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やればいいじゃん反証実験

※当エントリーには、『「水からの伝言」を信じないで下さい』の著者である田崎晴明先生、並びにその関係者各位の皆様に対して不快感を与える表現があります。その件につきましては こちらのエントリー にてご本人に謝罪しています。


こーゆー形で反響があるとは迂闊だった。みんな大好きなんですね水伝。
いままで無関心だったから想定してなかった。
しかしながら、ほとんどの批判に対して納得がいかないから改めて煽ってみる。
似非科学といわれるものの多くが「そもそも反証できない」というのは一般論としてはそーかもしれない。
しかし、田崎先生の文章を読む限り「水伝」に関しては十分反証が可能だと思ったのだが間違ってる?
田崎先生も「やる必要は無い」と言っているわけで。不可能な事であればこういう言い方はしないっすよね?
具体的に言うと、気相からの氷の結晶成長については結晶の形が飽和水蒸気圧と温度に依存するというナカヤダイヤグラムに則った形で実験環境を整え、その上で「言葉」というパラメータを追加する。

  1. 何も言葉を掛けない
  2. ありがとう、と毎日一定時間声をかける
  3. ばかやろう、と毎日一定時間声をかける

という3つのサンプル群を複数用意して、これを一週間程度続けた後ナカヤダイヤグラムの再現性に影響を与えるかを調べる。
これで、ナカヤダイヤグラムの再現性に影響が無いという結果が出ればOK。
私は物理学者でもないし専攻もしていないので、ナカヤダイヤグラムとか偉そうに言っても超付け刃の知識。だから間違ってる部分があればご指摘ください。
いずれにしろ重要なのはファクトを「社会」に発信すること。どこかのマスメディアとタイアップできれば理想。
田崎氏の文章の中で、少なくとも何らかの具体的「ファクト」がもっと盛り込まれていれば「粗雑」なんて批判はしなかった。
ちなみに水伝の提唱者、江本氏を翻意させるなんてハナから無理。これがメシの種なんだから絶対に翻意なんかしない。江本氏はあくまで「ビジネス」をしたいわけだから、科学のフィールドには極力乗らないように、科学者を刺激しないようにと考えているはず。そこはotsune氏の見解 に同意。
でも、だから反証実験は無意味とは思わなくて、全く逆の見解。
これは言うなれば「似非科学vs科学」の異種格闘技なわけで。科学者同士の揉め事とは別の戦略が必要だと思う。
科学者の仕事はファクトを積み上げる事であって、誰かを説得する事ではない。異種格闘技に有効なのは、「ひたすら科学者らしく振舞う事」。相手は科学者じゃないからこそそれを一番嫌がる。
ボクサーに対するキックボクサーのローキックの様に、効果的で嫌らしい。
信じている者を翻意させる、事を目的としてしまうからおかしなことになる。
江本氏からもし妙な反論があってもスルーでいいのです。
1度だけきちんと反証実験をして、あとはマスメディア等を極力活用してそのファクトを社会に浸透させる事に専念する。
せっかく反証実験が「可能」なんだからその戦略が一番有効だと思うんだけどなあ。
唯一わからないのは、そこまでしなきゃならんほど、実際「弊害」があるのかって話。
物理学者の先生があれだけの長文を書くくらいだから、よほど深刻なのかな?と推測したけど今まで注目してなかったからそこがよくわからない。
だから一応、「弊害がなければスルーすべし」と前エントリーでは留保しといたんだけど。
反証実験のコストに関しては結局そこに尽きると思っていて、そのコストをかける程の意味が無いのであればスルーでいいと思う。


[追記]
判りやすく言うと、「メディアを巻き込むためのプレゼンとしての反証実験」をすべきという事です。
otsune氏の言うとおり、これが「洗脳合戦」だとすれば、「著名な物理学者の実験結果です」という言葉が社会に対して持つ絶大な「洗脳力」をもっと自覚すべきという事。

「やればいいじゃん反証実験」への57件の返信

>「水は言葉の影響を受けない」という事実は、すでに多くのとても精密な実験でくり返し、確かめられているのです。つまり、「水からの伝言」を否定する実験は、すでに、何度も何度も、おこなわれていると言っていいのです。
煽りにもなりません。
終了。

「ありがとう」「ばかやろう」と言葉を掛け続けるなんてバカバカしい実験は誰もやってないでしょう?
つか、反証実験が必要ないというならそれでいいから、具体的「ファクト」を出せばいいといってるんですよ。

