「電車の中で(エロ?)漫画を読んでいたという理由で有能な社員を解雇しちゃった」辻豊という人は実在するのか

このエントリーは、愛・蔵太さん風味で(笑)。
有能だが辞めてもらった理由」 という記事が話題になったわけですが。
で、はてなブックマークの反響がこちら
なんか記事をそのまま真に受けちゃってる人があまりに多いのに驚きました。
そんな中、id:fuktommyさんという方が、「何を今さら」というタグと共にURLを紹介されていたので見てみると
有能だが辞めてもらった理由 – 解雇する自由
驚いた事に、この新聞記事は2年以上も前のものだった様です。そして上記URLには、投稿者の氏名含め全文が紹介されていました。辻豊という会社経営の方で、39歳だそうです。ほとんど僕と同世代ですね。
で、この方が語るエピソードが事実であると仮定すると、概要はこんな感じです。

  1. 辻さんは社員数十人規模の会社経営者。
  2. やる気と向上心は誰にも負けないと自負する好印象の30代男性を試用社員として採用。
  3. その社員は有能だったが、夕方の満員電車社員章を付けたまま性描写ばかり載った漫画本を読んでいたのを目撃。
  4. その件でこの社員を社長室に呼んだが、本人が「漫画本を終業後に読んで悪いんですか」と言い張るので解雇。

こんな単純なストーリーなのに疑問点が多すぎて、これが事実とは俄かには信じられません。
個人的に気になる点を挙げてみると、

  • 「満員電車」なのに読んでる本の内容とか社員章付けてる事とか判ったという辻さんと、この社員の距離・位置関係はどんな感じだったか
  • 社員数十人の会社で、社員章なんてあるのか
  • 仮に社員章があったとして、まだ正社員でもない試用期間に渡すものなのか
  • 辻さんが最も気に入らなかったのは、社員章を付けてた事なのか、漫画を読んでいた事なのか、その漫画がエロかった事なのか
  • 会社名を伏せたところで、社員数十名の会社経営者の辻豊と言っちゃったら何もかもバレバレではないか
  • 2004年当時の39歳といったら、むしろ今の若者より多く漫画を読んだ世代ではないか

などなど。
他にも、会社経営に携わる者の実感として、せっかく有能な新人なのに業務上のミスでも勤務態度でもない理由で解雇できるなんて、すごく人材に恵まれた会社なんだなあとか。
あとちょっと補足すると、
社員章については、僕自身これまで4つの会社に勤務して社員章なんて頂いたのは社員数万人規模の大企業だけだったのですごく不思議な感じがしたわけです。実際のところどうなんでしょうか。あったとしても、試用期間中に渡しちゃうもんなんでしょうか。よくわかりません。
それと、社員君の反論が「終業後に漫画を読んで悪いんですか」という主張だった事から推測すると、辻さんが気に入らなかったのは、「漫画を読んでいた事」であって、エロとか社員章はあまり関係無い様ですね。
もし辻さんのお説教が「せめて社員章は外そうよ」とか、「漫画はいいけどエロは恥ずかしいよ」という内容だったらこういう反論にはならない気もします。
それにしても、辻さんはなぜこんなに漫画を毛嫌いするのでしょうか。ほぼ同世代の僕から見るとリアリティ無さ杉です。
小学生低学年の時には、もうガキデカとかこち亀とか始まってましたし、中学時代にはすすめパイレーツとかサーキットの狼とか。高校生位の時にはもうスピリッツなども創刊されて、めぞん一刻とか。少年誌では北斗の拳とかドクタースランプとかタッチとか。
もう思いっきり「漫画世代」なわけで。例え辻さん本人が漫画を読まない人だとしても、漫画を読んでるだけでその人を蔑む様な偏見ってのは醸成し得ない世代だと思うのですが。
さらに辻さん、社員数十名を抱える社長様です。大企業ではないでしょうが、決して小さな数でもありません。人件費とか考えても、年商は億単位でしょう。それなりに交友関係とかも広い筈です。大阪中央区に住む年商億単位の会社社長辻さんと言えば、多分周辺地域の人ならすぐ判るのでは無いでしょうか。
辻豊さんをご存知の方がいらっしゃったら、コメント欄とかで教えてくれるとうれしいです。個人的には、もともとこの辻豊さんという人はいないんじゃないかと思ってますが。
このエントリーでは、個人的印象を垂れ流しただけで、何の証明にもなってません。この疑惑は証明できません。あくまでこの新聞記事は「誰か」の個人的体験を綴った投稿欄でしかないので。
というか、新聞とか雑誌とかの投稿記事欄ってのは、作り手にとっては捏造しまくっても殆どばれない場所だというのも、頭の隅に入れておいても良い気はします。
以上、「ちょっと調べて書く日記」でした。実はあんまり調べてません。ごめんなさいごめんなさい。

