マジック1

大変だよ、阪神が優勝しちゃうよ!

3年間で2回も優勝なんて

どーしていいかわからないよ!

天変地異が起こるよ!

コワイよ!

きっと郵政民営化法案が

否決されちゃうんだよ!

きっと楽天の監督が

トルシエになるんだよ!

きっと防衛庁長官が

片山さつきになるんだよ!

きっと陣釜さんが

エルメスに勝つんだよ!

コワイよママン

コワイよママン

(((((((( ;゚Д゚)))))))

Googleの無かった時代

知らない言葉。
私が学生だった頃、新聞や書物を読んでいて「知らない言葉」に出会ったときにその疑問を解決する事は決して楽な作業ではなかった。
国語辞典を引く。
親や友人に尋ねる。
この程度の作業で疑問が解決すればかなり幸運。
大抵の場合疑問は解決するどころかますます深まって途方に暮れた。
どうしても気になった時は書店へ行った。
まずは「現代用語の基礎知識」や「imidas」といった類の本を当たってみる。次は専門書、専門用語辞典の類。あちらこちら詮索しているうちにあっという間に時間が過ぎた。
時には書店でお目当ての言葉に巡り会う事もあった。やっと探し当てた「解説」。それが、ほんの数行の記述であってもそれで全て納得しなければならなかった。
書店でも収穫無しだったら、とりあえずあきらめるしかない。膨れ上がった知的好奇心は満たされぬまま放置された。
知らない言葉。
そんなものの為に悶々とした時代が確かに有った。
気が付けば、いつのまにか「知らない言葉」で悩む事はほとんど無くなってしまった。Googleツールバーに言葉を入力しない日は無いくらい、それは当たり前の作業になった。隔世の感がある。
しかし忘れてはならないのは今現在も「Googleの無かった時代」を生きている人がたくさん居る事だ
Googleが「新たな試み」で我々を驚かす度に、「情報格差」は拡がっている。

過去ログにもっと光を

ちょっと前の話になりますが、9月3日に書いた『著名ブログの「最初の記事」を集めてみた』というエントリーが、予想外の大きな反響をいただきました。特にはてなブックマークでの44USER (9/22現在)というのは私にとっては大事件でした。このエントリーを取り上げてくださった全ての皆さんにこの場を借りてお礼申し上げます。
最近は膨大な情報発信者がいるせいか、ネット上のコンテンツの消費サイクルが異常に速いな、と感じます。はてなブックマークで大人気になったコンテンツでも、一週間経てば「過去」に追いやられる。で、皆RSSリーダーなどに依存しているからその傾向に拍車がかかる。情報の絶対量が多すぎて、「新着差分」という上澄みを追っかけるだけで汲々としてしまうわけです。
でも、それってすごく「もったいないなー」と。
過去のコンテンツを拾い上げるのは現状ではもっぱらGoogleの仕事ですが、「検索」はあくまで「キーワード指向型」の世界観で、過去を掘り下げるというよりは時間の観念が無視されているといった方が近い。ネットでは「時間軸」が軽視されてます。
翻って、既存メディアの代表格テレビに目を向けると、「昭和の名曲ベスト100」だったり「思い出のアニメ100選」みたいな特番もの、ケーブルテレビに至っては「ジャンボ鶴田vsミルマスカラス」だとか、1980年の「巨人vs阪神」だったり、「バイオニックジェミー」「子連れ狼」「ドリフの大爆笑」などなど、「過去のコンテンツ資産」がメインと言ってもいいくらい溢れかえってます。まあ、テレビの場合は慢性的なコンテンツ不足もあるでしょうが、やはり「過去」には根強いニーズがあるんです。
そういう意味で、今回の「最初の記事」企画がきっかけでARTIFACT -人工事実-さんの最初の記事が今になって、「注目のエントリー」 に上がってきた時は思わずニンマリしてしまいました。(kanoseさんからすればいい迷惑だったかもしれませんが…スミマセン)
テキストサイトがブログに移行してきて、過去ログ漁りは昔より遥かに簡単になりました。CMSとしてのブログは、過去のアーカイブをPermaLinkとして整然とストックしてくれる。この恩恵を積極的に利用しない手はありません。ネット上にあまた埋もれている過去ログは「宝の山」です。
これからも「過去ログにもっと光を」をテーマに試行錯誤していこうと思います。
以上、「最初の記事」エントリーの反響を受けての雑感でした。

