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駒大苫小牧暴力不祥事を総括する

日本高野連が駒大苫小牧野球部長の体罰問題について、「優勝取り消さず」の決定を下した事で、この騒動は一応の決着を見た。
「とりあえずホっとした」
「優勝は取り消されるべき」
「暴力はいかんだろ」
「問題の選手は札付きだったらしいじゃないか。部長は悪くない」
などなど、様々な意見が飛び交った。
しかし、イマイチかゆいところに手が届いていないというか、総じて表層的な話に終始している気がする。
この事件ってたぶんもっと奥が深い。
というわけで、この騒動が風化してしまう前にきっちり総括しておこうと思う。

●事件の経過

各種報道から、事件の経過を時系列にまとめてみる。

6月2日 朝の練習後、駒大苫小牧野球部長(27)が3年生部員1人を「エラーしてもにやけていた」として、練習後に注意したが、反抗的な態度をとったため平手で顔を3、4発~3、40発(回数について主張の相違あり)叩いた。
6月27日 夏の甲子園予選室蘭ブロック開幕
7月24日 夏の甲子園南北海道大会にて駒大苫小牧優勝。甲子園への切符を手にする。
8月4日 野球部生徒11名の喫煙・暴行事件発覚により明徳義塾が急遽出場辞退
8月6日 甲子園にて夏の全国高校野球大会開幕
8月7日 甲子園大会中の宿舎にて、
「夏バテ防止にご飯を3杯食べるという約束があるのに同じ部員がごまかそうとした」ので、野球部長が注意したが、やはり反抗的な態度をとったため、スリッパで1回叩いた。
8月8日 同校に「部員の親」を名乗る匿名の電話があり、校長、教頭ら学校幹部が暴力の事実を把握。しかし「子どもの将来(への配慮)や、粛々と大会が進行していることなどから、関係者に多大な迷惑をかけたくないという思いがあった」という理由で学校側は高野連への報告を行わなかった
8月9日 原正教頭が大阪へ向かい、部長と面会。部長が暴力の事実を概ね認める
8月20日 決勝戦で京都外大西を破り駒大苫小牧が夏の甲子園2連覇。
8月22日 駒大苫小牧高校の篠原勝昌校長が臨時記者会見を開き、野球部長の暴力不祥事を発表。同校は野球部長を謹慎処分とした。
8月23日 駒大苫小牧が、高野連に事件の概要を報告。
8月24日 体罰被害を受けた部員が札幌市内の病院で精密検査を受け、外傷性の顎(がく)関節症と診断。
8月27日 駒大苫小牧篠原勝昌校長が高野連に報告書提出。それを受け高野連では、部長を一定期間の謹慎、報告の遅れた同校野球部については警告とする処分案を決定。また、夏の甲子園優勝を取り消さない事、秋季大会及び国体への参加を認める事も併せて決定。

客観的事実をこれだけ書き並べてみただけで、疑問点がヤマほどあるのだがそれはとりあえず置いておいて、今回の騒動で浮き彫りになった問題点を整理してみよう。
問題点は大きく分けて2つある。ネット上の様々な議論もこの2つをどう判断するかで意見が別れている様に見受けられる。
その2つとは

  1. どこからが不正で、どこまでが許容範囲なのか。その線引きはどこにあるのか。
  2. 不正があったとして、それを誰がどのように裁くのか。

の2点だ。実はこれら2つについて、これまで長い間、何一つ明確にされないまま放置されてきた。本質的な問題はそこにある。以下、それぞれについて考察してみよう。

●どこからが不正で、どこまでが許容範囲なのか

駒大苫小牧の件について言えば、どこからが体罰/暴力の範疇に入るのかという問題になる。
学校教育法によれば、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒は基本的に体罰と解釈する事が可能だ。確かに、一般の生徒であればその論はある程度納得できる。
しかし、スポーツの世界において一流を目指す場合、どうしてもその訓練は過酷にならざるを得ない。過酷だという事はすなわち肉体的苦痛を伴ってしまうという事だ。だから、一般の高校生の授業と全国制覇を目指す野球部の練習とでは、同じスキームで判断基準を設けるのは現実的ではない。
例えば、駒大苫小牧の超強力打線を生み出した原動力として、竹バットを使用した打撃練習がある。
竹バットはボールを芯で捕らえないと、手に激痛が走る。その為、選手達は必死でボールをミートするよう心掛ける。駒大苫小牧の選手が、皆シュアなミート打法を体得している裏にはそういった鍛錬があるのだ。
こういった練習法だって、もし通常の体育の授業で導入してしまえば「体罰的だ」と言って反発する保護者が出てきて不思議ではない。しかし、今回の騒動でもスキームの違いを踏まえたきめ細かい議論は一切されなかった。
正直、今回の駒大苫小牧の件はグレーゾーンだろう。どこからが体罰かという議論はされないまま、件の野球部長は結局6月と8月の「2回」に渡って暴力を振るった事になってしまった。しかし、6月の件はともかく、スリッパで1回叩くのが暴力かどうか、議論の余地はあるだろう。もしスリッパではなくハリセンだったらどうだろう。新聞紙だったら?
6月の件にしても、もし野球部長が「あれは体罰ではない」と強硬に主張したなら事態は混迷を深めただろう。どの程度の力の入れ具合だったのか、どの部分を何回叩いたのか、結局のところ当事者にしか判らない。客観的判断は、被害者の肉体的損傷から判断するしか無いのだが、今回のように精密検査が2ヶ月半も経過した後となると、「顎関節症」と診断されたところで、2ヶ月半も前の暴行によって受けた損害だと客観的に証明する事は極めて困難だからだ。
結局、「大きくなり過ぎた騒ぎを穏便に収めたい」という方向で当事者全員の思惑が一致したが故の決着であり、本質的な問題は何一つ解決していない。
こういった「判断がやっかいな問題」をスルーしたままの決着はおそらく将来に禍根を残す。結局、「騒げば甲子園全国制覇という事実でさえ覆る可能性がある」という奇妙な事実だけが残った。
このままでは、今後もっと輪をかけてナンセンスな騒動が巻き起こるだろう。