これはどこまでもすれ違いになるでしょうね。「我こそは効果的な戦法なり」を誇り合う、はなはだ実りのない消耗戦になると思います。そもそもJ2さんは水伝を信じない人ですから、言い合いする理由がないですし。
そんで私としては「「ありがとう」「ばかやろう」と言葉を掛け続ける」実験はいくらでも例外を設定できて抜け道だらけであり、それこそ敵の土俵に乗ってしまう最悪手だろうな、という感想です。
即レス失礼いたしました。

科学に異種格闘技はありません.
あくまでも科学の土俵に上がってもらってからが勝負です.
信じる信じないの話になった時点でそれはもう科学ではありません.
マニュアル化されたものを実験してみて,その結果誰もが同じ結果を得られるものが科学です.
こんな馬鹿げた内容の主張に反証実験すること自体,
「ひたすら科学者らしく振舞う事」
に反しています.

> J2さん
僕が示した天羽さんのBlogの議論を読んでもらえましたか?
どうやら十分読んでもらってはいないようなので、繰り返しになりますが、
無限後だしジャンケンをされて消耗戦になる
ので、そうしたことをしても意味が無い、ということですよ。
J2さんは「信じている人を翻意させるつもりはない」ということですよね。
「メディアがプレゼンして予備軍を無くす」ことが目的なんですよね。
であれば、別に科学者がコストをかけて(ただでさえ少ないコストをつぎ込んで!)反証実験しなくても、メディアが「そんなもんウソっぱちだ。科学者もそう言ってる」で十分でしょう。
残念なことに博士号を持ってる人は日本中にあふれているようです。名誉どころか仕事も収入も無い人もいます。
ですので<自称科学者>がヨイショ記事、ヨイショ研究をすることは、日常的に行なわれています。
あるいは、アッチの世界に行っちゃった人も学会には存在します。キチガイ科学者のトンデモ研究が学会で発表されるのは風物詩です。どこの学会でも早朝とか最終日の最後とかに、そうした研究を見ることができるということです。
それでも「学会発表した」「論文発表した」という言い訳は可能です。
ですから、こうしたエセ科学でさえない「科学を標榜した詐欺的商売」に対して科学の側が対応するにはあまりにコストがかかりすぎるのです。
水伝、これだけならば、それも致し方ないかもしれません。しかし、これを契機に、エセ科学に対しては科学の側で反証しなくてはならない、ということになれば、コストは莫大なものになってしまいます。
世界中に「エセ科学商売」は蔓延していますし、実際、エセ科学商売の人たちは、反証されようがどうだろうが、そんなことはどうでもいいんです。
ニッチであれどうであれ、そこにカモがいさえすればウハウハなんですから。

えーと。
・反証実験をするにはコストがかかる
・そのコストは誰が負担するのか
・その反証実験を行なったことで、今後、社会的コストを減らすことはできるのか。むしろ増える方向に進むのではないか
ということも、僕が紹介したBlogでは議論済みです。
天羽さん、田崎さん、菊池さん、ビリーバーの方も交えた議論です。

冷静に考えて欲しいのですが、
田崎先生が、水に向かって
>2.ありがとう、と毎日一定時間声をかける
>3.ばかやろう、と毎日一定時間声をかける
必要があるのですか・・・。
日本の科学者ってかわいそう(涙)。

何の根拠も無く 批判している人々はかわいそうです
異論があるのであれば反証実験をしてみてはいかがでしょうか。
科学主義で無神論者はきっと信じないでしょうね。
人生きっと、不幸だったのでしょう。
そっとしておいて上げなくちゃ

コストはねえ……。
実験すればいいじゃんの意見を他にも読みましたが、
「実験やればいいじゃん、【もちろん全費用は俺のポッケから出すから心配するな】」
となぜ言えないの?という感想だけです(なお「費用」には直接費用・間接費用・機会費用・リスク全てを含むものとする)。
○直接費用:実験の直接経費
○間接費用:スタッフの人件費とか食費とか場所代とか
○機会費用:優秀な自然科学者がそんなことにかかずらわなかったら社会が早くに得られただろう知識・発見
○リスク:疑似科学を科学同様に扱ってあげることで広まる害悪
100万ドル用意すればいいじゃん、ジェイムズ・ランディばりに。かっこいいな。いえもちろんそうしたところで私の考えは変わらないですけど。

…何かね、すごくすれ違ってる感じがすんだけど。
「水伝」がただのファンタジーで、まっとうな科学者からしたら歯牙にもかけらんない代物でもうほっときゃいいんだって言うなら、その通りほっときゃいいんだけど、『信じるな』と言うからには信じないですむだけの根拠出しておこうよっていう話じゃなかったのかなぁ?