前原誠司という男

前原誠司が民主党代表に選出された。
「解党的出直し」を求められる代表選挙でその結論が「管直人」だったならお笑いネタにしかならなかったわけで、とりあえずこの結果は歓迎されて良いだろう。
早速今日(9/18)朝のフジテレビ『報道2001』に前原新代表が出演していた。
番組の印象含め、とりあえず現段階で私の目から見た「前原誠司」という政治家の人間像についてちょっと語ってみたいと思う。
まずは、前原氏のWEBサイトからプロフィールを見てみよう。

昭和37年 4月
 京都市左京区に生まれる(1962年4月30日生)
 昭和44年 4月
 京都市立修学院小学校入学
 昭和50年 4月
 京都教育大学教育学部附属京都中学校入学
 昭和53年 4月
 京都教育大学教育学部附属高等学校入学
 昭和57年 4月
 京都大学法学部入学、国際政治学(高坂正堯ゼミ)を専攻
 昭和62年 4月
 (財)松下政経塾入塾 第8期生
 平成 3年 4月
 京都府議会議員選挙(左京区選出)において府議会史上最年少の28歳で初当選
 平成 5年 7月
 第40回衆議院議員総選挙において初当選(旧京都1区選出)
 平成 8年 10月
 第41回衆議院議員総選挙において2期目の当選
 平成 12年 6月
 第42回衆議院議員総選挙において3期目の当選(京都2区選出)
 平成 15年 11月
 第43回衆議院議員総選挙において4期目の当選(京都2区選出)
 平成 17年 9月
 第44回衆議院議員総選挙において5期目の当選(京都2区選出)

ここで特筆すべきは、京都大学で高坂ゼミ門下である事だろう。
松下政経塾出身だとは知っていたが高坂ゼミ出身とは知らなかった。高坂正堯と言えば、晩年はサンデープロジェクトのコメンテーターとして茶の間にも親しまれた、現実主義的政治外交論の巨匠である。「報道2001」の番組中も何度か高坂氏の名前を出していたし、彼の政治思想の基礎は高坂ゼミで築かれたたのだろう。親中派の多い民主党の中ではユニークな存在と言える。このあたりはわりと好感が持てるし、学生時代の経歴としてはおそらく最高レベルだ。
1993年7月に新党ブームの追い風に乗って日本新党から初当選。
で、面白かったのが、1995年にフジ「報道2001」番組上で行われた一回生議員9人によるディベート大会で安倍晋三らを抑えて優勝したというエピソード。この話も今日の報道2001で紹介されて当時のVTRもチラっと放送されたのだが、他にも高市早苗や松沢しげふみの姿もあって、錚々たるメンバーだった。どうやら弁が立つという意味でも最上位クラスらしい。
実際、今日の「報道2001」番組中の受け答えもほぼ完璧という印象だった。
頭の回転も速いし、ソツがない。落ち着きもある。岡田克也あたりと比べちゃうと格が違うという感じだった。
しかし、どうも好きになれない。
一言で言うと、橋本龍太郎を見ている感じなのだ。エリートで政策通、論理的でなめらかな弁舌。そこそこ良いルックス。で、それらの要素から醸し出される自信過剰な感じと、親しみにくさ。
まずお笑いネタにはなりにくい。その点だけは管直人の足元にも及ばない感じだw。
まさに橋本龍太郎タイプ。
節操の無さも気になる。電脳補完録 によれば、前原誠司は拉致議連と日朝友好議連の両方に所属している。
この組み合わせは普通に考えればありえないだろう。それぞれでちゃんと活動しようとすれば確実に自己矛盾に陥る。選挙用のポーズなのか日和見主義者か。謎である。
2ちゃんねるでは、府議会時代の「同和推進副委員長」という経歴がオフィシャルサイトのプロフィールから突然削除されたという事で昨日から話題になっていた(関連記事)。スクリーンショットを見る限りガセではないっぽい。経歴そのものよりも「削除した」事の方が気になる。
この削除が「ネット対策」の一環だとすると、「ソツがない」にも程がある。府議会時代のこの程度の役職で神経質になるのは、むしろ逆効果だと思うのだが。こんな細かいとこにまで気がまわっちゃうところが逆に危うい。やましい事があるのかとかえって疑われるでしょうに。それとも、前述した「節操の無さ」となんか関係があるのだろうか?
それから、JSFさんの記事(&コメント欄)で知ったのだが、前原は軍事マニアかつ鉄道マニアで、前防衛庁長官の石破茂氏と意気投合だったらしいw。
こういう一面をどんどん強調していけば「親しみやすさ」もいくらかアップするかもしれない。
そういえば、前原と石破で検索してて、こんな議事録を見つけたのだけど、このやりとりも2人でニヤニヤしながらしてたのか。ちょっと笑えるw。
「好きになれない」とは書いたものの、現在の民主党においては最上位の人材である事は確かだろうし、党首討論などでは小泉がタジタジになる場面も多くなりそうだ。
ある程度固定ファンも増えそうだし、自民党が自滅すれば、風を掴むくらいのポテンシャルは秘めているだろう。
謎めいた部分もあるし、ネットでもはっきりとした評価は留保してその言動を見守ってる人が多い感じがする。それにしても、基本的にリアリストである筈の前原が、どういう理由で「外国人参政権に賛成」しているのかはぜひ聞いてみたいものだ。

