plummet氏から「絶対音感」というちょっと意表をついたネタ振りを頂いたのは、ちょうど2週間前の事だ。
世界の中心で左右をヲチするノケモノ:ブログ漂流~あるいは一つの差別の類型より抜粋。
こういう音楽系の話は、専門家の極道に任せておくべきだったかな。つーわけでどうですかJ2さん(・∀・)ニヤニヤ
「こういう音楽系の話」がどんな話だったかはリンク元を参照。世間一般から見た「絶対音感」という言葉に対するイメージが垣間見れて興味深かった。
plummet氏からパスが来た時は、「よっしゃ、ノートラップでシュートや!」くらいの勢いだったのだが、思いとどまった。自分の経験と思い込みを頼りに自論を書き殴るのは簡単だが、それだけではいささか無責任な感じがしたからだ。
そこで、あらためて1998年のベストセラー「絶対音感」(最相葉月著)を読了し、このテーマに対する思考も少し深めてみた。そんなこんなで、2週間が経過してしまった次第である。
さて、「絶対音感」とはそもそも何なのか。最相葉月氏からの孫引きになるが音楽界で最も権威があるとされる「ニューグローブ音楽辞典」には以下の様に記されているらしい。
ランダムに提示された音の名前、つまり音名が言える能力。あるいは音名を提示されたときに
その高さで正確に歌える、楽器を奏でることができる能力である。
こう説明されてしまうとなんだかそっけないが、対して世間で語られる「絶対音感」にまつわる風評は、はるかに劇的で神秘的なものが多い。しかしそういった風評のほとんどは、正確さを欠いていたり、大仰だったり、絶対音感とは関係の無い話だったりする。いくつかピックアップしてみよう。
- 自然界のあらゆる音が「ドレミ」で聞こえる
- 絶対音感は天才音楽家へのパスポート
- 不眠症やノイローゼになる人がいる
- 一度曲を聴いただけで、演奏したり譜面にしたりできる
- 純正律に違和感を覚える。
- 移調が苦手
正確には、絶対音感を持つ人の中にも「聞こえる人と聞こえない人がいる」。
「絶対音感がある」という物言いは、「英語が話せます」というのと同じくらい幅が広い。「英語を話せる」と一口に言っても「日常会話くらいは」という人から「同時通訳」レベルの人までいるように、絶対音感の持ち主と言っても「ピアノの音に限定」「楽器は限定しないが苦手な音域がある」「体調が悪いと判らなくなる」「1Hzの違いも全て聴き分ける」など様々な人がいる。
「絶対音感」と「音楽の才能」は全く関係が無い。
「優れた視力」と「画家の才能」に例えた人もいるが、いい例えだと思う。そのくらい的外れな話だ。クラシックの大作曲家の中でも、シューマン、チャイコフスキーなどは絶対音感が無かったと言われる。現在ポップフィールドで活躍しているプロのミュージシャンの中で、絶対音感を持つ人は5%に過ぎないと言われている。
ジョンレノンが絶対音感を持っていたなんて話も聞かない。
音楽家にとって、絶対音感は「あると便利なツール」でしかない。
そう訴える人がいるのは「事実」だろうが、それが「絶対音感」に起因するかどうかは甚だ疑問だ。自分の身近にも絶対音感を持つ人は何人かいるが、みんな心身共に健康そのものだ。「情報を認知する能力」と、「認知した情報をどう消化するか」は別の問題ではないだろうか。絶対音感が無くとも、時計の針の音が気になって眠れない人はいる。冷蔵庫のノイズが気になって眠れないのも、何も絶対音感保持者の専売特許ではない。
それができるのは、「既に譜面を書く能力がある人、既に演奏できる能力がある人」だけである。バイエルしか弾けない人が、ショパンの幻想即興曲を1回聴いて弾けるようになるという事は、当然有り得ない。それに、こういった事が「絶対音感保持者以外は無理」なのかというと、そんな事は無い。優れた相対音感の持ち主であれば、実はほぼ同じ事ができる。ただし基準音の特定が出来ない為、CメジャーやAマイナーなど、簡単な調に脳内変換する場合が多い。
ただ、やはり聴き取りの速さ・正確さという意味では絶対音感保持者にはかなわない。
これは良く「絶対音感の弊害」として語られる事だ。
plummet氏んとこのコメント欄でも、若隠居氏が指摘している(さすが博学です)。
