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小倉弁護士提唱の共通ID論争はなぜ混迷するのか

前エントリーの続き、に入る前に。
これは最初に言及しておくべきだったかもしれない。
小倉先生が理想とする「ネット社会」は、厳密には2つのレベルに峻別できる。

  • 「訴訟が円滑に行える程度にトレーサビリティが保証されているネット社会」。これが「レベル1」。
  • 「批判が的外れだった場合には社会的評価が低下するというリスクを発言者が常に負うネット社会」。これが「レベル2」だ。

この「2つのレベル」は同じ次元では語れない。議論の上で慎重に区別すべきポイントだ。「2つのレベル」を両方認識している人同士の議論であれば、肯定派であれ否定派であれそれなりに議論は噛み合うのかもしれない。
しかし、「レベル1」の部分だけを見て「そんなにおかしな意見じゃない」と言い出す人、「レベル2」の部分だけを見て過剰に反発する人が大量に参入する事により議論は混迷を極める(そして永遠に収束しない)。
小倉先生は、プロバイダ責任制限法の改正によって、この「レベル1」「レベル2」を同時に実現しようとしている。
おおざっぱに言うと、
第三条(損害賠償責任の制限)の改正が、レベル1の実現に対応し、
第四条(発信者情報の開示請求等)の改正で、レベル2の実現を目論んでいる。
トレーサビリティだけの問題なら、第三条の改正(ユーザの住所氏名の把握)だけで済む。ところが、第四条まで改正し、発信者情報の開示条件を大幅に緩める事で「真っ当な批判」さえも抑制しようというのが小倉案の全貌だ。
そして、ここが重要なのだが、ised議事録における講演では、小倉先生はプロバイダ責任制限法改正の説明を第三条のみ詳細に論じ、第4条については殆ど具体的な説明をしていない。つまり法改正案の「比較的受け入れられやすい部分」しか説明していないのだ。
案の定、ised議事録でも、他のパネラーの方には「レベル2」の部分が伝わっていない。
例えば高木先生の次のコメント。

誹謗中傷のつもりがなくコメントしたのに激怒されてしまったとします。じゃあこれは誰だということになったとき、法律によってどこまで明かされるのかがポイントになる
もしこれが本人の住所氏名までだとすれば、これは訴訟目的のものでしょう

第四条の改正について認識していない為に、これは「訴訟目的」だと高木さんは解釈している。私もそれであればある程度理解できる。
しかし実際はどうか。
あらためて小倉先生のエントリー「共通ID構想等に向けてのプロバイダ責任制限法改正案」 から、該当部分の条文を見てみよう。
発信者情報開示が認められる条件の部分だ。

一  侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことについて
損害賠償又は侵害行為差止めその他の訴訟を提起したならば勝訴の見込みがないとはいえないとき

つまり、「仮に訴訟したとすると勝訴の見込みがゼロではない」という条件で発信者情報は開示されてしまう。
ちなみに現行の法案ではこうなっている。

一  侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき

つまり、現行では個人情報の開示は明白な「不法行為」に限定されている。
逆に言えば、小倉さんの改正案は「不法行為と言い切れない」「訴訟目的ではない」場合でもバンバン個人情報を開示していこうという意図は明らかだ。そうでなければ「社会的制裁」は機能しないわけだし、そもそも四条改正の必要は無いわけだし。
そして、前エントリーでも注目発言として挙げたこの部分。

しかしだからといって、他人を批判したとき、必ずその相手から氏名住所の開示請求を受けたら、
開示するような制度にすべきだろうか。そこは考える余地があると思います。

繰り返しになるが、小倉さん自身がそう考えているとしたら議論の余地はある。
実りある議論にする為には、正しく議題設定する必要があるだろう。
個人的な見解としては、「レベル1」の部分は意図としてある程度理解できる。この部分の議論のポイントはやはりコスト等を含めた「実現可能性」になるだろう。
そして、「レベル2」の部分はおおいに疑問がある。小倉先生自身、「考える余地はある」とおっしゃっている。
町村先生のこのエントリー を見ても、すごいコメント数になっている。まさに「混迷」する議論。さすがにこれほど大量のコメントになると議論を追う意欲が萎える。
有意義な議論にするには、小倉先生の意図を正確に把握する必要がある。
ised議事録エントリー後編は次のエントリーで。

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「JAVA村」と「Perl村」の断絶がもたらすのは不幸なのか幸せなのか