「のまネコ騒動」を正しく理解する

9月1日にエイベックスが「のまネコキャラクターグッズ」販売を開始した事に端を発する「のまネコ騒動」はまだ収束する気配がない。(ご存知無い方は こちらの記事を参照)
この件に関してエイベックスの対応に非があった事は明らかで、怒りの世論が巻き起こるのも当然ではある。しかし一方でその問題点が整理できていない為に、ただ単に怒りを撒き散らしている論調が多いのは残念だ。
このエントリーでは、まず判断根拠となる法的解釈を整理した上で、この騒動の問題点について検証してみようと思う。

キャラクターとはそもそも著作物か?

この根本的なところがいきなりグレーゾーンだ。
まずは著作権法から「著作物」の定義を見てみよう。

1.著作物
思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

この条文を読む限り、キャラクター単体では「思想又は感情を創作的に表現したもの」というのは微妙なものがあるし、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」というのもこれまた微妙だ。
では世に言う「キャラクタービジネス」において、キャラクターの著作権保護はどういう理屈で構成されているか。
CharaBiz.comというサイトの「基礎知識」コーナーの記述が参考になる。以下抜粋。

日本で使われている「キャラクター」の意味を簡単に説明すると、
一般的にはコミックやTVアニメーション、映画など著作物に登場する人やロボット、擬
人化された生き物などの総称として使われています。

つまり、アニメや映画など、まずベースになる著作物があって、その構成要素として派生的に登場キャラクターも著作権保護の対象になるという解釈であり、藤崎詩織事件などの判例を見てもそのような解釈がなされているようだ。実際、ミッキーマウス、ポケモン、アンパンマンなど、キャラクタービジネスとして成功したものは、その殆どにベースとなる「著作物」がある。
逆に言うと、そういった「著作物」の構成要素としての拠り所を持たない「図柄だけの」キャラクターが著作権の名の下に守られる可能性はあまり高くない。とりあえずそのような「図柄だけの」キャラクターが著作物か否かの判断が下された判例はまだ多分無いはずだ。
では、「キャラクター単体」の権利は通常どのようにして守られるか。
その拠り所として「商標登録」がある。例えばサンリオのキャラクタ群などはあらゆる分野において商標登録でガチガチに守られている。
以上の点を鑑みると、モナーやおにぎりが「著作物」として認められるかどうかは極めて微妙だ。そういう意味で「モナーなどのAAは商標登録しておくべき」という意見が、ある程度有効な方策である事がお判りいただけると思う。
ちなみに「のまネコ」も登録商標検索で確認した限りでは、未だ商標登録されていない様である。
[2005/9/29追記]
「のまネコ」及び「米酒」が有限会社ゼンによって商標登録出願されているのを確認。
なぜかキャラクターの図柄は「米酒」の方で出願されている模様。これはおそらく「のまネコ」と「米酒」はキャラクタ設定にとって不可分なものという事を明確にしたかったものと思われます。モナーとの明確な差別化を図ろうというエイベックスの意図は汲み取れる気がします。

AAはパブリックドメインか

AAが(著作物であると仮定して)パブリックドメインであるという説をたまに見かける。本当にそうだろうか。どんなAAも、それを最初に公表した人間がどこかにいるはずである。そして、著作者が不明な場合でも著作物は基本的に公表後50年間保護の対象になる。インターネットの歴史を考えてみても、AAが公表後50年経過しているとは思えない。
著作者が不明であるからといって、またそれらが世に広く普及しているからといってそれだけで著作権が消滅する法的根拠は無い。やはり「著作者不明の著作物」と解釈するのが自然だろう。
著作者不明の著作物を利用するにあたって、著作権法では以下のように定められている。