ジューシィフルーツ

元日本テレビアナウンサー薮本雅子のブログが、例の盗撮アナウンサー絡みで炎上してるわけだけど、きっかけとなった「盗撮に思う」というエントリーの はてなブックマーク に、id:gotanda6氏のこんなコメントが。

gotanda6 バックラッシュ 若い人は知らないと思うけどこの「おばちゃん」は元ジューシーフルーツ。まあジューシーフルーツも知らないと思うけど。

炎上騒ぎそっちのけで、このコメントに反応。えっと、ジューシィフルーツ超好きでした。3曲目までシングル買いました。
しかし、ジューシィフルーツはボーカル&ギターのイリアが紅一点だったはず。てことは、イリア=奥野敦子=薮本雅子???まーさかー。アリエナス。年代違いすぎるし。
と思っていろいろ調べてみると、どうやらジューシィフルーツはデビュー後次第にセールスが落ち込み、プロデューサー近田春夫の手を離れて後「謎の中学生美少女」がキーボーディストとして参加していたらしい。その「謎のキーボーディスト」が薮本雅子だったと。
詳細はこちらの記事が事の経緯をほぼ完璧に網羅してます。良い仕事。(長文ですが薮本雅子に関する記述は、中間あたりの「27分の恋」に関する解説部分。)
書き殴りライナーノーツ 特別編
デビュー曲の『ジェニーはご機嫌ななめ』は、30万枚を超えるスマッシュヒット。この時代はYMOの成功がトリガーとなって、尖がった才能の持ち主が妙にエネルギーを発散し始めていた良い時代だった。
つーわけで、ありましたよYouTube(笑)。スゴイよYouTube。あんたは出来る子や。さすがに謎の中学生キーボードは出てませんけど。デビュー曲『ジェニーはご機嫌ななめ』の貴重映像。

ジョンケージ『4分33秒』オーケストラ実演の様子

ジョンケージという、20世紀を代表する前衛作曲家がいる。『4分33秒』はおそらく彼の作品の中で最も有名だろう。
この曲をおおざっぱに説明すると合計4分33秒間演奏者が「何もしない」沈黙の音楽である。初演はピアニストによるものだったが、これまであらゆる楽器の演奏家がこの曲を「演奏」している。
YouTubeで、この曲のオーケストラによる実演映像を見つけた。
おもろい。何度見てもコントにしか見えない。客なんて半笑いじゃないか?つか、明らかに曲間でワザと咳とかしまくってるw。
しかし、全然失礼な感じじゃないんだな。むしろリスペクト感が伝わってくる。
客も演奏者もなんだか楽しそうでいい。
ジョンケージには賛否両論あるが、個人的には正真正銘の天才であったと思う。そして、凡人から見れば突出し過ぎた天才は「ネタ」でしかない。
『4分33秒』はiTMSでもダウンロードできると聞く。ジョークなのかマジなのか。というか、ジョークで良いのだ。
ネタとして扱うのは、凡人が天才に敬意を表す作法なのかもしれないと、映像を見てて思った。