●誰が、どのように裁くのか

明徳義塾や駒大苫小牧について、表面上は高野連が裁定を下したように見える。しかし、事実上彼らを裁いたのは「匿名の告発者」だ。この状況はハッキリ言って最悪だ。
高野連には、前述したように「不正」を判断する客観的基準が無い
それだけでなく、不正が行われたかを調査する能力も権限もない
にもかかわらず「連帯責任」の名の下に高校球児の生殺与奪だけは手中にしている
考えても見て欲しい。今回の夏の甲子園出場校49校を見ても、
「選手の喫煙も無ければ指導者による体罰も無かった」
事を証明できる学校など一つも無いのだ。(というか、そもそもそんな事を証明できるはずがない)
ただ単に「誰からもタレコミが無かった」に過ぎない。
こんな状況で、「不祥事が発覚したら速やかに高野連に報告しなさい」と言う。お戯れもたいがいにして欲しい。報告したところで、どうせ「大会参加を自主的に辞退」させられるだけなのだから、「ばれないように全力を尽くす」のは自然の成り行きだ。
そもそも連帯責任というのは、大宝律令の時代から「相互監視させる事によって、低コストで秩序を維持する」という「統治者」の論理で導入されてきた。教育的意義など皆無だろう。あるならぜひ教えて欲しいものだ。「体罰」が時代錯誤だと言うなら、「連帯責任」はそれ以上に時代錯誤だ。本気で「不祥事の速やかなる自己申告」を促進したいのなら、「連帯責任」の全面撤廃しかない。今の状況のまま放置したならば、いずれ必ずや高校野球の有力校は「ライバル校の素行調査」に力を入れ始めるだろう。そして「匿名の告発者」が増えていくだけだ。

●最後に

駒大苫小牧の不祥事についてたくさんの記事を読んでみたが、その中では駒大苫小牧事件と人事管理
という記事が秀逸だった。人事管理という観点から、駒大苫小牧の指導スタッフに反省すべき点は確かにあると思う。
ただ敢えて弁護するならば、学校の部活動というのは基本的に希望者は全員受け入れなければならない。しかも、駒大苫小牧野球部はここ2、3年で爆発的に部員が増えてしまった。母体数が激増する一方で、ベンチ入りできる選手の数は変わらない。そんな中で、選ばれなかった選手の不満をフォローするのは並大抵の苦労ではないのだろうな、と思う。
それから、野球部長が8月に「スリッパで叩いた」理由であるところの「メシ3杯」について「くだらなすぎる」という論調が一部で見受けられたので、最後にそこだけフォロー。
確かに普通の人から見ればくだらない事なのかもしれないが、どんな些細な事も「徹底」したからこそ北海道勢初の「全国優勝」という奇跡が生まれたという事だけは理解して欲しい。
以下、「大旗は海峡を越えた」(田尻賢誉著)から抜粋。

04年の香田監督はチーム全体を対象にした特別な暑さ対策はしていない。~中略~
それでも、駒苫の選手達はバテなかった。
その理由は”食”だ。
とにかく食べた。03年には無かったノルマを設定。試合日、練習日に関わらず朝食からご飯は3杯以上を徹底した。甲子園滞在中、練習時間は高野連から割り当てられた2時間のみで普段よりお腹は空かないはずだが香田監督は「全部食べ終えるまではダメ」といって無理やりにでも食べさせた。
「正直、きつかったですけど、言われた事をやろうと思って食べました。
体調が悪い時ほど食べるようにしましたね」(桑原)
~中略~
最後の最後まで選手達の食欲は落ちなかった。その結果、メンバーのほとんどが大会中に2、3キロの体重増。夏バテとは無縁だった。

香田監督の下、駒大苫小牧がいかに独創的なトレーニングを積み重ねてきたかというエピソードは他にもたくさんある。夏の甲子園連覇という偉業を称えるエントリーを書くつもりで集めていたネタだ。それが、このようなエントリーになってしまったのはなんとも残念だ。

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社会・政治

PRIDE GP 2005 FINAL ROUND予想

明日8月28日に行われる PRIDE GP 2005 FINAL ROUND。
此度の選挙に負けず劣らず、素晴らしいカードの数々に興奮を抑え切れないw。
今回の予想は自信あるっす。

  • 第一試合 中村和裕 × イゴール・ボブチャンチン
  • 勝者ボブチャンチン。
    中村ががんばれば判定まではいくかもしれない。しかし、いかんせん中村にはフィニッシュパターンが無い。今のボブチャンチンは相当強い。

  • 第二試合 ヴァンダレイ・シウバ × ヒカルド・アローナ
  • 勝者シウバ。
    好カードだなあ。好試合必至だが、勝敗で言えばシウバ優位は動かないと思う。
    アローナはいい選手だが、ランペイジジャクソンに失神くらったり、ダンヘンダーソンに不覚をとったり、意外とモロさが目立つ。特に打撃系の超一流どころだと苦戦がち。それと、シウバから見てアローナの攻撃には意外性がない。シウバにとってアローナはやっかいだとしても、怖さは無いのではないか。

  • 第三試合 マウリシオ・ショーグン × アリスター・オーフレイム
  • 勝者オーフレイム。
    昨日やっとTVの特番で前回の戦いぶりを見て驚いた。オーフレイムは昨年と別人だ。体が一回り大きくなってる。相当鍛えこんだのではないか。戦いぶりも完璧で、よく考えてみると、ビクトー、ボブチャンチンに勝っての準決勝というのは、4人の中で一番ハイレベルなブロックだったかもしれない。ショーグンは一筋縄ではいかないと思うが。どの位余力を残して勝つか、が優勝予想の一つのポイント。

  • 第四試合 ローマン・ゼンツォフ × ファブリシオ・ヴェヴェドゥム
  • 勝者ヴェヴェドゥム。
    ゼンツォフ情報少なすぎ。ヴェヴェドゥム順当勝ちとしか言いようが無い。

  • 第五試合 吉田秀彦 × タンク・アボット
  • 勝者吉田。
    このマッチメイクは嫌らしい。吉田は勝って当たり前と思われそうな相手なのに妙にリスキーだ。体重差も酷いし。つーか、アボットまだいたのか。