(著作権者不明等の場合における著作物の利用)
第67条 公表された著作物又は相当期間にわたり公衆に提供され、若しくは提示されている事実が明らかである著作物は、著作権者の不明その他の理由により相当な努力を払つてもその著作権者と連絡することができないときは、文化庁長官の裁定を受け、かつ、通常の使用料の額に相当するものとして文化庁長官が定める額の補償金を著作権者のために供託して、その裁定に係る利用方法により利用することができる。

「のまネコ」にオリジナリティはあるか

のまネコとモナーの類似性について、知財分野の専門家である栗原潔氏のブログの記述から抜粋してみよう。

そういう意味で言うと、両者が類似してると認めてもらうのはちょっと厳しい気がします。
商標の実務で言うと、キャラクターというのはわりと類似の判定が甘く、ちょっとでも違ってると非類似とされるようです(まあそうしないと線画で描いたネコなんてみんな類似になってしまいますからね)。商標の審査と裁判所の認定は異なるプロセスですが、基本的考え方は同じだと思います。

確かに、商標実務の様に「図柄」だけから判断するのならば栗原氏のおっしゃる通りだろう。しかし、今回問題なのは「図柄」が似ているという事だけではない。それらの図柄には黒Flash当時の「オリジナル」があって、それが改変されていった過程が公にバレバレだったという事こそが問題なのだ。
わた氏が当初発表していたFlashで登場していたのは明らかに「モナー」であり「オニギリ」だった。少なくとも作品を見た者は皆そう思ったはずだ。そしてその作品がAAの巣窟である「2ちゃんねる」で発表されていた。
その同じ作品であるはずのものが、登場キャラだけが突然「のまネコ」に化けた。このプロセスこそが騒動の要因であって、単に「似てるじゃん」という問題ではない。
さらに極めつけは、エイベックス自身が、最早伝説となりつつあるw一節

インターネット掲示板において親しまれてきた「モナー」等のアスキーアートにインスパイヤされて

と述べて、AAとの関連性を認めた事だ。
少なくともエイベックスは法的に「シロ」だと言い切る事はできない。残念ながらモナーの創作者が不明な為に「手出しができない」というだけだ。

エイベックスはどこで道を間違えたのか

もう一度原点に立ち返ってみると、明確に「著作物」と言えるのはO-zoneの歌う楽曲とわた氏の「Flashムービー」だけである。登場キャラクタがモナーか否かに関わらず、Flash作品がわた氏の「著作物」である事は疑問の余地が無い。Flashだけ見れば本当に素晴らしい作品だと思う。
で、それらの状況から想像するに、おそらくわた氏がエイベックスに譲渡したのはあくまで「Flashムービー」の著作権であって、それはそれなりに報酬を受けてのものだったろうし、Flashの作者がわた氏である以上そこを非難するのは的外れだ。
まあ確かに、わた氏本人の弁解が火に油を注いでいる感はあるが、そもそも彼女は著作権についてあまり理解していない様に見受けられる。
(判っていればあんな意味不明で逆効果にしかならない弁解をするはずがない。)
これはあくまで推測だが、わた氏はエイベックスから
「Flashムービーの登場キャラクタについて著作人格権を主張しない」
「登場キャラクタについてAAであると公言しない」
あたりの事を確約させられた程度で、本人はそれを律儀に守ろうとしているだけではないだろうか。
それよりも、ここまで取り上げた点だけを見てもキャラクター周辺の法的判断はグレーゾーンだらけである事はお判りいただけたと思う。このテの騒動が起きる度に事態が混迷を深めてしまうのも無理も無い。
エイベックスはせめて「グレー」なものは、「グレー」のまま処理すべきだった。
少なくとも深入りすべきでなかった。
思えば、ドワンゴのCMにおけるAAの著作権処理なども外部からは不透明だし、電車男のドラマ中に出てくるAAが、しかるべき処理手続きを踏んでいるのかだって判然としない。
それでも騒ぎにはならない。深入りしなかったからだ。それが最低限の大人の判断というものだろう。
しかしエイベックスは「のまネコ」という急造キャラを生み出して、グッズまで販売してしまった。
グレーの上から無理やりペンキで白く塗った挙句、「著作者」として「権利」まで主張してしまった。本来、「著作物利用者」でしかないはずが逆の立場を装って目先の利益に走ったのだから、それは非難されても仕方が無い。そこがエイベックスの、唯一にして致命的な過ちだったと思う。
ちなみにFlash作品中の「空耳」がわた氏本人のアイディアかというのは、あまり本質的な問題ではない。詞の著作権はあくまで原曲の「作詞者」のものであって、その「発音」を日本語に置き換えただけで「創作物」とみなされる可能性はどのみち低いからだ。