全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる

このゴールデンウィークに、遅ればせながら『ウェブ進化論』を読了した。
この本を読み終えて自分の中に込み上げた「想い」は、一切漏らさず胸の中にしまっておこうと思っていたが、長尾確先生の「ウェブ進化論」批判エントリー を読んで考えが変わった。
当初、正直なところ「ウェブ進化論」という本にあまり期待感は無かった。というと語弊があるかもしれないが、梅田さんがウェブ上に記した文章はおおかた目を通しているつもりだったし、この本は「ウェブの世界で何が起こっているのか判っていない人に向けた解説書」であるといった紹介を随所で見かけてしまった為だ。だから、自分にとっての「新しい刺激」はあまり期待していなかった訳だ。
しかし実際読んでみると、その様な浅はかな先入観は吹き飛んでしまった。確かに全編を見渡せば既知の話も多かったのだがそんな事は関係なかった。不覚にも感動してしまった。梅田さんがこんなに「熱い」人だとは正直思ってなかった。
この本は、極論すれば素人向けの解説書ではない。もちろんそういう側面もあるだろうが、それは本質ではない。ましてやGoogle賞賛の書などではない。この本は、梅田さんが全てのWEBエンジニアに向けて叱咤激励を込めた「熱きメッセージ」である。少なくとも私はそう読み取った。なぜ「そう読み取った」のか、ちょっと具体的に説明を試みる。
この本は冒頭、序章書き出しの重要な部分でいきなり「ムーアの法則」の話から入る。ここがまず「意外」だった。以下引用。

情報技術(IT)が社会に及ぼす影響を考える上で絶対に押さえておかなければならないことがある。
インテル創業者ゴードン・ムーアが1965年に提唱した「ムーアの法則」に、IT産業は40年たった今も
相変わらず支配され続けており、これから先もかなり長い間、支配され続けるだろうという点である。

「1965年に提唱した」「IT産業は40年たった今も」といった表現がとても重要で、これは梅田さんの意図として「この本はここ2、3年のトレンド解説とは違う」という事を強く印象付ける必要があったという事。
そしてその意図は、第一章『「革命」であることの意味』においてさらに明確になる。
ブライアン・アーサーの講演を引き合いに出した上で

そこで彼は、情報革命を5つの大革命のうちの一つだと彼の歴史観の中に位置づけた。

と指摘する。今度は「歴史」という視点である。現在進行形の「情報革命」を、18世紀の産業革命や20世紀初頭の自動車革命と同列に語るという新鮮さ。そして、この視点こそ「現代のWEBエンジニア」には決定的に欠けている。
GoogleやAmazonのAPIを弄り倒し、CPANを漁り、prototype.jsをHACKし、TIPS記事なんかをせっせとブクマしている若いエンジニア層というのは基本的にそういう世界が好きで好きでたまらない人々だ。日々の試行錯誤の中で自分の書いたCODEが起こす「小さな奇跡」が楽しくて仕方がない(もちろん全て楽しい事ばかりではないにせよ)。そして、人間というのは「楽しくて」やっているウチは、意味とか理由とか深く考えないものだ。ましてや「歴史上の意味」なんて想像だにしない。しかし視点を変えてみれば、これから起こるであろう人類史上の大変化に直接携わる事の出来る場所に生きている。この日本というIT先進国で。このエキサイティングな運命にもっと感動していい。なんという好運だろう。
全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる工業技師の様なものだ。これから起きる「革命」の一翼を確かに担っている。
18世紀イギリスから端を発した産業革命は、主に織物・紡績といった軽工業分野において次々と発明の連鎖を起こした。ジェニー紡績機、水力紡績機、ミュール紡績機、力織機と幾多の技術革新が折り重なり、社会の産業スキームが劇的に変化した。
歴史的視点で見た時に、どの「技術革新」が優れていたかを考察する事はそれほど重要な話ではない。
そして、GoogleかYahooか、という話も同様に重要な話ではない。長尾先生が指摘する「人間の介在」の話は、まさにウェブ進化論の92ページあたりから述べられているGoogleとYahooの対立軸であって、どちらが正しいかはこれからの歴史が判断してくれる事だ。そして梅田さん自身もそこは判断を留保している。以下抜粋。

ヤフーとグーグルの競争の背景には、サービスにおける「人間の介在」の意義を巡る発想の違いがある。なんと面白い競合関係であることだろう。

だから、長尾先生の批判は「ヤフーに肩入れしたグーグル批判」であって、この本の論旨と相反するものではないように思える。
「ウェブ進化論」の最後に「はてな」の話が出てくる。その内容は梅田さんがブログ上でしばしば言及している「はてな」評そのものであるが、これが「最終章」に置かれている事にまた意味があると思う。
「ムーアの法則」「5大革命」で始まり、「はてな」で結ぶ。この大きな論旨の流れそのものが、ウェブ進化論をエンジニアへの「熱きメッセージ本」と読み取った所以である。
あとがきにこれまた興味深い記述がある。

