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全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる

このゴールデンウィークに、遅ればせながら『ウェブ進化論』を読了した。
この本を読み終えて自分の中に込み上げた「想い」は、一切漏らさず胸の中にしまっておこうと思っていたが、長尾確先生の「ウェブ進化論」批判エントリー を読んで考えが変わった。
当初、正直なところ「ウェブ進化論」という本にあまり期待感は無かった。というと語弊があるかもしれないが、梅田さんがウェブ上に記した文章はおおかた目を通しているつもりだったし、この本は「ウェブの世界で何が起こっているのか判っていない人に向けた解説書」であるといった紹介を随所で見かけてしまった為だ。だから、自分にとっての「新しい刺激」はあまり期待していなかった訳だ。
しかし実際読んでみると、その様な浅はかな先入観は吹き飛んでしまった。確かに全編を見渡せば既知の話も多かったのだがそんな事は関係なかった。不覚にも感動してしまった。梅田さんがこんなに「熱い」人だとは正直思ってなかった。
この本は、極論すれば素人向けの解説書ではない。もちろんそういう側面もあるだろうが、それは本質ではない。ましてやGoogle賞賛の書などではない。この本は、梅田さんが全てのWEBエンジニアに向けて叱咤激励を込めた「熱きメッセージ」である。少なくとも私はそう読み取った。なぜ「そう読み取った」のか、ちょっと具体的に説明を試みる。
この本は冒頭、序章書き出しの重要な部分でいきなり「ムーアの法則」の話から入る。ここがまず「意外」だった。以下引用。

情報技術(IT)が社会に及ぼす影響を考える上で絶対に押さえておかなければならないことがある。
インテル創業者ゴードン・ムーアが1965年に提唱した「ムーアの法則」に、IT産業は40年たった今も
相変わらず支配され続けており、これから先もかなり長い間、支配され続けるだろうという点である。

「1965年に提唱した」「IT産業は40年たった今も」といった表現がとても重要で、これは梅田さんの意図として「この本はここ2、3年のトレンド解説とは違う」という事を強く印象付ける必要があったという事。
そしてその意図は、第一章『「革命」であることの意味』においてさらに明確になる。
ブライアン・アーサーの講演を引き合いに出した上で

そこで彼は、情報革命を5つの大革命のうちの一つだと彼の歴史観の中に位置づけた。

と指摘する。今度は「歴史」という視点である。現在進行形の「情報革命」を、18世紀の産業革命や20世紀初頭の自動車革命と同列に語るという新鮮さ。そして、この視点こそ「現代のWEBエンジニア」には決定的に欠けている。
GoogleやAmazonのAPIを弄り倒し、CPANを漁り、prototype.jsをHACKし、TIPS記事なんかをせっせとブクマしている若いエンジニア層というのは基本的にそういう世界が好きで好きでたまらない人々だ。日々の試行錯誤の中で自分の書いたCODEが起こす「小さな奇跡」が楽しくて仕方がない(もちろん全て楽しい事ばかりではないにせよ)。そして、人間というのは「楽しくて」やっているウチは、意味とか理由とか深く考えないものだ。ましてや「歴史上の意味」なんて想像だにしない。しかし視点を変えてみれば、これから起こるであろう人類史上の大変化に直接携わる事の出来る場所に生きている。この日本というIT先進国で。このエキサイティングな運命にもっと感動していい。なんという好運だろう。
全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる工業技師の様なものだ。これから起きる「革命」の一翼を確かに担っている。
18世紀イギリスから端を発した産業革命は、主に織物・紡績といった軽工業分野において次々と発明の連鎖を起こした。ジェニー紡績機、水力紡績機、ミュール紡績機、力織機と幾多の技術革新が折り重なり、社会の産業スキームが劇的に変化した。
歴史的視点で見た時に、どの「技術革新」が優れていたかを考察する事はそれほど重要な話ではない。
そして、GoogleかYahooか、という話も同様に重要な話ではない。長尾先生が指摘する「人間の介在」の話は、まさにウェブ進化論の92ページあたりから述べられているGoogleとYahooの対立軸であって、どちらが正しいかはこれからの歴史が判断してくれる事だ。そして梅田さん自身もそこは判断を留保している。以下抜粋。

ヤフーとグーグルの競争の背景には、サービスにおける「人間の介在」の意義を巡る発想の違いがある。なんと面白い競合関係であることだろう。

だから、長尾先生の批判は「ヤフーに肩入れしたグーグル批判」であって、この本の論旨と相反するものではないように思える。
「ウェブ進化論」の最後に「はてな」の話が出てくる。その内容は梅田さんがブログ上でしばしば言及している「はてな」評そのものであるが、これが「最終章」に置かれている事にまた意味があると思う。
「ムーアの法則」「5大革命」で始まり、「はてな」で結ぶ。この大きな論旨の流れそのものが、ウェブ進化論をエンジニアへの「熱きメッセージ本」と読み取った所以である。
あとがきにこれまた興味深い記述がある。

シリコンバレーにあって日本にはないもの。それは若い世代の創造性や果敢な行動を刺激する「オプティミズム」に支えられたビジョンである。

梅田さんがグーグルを俎上に上げて強調したかった事も、その理念そのものではなく、「目が澄み切っている彼ら」が持つ強さではないか。
さらに、あとがきを締める本当に最後の言葉。

息子や娘に対し「おまえたちのやっていることはどうもわからん」という気持ちを抱くお父さん方や
「ネット・ベンチャーなんかで働くのではなく、○○電気とか○○自動車とかに就職してくれればよかったのに…」と心配する
お母さん方にとって、この本が何かの役に立てばなぁとも思っている。

お父さん方やお母さん方へのメッセージの様でいて、実は梅田さんが気にかけているのはその「息子や娘の行く末」なんである。「理解できないとしても、彼らの邪魔だけはしないでね」という(笑)。
私はこの本を帰省先の実家で読んだ。PCもネットも無い環境だった。だからこそ最後までキッチリ読了出来たのだと思う。そうでなければいてもたってもいられず読書を中断してPCの電源を入れていた事だろう。読んでる途中何度かそういう衝動に駆られた。年甲斐も無く熱いものが込み上げてきた。テラハズカシス。
エンジニアがこの本を読んで真っ先に書くべきものは「書評」ではなく「CODE」なのだ。

「全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる」への5件の返信

J2さんにとってエキサイティングな本だった、というのはわかるけれど、なぜそう思ったのか?
「長尾先生の批判」に対する反論は「この本の論旨と相反するものではない」ということのみなのか?
とかいう所を微に入り細を穿って書いてほしいにょう

[web]ネットの進化に居合わせる我々にできること。

「音極道茶室: 全てのWEBエンジニアはいま「産業革命前夜」のイギリスにいる」を読んで。 「ウェブ進化論」()に関する書評は、賛同してるもの、批判してるもの両…

長尾先生批判が目的ではないので。あくまでトリガーなので。
梅田さんの意図をちゃんと読み取れてない批判を、さらに批判してもあまり意味がないですし。
あと、なぜなぜそう思ったのか?というのは、もちろん私自身が、
「産業革命前夜のイギリスにいる」事を自覚していなかったから。ですね。

『ウェブ時代をゆく ――いかに働き、いかに学ぶか』 梅田望夫 (ちくま新書)

 序章  混沌として面白い時代
 第一章 グーグルと「もう一つの地球」
 第二章 新しいリーダーシップ
 第三章 「高速道路」と「けものみち」
 第四章…

ウェブ時代をゆく 梅田望夫著 いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

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