最後に

昨年、わた氏の「マイヤヒFlash」を初めて見た時は感動したものだ。その後、何度繰り返し見たか判らない。
エイベックスの不始末ばかりがクローズアップされているが、本来著作権者に抹殺されがちな「黒Flash」を敢えて採用し、世のニーズに応えようとしたのは画期的な英断だった。その素晴らしい試みが、この騒動で全てオジャンになってしまったのが残念でならない。
他所の言及記事としては、
大西宏のマーケティングエッセンス:「のまネコ問題」は、avexがそういう会社だということ
がよくまとまっていた。今後の課題なども含めて同意できる部分が多かった。
よければこちらも併せて。

「有り得ない」選挙結果がもたらしたもの

ここまで自民党が圧勝すると誰が想像しただろうか。
普通に考えて「有り得ない」結果だったと誰もが認めざるを得ないだろう。
東京比例区で名簿順位30位までの全候補者が当選し、さらに1議席分の得票を余してしまった為に社民党の保坂展人氏が繰り上げ当選したというエピソードが象徴的だ。
ちなみに余談になるが、保坂氏の当選はまさに奇跡。なんと保坂氏の社民党名簿順位は1位ではなかった。名簿順位1位は中川直人氏だったのだが、東京9区との重複立候補だった中川氏は小選挙区で10%の票を得る事ができず当選資格を失った。社民党比例単独の泡沫候補に運命の女神は微笑んだのだ。
さて、今回の選挙で確かに民主党は惨敗した。
そして、数字上では自民党が「圧勝」した。
しかし、自民党議員達は喜びの一方で背筋に寒気を感じているのではないだろうか。人は想像だにしなかった現実を目の当たりにした時、本能的に恐怖する。
例えて言えば、アクセスUPに四苦八苦していたブログに突如10万PVのアクセスが集中したようなものだ。そんな時、「喜び」より「恐怖」が先に来る。
今回の選挙結果は「有権者の暴走」と言えるかもしれない。しかし、暴走したおかげで我々有権者は自らの一票のパワーを知った。そして、各政治家もまた「有権者の怖さ」を知っただろう。これまで「選挙のプロ」ともてはやされた選挙参謀達は自らの持つノウハウが陳腐なものになったと痛感しただろう。
従来の「選挙の常識」が壊れた時、それは全ての政治家に重くのしかかる。敗者だけでなく勝者にもだ。今回のような想定外の結果も、次の選挙からは「想定」しなければならなくなる。圧勝があるのだから、惨敗もある。仮に自民党が次の選挙以降10議席ずつ失ったとしても過半数を切るまでに選挙を6回戦える計算だ。これは逆に言えば、そんなショボイ数の増減では最早勝敗の意味を成さないという事だ
一度大きく波打った水面はなかなか静寂を取り戻せない様に、これからは選挙の度にドラスティックな勢力変化が起きやすくなる(というか、次の選挙でも与党側がこの勢力を維持なんてことになればそれはそれでスゴイ事だ)。そうなれば必然的に選挙への関心は高まり、さらに有権者は成熟していく。投票率は欧米並みになって、各政党支持団体の相対的価値が下がっていく。
政治家が有権者を恐怖するとしたら、それは良い傾向だ。今回の選挙での本当の勝利者は「有権者」かもしれない。
日本の民主政治は「新時代」を迎えた。ただ単に自民が大勝したからと言うのではなく、そういう意味で、今回の選挙結果は素晴らしかったと思う。