私も1月15日にブクマした「業務経歴書にPerl案件を書くと馬鹿にされる件」に関するessaさんの言及に対して、ちょっと反応しておこうと思う。
「JAVA文化とPerl文化の断絶」については、essaさんの記事と、そこからリンクされている記事でほぼ語りつくされてるのだが、「この問題の根の深さ」について少し別の視点から語っておきたい。
Java文化とPerl文化の断絶について語られる時、それはほとんど「開発者側」の視点からなのだが本当に深刻な断絶はそこよりも、「マーケット」の断絶だと思う。
世のシステム系企業を「JAVA村企業」と「Perl村企業」に分けた場合、当然どちらの企業にも「クライアント」が存在する。ところが、JAVA村企業とPerl村企業が1つのクライアントに対して競合するような場面というのは極めて稀で、「ビジネスマーケット」そのものが交わる事無く分断されているのだ。
ちょっと乱暴な括りになってしまうかもしれないが、大雑把に、JAVA系マーケットはビジネススケールが大きい大資本が中心で、Perl系のマーケットはビジネススケールが小さい中小企業やベンチャーが中心だ。
だから大企業は当然JAVA系マーケットを中心に商売をし、受注規模は安くても数百万、主に数千万から数億という規模。逆にPerl系マーケットは限られた予算の中でWEBビジネスを始めたいクライアントが中心だ。
で、問題は2つあって、1つはこのビジネススケール格差が本当に妥当なのかという点。もう1つは、クライアント側は必ずしもこの2つの文化圏の存在を正しく認識していないという点だ。
象徴的な例を1つ挙げよう。
ある通信系大企業が北海道の小さな町役場に、掲示板システムを納入した。その町役場は高価なWEBアプリケーションサーバを買わされ、掲示板はフルJSPで開発された。
この事実だけで、発注額が数百万規模である事は想像がつく。
その掲示板を実際に見てみると、それなりに多機能ではあるが悲しいくらいにただの掲示板だった。書込みは、町役場の掲示板にしては多い方だと思ったがそれでも1日平均3~4件。ミッションクリティカルもスケーラビリティも糞も無い。
これはさすがに極端な例かもしれないが、実際JAVAアプリケーションサーバーなど導入しなくても事足りるようなJAVA案件がたくさんあるのは確かだ。
はてなの各種サービスやmixiがPerlで書かれている事実を見ても判る通り、オープンソース系のアプリケーションが成熟の域に達してきた昨今、Perl/PHPやMySQLでかなりのレベルのニーズにまで対応できる。
もちろんJAVAやOracleが選択されるにはそれなりの根拠もあろう。しかし、WEBLogic + Oracleの見積もりと、Perl + MySQLの見積もりを並べてそれぞれのメリットデメリットを正しくクライアントに提案する企業などほとんど皆無だ(あるとしたら、それは素晴らしい企業だ)。
結局JAVA村企業のクライアントは、Perl村の事を知らされないか、知っていてもJAVA村企業に植えつけられた偏見を信じ込むかどちらかになる。これは少なくとも、「クライアントにとっては」不幸だろう。
JAVA村の企業が自ら価格破壊の波を受け入れるのには勇気がいるのも理解できる。「Perlも素晴らしいよね」、などと口が裂けても言えない会社もある。単なる知識の問題ではなく、それがビジネススケールと直結するからこそ、彼らは素直にPerlを受け入れる事が出来ない。
だから面接担当官が
「うちは Javaで飯食ってるので、そういう低レベルな言語を得意げに話されても困ります」
なんてセリフを吐いたとしても、それはそう思わなければ現在のビジネススケールを維持できないJAVA村企業故の反応なんだと思う。
じゃあ、JAVA村とPerl村の断絶が無くなる事が良い事なのだろうか?
話はそう単純でもない。
もう2年前近くの記事になるが、CNETの「MySQL、データベース界の「ホンダシビック」となるか
という記事が面白い。以下抜粋。

Marten Mickosは2000年にMySQLの最高経営責任者(CEO)に就任すると直ちに、既に地位を確立している大手のプレイヤーに戦いを挑むかわりに、ユーザー層をできる限り広げることに同社のエネルギーを集中させた。

 「私が最初に言ったのは、『Oracle打倒なんて考えるな』ということだった。直接対決となれば、彼らはかならずやり返してくる。われわれは、いかに新たな市場にサービスを提供するか、新たな市場を作り出すかという尺度で成功を測らねばならない」とMickos。

Oracle+JAVAという組み合わせは、エンタープライズ・システムの象徴としてPerl+MySQLと対照的な存在だ。
要するに超訳すると、MySQLのCEO Marten Mickosは「JAVA村を刺激するな」と言ったのだ。
JAVA村の巨人達がPerl村に偏見を持ってくれているからこそ、多くの弱小ベンチャーがWEBで生き残れる余地がある。彼らが本気でPerl村マーケットに参入してきたら、ひとたまりもない。私自身、元大企業勤務の身として、Mickosの言いたい事が判る気がする。
JAVA村とPerl村の断絶は、必ずしも不幸ではない。むしろJAVA村の強者達から弱小企業を守る柵なのかもしれない。

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「ブックマーク八分」の恐怖

なんとなく「妙だな」とは、以前から思っていた。
多くの読者に支持され、私自身も心酔しているブログ「圏外からの極東引き篭もり」の記事が主だったソーシャルブックマークの人気エントリーから姿を消して半年近くが経っていた。
そのブログでは、ちょうど半年前あたりから、ある有名企業が関わる不正行為疑惑を継続的に追っていた。その内容はかなり衝撃的で、独自の検証や調査の量もハンパではなく、私は毎回食い入るようにその記事を読み続けていた。
しかし誰もブックマークしない。
私だけは継続的にブックマークしていた。はてなブックマークでもここ最近は殆どが私の1get。しかし後が続かない。私がブックマークした、「圏外からの極東引き篭もり」の記事は軒並み”1user”だった。
確かに、最近の一連の記事内容はヘビー過ぎて、一部の読者が引いているであろう事は容易に想像できた。そして、急激にブックマーク数が減ったのもそれが原因なのかもしれないと思っていた。
しかし、読者が引いていたわけではなかった。気がついたのはふとしたきっかけだった。
ある日、自分の「はてなブックマーク」を眺めていてとあるコメントを修正しようと思ったらログアウト状態になってるのに気付き、ログインし直した。で、あらためてそのコメントを修正しようと思ったら、さっきそのブックマークがあった場所からブクマが消えている。「あれ?おかしいな」と思ったら、なんの事は無い、その記事は「次の20件」をクリックした先にあった。
しかし、なんか変だ。その間、自分はブックマークを追加していないのだから、ログイン状態に関わらず表示内容は同じはずだ。ログイン時とログアウト時で微妙にレイアウトが違う???
ログインとログアウトを繰り返し何度も表示内容を比べてみて判った。
「圏外からの極東引き篭もり」のブックマークだけ、ログイン時にしか表示されていない!!
ここまできてピンときた。これは「Google八分」のSBM版だ。「ブックマーク八分」だ。ブックマーク八分の対象になった記事をブックマークしても、ログイン状態の本人にしか表示されない。ブックマークが拒否されるわけではないので、ブックマーカーも皆気がつかない。しかし、ログイン状態の本人にしか見えないので、他人からはブックマークしていないように見えるわけだ。
それを証明する為に、自分のブログで、「圏外からの極東引き篭もり」のエントリーを最近1getしまくってるぜいとネタにしてみた。すると案の定、「いや、1getは自分だよ」「いいや、あたしよぉ」という証言がコメント欄に多数寄せられた。みんなブックマークしていたのだ。そしてみんな自分が1getだと思っていた。ソーシャルブックマークの「ソーシャル」な部分だけが欠落していたのだ。そして、私のそのエントリーは話題になり、はてなブックマークでも人気エントリーになった。「ブックマーク八分」の存在は多くの人が知るところとなった。
しかし、私のその記事も、数日後、突然「1user」になっていた….