シリコンバレーにあって日本にはないもの。それは若い世代の創造性や果敢な行動を刺激する「オプティミズム」に支えられたビジョンである。

梅田さんがグーグルを俎上に上げて強調したかった事も、その理念そのものではなく、「目が澄み切っている彼ら」が持つ強さではないか。
さらに、あとがきを締める本当に最後の言葉。

息子や娘に対し「おまえたちのやっていることはどうもわからん」という気持ちを抱くお父さん方や
「ネット・ベンチャーなんかで働くのではなく、○○電気とか○○自動車とかに就職してくれればよかったのに…」と心配する
お母さん方にとって、この本が何かの役に立てばなぁとも思っている。

お父さん方やお母さん方へのメッセージの様でいて、実は梅田さんが気にかけているのはその「息子や娘の行く末」なんである。「理解できないとしても、彼らの邪魔だけはしないでね」という(笑)。
私はこの本を帰省先の実家で読んだ。PCもネットも無い環境だった。だからこそ最後までキッチリ読了出来たのだと思う。そうでなければいてもたってもいられず読書を中断してPCの電源を入れていた事だろう。読んでる途中何度かそういう衝動に駆られた。年甲斐も無く熱いものが込み上げてきた。テラハズカシス。
エンジニアがこの本を読んで真っ先に書くべきものは「書評」ではなく「CODE」なのだ。

「NHK番組のネット配信、55万コンテンツ全面解禁!」とか安易に信じない方がいい

NHKの持つ膨大なコンテンツがネットで全面解禁になるかもよスゴイね!という類の話が幾つかのメディアで報道されて話題になっている。
折りしもフランスでは、国立視聴覚研究所(INA)のアーカイブ10万件がインターネットで閲覧可能 になったばかりだし、「すわ日本もか!」と盛り上るのは無理も無い。
しかし、日本のメディアというのはどこまでも信用ならない様だ。油断のスキも無い。
まずは5月5日早朝の読売記事から見てみよう。以下、全文引用。

NHK番組のネット配信、07年度にも全面解禁

 竹中総務相の私的懇談会「通信・放送の在り方に関する懇談会」(座長・松原聡東洋大教授)は4日、NHK番組のインターネット配信について、2007年度にも全面解禁する方向で最終調整に入った
 約55万本にのぼるNHKの番組を有効活用する狙いで、5月中にまとめる最終報告に盛り込む。
 NHK番組のインターネット配信は、総務省の指針で業務の規模で年10億円程度まで認められているが、この上限を撤廃する。ネット配信は、受信料を充てるのではなく、利用者に直接課金する方向で検討しており、利用者の直接負担を禁じた放送法の改正を視野に入れている。
 NHKが保有する過去の番組は約55万本あり、埼玉県川口市のNHKアーカイブスなどで約5700本の番組が公開されているほか、通信事業者を通じて、一部番組を有料で提供している。しかし、懇談会では国民的な財産であるNHKの番組が十分活用されていないとの意見が大勢を占めている。
 同時に懇談会では、NHKのチャンネル数削減や子会社の整理・統合を進めて業務範囲を縮小する方針を固めており、これらを進めることでネット配信の全面解禁に反対している民放側の理解を得たい考えだ。
 また、テレビ番組のネット配信を巡っては、出演者などの著作権処理のルールが定まっておらず、権利者から番組ごとに個別に許諾をとる必要がある。
 このため、懇談会では、俳優、作曲家、レコード会社など業界ごとにある著作権管理団体が権利者の権利を集中管理し、許諾手続きを簡素化できるような体制の整備を求める方向だ。
 ただ、権利者側は、配信を差し止める権利がなくなるなど権利の切り下げにつながるとの警戒感が強い。このため、配信可能な番組の範囲は、今後議論される権利処理のルールにも影響される見通しだ。
(2006年5月5日3時0分 読売新聞)