総選挙前におさらいしておきたい言葉の断片

投票日まであと2日。
メディアでは与党勢力有利と伝えているが、実際のところは蓋を開けてみないと判らない。
あらためてここ数週間に渡る様々な記事を読み返してみた。その中で、心に残った言葉達を元記事の文脈から切り取り、並べてみた。
これは、言うなれば「言葉のサンプリング」である。
あえて引用元は最後に列挙する形にしてみた。誰の発言かはとりあえず気にせず、それぞれの言葉をかみしめて欲しい。真実を伴った言葉は、力があるはずだ。
見解の相違が国民を二分した時、おそらくどちらの言い分にも理はある。そして、ここに取り上げた言葉達が皆、立場や意見の違いを超えて説得力を持つ事を確認して欲しい。
これを以って総選挙前の最後のおさらいとしたい。

マニフェストなんか読むな。読むべきは国会議事録だ。今回の選挙は「ブログ選挙」などと言われているが、
単に情報を発信する、交換するだけでは意味がない。
僕らは僕たちが政治だと思っているものについて語っているが、それではいけない。
僕らは現実に行われている政治について語らなければならない。そして、それは僕らの手に入るところにある。

 財投の不良債権問題が表面化する前にカネの元になっていた郵政民営化が重要かとと言えば、またそこでそれは別問題だといった議論も起こるのだろう。しかし、民営化しておいたほうが敗戦処理にはよいのではないか。

今はデフレで民間に資金需要がないんですよ。銀行貸出がばんばん伸びていて金利がごりごり上がっているのならばいざ知らず、企業や家計がキャッシュを溜め込んでいるところで郵政が民営化しようが何しようが資金循環なんか変わるわけがない。もうちょっとマシなロジック考えられなかったんだろうか。あまりに子供騙しというか杜撰ですよ。

日本はどこかの独裁国家のような
エリート官僚は全部コネということはない。
世界に冠たるフェアな試験で
官僚は選抜されているわけであって、
それを理由もなく排除しようというほうが
フェアじゃない。
政治家は官僚と
ペーパーテストの秀才かどうかを競うんじゃなく、
別な次元で勝負するものだ。

今回の選挙で重要なことは、自民党か民主党かではなく、国民が構造改革を支持するか否かなのです。国民の支持を得て郵政が民営化されるのか、国民の意思に反して郵政が民営化されるのか。この分かれ道は、その先の大改革の成否に直結しています。

問題なのは、この郵貯の利益の源泉たる預託金は2008年にはほぼ全額が完済され、郵貯の資産から消滅するということだ。もし2003年度末で165兆円ある預託金が全て7年国債(利率0.95%と仮定)に置き換わったとすると、経常収益は2兆円以上低下する。前回書いたとおり、これは郵貯の経常利益がまるまるふっとぶ規模なのだ。
どこかの政党が郵政公社の問題は不要不急だとか言っていたが、それどころではない。300兆円近い資金をどう運用し、どう利益を出していくか。その経営戦略をとっとと練り上げないと、次に税金を投入するのは郵貯ということにもなりかねない。

 郵政の持つ金融部門が政府から切り離されないということは、事実上、総務省管轄下に置かれることになり、国債の担保とされている膨大な資金が金融庁の管轄外に置かれることになる。そんなことになれば、決済の安定性など原則的に不可能になり、そんな市場を世界が信頼するわけもない。

2001年の統計では、日本政府の建設投資がGDPに占める割合はアメリカのほぼ10倍だという。
農村漁村は建設依存症。無人島の一軒の番屋を守るために1千万近く投じて、裏の崖や谷をコンクリートで固めようとする国は他にないだろう。ほんのちょっと番屋を移動させれば崖から離れられるのに。
小さな集落を守るためにひとつの河川に百基を越える砂防堰堤をつくる国。
でも、天下りと一心同体のこの仕組みを自民党は手をつけない。ここが事実上の聖域なのに。(しかし談合がなくなれば、町の下請けは即死だろう。だから同時に雇用の流動化・受け皿問題も考えなければならず、そんなめんどい仕事はやりたくないだろう。今なお全産業就業者の一割が建設業に携わる日本。)
道路公団民営化問題が自民党の構造改革の限界を露呈した。自民党では永遠に無理だろうという絶望感。

我々有権者は投票によって政治を左右しますが、いちいち細かな政策までをも左右することはできません。具体的に言えば「郵政民営化が終わったら、また解散総選挙でもするのか?」という事です。政策だけを見て投票行動を行うにはそもそも限界があります。
従って「郵政民営化に対してどういう姿勢を取るか」というところから、さらにその先にある思想や行動を見通して投票する必要があるのです。少なくともいえることは「何もしない」議員だけは、しっかりと見抜く必要があるということです。