このストーリーでは、「ブックマーク八分」のターゲットが「人気ブログ」という想定だったので発覚する場面も想像しやすかったが、そうじゃなかったら?
適度にパーソナライズされた「ソーシャルブックマーク」という世界では、実装次第で、「Google八分」と比べてもはるかに巧妙で洗練された「制裁」が可能な気がする。
サービスが高度化すると、「闇」の部分も複雑化して見えにくくなるのかも。
仕事漬けの疲労から生まれた妄想エントリーですた。

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『MIKA NAKASHIMA BEST』を聴き倒す

B000BHESSM BEST
中島美嘉

ソニーミュージックエンタテインメント 2005-12-07
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以前、中島美嘉のアルバムを購入しようと思ってAmazonで一度カートに入れたあげくに結局買うのを取りやめた、という経験が1度ならず2度もある。
そんな事もあって、このベストは買う事にした。で、聴きこんでの感想を一言で言えば。
『STARS』『WILL』『雪の華』があまりに素晴らしすぎて、他の曲が記憶に残らないorz。
全曲レビューがこの「聴き倒す」の作法だし、一応そのスタイルは守るが上記に挙げた3曲について中心に語ろうと思う。
正直言って、「ベスト」の割には曲のクオリティにばらつきが有り過ぎる。
アマゾンレビューなどを見ると、選曲そのものに「?」がつくという意見もあった。確かに「接吻」「ひとり」などが入ってないのは違和感がある。カバー曲やゲームの主題歌など、著作権絡みが面倒な曲を敬遠したのだろうか?だとしたら、「ベスト」アルバム舐めすぎ。ベストアルバムそのものが有る意味「手抜き」なんだから、そういう所はケチらないで欲しい。
では、曲順を無視して、M2.『STARS』から。
この『STARS』と、『WILL』の2曲は現在のJ-POPにおける最高峰と言ってしまおう。
この2曲は同じ作家陣の手に依る。
作詞が秋元康、作曲が川口大輔、そしてアレンジが富田恵一。
特に新しい事をしているわけではない。ただ、このような「王道バラード」路線は一歩間違うと酷く陳腐なものに成り下がる。これらの曲を傑作にした最大の功労者はアレンジの富田恵一だと思うが、作詞の秋元康、作曲の川口大輔もここでは本当に良い仕事をしている。
さらに中島美嘉の声が、曲と異常なまでに相性が良い。もうこれにヤラれた。
デビュー当時はもっとヘタだった記憶があったが、やはりこれは今回新たに録音し直したトラックらしい。今回のアルバムについて中島美嘉本人のインタビュー記事がある。以下抜粋。

でも改めて歌った「STARS」は、すごく難しかった。デビューのときは、そんなことぜんぜん感じなかったのに。だからきっと、あのときは何もわかっていなかったから歌えたんだなって思いましたね。

ああ、彼女は理想的な成長の仕方をしているな、と思う。
声の良さはデビュー時から際立っていた。一言で言うなら、「」である。「ツヤ」ではなく「艶」。「色気」とも違う。まさに「艶」という文字が持つ微妙なニュアンスを、中島美嘉の声は具現化している。
高級寿司店で食べる甘エビのネタに纏わりつくトロ味成分の様な「味わい」が彼女の声帯にコーティングされている。そして、キャリアを積むに従って彼女は自分の声の「良さ」を意識できるようになってきた気がする。
シングルと聴き比べるのも面白いかも。自分はまだシングル買ってないけど。

B00005Q87Q STARS
中島美嘉 秋元康 冨田恵一

ソニーミュージックエンタテインメント 2001-11-07
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M4.『WILL』
まず、アレンジの富田恵一について触れておこう。
MISIAの『Everything』を初めて聴いた時にアレンジの素晴らしさに感動して真っ先にアレンジャーの名前をチェックした。それが「富田恵一」だった。彼は、バラードアレンジでは今のJ-POP界で文句なくナンバーワンだと思う。ちょっと他とは次元が違う。
最も秀でているのは、そのベースアレンジ。この人はベースラインを先に考えてからコードワークを後付しているんじゃないかと思うくらいベースラインの練られ方が図抜けている。そして、ストリングスアレンジも同様に素晴らしい。上モノストリングスで奏でる構成音の選択が絶妙で、なんともセンスの良い心地よさを醸しだす。サウンドアレンジの一番下(ベース)と一番上(ストリングス)が良ければ全体の音像が良いものになるのは当然だ。
そして、この『WILL』では、秋元康の歌詞がまた良過ぎ。さすがである。おニャン子クラブのようなおちゃらけばかりではない。作詞家として長きに渡り一線を張り続けた懐の深さ。
それにしてもこの歌詞は出色の出来だ。歳を重ねて深みを増したのか。美空ひばりの「川の流れのように」を凌駕する秋元のベストワークだと思う。
『Stars』の世界観を踏襲しつつ、より普遍的で力強いメッセージ性を秘めている。
中島美嘉のボーカルを具体的にイメージする事で、かなりノリノリで書いたのではないか。