  • 第六試合 エメリヤー・エンコ・ヒョードル × ミルコ・クロコップ
  • 勝者ミルコ。
    ヒョードル不利。ミルコ相手に打撃でペースを掴むのは並大抵ではない。かといってタックルから入るわけにもいかない。ミルコはタックル切りも大得意だし。
    つまり、ヒョードルにとっては、ノゲイラと違ってミルコのようなタイプはおそらく一番苦手だろう。ミルコ遂に悲願達成か。

  • 第七試合 ヴァンダレイ・シウバ × アリスター・オーフレイム
  • 勝者オーフレイム。
    昨日のTVで桜庭がやはりオーフレイム優勝と予想していて驚いた。
    ショーグンの試合を見ていて、やはり「シウバと戦いぶりが似てるなあ」とつくづく思った。シウバの前にショーグンで予行演習ができるオーフレイムはその意味で物凄く組み合わせの利があると思う。先に言った通り、別人の様にレベルアップしている印象もあるし。懐も深くてシウバにとっても苦手なタイプっぽい気がする。
    しかし、準決勝でのダメージの深さによってどちらにもチャンスはある。特にオーフレイム。ショーグン相手に無傷でいられるかちょっと心配。勝ってもケガで結局リザーバーの出番、とかだと悲しすぎる。

    [2005/8/28追記]

    _| ̄|○

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TV・映画

ホリえもんはフツーに当選する

というか、表題のような見解がネット上でもメディアでもほとんど皆無?なのに驚く。(それとも私がたまたま目にしていないだけなのか?)
著名ブログでは、R30氏のエントリー「政治家ホリエモンをなめてはいけない」が異彩を放っているが、この記事も裏を返せば「政治家ホリエモンはなめられている」事が前提になっている。
選挙というのは、「どれだけ嫌われているか」は殆ど問題じゃない。
あくまで、「投票してくれる層がどれだけいるか」だけが重要だ。
前回参院選での鈴木宗男や辻元清美らの善戦を見てもそれは明らかだ。
ホリえもんは良くも悪くも存在感がデカすぎる(敢えてカリスマ性とは呼ぶまい)。その引力の強さが、「郵政民営化」の是非といった他の争点を霧散させてしまうのだ。つまり、ホリえもんを徹底的に毛嫌いするアンチであれば、たとえ民営化賛成でも彼には投票しないだろうし、その逆もまた有るという事だ。広島6区の有権者は頭の中で「ホリえもんが好きですか?」というYes/Noクイズにまず答える事になる。
東京商工会議所が今年4月に発表した、新入社員意識調査では「理想の社長」1位はホリえもんだった。「新しいことへの挑戦や行動力がある」「先見性、創造力がある」などが理由らしい。それらの評価が正しいかどうかはともかく、ホリえもんシンパは実際のところ結構存在するのだ。
仮にホリえもんに対する評価で、世の有権者層の4割がアンチ、シンパがその半分の2割、残り4割がどちらでもない(興味無し)だとしよう。
シンパ2割が全員ホリエもんに投票し、アンチは全員他の候補者に投票したとする。民営化賛成はどの世論調査でも過半数を超えているので、おおざっぱに、残り4割のホリえもん無関心層のうちの半数が民営化賛成のホリえもんに投票してしまうとそれだけで、全体の40%を得票してしまう計算になる。実際にはこんな単純な票読み通りにはならないだろうが、少なくとも「勝算は十分にある」と考えてもなんら不思議はない。
そもそもホリえもんが出馬した最大の動機はなんだったのだろうか。
個人的には、雪斎氏のエントリー「堀江貴文の決断」が最も真相に近いのではないかと思う。特に重要な部分を抜粋してみる(強調は引用者による)

堀江氏が議席を取れなかった場合の処遇は、先ず政府の経済・産業政策関係の諮問会議や審議会のポストが提供されるということであろう
当然、そこには、「財界総理」と呼ばれる奥田禎・トヨタ会長を含め、財界の歴々が集まっているし、
そうした場所に三十歳過ぎにして出入りできるようになることは、堀江氏にとっては「大いなる出世」を意味しよう。

「政策関係の諮問会議や審議会のポスト」というのは実に鋭い指摘だと思う。ズバリ、ホリえもんのターゲットは総務省だ。
今年の春頃、ソフトバンクの孫正義氏が携帯電話用800MHz周波数帯域の割り当てをめぐって総務省と大喧嘩をした。その強硬姿勢は他のキャリアからも総スカンをくらい、結局ソフトバンクはその後総務省との対立姿勢を大幅に軟化せざるを得なかった。
ライブドアは現在、Livedoor Wireless(D-cubic)という大掛かりな無線LANビジネスを立ち上げようとしている。M&A一辺倒でのし上がってきたライブドアにとって、この「自主」ビジネスの意味は大きい。そして、このビジネスに絡んでライブドアは2GHz帯の周波数割り当てを虎視眈々と狙っている。
関連記事
そんな状況下で今年春のソフトバンクの失敗は良き「反面教師」だったはずだ。
ビジネスの成功の為に「国家への影響力」を欲する。これこそが合理主義者堀江貴文に相応しい出馬動機であり、そう考えれば「社長を辞めない」事も当然だ。
もちろん選挙で勝った方が、諮問委員会のメンバーなどよりさらに「国家への影響力」は大きいし、自民党に売る「恩」も大きい。
だから「最初から勝つつもりはない」という見解は違うと思う。おそらくホリえもんは本気だし、勝つ可能性も十分にある。そもそも、負けず嫌いの塊のような男が「選挙に負ける」という屈辱に我慢できるはずがない。神取忍を見て痛感したが、有名人が選挙に負けるというのは想像以上にカッコ悪いのだ。