この記事は、かなり詳細な内容に踏み込んでいるし、具体的な数字も出ていて信憑性も高い様に感じられる。
ところが、だ。この記事の当事者であるはずの松原聡東洋大教授のサイトを読んでみると唖然とする事が書いてある。以下抜粋。

 しかし、最近の新聞報道については、座長としては一切取材を受けておりません。どういうソースでの報道なのか、正直、見当がつかないでいます。特に、本日(5日)の読売新聞。「NHK番組、ネット配信全面解禁へ」という記事にはちょっとびっくりです。「懇談会は4日、最終調整に入った」とありますが、座長の松原は取材を受けておりませんし、最終報告案をどうするか、で一人で熟考中。竹中大臣はたしか外遊中のはず。4日に懇談会の誰が「最終調整に入った」のでしょうか・・・。
 また、記事の中身にも問題があります。NHKは55万本の過去の番組があり、そのうちの5700本しか公開していないとあります。その通りなのですが、「インターネット配信の上限が10億円」だから、公開が遅れているのではなくて、過去の番組の中で、5700本しか権利処理が済んでいないから、遅れているのです。(もちろん、10億円という上限に問題があることは間違いないのですが・・・)。10億円を撤廃したからといって、55万本が公開されるわけではありません。
 さらに言えば、これは私自身が調査を依頼して、その結果を見て驚いたのですが、その5700本の権利処理も、インターネット公開ではなくて、「施設内公開」で取っているそうです。川口市の施設などに行かない限り、この5700本も見られないわけです。NHKは、過去の番組をインターネットで配信する気は、最初からなかったと考えざるを得ないのではないでしょうか。(5月5日)

要約すると、

  • 座長の松原聡氏は、マスコミの取材すら受けていない
  • 「最終調整」に入ったなんて話は当の座長松原氏も寝耳に水
  • 公開が遅れている要因は、10億の予算上限ではなく権利処理
  • 権利処理済と思われた5700本も、施設内公開の権利であり、現状ネット配信は無理
    (つまりネット公開可能コンテンツは現状ゼロ)

要するに、ハッキリ言ってこの読売記事は飛ばし。
そして、この読売記事から18時間以上もたった後、共同通信が以下の記事を配信。全文引用。

ネット配信全面解禁を検討 50万本のNHK番組

 【香港5日共同】竹中平蔵総務相は5日夕、訪問先の香港で同行記者団と懇談し、過去に放送されたNHK番組のインターネット配信を全面解禁する方向で検討すべきだとの考えを表明した。
 NHKが保有する過去の番組は約50万本あるが、竹中氏は「NHKが持っているコンテンツ(情報の内容)をもっと活用するのがNHKのため、国民のため、関連する産業のためだと思う」と強調した。
 さらに、総務省の指針で年間上限10億円程度としているNHK番組のネット配信の規模についても「足かせになっている。どのような形でクリアしたらいいか議論しないといけない」と述べ、改正に前向きな意向を示した。
(共同通信) – 5月5日21時56分更新

誰がいつ何処で語ったかが明記されてる点で、読売記事よりは良い。しかし、この記事にしても結局

  • 誰が=竹中大臣が
  • いつ=5日夕
  • どこで=外遊先の香港で
  • 誰に=同行記者団相手に

語ったと言うだけの話。
どう見たって、これ竹中氏の個人的見解だろう。記者会見ですらない。ニュースバリューとしてはなんとも心許ない。「検討すべき」と言ってるって事は、逆に言えば「今はまだ検討すらしてない」って事の証左だし。
おそらく外遊先で唐突にこんな話が出たのも、読売の飛ばし記事がトリガーだろう。語ったのが5日夕というのがいかにもそれっぽい。そして、竹中大臣の意に関わらず、現状のNHKの状況は松原氏がサイトで語っているような体たらく。
なんだかなあ。もちろん、竹中大臣も松原氏もNHKコンテンツのネット解禁には前向きな訳で、そこには私も期待するけどしかしながら、少なくとも報道のニュアンスと現実とでは、あまりに乖離があり過ぎる。
こんな、政治的立ち位置とほぼ無関係な記事でさえ、いちいち疑わないとならんのか。日本のメディアはどうかしてます。