運命の支配じゃなくて 決めてたのは 僕の”WILL”

ここで泣いた。何度聴いても泣ける。既に50回以上聴いた。泣ける曲は数あれど、泣ける歌詞に出会うのは、私の場合そう多くない。
M9.『雪の華』
当初は、この曲も秋元・川口・富田トリオの作品なのかと思っていた。しかし、実際聴きこんでみると確かに違った。
アレンジはかなりオーソドックスで、どちらかと言えば抑制されている。中島美嘉のボーカルも熱唱し過ぎず、いい意味で落ち着きがある。
この曲の場合、その抑制具合が良いのだと思う。
メロディラインもすごくオーソドックスなんだけど、なぜか良い。
作曲の松本良喜は、どちらかと言うと手堅い曲を書く人で、ここでも松本良喜のキャリアの中でこの曲は突出してる気がする。
想像するに、やはりこれも中島美嘉の力なんじゃないか。作り手をその気にさせるというか。


他の曲については簡単に。

  • Amazing Grace(’05)
  • ピアノに綾戸智絵。予想以上でも以下でもない出来。中島にとっていい経験にはなりそう。

  • CRECENT MOON
  • 聴きこんでみると、普通にいい曲でした。

  • RESISTANCE
  • この曲は宇多田ヒカルを意識しているのがミエミエでちょっと萎えた。

  • 愛してる
  • そこそこ売れたみたいだけどベストに相応しい曲とは思えない。

  • Love Addict
  • 大沢伸一先生が手掛けた佳作。これをシングルで出した意味は大きい。

  • FIND THE WAY
  • 『雪の華』と並べられちゃうといかにもツライ

  • SEVEN
  • 多分悪くないんだと思う。多分。

  • 朧月夜~祈り
  • これはちょっとひねり過ぎ。葉加瀬太郎もたまにはハズすって事で。

  • LEGEND
  • 実験的?んーそうかも。

  • 桜色舞うころ
  • フツー過ぎる。

  • GLAMOROUS SKY
  • HYDE過ぎる。

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「悲しいとき」ミクシィ編

悲しいとき

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自分が招待した人が、全然やる気なかったとき


悲しいとき

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コメントキター!と思ったら「メンテナンスのお知らせ」だったとき


悲しいとき

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「お気に入り」に入れてた人が退会していたとき


悲しいとき

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「ブロガー」コミュのトップ画像が「渡辺淳一」になってたとき


悲しいとき

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誰もミクシィに招待してくれないとき

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名プロデューサー小泉純一郎

参院で、郵政民営化法案が否決された。
それを受けて小泉総理は、即座に衆院解散総選挙の意向を示した。
今日午後3時の段階では、公明神崎代表と小泉総理の間で一応8月30日公示、9月11日投票という事で合意に到った様だ。
選挙に向かうとしたら、このテンポの速さが重要だ。一切逡巡しない事。それが国民には意志の強さとして目に映る。
反して、「勝った筈」の民営化反対派は歯切れが悪い。亀井静香の「解散などしないと思った」というセリフに象徴されるように、見事なまでに間抜けっぷりを晒している。勝負どころがわかっていない。
いやー、はっきりいって面白すぎる。選挙上等。これほど「投票したくなる」選挙は無い。
改革派vs守旧派。本来単純に色分けなどできなかったものが、郵政民営化反対か賛成かというリトマス紙によって、これ以上無いくらい単純化され明確になった。結果として反対派=守旧派が公認から外される。国民から見て実に判りやすい。
驚いた事に、反対派は自民党公認に対する未練を隠そうともしない。既に勝負が始まっている事を自覚していない。事の成り行きの早さについていけてないのだ。
テレビでは「小泉の政治手法に対する批判」に持っていこうとしてるが、選挙で国民に選択の機会を与えてくれる事で、「国民不在の政局闘争」という批判が的外れになる。
単純にどこが強いのか。
守旧派自民 vs 改革派 どっちが選挙上手?
改革派自民 vs 民主 どっちが改革派?
守旧派自民 vs 民主 全特と全逓 どっちが票田?
これは、PRIDE GRANDPRIX 2005 である。見たい戦いを実現してくれるファン重視のイベントである。ミルコ対ヒョードルである。
選挙の演出としては過去に類を見ないワクワク感だ。
個人的には、今回は200%自民支持だ。レイムダック化へまっしぐらと思われた小泉政権がここにきてまたでかいエンターテインメントを提供してくれた。
守旧派が新党を結成するのか。党首はだれなのか。自民党の新たな公認候補の目玉は誰になるのか。影の薄い民主党はどこまで存在感を取り戻せるか。選挙まで目が離せない事だらけだ。