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小泉純一郎の人となりを示す8年前の出来事

私が小泉純一郎という政治家に強烈な印象を受けたのは、1997年の事だった。
当時、橋本内閣の厚生大臣だった小泉は国会議員永年在職(25年)表彰を辞退した。
永年在職表彰を受けると、国会議員には2つの特典が与えられた。
ひとつは、国会が100万円出して画家に肖像画を描かせ、国会の委員会室に飾ること。
もう一つは毎月30万円の特別交通費支給だった。
しかし小泉は
「自分が国会議員をやってきた25年間のうちに国の財政も悪化してきた。その責任を担っている自分が表彰を受け、特典を得るのはおかしい」という理由で、本来堂々と受け取れるはずだった「名誉ある特典」を自ら拒否したのだった。
月額30万円というと大した事無い様に感じる人もいるかもしれない。しかしこの年額360万円の特別支給は非課税で、しかも引退後も終生支給を受けられると言うまさに国会議員の「既得権益」そのものだった。
実際、この「既得権益」を自ら手放すなど前代未聞だった。「変人」の面目躍如である。肖像画を辞退した政治家は過去3名いたらしい(成田知巳、伊東正義、渡部一郎)が、特別交通費はしっかり受け取っていたようだ。「政治腐敗を正す」はずだった社民党や共産党の政治家も、みな例外なくこの既得権益の恩恵に預かっていたのである。
このニュースは当時マスコミもそれほど大きく取り上げなかった記憶がある。実際このエピソードは現在でもそれほど広くは知られてはいないようだ。メディア向けのパフォーマンスではなかったところに意味がある。こういうエピソードにこそ、その人間の本質が表れる。以後、小泉純一郎は個人的に「最も注目すべき政治家」の1人になった。
そして、その3年半後、小泉内閣が誕生した。就任後、小泉が真っ先に手を付けた改革の一つが国会議員改革だった。国会議員歳費法改正案など関連法案が可決され、永年在職議員の特典制度は2002年4月をもって廃止されたのである。
時は経ち、2005年。小泉政権に対して世論は賛否渦巻いている。亀井静香氏をはじめ、多くの人間が「小泉は変わった」と言う。しかし、8年前から小泉純一郎は何一つ変わっていない。
1998年産経新聞正論での小泉インタビュー記事を読めば、それが良く判る。このインタビューは小泉の行動論理を知る上で必読だ。昨今の小泉の言動と照らし合わせても全く違和感が無い。
今度の選挙が、政権選択選挙だとするならば、それは小泉純一郎か岡田克也かのリーダー選択選挙でもある。
岡田克也は以前フジテレビ「報道2001」の番組中、古森義久氏から、民主党の外交政策に関して
「今どき外交で、国連中心主義なんて言ってる先進国は一つも無い」
とツッコまれた事がある。
どんな反論をするのかなと思って見ていたら、なんと岡田は「我々は”国連中心主義”という表現を使った事は無い」と言い放った。
あの発言も私にとっては衝撃だった。小泉とは逆の意味で。
2003年衆院選の民主党マニフェストには 
「国連中心主義で世界の平和を守ります。」と明記してある。というか、イラク派兵等に関して民主党議員が政府批判をする時には「国連中心主義」というのは常套句だ。さすがにあの発言を聞いたときには「岡田、(人として)大丈夫か?」と心配になった。
アルピニスト野口健のWEBサイトでは、橋本内閣行政改革の一環として郵政民営化案が議論された当時、民主党議員達がいかに民営化に前向きだったかが紹介されている。その彼らがなぜか今は「全党一致」で民営化反対だ。これは「政治家の行動論理」が為せる業である。小泉の行動論理が政治家の常識を逸脱しているのと対照的だ。
ついでに言えば、民主党の言う「あと2年は公社で」というのは反対理由になるのだろうか?なぜなら政府案でも公社が民営化をスタートするのは2007年だからである。しかも、完全民営化まで10年かけて段階的にやる、3年毎に民営化委員会が制度のチェック・見直しを検討する事も明記されている。とにかく今の政治家で郵政民営化を声高に叫んでいるのは小泉一人だ。牽引役がいなくなれば郵政民営化は自然消滅するだけだ。
話を元に戻そう。
小泉の政策が全て正しいわけではないだろう。
いつの日か、民主党による政権交代が実現するのもやぶさかではない。
しかし、例え郵政民営化を争点から外したとしても、プリミティブな「信頼感」という部分で「岡田民主党」が選択肢になる事はどうしても考えられないのだ。

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音楽

郵政民営化反対派の言い分まとめ+それに対するツッコミ

ここ数日、郵政民営化について俄か勉強を始めた。
元々民営化には「漠然と賛成」なのだが、反対派の論理もしっかり把握する必要があると思い、たまたま本屋で見つけた「だまされるな!郵政民営化」という本を買って読んでみた。

だまされるな!郵政民営化―金持ちを優遇して、貧乏人にツケを回す社会がやってくる

だまされるな!郵政民営化―金持ちを優遇して、貧乏人にツケを回す社会がやってくる

  • 作者:
    荒井 広幸
    ,
    山崎 養世
  • 出版社・メーカー:
    新風舎
  • 発売日:
    2005/07
  • メディア:
    単行本

反対派の急先鋒である荒井広幸参議院議員と、民主党の政策ブレーンで「高速道路無料化」論の提唱者でもある山崎養世氏の共著である。
「この本読んだらオイラも反対派に鞍替えかな」と半ばワクテカで読んだのだが、結論から言うと、自分の様な俄か論者でさえツッコミどころ満載で、かなりガッカリの代物だった。
とは言え、反対派の主張はかなり判りやすい形でまとまっていたと思うのでまずこの本から、反対派の言い分を抜粋して箇条書きにしてみよう。

  1. 郵便貯金が「銀行」のひとつになり国民はATM手数料105円を支払う。結局、国民生活の負担が大きくなるだけ
  2. 過疎と呼ばれている市町村には約24700局以上もの郵便局があるが存続が約束されているのは2000だけ。おばあちゃんが年金を受け取りに行けなくなる
  3. これまでの郵便簡易保険は全国誰もが加入することができたが生保化で「職業」などで断られるようになる
  4. 銀行口座が開設できなかったりクレジットカードを持てなかったりそんな人々が増加する可能性がある
  5. 地域にある小さな銀行、信用金庫が破綻に追い込まれる
  6. 郵便の値段が上がる。都心はサービスが向上するものの地方で暮らす人々には高くて不便なものになる。不公平な時代がやってくる!
  7. 財投国債こそ諸悪の根源であり、そこにメスを入れない民営化は意味が無い
  8. 政府は郵政が「税金を納めていない」と言うが、固定資産税見合いの二分の一を納付している。生田(正治日本郵政公社総裁)さんの下で公社の改革の成果でさらに公社改革で資本が積み上がれば、その出た分の2分の一程度を国庫納付する事になっている。
  9. 郵政民営化法案はアメリカからの対日要求に全面的に従った格好だ。郵貯・簡保を外資の生贄にするつもりか!
  10. 郵政三事業は独立採算制で国民の血税は使われていない。だから公務員削減の口減らしには当てはまらない。

