小倉秀夫弁護士より新エントリー『J2氏への回答』が投稿されました。お忙しい中新エントリーを起こして反論頂いた事に関しましては、小倉先生にこの場を借りてお礼申し上げます。
まずは今エントリーの内容に関して再反論です。
各センテンス毎に反論を展開する前に、今回の小倉先生の論旨と争点を私なりに整理させていただきます。もしこの時点で私に誤読があるなら、どこをどう誤読していて、実際の真意はどうであるのか具体的にご指摘ください。
小倉氏の論旨を箇条書きにすると
(1).ある情報の発信者がどこの誰であるのかをトレースする際、その役割分担等について事前にルール化しトレーサビリティを向上させるべき
(2).自らを公然と批判する者(それがたとえ正等な批判であれ)がどこの誰であるのかを知る権利は有って然るべき。
(3).上記2項の「知る権利」において、「ネット上での人格」から「現実社会での人格」までトレース可能でなければならない。(だから現在のTypeKey認証は効果無し)。
(4). (1)~(3)が実現すればインターネット上での自由な発言、真摯な議論は促進される
という4つに分けられると思います。小倉先生はこれらの論点をごちゃまぜにしている感がありますのできっちり分けて考えてみます。
(1)については私も小倉先生に同意なのでこれは争点ではありません。
(2)については、”民事上の不法行為等の用件に限定される”という現行法で十分と考えます。(1)が実現できれば運用上の問題も大きく改善されるでしょう。
(3)については、個人攻撃や悪質な書込みを抑止するのになぜ「現実社会の人格」をトレースする必要があるのか、私には全く理解できません。
(4)これについても同意できません。
上記の立場の違いをまず明確にした上で、各センテンスについて反論いきます。
「ネット上での人格」と「現実社会での人格」が切り離され、前者から後者をトレースできない(または非常に困難)ことを私は問題としています。TypeKey認証は、「ネット上での人格」から「現実社会での人格」をトレースする機能は全くありません。したがって、「匿名の恥はかき捨て」的な言動を抑制する機能は「TypeKey認証」にはありません。さらにいえば、個人が複数のメールアドレスを安価または無償で保有することが可能である現在、登録時にメールアドレス以外の情報を求めない「TypeKey」認証では、「1人複数役」を演ずる「荒らし」すら見抜くことができません。
TypeKey認証では「現実社会での人格」をトレースできない
-> だからTypeKey認証には「匿名の恥はかき捨て」的な言動を抑制する機能は無い
という論法なわけですが、一番肝心のなぜ「現実社会での人格」のトレースが必要なのかという説明が、そっくり抜け落ちてますね。
なんの制限をかけなくとも「真摯な議論」が行われているBlogはたくさんあるわけで、TypeKey認証を導入して、Blog主にも非がないのにそれでもなおコメントスクラムが起きてしまうBlogってちょっと私には想像できないです。実際にTypeKey認証で炎上を防げなかったBlogの事例があればいくらか説得力は増すと思いますが、私自身そのような事例をまだ知りませんし。
そもそも今回の小倉先生の様にTypeKey認証の効果について明確に否定的な見解というのは、なかなかこれまで無かったのでHot Wired的にもなかなか面白い問題提起じゃないかと思います。シックスアパートの開発スタッフとかと是非対談とかして頂きたいです。
というか、小倉先生はTypeKey認証を導入された経験はありますか?
TypeKey認証の導入は実際にはコメントスパム対策という目的が多いですが、「普通のコメントも減少してしまう」という理由で敬遠される傾向にあります。「匿名を拠り所とする無責任な発言」に対しては特に有効な抑止力になりうると考えますが如何でしょうか。
ただし、TypeKey認証のようなシステムが、「ネット上での人格」から「現実社会での人格」をトレースすることをそれなりに可能とする形で運用されるのであれば、それはそれで一つの解決手段にはなりうるのだと思います。
名誉毀損や侮辱などの「一線を越えた」書込みに対処するには、相手の実名等を必要とする合理的事由が発生しますが(判らなければ告訴もできないですから)、「批判的なコメントを書いた人間」の実名をBlog主が知ってその後Blog主はその情報をどう使うわけですか?抗議の電話?嫌がらせ?いずれにしてもロクな事にはならんでしょう。
「Blog主を批判する際の精神的障壁」を築くという目的のためだけに個人情報開示を請求できるなんて暴論もいいとこじゃないですか?個人情報保護法の基本理念との折り合いはどうつけるんでしょうか??
それに、Blog主がエントリーで誰かを批判する場合も十分考えられますね。その場合は批判された人間がBlog主の個人情報を開示請求できるわけですか?例えば小倉先生がBlogのエントリーで私を批判すれば、それが正等な批判であっても私は小倉先生の個人情報開示請求できるわけですね?
ADSL事業者等と提携して、その窓口において、運転免許証などの写真付きの身分証明書を提示させ、登録希望者との同一性を確認できた場合に登録を認めるシステム等が考えられるので、それほど非現実的ではありません。
プロバイダ事業者の窓口で登録者との同一性を確認できたとしても、それはあくまでオフラインでの話なので、ネット上の活動とリンクさせるにはとんでもないコストがかかりますよね。法人契約だってあります。企業事務所のWAN経由で社員全員が回線を共有するなんてことはざらにある。やっぱり非現実的に感じますが。
ある議論が真摯なものか否かを「客観的に」判断する基準は確かにないでしょうね。
しかし、現実社会では、どのような議論を真摯なものと考えるのかについて、ある程度のコンセンサスはありますね。そして、現実社会で「真摯な議論」として考えられているところを、ネット上での議論においてもパラレルに考えていけば、ネット上での「真摯な議論」というのはどういうものかを探っていくことができるのではないかと思います。
まさにおっしゃる通りなんですよ。そこで質問なんですが、ネット全体の論調を相対的に見て小倉先生擁護の立場に立って意見を発している方は極めて少数派に見えます。
小倉先生ご自身のBlogにおける対応が「ある程度のコンセンサス」から外れているのではないかと自らを省みる事はないのでしょうか?この質問にはぜひお答え願いたいです。
私自身、コメント欄の発言者を予め限定する方は初めて見た訳ですが。ましてや自分以外のコメントが全部削除されて自分の書込みだけが並ぶなんて経験は間違いなく初めてですよ。正直申しまして、自分のコメントが削除される以上に不快感がありました。
また、真摯な議論が行われるためには、言葉遣いなども重要です。粗暴な言い回しや、相手を馬鹿にしたような表現は真摯な議論を妨げます。
言葉遣いが丁寧であれば良いわけではありませんよね。慇懃無礼という言葉もあります。「真摯」かどうかというのは、あくまで個々の持つ社会性・公共性・モラル感覚の問題であって、「法律」によって促進されるものなんかではないと考えます。
最後に余計なおせっかい、老婆心です。
小倉先生が「論破されない」事は実はどうでも良いことです。先生への評価が例えコメント欄に書かれずとも「IT法のTOP FRONT」にアクセスしてここ最近のエントリを読んだ一人一人が(小倉先生に対する)各々の評価を心の中で下すのです。どうかご自分の振舞いについて自問自答して頂きたい。