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「荒らしはスルー」の真意

ブログみたいなもんを続けていると、コメント欄などで不意打ち気味に理不尽なパンチが飛んでくる場合がある。
どんなに当たり障りの無い事しか発言していなくても、理不尽パンチの洗礼を浴びる確率はゼロではない。ましてや、他者から見て刺激的な主張を声高に叫べばその確率は跳ね上がる。
残念ながら、それがネット空間の現実だ。
ネットは、常に「四角いリング」に変貌する危険性を秘めている。
しかしながら、その事を自覚している人は驚くほど少ない。自覚しているつもりでも、いざ自分に「理不尽パンチ」が飛んでくると、その瞬間に我を見失い感情にまかせて暴走してしまう。そして、「炎上」する。
ボクシングのようなプリミティブな格闘技でさえ、「感情的になったら負け」とよく言われる。頭に血が昇ってしまうと、必ずガードはあまくなり大振りが目立つようになる。そうなってしまったらセコンドはもう頭を抱えるしかない。どんなにハートは熱くても頭は冷静に。これはあらゆる勝負事に共通の鉄則である。
ネットには古くから「荒らしはスルーで」という名言がある。
この言葉はネット上の心得としては基本中の基本だが、なかなか奥が深い。
以前、小倉弁護士がこの「荒らしはスルー」について否定的なコメントをした事がある。
ANNEX OF BENLIのコメント欄より以下抜粋。

「荒らしはスルー」なんていうのは、「匿名発言者から誹謗中傷を受けても泣き寝入りせよ」というのと同義ではないですか?

うーん、こう思ってしまうのも判らないでもない。しかし、この発言は根本的に「スルー」の意味を取り違っている。「スルー」=「泣き寝入り」と解釈してる時点で、パンチくらっとりますがな。ボコボコになっとりますがな。その解釈だと、「相手からパンチくらっても殴り返すな」になっちゃう。そりゃあツライ。
真の「スルー」の意味は違う。要するに「荒らしはスルーせよ」というのはダッキングしろ!ウィービングでかわせ!という事だ。相手のパンチを喰らうな、という事だ。
ボクシングであれば、自分のパンチが当たったら自分の拳に感触が残る。いくら「当たってない」、と主張したところで相手にはバレバレだ。しかしネットでは違う。パンチを放った方も、果たしてそのパンチが相手に当たったのか定かではない。だから、どんな捨てゼリフでも必ず発言者は現場に帰ってくる。相手のリアクションを確かめに。発言した事自体を忘れてない限り、相手のリアクションを確認したくなるのは人間のサガだ。それ故、いつまでもリアクションが無いと発言者は次第に焦れる。そして「もしかしてオレのパンチ当たってなかった?」と不安になる。逆に言うと、どんな内容であれリアクションしてしまうとパンチが「当たった」事を相手に確認させてしまう。そして、相手に次の発言(=パンチ)の機会を与えてしまうのだ。そして不毛な応酬が始まる…
「スルーする」とはそういう事だ。もし相手の攻撃が真っ黒けの反則(不法行為)だった場合はしかるべき措置を取れば良い。「スルー」はあくまで防御技術であって、泣き寝入りとは違う。
さて、こんなエントリーを書く気になったきっかけは、「若隠居の徒然日記」突然の閉鎖を受けてである。
若隠居氏の主張そのものは「概ね」正論だった。「概ね」と付けたのは、氏が感情的にエスカレートしていく過程で、いくつか失言めいたものがあったからで、そもそもの主張は正論だ。というか、「入居を断る時に人種や国籍を理由にしない」というのは、不動産業界でもコンセンサスが既にとれているはずで、本来は議論の余地など無いはずだった。
しかし、いかんせん若隠居氏は冷静さを失いすぎた。甘くなるガード。パンチはどんどん大振りばかりになる。
プロレスリングノアに「橋誠」という選手がいるが、橋誠の闘いぶりとダブった。熱い想いは十分伝わってくるのだが、ひたすら真っ直ぐに突っ込んでいき、空回りする。しまいにはタッグパートナーであるはずの秋山準 に叱咤のビンタを喰らう。(さしずめ、JSF氏が秋山準 というところか?)
なんか表現キツ過ぎ?などと自問自答しながら書いてるが、本心だから仕方がない。
つまるところこれはご隠居への「辛口エール」である。
ご隠居に限らず「ブログ本体」が消え去って自分のブラウザにブックマークだけが残るのは、切ない事この上ない。ダッキング、ウィービングでフットワーク軽やかにいきたいもんですな。自戒も込めて。
[2005/7/23追記]
ちょっと筆が足りないかなと思ってたら案の定bewaadさんからツッコミが来た。

荒らしは明後日の方向にパンチを打っているのですから、文字通り勝手にやらせておくこと、ダッキングやウィービングすらしないことこそがスルーではないかと。

理屈で言えばbewaadさんのおっしゃる通りだと思う。しかし、私が強調したかったのは心構えであり、「かわす」イメージを持つ事で感情のコントロールを「意識」する事だ。
ここが非常に重要なのだが、どんなに明後日の方向のパンチでも現実に自分が攻撃を受けたとき、少なからずショックを受ける場合がある。ダメと判っていても反応せずにはいられない精神状態になるのが人間というものだ。
ダッキング、ウィービングと表現したのは、「かわす」イメージを持つ事が冷静さを保つ上で重要だから。実際に「スルー」する事は時に難しい。
ついでに言うと、相手の批判がもし内心「的を射ている」と思ったら、その時点でパンチは当たっているので観念しようw。
[追記ここまで]
最後に私自身4月以降あえて「スルー」していた人権擁護法にも少し触れておこう。
基本的なスタンスは4月からあまり変わっていない。時期尚早論である。むしろ、若隠居氏のブログでのコメント欄等を見て、ますますその想いを強くした。今の日本では、有意義な人権論議を存分にできるほど社会が成熟していない。本来、人権意識を啓蒙するはずの諸団体は間違った方向に進んでいるし、それをチェックするべきマスコミは腑抜けだ。近年になってやっと憲法改正論議がまともになってきた様に、人権論議もいつかまともになる時期がきっと来る、と思う。
さらに言えば、今の日本で最も深刻な人権問題であるDVや幼児虐待に対して、今の人権擁護法案ではあまりに無力だ。もっと強い介入権限を定めた個別法を順次制定していくべきと思うがどうか?なんて、全然進歩のない主張を今更繰り返すのはちょっと恥ずかしい。
[若隠居氏関連記事]
ミイラ取りとミイラ(週刊オブィエクト)
若隠居さんへ(bewaad institute @ kasumigaseki)
若隠居さんに関連してとりとめなくも併せて。
差別と訴訟と日本人(松坊堂日乗の逆襲)
Re:Re:若隠居さんがブログを閉じた。(Scott’s scribble – 雑記。)
Re:若隠居さんがブログを閉じた。 若隠居さんがブログを閉じた。も併せて。
追伸:plummet氏から振られた「絶対音感」エントリー。着手してみると話がどんどん大きくなってきて、今さらになって最相葉月著「絶対音感」読むところからやり直してますw。もうしばらくお待ちを。