本から抜粋する限りでは、反対派の言い分は以上だ。
以下、順にツッコミを入れていこう。
ATM手数料を支払う、おばあちゃんが年金を取りにいけない、簡保に加入できない、口座が開設できない、どれをとっても何一つ確定していない話で危機感を煽っているだけだ。確かに懸念もあるだろうが、その為に10年という移行期間も設定されている。郵便事業と窓口業務に関してはユニバーサルサービスが維持出来る様に、局の設置含めて国が関与する旨法案に定められている。
移行期間中は民営化委員会が三年ごとの見直しをやる。
ユニバーサルサービス確保の為の2兆円の積み立て基金もある。(2兆円が果たして妥当な額かという議論はあるが。)
それら一切の事について一言も言及しないで不安だけ煽るのはいささか恣意的だ。
簡易保険の審査については、既に民間で無審査の保険商品が数々出ている昨今の状況を無視している。全ては保険料と保証額のバランスの問題ではあるが、民営化に反対する根拠としてはいかにも弱い。
地域にある小さな銀行、信用金庫が破綻に追い込まれるというのは確かに有りえない話ではない。これは民営化のデメリットの1つではある。しかし、現状日本の全ての銀行の納税総額が合計約1500億、一方骨格経営試算における民営化後の郵政各社の初年度納税総額は国会議事録によると4000~5000億。つまり日本中の全銀行が納める3倍近い納税額が見込める。国民への増税無しでこれだけの税収が見込めるメリットと零細金融機関の破綻リスクデメリットを総合的に比較検討する必要がある。
地方が不便になるというのは、根拠が無い。先にも触れたが法案には全国一律のユニバーサルサービスを維持する事が義務付けられている。郵便の値段が上がる可能性は確かにある。しかし、公社であれば未来永劫値上げしないという保証も無いのだからこの議論はあまり意味は無い。
財投国債こそ諸悪の根源であるというのはその通りかもしれない。山崎養世氏の反対論における核心部分である。
(詳しくは山崎氏のBlogを参照)。
しかし、そもそも郵政民営化というのは財投国債廃止を妨げるものではない。というか、郵政民営化賛成の人間であれば、皆財務省改革だって賛成するはずで相反するものではない。それに山崎氏は郵貯簡保による財投債の直接引き受けが平成19年度までの経過措置である事についてはなぜか触れない。そして、特定郵便局の既得権益などについても一言も触れずに、財投国債廃止すれば民営化は必要ないと言う。これでは、民主支持団体の既得権益を守るためのカムフラージュと勘ぐられても仕方無いのではないか?郵政公社のままであれば、財投債にメスを入れてもそれに変わる新たな逃げ道が用意されかねない。郵政民営化は、さらなる財務省改革の追い風にこそなれ、妨げにはならないはずだが。
郵政公社が国庫納付しているとか、血税が使われていないというのは詭弁だ。新規事業を一切行わないと仮定して、2016年度の経営見通しを予測すると公社の場合1300億の黒字、民営化した場合は600億の赤字だと竹中大臣は国会で答弁した
反対派はこれを反対の論拠にするが、これこそいかに公社が優遇され間接的に税金の恩恵を受けているかの証左である。都合よく生田総裁の名前を出しているが、当の生田総裁本人が民営化の必要性を国会で何度も証言しているのは何故かスルー。
郵貯・簡保が外資の生贄になるという論調も反対論の中では根強いものだがそれが事実であれば、なぜ既にある民間の大手銀行が全て外資の餌食になっていないのか不思議だ。
持ち株会社は公的な機能を持った特殊会社であり、買収不可能。郵便事業会社、窓口ネットワーク会社についても持ち株会社の100%子会社であり買収は理論的に無理。
銀行と保険については他の民間企業同様、銀行法の規定や独禁法の規定といった一般法規があり、敵対的買収については商法、会社法の一般的な規定に基く必要な防衛策を講じていれば問題は無いはずだ。そもそもアメリカの対日要求は全て日本の国益に適っていないという前提でなければこの論は成り立たない。陰謀論めいた話まで持ち出さないと民営化に反対できないというのは、反対派の論拠が希薄である事の証明にしかならない気がするのだが。。。
郵政民営化法案は、改善の余地も確かにあるのだろう。しかし、文句だけ言うなら簡単だ。
問題は民営化の意義を今一度考える事。民営化なのだから、リスクがあるのも事実だが、一切のリスクを負わないというのは幻想ではないか。
最後に民営化の必要性を補強するページを列挙しておく。
特に、幻影随想別館で黒影氏が取り上げているサイトはどれも必見。
特定郵便局の既得権益が想像以上に理不尽で驚いた。
田中氏、徳保氏の記事も判りやすく素晴らしい。
幻影随想別館:郵便局問題のお勉強中(黒影氏)
今週のひとこと:政党選択の新たな意味(田中直毅氏)
趣味のWebデザイン:なぜ、郵政公社を民営化するべきなのか?(徳保隆夫氏)

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「郵政民営化は争点ではない」と言う事の浅はかさ

民主党は、郵政民営化から国民の目を逸らす方針の様だ(まあ当然だけど)。
総選挙争点は郵政民営化ではなくムダづかい削減 岡田代表、会見で
以下抜粋。

 岡田代表はまた、郵政民営化を衆議院総選挙の唯一の争点とみなす小泉首相の発言に対して、それは大きい争点ではなく、敢えて挙げるとすれば、ムダづかいをなくすことだと指摘。さらに「前提は、政治家が身を正していくこと」だと述べ、議員年金の廃止、議員定数の削減から始まり、公務員人件費削減など3年間で10兆円のムダづかい削減に向けてを取り組むとの考えを明らかにした。