これまでも小泉総理は国政選挙・総裁選挙をともに信任投票的に活用し(郵政民営化が嫌だったら代えてくれ、という総裁選での言がその典型でしょう)、自らを選んだ以上はその統治を全面的に受け入れて当然だとしてきました。しかし本来、公約は政策パッケージにならざるを得ず、選挙の勝利はあくまで平均点としてパッケージがよいという以上の意味を有さないはずで、だからこそ公約を実際の政策とする際には別途プロセスを踏む必要があるのが自然です。

 戦後日本の政党政治では、政党が政策を尊重してこなかった。特に自民党の場合、あれもある、これもあるという雑居性が政党の幅の広さとして高く評価され、党内における不透明な交渉や妥協が民主的手続として尊重されてきた。しかし、権力に関する責任の所在が不明確であることが、日本の政党政治を毒してきたと私は思う。国民にとっては、選挙で投票することが重要政策についての選択につながっていない。
これからは、政党のリーダーが国民に対して重要政策を具体的に示し、その実現に向けて自党を統制、統率するというメカニズムを確立することが必要である。この転換は、妥協型民主主義から、(国民との)契約型民主主義へのモデルチェンジといってもよい。

 議員にとっては地域社会の繋がりが緩んでいるため、誰が自分に票を入れてくれたのか非常にわかりにくい。しかし、郵便局長会や労組の力は例外的に明確だ。当選したお礼参り先としてはこうした組織は欠かせない。これが小泉さん以外には郵政民営化を言う政治家が出なかった一因であった。

[追記]

近い将来、情報流に物流が追いつかなくなって、不均衡が発生するのは必然で、その時に配信系のネットワークだけでは機能不足だと思う。ある意味コンビニと同じだけど、全国規模で設置コストゼロですでに過疎地にオフィスがあるってことは強いですよ。
~中略~
「郵便局2.0」
これですよ。来年から「郵便局2.0」の逆襲がはじまります。

[引用元一覧]
国会議事録を読もう・言葉への信頼を取り戻せ
財投機関債を巡って
郵政民営化について
岡田民主党と嫉妬の政治
なぜ、郵政公社を民営化するべきなのか?
郵貯:改革の理由(2) 収益源のタイムリミット
郵政民営化法案問題をできるだけシンプルに考えてみる
選挙戦へのつぶやき1
郵政民営化と、保守主義と、システムエンジニア
小泉総理の解散権行使に対するオブジェクション
小泉流リーダーシップの意義+(読売新聞掲載の小泉論に対する補足)
政党選択の新たな意味
郵便局2.0 — 過疎地のオフィスを活用する方法

争点としての「郵政民営化」が意味するもの

「民営化」とは何か。
一言で言えば、国有企業が民間企業になるという事だ。
マイクロソフトも、トヨタ自動車も、ユニクロも民間企業である。IBMもGoogleも然りだ。
どんな優良企業でも、10年後も存続している保証はない。民間企業である限り、経営破たんの可能性がゼロになる事はない。
要するに民営化とは、言い換えれば「リスクを負う」という事だ。「リスク」を代償に、経営上の「自由」を勝ち取ろうという話だ。
で、その「自由」の先にあるのが「飛躍」なのか、はたまた「破滅」なのか。そこが賛成・反対の分岐点になるわけだ。結局のところ、結果を左右するのは民営化後の経営陣の能力にかかっている
もし、経営陣が無能であれば、民営化へのプロセスがどんなに完璧でもいずれ破綻する。逆に、経営陣が正しく機能すれば、民営化法案の出来不出来ってのはあんまり関係が無くなる。安定した経常利益を維持できれば、懸案事項の殆どは杞憂に終わる。
「民営化」である以上、リスクをゼロにする事はハナから無理だ。
(郵政民営化に)リスクを賭ける価値があると思えば「賛成」、その価値が無いと思えば「反対」である。
そう考えると、民営化賛成+法案反対というのは、まやかしだと判る。
民間会社の成功を保証する法案など、どー弄ったって結局のところ有り得ないからだ。郵政株式会社の命運は、経営陣にかかっている。超当たり前の話。