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『saku saku』からジゴロウが消えるらしい

mixiコミュ経由で知った最悪の一報。
TVKが誇る人気番組「saku saku」の毒舌キャラクター「増田ジゴロウ」が番組から姿を消すようだ。
というか、これ以上ないくらい最悪の流れだorz
ファンにとってはこれ以上の悲劇はない。
まず、オフィシャルサイトの「今週の見どころ」に以下の一文が…。

今週でジゴちゃん出演は、おしまい。
(あ、ペパーもね)
そのわけは・・・
詳しい解説は
金曜日の放送にて。

この記述に、ファンがざわめきだす。まさか….?
そして、「増田ジゴロウ」の作者ダイスケ氏のBlog.ダイスケ・エクスプレスの愛鯖にこの件に関するエントリーが。
以下抜粋(強調は引用者による)

昨日の晩、番組ホームページでジゴロウ・ペパー(ご意見番)
が出演終了という事を知りました。
(まぁ、正式には聞いていませんが。)
ショックを受けたかたも多いと思いますが
結局、何の知識もないまま 上の人間が
著作者との契約を拒み続け
次から次へと他企業と契約をし
法的につじつまが合わなくなったので
個人を潰そうといったむちゃな働きをしたからです。
ボクはどことも契約していなかったし
今まで大金をもらっているわけでもありません。

詳しい経緯はいずれ判明するだろうが、著作権料がまともに作者に入っていないのにキャラクターグッズが出回ってる時点で、何をかいわんやである。こういうのは「著作権トラブル」とは言わない。お粗末過ぎて話にならない。
以下もダイスケ・エクスプレスより抜粋。

それと、法務部を早くつくって下さいね。
法務部が無かったおかげで、この3年間まともな話が
だれともできなかったよ。どんな契約をしてきたことさえ
教えてくれなかったし。

これはファンにとっても悲劇だが、ダイスケ氏にとってもとんでもない悲劇。
日本の業界における「著作権意識」の低さにあらためて驚く。
いずれにしてもTVKの罪は重い。
[参考リンク]
テレビ神奈川
2ちゃんスレ

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「匿名実名」論争にケリをつける現実解

ここ最近また「匿名実名」論争が再燃しているようだ。
いまさらこの話題に触れるのは何故かというと、単に自分が完全に波に乗り遅れただけなのだがw
しかし後発であるが故に見えてくる事もある。
一昨日あたりから「匿名実名」論争に関する記事を手当たり次第読み漁ってみた。とにかく今回は論争に参入しているBlogの数がものすごく多いのにまず驚いたわけだがとりあえず全体を見渡してみて、この論争のカギとなりそうなポイントを私なりに整理してみよう。

  • 実名支持者が期待しているのは、実名を強制する事によるモラリティの向上である。
    (逆に言うとそれ以上のものは特に求めていない)
  • 実名支持者の多くは匿名発言者に対して憎悪に近い嫌悪感を抱いている。
  • 名無しやステハンによる発言は、総じてモラリティが低い傾向にある事は、匿名支持者も認めている。
  • コテハンに対する評価が、実名支持か匿名支持かの分岐点の様に見うけられる。
  • 匿名支持者の論拠の多くは、「実名を書いたとしても実名である事を証明する手立てが無い」点である。
  • 匿名か実名かに関わらず、この論争に参入する多くのブロガーが「自分の場合」について言及している。

さて、上の6つの内で私が特に重要だと思うのは6番目の『自分語り』である。
そのうちいくつかをピックアップしてみよう。
札幌から  ニュースの現場で考えることの高田昌幸氏の場合。

私の場合。匿名にしなければならない理由がなかった。仮に匿名で書いたとしても、書きたいことを書いていれば、そのうちに「ああ、あいつだな」くらいは、近しい人たちにはきっと分かる。それに、この1年くらい力を入れていた警察裏金問題も書きたくなるだろうし、後で「だれだ?だれだ?」みたいになるのも面倒だった。実名で始めた理由は、そんな程度である。

304 Not Modifiedのまなめ氏の場合

私の場合を述べます。
私は、例えどんな名前でも、メルアドまたはサイトアドレスがない人の批判には答えなくても良いと思います。ちなみに、私はそういう形での批判・反論には、思いつく限りすべて答えてきたと思ってます。理由は、批判した人へのことばではなく、主に私への批判を見た常連さんへの配慮です。1,000hit/dayの少年誌ファンサイトやってたので掲示板への反論はときどきありました。しかし、「ただの広告」「ネタバレ」「意味を為さない文字の羅列」以外にはどんな反論にも答えるのが管理人だと考えていましたし、そう行動してきました。(反論を荒らしと捕らえられたくないのが最大の理由でしたが)
しかし、信用できる意見かどうかとなると、最低限「メールアドレス」か「サイトのアドレス」は書くべきだと思います。フリーメールでもかまいません。本人と連絡ができる手段は残すべきだと考えます。私自身、掲示板に書く際はメールアドレスを、ブログにコメントする際はサイトのアドレスを書くようにしています。もちろん、HNは「まなめ」です。