民主党の最大の失敗は、郵政民営化に全党一致で反対してしまった事だ。これは小泉手法を結果的に全面サポートしてしまっている。民主党が造反無く一致団結してしまった事で、小泉総理の目論む「タグ付け」がより完璧になってしまったからだ。
今回、郵政民営化に反対票を投じた議員は自民公認から外される。棄権したものに関しても、侘びを入れ、民営化賛成を明言したものだけが自民党公認となる。つまり、政見放送を見なくとも、候補者の演説を聞かなくとも、自民公認候補=郵政民営化賛成だと、有権者にインプットされてしまった。逆に自民公認から外されたもの=民営化反対者だと、極めて判りやすいタグ付けに成功した。
さて、ここで「もっと大事な事がある」と言っていたハズの民主党が民営化反対で一致団結してしまった事で、有権者は、このタグ付けを、民主候補者にまで拡大する事ができる。皮肉な事に、造反者を出さなかった事で、民主候補者=民営化反対 のレッテルが有効になったのだ。郵政民営化についてだけは、各候補者の主張を聞く必要が無くなったわけだ
ここまで強力な「タグ付け」に成功した選挙は過去に例が無いだろう。そしてこれが有権者の投票行動に必ずや影響を及ぼす。選挙演説など一度も聞かず、誰一人政見放送も見ずに投票所にいった者でも、とりあえず自民候補者は民営化推進だと判断できる。このタグ付けが最終的に大きな効果を発揮するだろう。
民主が本当に、「郵政民営化など争点ではない」と考えるならば、郵政民営化に対する判断を各候補者の自由意志に任せるべきだ。おそらく、それをやられるのが実は小泉首相にとっては一番イヤなのではないか。せっかく有権者にインプットした「タグ」の効力が弱まる。とりあえず民主党候補者の主張は各候補者良く聞いてみようという気にさせてしまう。
そもそも、「何が争点か」を争点にするなんていうメタな議論は、国民生活には何ら関係の無い話だ。こんなやり方では、民主に風は吹かんね。
「郵政民営化?どっちゃでもええがな。各候補者好きにしたらよろし。」
という一言が言えれば、「もっと大事な事がある」というスローガンも説得力を増す。小泉の「タグ付け」を弱体化できる。
逆に言うと、この方針転換が民主盛り返しの必須条件だと思うが。
今のままだと、どんなに民主党が選挙演説やマニフェストでとぼけても、選挙当日、いざ投票用紙を目の前にした時、殆どの有権者は「郵政民営化」という言葉を真っ先に思い起こすだろう。

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名プロデューサー小泉純一郎

参院で、郵政民営化法案が否決された。
それを受けて小泉総理は、即座に衆院解散総選挙の意向を示した。
今日午後3時の段階では、公明神崎代表と小泉総理の間で一応8月30日公示、9月11日投票という事で合意に到った様だ。
選挙に向かうとしたら、このテンポの速さが重要だ。一切逡巡しない事。それが国民には意志の強さとして目に映る。
反して、「勝った筈」の民営化反対派は歯切れが悪い。亀井静香の「解散などしないと思った」というセリフに象徴されるように、見事なまでに間抜けっぷりを晒している。勝負どころがわかっていない。
いやー、はっきりいって面白すぎる。選挙上等。これほど「投票したくなる」選挙は無い。
改革派vs守旧派。本来単純に色分けなどできなかったものが、郵政民営化反対か賛成かというリトマス紙によって、これ以上無いくらい単純化され明確になった。結果として反対派=守旧派が公認から外される。国民から見て実に判りやすい。
驚いた事に、反対派は自民党公認に対する未練を隠そうともしない。既に勝負が始まっている事を自覚していない。事の成り行きの早さについていけてないのだ。
テレビでは「小泉の政治手法に対する批判」に持っていこうとしてるが、選挙で国民に選択の機会を与えてくれる事で、「国民不在の政局闘争」という批判が的外れになる。
単純にどこが強いのか。
守旧派自民 vs 改革派 どっちが選挙上手?
改革派自民 vs 民主 どっちが改革派?
守旧派自民 vs 民主 全特と全逓 どっちが票田?
これは、PRIDE GRANDPRIX 2005 である。見たい戦いを実現してくれるファン重視のイベントである。ミルコ対ヒョードルである。
選挙の演出としては過去に類を見ないワクワク感だ。
個人的には、今回は200%自民支持だ。レイムダック化へまっしぐらと思われた小泉政権がここにきてまたでかいエンターテインメントを提供してくれた。
守旧派が新党を結成するのか。党首はだれなのか。自民党の新たな公認候補の目玉は誰になるのか。影の薄い民主党はどこまで存在感を取り戻せるか。選挙まで目が離せない事だらけだ。

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「寄生獣」をハリウッドの最高傑作に

「寄生獣」ハリウッドで映画化”というニュースが飛び込んだのは7月15日の事だった。
なんてこった!ハリウッドだ!監督は「THE JUON」の清水崇だ!
「寄生獣」は個人的に最も思い入れの深い漫画であり、最も映画化して欲しい作品でもあったから、このニュースには興奮を抑えられなかった。同じ様な想いを抱いている人は想像以上に多かったようで、例えば「はてなダイアリー」を見ても、この記事に関する言及数がなかなかスゴイ数になっている。こんなに人気あったのか、と改めて驚く。
このニュースに対する反応としては、概ね「超楽しみ!派」「超不安!派」に分かれている様だ。どちらの気持ちもスゴク良く判る。私も期待感が膨らむその一方で、「デビルマン」や「キャシャーン」の悪夢が脳裏をかすめる。ハリウッドだから大丈夫と言っても「GODZILLA」の様な先例もある。
とにかく「寄生獣」は素材としては超一級だ。寄生獣の連載第1話を読んだ時から「これは映画だ!」と感じた。ハリウッドの最高傑作の1つに成り得るだけのポテンシャルはある。
まず「寄生獣」をご存知ない方の為に、ごく簡単に作品の概要を紹介しよう。
やはりWikipediaが良くまとまっているので以下引用。

『寄生獣』(きせいじゅう)は、岩明均による漫画作品。全10巻。講談社・月刊アフタヌーンに1990年1月号から1995年2月号にかけて連載され、作者の代表作となった。2004年には完全版全8巻で新しく発売されている。1993年第17回講談社漫画賞一般部門受賞、1996年第27回星雲賞コミック部門受賞。
一人の青年の数奇な運命を通して、生命の本質を峻厳に描きつつ、それ故に見えてくる人間性の尊さと人の浅はかさを訴えた内容は、各方面から注目された。