cioさん。
「信じないですむだけの根拠」はどんなものを採用するかに関わります。
僕は「偉い学者が間違ってると言ってる」というのが根拠として十分であると思います。
「学者による、十分にコントロールされた環境での実験」というものはすでに先例がありますが、それに満足せず、「水からの伝言」と全く同じ実験を行なわなければならないのは何故でしょうか。社会的要請であれば、実験にかかるコストを社会が負担するということになるのでしょうか。
場合によってはエセ科学に対して科学の側が実験をしなくてはならない場合もあるでしょう。
エセ科学の論理が、社会的に非常に影響力が大きくなり、研究に対して社会的圧力が発生するような場合はそうなるでしょうね。
しかし、それはあくまで社会的コストの兼ね合いの中で示されるものでしょう。
今のところ、そうした事例は僕は見たことがありません。世の中を揺るがすようなエセ科学は。
(常温核融合やヒトES細胞についての研究は「科学の側」で起きた犯罪・間違いでしたので追試がされています)
僕は水伝のようなバカげたものが間違っていると証明するために、ftさんが示したようなコストを支払うべきではないと思います。
なんか、J2さんもcioさんも「簡単な研究だからやっとけばいいじゃん」的に気軽に考えてるようです。
僕としての立場は「やってもいいけど誰がコスト負担するの? そのコストを負担してやった結果が社会的成果となるの? そういう前例を作ることでさらに社会的コストが増える方向に行くんじゃないの?」 と言っているんです。

あ。なんか立場がわかってきた。
田崎さんのWebサイト「「水からの伝言」を信じないでください」は、科学者の側からの無料サービスだってことにJ2さんは気づいていない。
そういう広報活動、啓蒙活動が科学者の側に自動的に付帯されているものだと思っている。
だから「それじゃ足りない」って言うんだ。
僕からすれば必要以上の出血大サービスに見えるんだが。
学者は普通、研究して、論文書いて、学会に発表する。以上。
これが学者の仕事だよ。
僕はJ2さんの言葉が、わざわざ社会の側に立って(本来業務ではない)啓蒙活動をしている「社会の味方」に対して、さらに踏み込んだ要求をしているように見えるんだよなあ。

>nomadさん
>僕からすれば必要以上の出血大サービスに見えるんだが。
私も知らないので質問させてください、例えば今回の「愚にもつかない」反証実験をするとして、試算としてどれくらいの時間、予算、人手が必要か見積もりとかお願いできますでしょうか?他の方でも構わないのですが。そうすると双方の意識のギャップが少しは埋まるかなとか思うのですが。
田崎先生のページをまだ読み終わってないのですが、今まで見た限りだと
1 水の~の主張はそれまでの科学の主張と異なる。つまりはこれ自体が過去の実験を「反証」しなければならない
2水の~の実験はとてもじゃないが反証していない
3だから追試とかいらないよNE
私が見た限り田崎先生はこういうようなことを言っているように思われたのですがどうなんでしょうか。

放置する事によって被る実害より実験コストの方が高いのならスルーで良いと思いますよ。
田崎先生の力作テキストが本来の工数外なのは重々判っているつもりです。だからこそよほど事態が「深刻」なのかと推測したのですが、そーでもなかったという事ですかね。
ただ、あの文章ではある程度分別のある一般人が読んでも説得力が希薄だと率直に感じたので。
過去の実験から間違いなのは明らかといいつつ、根拠となる具体的な過去の実験例を出さない、反証実験は必要が無いからやらないという。詭弁によくみられるレトリックが散見された。そこに私は反応したのです。
結局説得力を担保しているのは「物理学者の書いたテキストです」という事実だけで、要するに権威に依拠した文章になってしまっていた。
ただ、元のエントリーは田崎先生を攻撃する事が主目的ではなかったので、そこは書き方が悪かったというか配慮が足らなかったかもしれません。

「実験するほどでもないなら害悪はその程度ってことだろ」とのご理解は、コストパフォーマンスのパフォーマンス部分を無視しており、不適切と思われます。【実験での対応は無効化される】ことは詳細に議論されており、この場合「害悪>実験費用→実験するべし」が成り立たなくなるのですから。もっとも実験推奨派の人たちがポケットマネーを出せば解決するかも知れません。いやぜひやめましょうね。
上記と関連して、田崎さんの文章に説得力が希薄とのことで提案された「実験」、あれでいいんですか? 説得力感じられるわけですか? まさに水伝の餌食にされますよ。
水伝科学を受け入れるならオーソドックスな科学はあれもこれも書き換えることになる、両立なんてあり得ない。二者択一だ。これはわかってるはずですよ。巨人の肩に乗って発展してきた正統科学技術の恩恵を被って生きる現代人のリアリズム、まさに説得力じゃないでしょうか。