きりがないので上記2つに留めるが、多くのサイトを見て気付くのは、「匿名か実名か」についての見解を決定する要因は極めて「個人的な事情」に依存するという事だ。
「実名」というのは言うまでもなく「個人情報」であり、言い換えればプライバシーの一部である。
サイバー法学者の世界的権威であるローレンスレッシグ氏の発言からプライバシーの基本に立ち返ってみよう。氏の著書「CODE」から抜粋。(強調は引用者による)

個人・私的情報について、人は法と取引したりしない。法はこうした事実の公開と引換えに独占権を与えてくれたりしない。
~中略~
個人は、自分についての情報をコントロールできなきゃいけない

つまり、個人情報をどこまで公開するか決定するのは、あくまで「自分」だということだ。だからこそ「人それぞれ」なのである。人それぞれ、「匿名」にしても「実名」にしてもメリットデメリットがある。誰もがメリットとデメリットを計りにかけて自ら結論を出しているに過ぎない。これは他人が決定する事ではない
だから「匿名か実名か」というアジェンダ設定で議論する限り永遠に結論など出ない。「蕎麦とうどんとどっちが美味いか」言い争う様な不毛な議論にしかならない。この問題を本当に解決しようとするならば、目指すべきゴールはどちらかの排斥ではなく「匿名主義」と「実名主義」が等しく尊重され共存する事だ
共存する事は全然難しい話ではないと思っている。各々がこの問題を「個別の問題」である事を認めるだけで済む話だ。要するに、各自の思うルールをローカライズして境界線をはっきりさせる事である。
この論争の発火点の1つである苫米地氏の場合を見てみよう。(強調は引用者による)

 従って、私自身は、どんな理由があっても、匿名のブログは全く評価しない。自分の発言を自分が誰だか明かすという最低限の勇気のない人は相手にする時間がもったいない。
これは、本ブログのトラックバックやコメントについても同様だ。コメントにしても、トラックバックにしても、匿名のものを相手にするのは、私も私のブログの読者も、貴重な時間がもったいない。
前に、コメント欄の書き込みの削除の基準について質問があったが、その時には、以下のように答えている。
「削除する基準は、まず、よくアダルト系サイトから来るのだが、本ブログの内容と何の関係もない、自分のサイトへの誘導を目的とした書き込み。また、明らかに、当該書き込みの内容と関係のないコメントもこれに含まれる。その他、本ブログの読者の役に立たないと思われる知的レベルの低いコメントも、気がつき次第削除する。こういったことを、書きたい人は、自分のブログを上げてそこに書くことをお勧めする。コメント内容が同調か否かは関係がない。本ブログでは、上品かつ、知的レベルの高いコメントをすること。そうでないものは削除する。」

読んでいただければ判るように、実は苫米地氏もこのルールがローカルである事を自覚している。にも関わらず話を突然一般化して「匿名ブログはやめてしまえ」とやるからややこしくなるw。かなり稀有なローカルルールだとは思うが、氏のブログを拝見するとなかなかどうして、見事にご自身の規範をきっちり実践してある程度秩序を保つ事に成功しているようだ。
ローカルルールの境界線をよりハッキリ読者に意識させるような試みは有効だろう。例えば、アダルトコンテンツへアクセスするのによく「あなたは18歳以上ですか?」というダイアローグが出てくるが、どうしても実名を求めたいブロガーは冒頭で、「このサイトで発言するには実名を求められます。よろしいですか?」てな感じで簡単な承諾を得るだけでもかなり効果はあると思う。これならコメンターも削除されて文句を言う理由は無い。なにしろ、「実名主義者」が本当に求めているのは実名ではなく「モラル」に過ぎないのだから。
とはいえ、各々が匿名と実名のメリットデメリットを考えるという意味では他のブログでも有意義な議論が多かったと思う。
前述したものも含め以下に特に私が興味深かったものを列挙しておく。
(ちなみに私個人の考えに最も近いのは一番上に挙げたマーケットの馬車馬さんでしょうか。それからantiECOさんが言及している様な件は私も一番恐れている事です。ホントにゾっとします)

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ページランクからBlogを読む

以前のエントリーでGoogleのページランクについて少し触れたのですが、今回はその続編。
Googleのページランクというのは、Google独自のロジックで算出する”ページの重要度”で、具体的には他ページからのリンク数、リンク元ページの認知度、重要度などのパラメータから総合的に算出されたものです。Google検索の優秀さ、他の検索エンジンとの差別化に成功した根幹をなすものであり、まだ改良の余地はあるにせよ、ネットにおけるWEBサイトの位置付け・認知度・影響度の概要を把握するのには、ある程度信頼に足る指標だと言っていいでしょう。
ではさっそくですが、私が良くアクセスするBlogや、最近話題のBlogの幾つかを2005年3月6日3:00AM現在のページランクで比較し、表にまとめてみました。まずはこの驚愕の結果を見てください(敬称略)。

ページランク 6 HotWired
IT法のTOP FRONT
CNET レッシグBlog
音楽配信メモ
ページランク 5 真鍋かをりのここだけの話
切込隊長Blog~俺様キングダム
ガ島通信
社長日記(ホリエモン)
ページランク 4 Irregular Expression
愛・蔵太の気ままな日記
山崎宏之のウェブログ
はあちゅう(&さきっちょ)の悪だくみ
ページランク 3 旗旗
週刊オブイェクト
かみぽこぽこ。