~中略~
あらすじ
ある日、空から多数の正体不明の生物が飛来してきた。それは、人間に寄生して脳をのっとり、別の生き物となって日常生活に紛れ込む。肉体ののっとられた部分は「考える筋肉」とでも言うべき特性を帯びていた。高い知性を持ち、刃物や紐などの形に自由に変形し、寄生した個体と同族を捕食の対象とする。捕食の際には寄生体全体が口となる。そのエサは人間。間一髪で脳ののっとりを免れ、しかし右腕に寄生された主人公の高校生・泉新一。その「右腕」・ミギーとともに始める寄生生物=パラサイトとの戦いを描く。

2003年に発売された完全版はこちら(全8巻)。
レビューに注目。すごい高評価っすw。

寄生獣―完全版 (1)

寄生獣―完全版 (1)

  • 作者:
    岩明 均
  • 出版社・メーカー:
    講談社
  • 発売日:
    2003/01
  • メディア:
    コミック
  • 評価:
    4.89
    (全19件)

さて、ではこの「寄生獣」がどんな映画になりそうなのか、
まずは、漏れ伝えられている情報から整理してみよう。(情報元: allcinema.net)

  • タイトルは原作の英語版と同じ「Parasyte」
  • 監督は「THE JUON/呪怨」の清水崇
  • 製作元はアメリカの大手、ニューラインシネマ(ロードオブザリング等)
  • 清水崇は脚本製作にもスーパーバイザーとして関わる予定
  • プロデューサはアングリー・フィルムズのドン・マーフィ、ヘンソン・ピクチャーズの
    リサ・ヘンソンと Kristine Belson、そして日本の一瀬隆重
  • CGを駆使して原作を忠実に再現するとの事(via WEB報知)

特筆すべきは、音頭を取るのが「ロードオブザリング」の映画化を実現させたニューラインシネマだという事。これは心強い。ベストと言ってもいいかもしれない。
監督は、個人的なイメージではジョンカーペンター(遊星からの物体X、ゼイリブなど)だったのだが、日本語版原作の機微を理解できる清水の方がベターかもしれない。
プロデューサ陣もいい感じだ。超ビッグネームではないが、「フロムヘル」のドンマーフィ、「ハイクライムズ」のリサヘンソンと、ジャパニーズホラーの仕掛け人一瀬。むしろマイケル・ベイあたりのビッグネームの方が駄作の確率は高まるような気がするのでこのスタッフ陣は好感が持てる。これは思い切り期待できる布陣だ。
さらに、作品を駄作にしない為に何が必要なのか。独断で妄想してみた。
●舞台は日本か、アメリカか
ハリウッドで映画化する以上、アメリカでヒットしなければ話にならないわけで、とりあえず主人公はアメリカ人になるだろう。「THE JUON/呪怨」の様に舞台だけは日本という力技もあるが、おそらく大掛かりなロケが必要になる今作は素直にアメリカが舞台になるのではないか。また、配役の選択肢を広げる為に舞台設定もハイスクールではなく、大学のキャンパスか何かになりそうな気がする。
●主演俳優を妄想する
「THE JUON/呪怨」の大ヒット要因として、サラミシェルゲラーやビルプルマンといった配役の妙があった。やはり成功するにはスターの存在は不可欠。(役名は変わるだろうけど)泉新一役には、ずばり若き日のダースベイダー役でスターになったヘイデンクリステンセンなどはどうだろう?弱弱しさと内に秘めた野性的狂気を兼ね備えた感じがイメージに合いそうだ。
その他では、ロードオブザリングのイライジャウッド、デイアフタートゥモローのジェイク・ギレンホールあたりかなぁ。
●右か左か
ファンの間では有名な話だが、アメリカのコミックは逆開きなので寄生獣のアメリカ版も全ページ裏焼きになり、「ミギー」が「Lefty」になっている
日本の歩き方:番外編気力島の中段下あたりに実際の画像が紹介されている。)
しかし、映画では本来の「ミギー(righty?)」に戻るのではないか。right には「正しい」とか「権利」という意味もある。これらはこの作品のテーマに通じる重要な言葉でもあり、ぜひここは「righty」でいって欲しい。
●最も重要なエピソード
「寄生獣」の中のエピソードはどれも外せない重要なものばかりだが、2時間前後の時間的制約の中で作品を成立させる為に、多くのエピソードが削られたり、新しいエピソードが追加されたりするだろう。ただ、絶対にカットして欲しくないエピソードがある。新一が、母親の姿をしたパラサイトと自宅で遭遇する場面だ。このエピソードが作品から外されたらそれだけで駄作決定と言ってもいいくらい。
新一が背負う悲しみの象徴、そしてミギーと新一が本当の意味で「融合」する、一番重要なシーンになる。
●作品のポイントは「ミギーのリアリティ」
ハリウッドのCG技術がフルに導入されるというのは、この作品の映画化をイメージするのに不可欠な要素だ。そして、硬質化するパラサイトのイメージに近いものは、14年も前に既に「ターミネーター2」で実現できている。おそらく勝負は「ミギーの柔らかさ、不気味さ、愛らしさ」をどこまで表現できるかにかかっている。漫画の読者がイメージする「ミギー」をそのまま再現できなかったらこの作品は終わりだ。
「気持ち悪いけど愛らしい」「ウザイけど頼もしい」味方としてのパラサイトの存在がこの作品を「ただのCGスプラッター」から一歩進んだものにする。どこまで感情移入できるだろうか。
ターミネーター2から早14年。その間ハリウッドのCGがどこまで進化したのか、想像しただけでワクワクしてしまう。
ちょっと余談になるが、「寄生獣完全版」の第2巻に、当時のファン投書と原作者のこんなやりとりがあった。以下抜粋(強調は引用者による)。

投書:
「寄生獣」を映画化してください!ちなみに岩明さんスイセンのベスト1の映画は何でしょうか?