ちなみに純正律とは判りやすく言うと「和声がよりキレイに聞こえる様にチューニングした音階」であり、それに対して平均律というのは「1オクターブを12等分した音階」だ。ピアノなどの鍵盤楽器や、殆どの電子楽器はこの「平均律」でチューニングされている。要するに、平均律で絶対音感を身に付けると、純正律が「チューニングが狂っている」ように聴こえて気持ち悪いという話だ。
しかし音階というのは、音の相関関係の定義であり、つまり「相対音感」にモロに関係するものだ。だから、純正律に違和感を覚えるのは相対音感保持者も同じ。平均律以外の音階を知らない、というのが違和感の元凶であり、正確に言うと絶対音感に起因するものではない。しいて言えば、絶対音感を獲得する過程でおそらく刷り込みが強すぎたのだろう。音感そのものよりは絶対音感を身に付けさせるまでの教育手法、過剰な刷り込みに無理があるのかもしれない。
音楽家全体を見ても「移調が得意」「移調大好き」な人は極めて少ないだろう。曲を自在に移調して弾く、というのは高度なトレーニングの積み重ねが必要であり、絶対音感を持たなければ得意になれるという話ではない。これは推測なのだが、絶対音感を持つとソルフェージュの類はたいがいラクにこなせてしまうもんだから、他でラクをしている分、相対的に「移調が苦手」に感じるというだけの話ではないか。
ある程度の絶対音感は、全ての人にあるというのが私の自論である。
「音極道」に「耳道」のコーナーを作ったのも、そんな考えに基づくものだ。
私の場合、ヤマハで聴音などのソルフェージュ教育を幼少期に受けたのだが、6歳の時にカリキュラムを4ヶ月ほど休んだのが影響したのか、結局身に付かなかった。
「耳道」は自分にとっての「リベンジ」なのだ。
最相葉月氏の「絶対音感」に次のような記述があった。
絶対音感の記憶の深さは、よく母国語やバイリンガルに相当する言語の記憶にたとえられる。母国語を獲得する臨界期は六歳頃であり、バイリンガルになる為には個人差はあるが、六~九歳の間に複数の言語に晒されなくては母国語並みに話せるようにはならない。
~中略~
一方、ダイタイ音感は、臨界期以降に習得する外国語にたとえられる。
この記述は、自分の個人的感覚にも合致する。絶対音感の体得過程は「外国語の習得」に近いと思う。だとすれば、何も絶対音感を諦める必要は無い。幼少期の様な急激な進歩はなくとも、地道な変化はあるはずである。
皆さんにもこういう経験は無いだろうか。
自分がいつも歌っているカラオケの18番。曲が始まった時に、イントロがいつもより高いな、もしくは低いな、と気付いた。
とか、
自分の思い出深い曲や、何度も繰り返し聴いた曲など、頭の中で音を正確にイメージできる曲がある。
などなど。これらは紛れも無く「絶対音感」の断片である。
私の場合、頭の中で音を正確にイメージできる曲は以下のような感じ。
- イタリア協奏曲(バッハ)
- 幻想即興曲(ショパン)
- Yenショップ武富士のCM曲
- そのぬくもりに用がある(サンボマスター)
最近では
など。
自分の場合イタリア協奏曲の最初の音(F)をイメージしながら耳道をやると正解率が飛躍的に上がった。みなさんも好きな曲を何度も聴いて、その出だしの音が何なのかをチェックしておくと、自分の中の「基準音」になるかもしれない。
あと、最近耳道へのアクセスもお蔭様で増えてきたので、これを機会に耳道に関して少し解説。
ブラウザのアドレス欄に回答結果のパラメータがあるのでそれを参照すれば、回答直後にその正否を知る事ができる。例えば1問目正解直後のアドレス欄を見て ”http://www.virtual-pop.com/ear/ear_q2.php?q1=Y&dm=26901″
となっていたとすると、”q1=Y”の部分が結果パラメータで、この場合1問目正解という意味。不正解だった場合はここがq1=Nとなる。ブラウザの戻るボタンで戻れば同じ問題をリトライできる。
3問目、4問目は専門的過ぎて初心者の方には不親切であるのは否めない。もともと耳道は「自分」の為に作った頁だったので。最近は、挑戦者もお蔭様で増えてきたので、正解解説の頁を追加するのは前向きに検討したいと思います。
最後に。タイムリーにも、デイリーポータルZで絶対音感ネタが取り上げられていた。
耳道の次はこちらに挑戦してみると面白いかも。