マジっすか(‘A`)という突っ込みは後にとっておくとして、まずは補足。
ランク3のサイトとして取り上げさせて頂いた「かみぽこぽこ」さんや「週刊オブイェクト」さんがご利用になっている「楽天」はどーもページランクと相性が悪いみたいで、値が低く出てしまう傾向があります。実際には+1する位がちょうどいいのではないかと感じます。
(逆に「はてなダイアリー」は今年に入ってから高めに出る傾向が顕著です。)
また、かなりの有名Blogであるにも関わらず異常にランクの低いサイトもいくつかありました(名前は挙げませんが)。その理由は算出ロジックとの相性だとか、サイトの運営方針(リンクを許可していない、TBを送信しない主義等)とかいろいろ考えられます。その反対でなんで?というサイトが異常にランクが高い場合も無きにしもあらずですが、これは多くの場合「トラックバック送りまくりBlog」と考えて良いですね。トラックバックというのは相手先に勝手に自分のサイトへのリンクを生成してしまう機能ですので、過剰に有名サイトなどにTBを送りまくるようなBlogは往々にしてランクが高くなってしまう傾向にあります(ランク算出の問題点ですね)。まあいずれにしても、そこはネタ半分って感じで気楽に読んで頂ければ幸いです。
さて、SEO的な小賢しいテクニックを駆使することもなく、ページランクが3以上であればネット上での存在意義がある程度証明されたと胸を張って良いかと思います。ちなみに我が音極道茶室はまだランク2。始めたばかりのブログやエントリーの少ないブログは、他のサイトとの繋がりがそれほど密ではないのであまりランクが高くなりません。逆に地道に長期間続いているBlogはやはりそれなりの存在価値が生まれてくるものなんだと思います。
真っ当な運営した上でランク4となれば、もう有名Blogと断言して良いと思います。特に朝日&民主批判サイトの代名詞であるIrregular Expressionさんでさえランク4なのを見ると、時事ネタ個人ブログはランク4が限界か?とまで思ってしまいますね。
ランク5は、通常ではもはや常人には届かない領域。超有名Blogっすね。ホリエモンに切込隊長氏、真鍋かをり嬢ですから。ちなみに表には挙げませんでしたが、週刊!木村剛さんなどもランク5でした。錚々たる顔ぶれっすね。
~さて、ここからが本題の1。~
地方新聞記者である個人が運営する「ガ島通信」さんがランク5にいらっしゃるのには何か感慨深いものを感じます。ガ島通信さんでは3月4日のエントリー「さよなら新聞」で勤務先の新聞社を辞めるという宣言をされ、今かなりの反響になっているわけですが、それも納得です。地道な継続。真摯な姿勢。問題意識。情報を発し続けるモチベーション。、Blog運営者としてのあるべき姿がここにあるのではないかと思います。ちょっと大げさですか?いえいえ、でも本心です。トラックバック先のメッセージやコメント欄を読んでもそれは伝わってくる。Blogは絶対に止めないで欲しいし、むしろBlogを基点として何か新しい可能性を広げて欲しいと心から願っております。
~そして、本題その2~
SEOよろしく裏技的にランクを上げようと思っても、ランク6というのは極めて困難ではないかと思います。日本語サイトでページランク6というのはそのくらいの領域になります。
しかし、ここになんと
小倉先生がいる。
なぜか。なぜこんな事になるのか。それを解く鍵は、表にもある「レッシグBlog」。ローレンスレッシグ氏のBlogはHotWiredのライバルと言ってもいいCNET Japanの連載ブログです。それが同じくランク6にある。つまりですね。IT系ポータルサイトのブランドってのはそれだけネット上では重いって事なんです。あらためてこのページランクを見て、自分がなぜ小倉氏のBlogを見過ごす事が出来ないのかハッキリと自覚しましたね。
小倉先生、あなたには責任がある。Hot Wiredというブランドに相応しい内容のテキストを書くという責任が。
そして、私は今のところ残念ながら小倉先生のテキストがそれに見合っていないと考えています。
先生は大きな誤読をしてらっしゃる。日本特有のネット社会を誤読してらっしゃる。
日本特有の問題だから、海外の書籍をいくら読んでも書いていない事。
先生自身が読み取らなければならない現実。
単なる意見の相違であれば、私は何も言いません。
~追記~
『ひたすら無題』さんが、小倉先生のエントリーJ2氏への回答への反論を複数回に渡って展開されています。これが判りやすい上に問題点を良く整理されていて秀逸。論旨はほぼ私の考えと同じですが、私の再反論よりまとまっている気がします;;;。単純にテキストとしても面白いですし。ぜひご一読ください。
法的に個人情報トレースシステムが非現実的だと考えるブログ第一回
法的に個人情報トレースシステムが非現実的だと考えるブログ第ニ回
(近日第三回も発表されるようです)
~さらに追記~
西村幸佑氏の酔夢ing Voiceさんがさるさる日記からBlogに移行だそうです。以下抜粋。

それと、近日中に酔夢ing voiceをブログ化します。トラックバック機能もついて一層便利に利用できるようになります。何人かの方からメールを頂き、酔夢ing voiceがブログになれば威力絶大なハブ機能を持つようになる。多くのブロッガーに影響を与え、日本のネット言論にも貢献する、という指摘を受けました。近日中に詳細を発表しますのでしばらくお待ちください。

アメリカのようなブログスクラムの流れがさらに促進される予感です。