~以下略~
岩明 均(原作者)の返答:
映画というと、それぞれの良さがあってなかなかベスト1に絞れません。
ハラハラドキドキの退屈しないのが好きです。
最近見た中では「ターミネーター2」。変形するところが「寄生獣」みたいで面白かったです。
将来どっちが先だったか判らなくなって「寄生獣」がこれの真似だと言われたらいやですが。

岩明氏も連載当時からターミネーター2を意識していた様だ。ターミネーター2に出てくるT1000は「寄生獣」をヒントにしたという話もある。寄生獣のボスキャラ「後藤」が車を追うシーンは、ターミネーターそのままだ(あれは岩明氏の皮肉だったのかもしれないが)。
とにかく、いろいろな意味でターミネーター2と寄生獣は切っても切れない縁がある。
興味のある方は、”ターミネーター2 寄生獣”でググるといいかも。
清水崇氏の次回作は「THE JUON/呪怨」の続編だそうな。
「寄生獣」が完成するのは、2年後になるのか、3年後か。
とにかく、生きる楽しみが1つ増えた。映画館でミギーに会える日を楽しみに待つとしよう。

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誰もが名も無き「大企業戦士」に支えられている

今日はある友人Tの話をしよう。
Tは、とあるメーカー系大企業で携帯電話のファームウエアを開発している。
私とTは同期入社だった。入社後最初の配属先が同じだった。当時、まだ携帯電話なんてものは無く、ある通信機器ファームウエアの開発部署だった。一緒にコーディングをし、一緒にデバッグをした。まだ新人で、右も左も判らない中で切磋琢磨しあい、二人とも急激にスキルを伸ばした。
Tは素晴らしいライバルだった。本当に「優秀」な男だった。数年後には、完全にファームウエアに精通した「プロフェッショナル」になっていた。インサーキットエミュレータでOSの中まで追いかけた。原因不明のバグも、タスクのディスパッチタイミングがわずかに狂っていた事を看破して解決してみせた。
やがて私とTは別々のプロジェクトに転属され、お互いプロジェクトリーダーになった。
このテの業務はどんなプロジェクトでも程度の差こそあれ、過酷だ。月の残業が100時間なんてのはまだ少ない方。プロジェクトが佳境になると平気で残業は月300時間を越えた。しかしモチベーションは高かった。自分の作ったものが、様々な形で社会のインフラを支えている自覚があったからである。
当然プライベートな時間は殆ど無い。世間のニュースにも疎くなる。仕事以外の時間は、寝ているかメシ食ってるかあるいは酒を飲んでるかしか無い、そんな生活だった。
私は既に退社しているが、Tは今でも過酷な業務を軽やかにこなしている。
大企業はTの様な企業戦士だらけだ。特に優秀な人間ほど業務の負荷は高くなる。CNETのニュースなど呑気に読んでいる暇は無い。自分のプロジェクトに関係の無い技術に関しては驚くほど知識が無い。しかし、間違いなく彼らは「優秀」だ。そんな名も無き企業戦士達の名前がマスコミに取り上げられる事は無い。ネットの情報の渦の中で取り沙汰される事も無い。
昨日、「大企業には優秀な人がたくさん埋もれている」という記事を目にした。以下、抜粋。

大企業には優秀な人がたくさん埋もれている。
優秀な人を一つのプロジェクトに集結すれば、簡単に他社を圧倒できそう
なものだが、そうはならない。

なぜか?

優秀な人をかかえた部の上司がその人を放したがらないからだ。
上司から見れば、優秀な人を一箇所に集めるのは不平等だ。
自分の部から優秀な人を持っていくなんてケシカランわけだ。

~中略~

本人のためにも社会全体のためにも。それゆえ志の高い優秀な人
はみな社外へ飛び出し、ベンチャー企業などで集結する。それが現在の
Google や Six Apart や「はてな」などの活力を生んでいるのであろう。

言いたい事は判らないでもないのだが、著者のたつを氏は大事な点を2つ見落としていると思う。
1つは、「優秀」にもいろいろな種類があるという事だ。ベンチャー企業に必要な「優秀」さとは違う種類の優秀さもある。
Google や Six Apart や「はてな」のような派手な企業だけが良い企業というわけでもない。
そして、もう1つは「優秀な人材を集積」した後に残る、幾多の「優秀な人材のいないプロジェクト」の存在だ。
大企業というのは、手掛けている事業がたくさんあるからこそ大企業なわけで。
大多数の社員を抱えているからこそ大企業なわけで。
そして、せっかく雇用しているのだから出来るだけ全ての社員に機能して欲しいと想うのが当然なわけで。
企業に、おろそかにして良いプロジェクトなど1つもない。おろそかにする位だったらとっくに撤退している。たつを氏は、「優秀な人材のいないプロジェクト」がどれだけ悲惨なものか、おそらく実感が無いのだろう。
笑わないプログラマの
「【軍曹が】携帯電話開発の現状【語る】」
「【軍曹が】携帯電話開発の現状【語る】(後半)」
という記事が以前話題になった。こういう開発現場の実態がテキストになる事はめったにない。なぜかと言うと、そんなテキストを書いている時間的余裕が無いから。そして、ここまで過酷なプロジェクトに関わってしまうと、それだけで消耗しきってしまうから。そういう意味で貴重な記録だ。
笑わないプログラマで赤裸々に語られたような開発現場も、1人の優秀な人間が投入される事で大幅に状況が改善される場合がある。関連部署に声高に最終仕様を通達するリーダー。流用元の不備を見抜いて早期に手を打てるリーダー。そんな人間が上層に一人いるだけで状況は一変する。1人の優秀な人間が、100人を救う場合が多々あるのだ。それが「大企業」だ。
今年の始め、Tと数年ぶりに酒を飲んだ。
Tは、わずかな余暇の時間を競馬に注ぎ込んでいる。Excel上で凝ったVBAスクリプトを組み、独自予想ソフトを構築してけっこうな利益をあげていると言った。
私が、
「そこまでやってんならAccess使えばいいじゃん」
と言ったら、Tは
「Access?何それ?」
と言った。
TはMicrosoft Accessを知らなかった。
私がBlogをやっている事も知らないだろう。もしかしたら「ブログ」自体知らない可能性もある。
それでもやっぱりTは「優秀」だ。
もしかしたら、はてなの伊藤 直也氏が使っている携帯電話には、Tの作ったコードが載っているかもしれない。