ネットだって「現実」空間なのだ

もう一週間前の話になるけども、先週の「朝まで生テレビ」が面白かった。
議論の内容も面白かったが、それより個人的に興味深かったのは、日頃からよく読んでいるBlogの一つ「池田信夫Blog」の池田信夫氏や、このブログにもしばしばコメントくださる”中井亀之助”こと吉田望氏がパネリストで出演していた事。ネット上で関わりのある人がテレビに出ていて、それをリアルタイムで見る、という経験は初めてではなかったが、やっぱり不思議な感覚だ。
池田さんはとても饒舌で、「言いたい事の半分も言えない」とよくいわれる「朝生」で、見事に存在感を発揮していた。率直で明快な語り口はMVPと言ってもいいくらい番組を面白くしていたと思う。
吉田さんは番組開始後1時間以上発言できなくて、見ているこっちがハラハラしたが(笑)後半は結構発言できたので良かった。
先週の放送に限らず、最近の「朝生」は「ネット上で著名」な人の出演が増えている。その前は溜池通信のかんべえさんが出ていたし、ライブドアがテーマの時には板倉雄一郎氏小飼弾氏の共演もあった。ワールドビジネスサテライトに梅田望夫氏が出演、なんてこともあったし、今後ますます「ネット空間の著名人」がマスメディアに取り沙汰される頻度は増えていくのだろう。
そしてそんな場面に出くわす度に、テレビでは某かの「専門家」として出演するような人々とネット上で当たり前の様に日々コミュニケーションしているという「現実」に感動せずにはいられない。
北海道在住の自分にとって、そんな事はネット空間無しには有り得ない。なんと素晴らしい事か。ネット上で繰り広げられる日々のコミュニケーションは、「素晴らしき事件」の連続なのだ。その恩恵を我々はもっと自覚すべきだと思う。
ised議事録をまとめる過程で思い当たった、
「打ち上げもネットもオルタナティブである事に価値がある」
という想いが最近頭から離れない。打ち上げに代表される「酒の席」から始まった「無礼講」というコンセプトは建前と本音を使い分ける日本人にとって、とても重要なものだ。ネットには「無礼講」がデフォルトのコミュニケーション空間が広がっている。誰に言われるでもなく、皆言いたい放題本音を晒す。それは「リアル」な本音ではないか。「現実」に存在する人間が発する叫びではないか。ネットに表出する現象は全て「人間」がもたらす現実なのだ
だから、「ネット/リアル」という表現は二項対立として正確ではない。私の場合、「オンライン空間/オフライン空間」という言葉を用いる。もっとふさわしい表現があれば良いけど。
ネット上で特に深い関わりを持つPlummet氏が、朝日新聞の取材を受けた
『萎縮の構図6 ブログに群がる「ネット右翼」異質な意見 匿名で攻撃』と題されたその記事はmumurブログで取り上げられ、2ちゃんねるでは11スレに達するほど注目を集めた。まあ、朝日新聞の元記事内容は誤解と偏見に満ちた哂うしかない代物ではあるが、それ以上に、「自分の関わるネット空間がオフラインメディアに染み出した」出来事の一つとして、なんとも感慨深かった。
奇しくも、前述した池田さんのブログがこの朝日記事を取り上げた
この記事は、1年以上前に起こった小倉弁護士ブログの炎上を取り上げたものだが、池田さんはつい先日起こったものと勘違いしてしまったようだ。無理も無い。5月5日付けの新聞記事で4月30日を最後に閉鎖されたブログを取り上げていれば、事情を詳しく知らない人は最近の事と思うだろう。
逆に言えば、1年前の出来事をわざわざ掘り出さないと語れない程特殊な「事件」でしかない。
対して、前述した様にネット上で繰り広げられるコミュニケーションは日々「素晴らしい事件」に満ちている。果たしてどちらの「事件」に価値を見出すべきか。
我々一般庶民にとってこの「無礼講」ネット空間は守るべき財産だ。
そして、だからこそネットの匿名性を逆手にとった悪質な誹謗中傷を許してはならない。それが、これから先「ネット規制」の口実になるのは明らかだ。