著名ブログの「最初の記事」を集めてみた

私があちこちのブログや個人サイトをマメに巡回する様になったのは、2005年になってからだ。だから基本的に、ネットでの「過去の話題」にはあまり明るくない。
たまにGoogle検索とかで、巡回先であるはずのブログの古い記事に出くわして「え、この人がこんな事書いてたのか」と驚く事がしばしばある。今とは芸風が違ってて意外な感じだったり、逆に何年も前の記事なのに、まるで昨日書いたものみたいに文体がブレていないのに感動したりする。
つーわけで、表題の様な事を思い立った次第。
著名ブログといっても、巡回先メインなので選定に偏りあり。それから文字通りの「最初の投稿」とも限らない。だいたい以下の様なルールで、幾つか集めてみた。

  • 基本的に2年程度以上続いているBlog(サイト)が対象
  • 自己紹介とか、「今日からブログ始めます」みたいなエントリーは除外
  • ブログサービスを転々としてる方とかの場合、旧サイトまでは追わない
  • ただし、過去ログとしてアーカイブされてるものは旧サイトでも対象とする

こういう試みは、やられる方からしたらかなり不快かもしれない。というか、自分がコレやられたら死ぬ程恥ずかしい(なんて書くとやぶ蛇なんだが)。でも、好奇心に負けたw。対象となったブロガーの皆さんには先に謝っておきます。ゴメンナサイ
あと、私の探し方が悪くて「それ最初の記事ちゃうちゃう」等のツッコミがあれば遠慮なくご指摘を。
では、新しいものから順に。
おまえにハートブレイク☆オーバードライブ(ykurihara氏)
2003.09.26 ひとまず
絵文禄ことのは(松永英明氏)
2003.09.13 ウェブログ=蜘蛛の巣丸太が「サイバー日記」になった理由 
極東ブログ(finalvent氏)
2003.08.14 平和教育の残酷さ
おれはおまえのパパじゃない(テラヤマアニ氏)
2003.05.04 二次会幹事
かみぽこぽこ。(かみぽこちゃん氏)
2003.03.22 近所の写真屋さん
愛・蔵太の気ままな日記(愛・蔵太氏)
2003.02.04 曇り
Bewaad Institute@Kasumigaseki(bewaad氏)
2003.01.01 問題はこれだ!
日日ノ日キ(吉田アミ氏)
1999.07.31 ニッキハジメ
趣味のWebデザイン(徳保隆夫氏)
2001.06.18 記念講演←間違ってました
1999.03.08 長野五輪招致問題
圏外からのひとこと(essa氏)
1999.01.15 「仏陀L」筋肉少女帯
IrregularExpression(gori氏)
1997.05.27 そしてゴリは吠える!
ARTIFACT ―人工事実―(kanose氏)
1997.01.26 Internetの大海で恥をさらしてやるぜ…
ykurihara氏、松永氏、テラヤマアニ氏、徳保氏の文章は今読んでも違和感があまり無い気がした。皆さんブレが無い。私などは、いまだに文体でしょっちゅう悩む。キャラがなかなか一定しない。その点、さすがだと思った。
finalvent氏は最初からこのクオリティですよ。これは到底マネできない。でもよく読むとちょっと今より若々しいかも。
かみぽこ氏は今と芸風が微妙に違って初々しい。
愛・蔵太氏、そっけない感じが今の芸風とも違う感じで興味深い。
吉田アミ氏の記事は1999年という独特の空気感が感じられて好きな文章だ。
特筆すべきはbewaad氏の熱さほとばしる文章!こっちの方が好きかもw
昨今の「小泉批判」エントリー群の原点を見た気が。
essa氏の『「仏陀L」筋肉少女帯』は「ですます」調じゃない文体が新鮮な感じがしたんだけど気のせいかな?次の『荒井由美』ではもうですます調になってる。意図的なのかな。内容は最初から共感しまくり!
20世紀からテキストを蓄積されてきた方々はそれだけで尊敬に値すると思った。変化の早いネット上で、「継続する」という行為は圧倒的な価値を生み出す気がする。
特に1997年からのテキストをアーカイブされているgori氏、kanose氏は別格。なにしろWindows98が存在しない時代からテキストを綴り続けているのだから。まさに「継続は力なり」。今回取り上げたサイトに限らず、今あるブログで5年後も続いているものがあれば、それは間違いなく「誰もが多くの人が知る存在」になっているだろう。それだけ「書くモチベーション」を失わない人が書いたテキストが面白くないはずがない。
ブログは、時に投げ出したくなる。
しかし、紆余曲折があっても「力尽きる」まで書き続けたい。
各記事を読んでいて、なんだかそんなモチベーションが沸いてきた。