかなりうまく立ち回っているとはいえ、依然としてYouTubeはリスキーな場所にいるんだなぁという事を再認識させられた。まだまだ予断を許さない。
しかし先の見えない勝負ほど見ている方は面白い。
このハラハラ感がそのままYouTubeの今の勢いに繋がっているのではないか。