>あれでいいんですか? 説得力感じられるわけですか?
一般層に端的に理解してもらうのには、最も単純明快だと思っていますが、では具体的にftさんはどの様な実験が適切とお考えですか?
>水伝の餌食にされますよ。
いくらでも言い逃れは可能でしょうが、それは最初から問題にしていません。あくまで、まだ水伝の話を知らない様な”一般層”向けのプレゼンテーションとして有効であることが主眼です。
「餌食」という表現は尋常じゃないですね。どう「餌食」になるのでしょうか。ぜひお伺いしたいです。

> nomadさん
私は(んで多分J2さんも)最初に問題にあげられたテキストに限っての話をしてるんで、科学界全体としての「反水伝」がどういう事になってるかっていうのは、あんまり関心が無いんでよく解らないんだけど、
>「学者による、十分にコントロールされた環境での実験」というものはすでに先例があります
なら、それを付けておいてくれたら元のテキストもちゃんと「説得力のあるもの」になってたのになぁって印象なんです。
私はアタマ悪いからJ2さんの提示してる反証実験と、nomadさんが挙げてるその実験と何が違うのかわかんないから、余計にそういう実験結果があるんだって事明示しといて欲しかったなぁ、と。
これはこの事に限らないんだけど
>「偉い学者が間違ってると言ってる」
って言うのは信頼の根拠にならない人も居ますしね。
…って、まんま「14: J2 ◆tFl6Dbsy1o at 2006年11月13日 03:14」のJ2さんの投稿の焼き直しになったな…
お邪魔しました…

とりあえず、大槻教授辺りが適任なのでは? 色んな意味で。

興味深い議論ですね。
反証実験をやらない理由は田崎さんが書いていますし、
私はそれにほぼ同意しますが、一方で、
確かに田崎さんの文章は何かが足らないとは感じていました。
>>「学者による、十分にコントロールされた環境での実験」
>> というものはすでに先例があります

>なら、それを付けておいてくれたら元のテキストもちゃん
>と「説得力のあるもの」になってたのになぁって印象なん
>です。
なるほどですね。
これが一番いい落としどころかなと思います。
J2さんも、このエントリーでいろいろ大変だとは思いますが、
良い問題提起になったのではないかと思いますし、
比較的バランスがとれているブログだと思います。
田崎さんの目にとまるといいですね。

先ほど書いたように、実験は不要だと思いますが、
>全体的に文章長すぎ。
>これ全部読む人って最初から共感しまくってる人だけじゃないか?
というのは非常に重要な指摘だと思います。たしかに、田崎さんの文章を全部通して読んだ人って実は少ないと思います。
(それはそれとして、11/11のエントリーの文体は、田崎さんの努力に対する敬意がもうちょっとあっても良いのではと感じます。だから議論が盛り上がったとも言えますが)

事実として立証されていないことを「反証」するっていう話自体、どう考えたって不可能なのに…と思いました。
ただ、ブログの冒頭ではその点に関して「証明」はされていないけど「立証方法」は示されているから、それをやってみて、その結果を「反証」とするって流れですよね。
レベル的には、「幽霊は確実に存在する!」と言ってた人が「お墓に10日間いたら見えてきた」と言っていて、じゃあ反証として「お墓に10日間いて見えなかったら発言者は間違いで、幽霊はいない」と証明されますよ、と言っているようなものなはず。
なので、私はブログの著者の方は科学(というか、命題論理あたりかな)を学習して「証明」について学びなおした方がいいと思いました。
あと、途中から異種格闘技がどうのこうのってマーケティング的な話になっている点に関しては、次元の違う話なので、読んでいて、言葉が踊っているなぁと感じました。
ちなみに落としどころとしてはamuroさんのコメントに共感です。全部網羅した上で、いい結論だと思いました。

む。
書き方が悪いと思うのであれば、そう指摘すべき。
前のエントリへの僕のコメント「・田崎さんの文章は、十分に説明をしていない」という部分でJ2さんのフォローをしたつもりでしたが、J2さんはその上で「やればいいじゃん反証実験」というエントリを上げたんですよね。
書き方が悪いから訂正すべきだ、ではなく、反証実験をすべきだ、という結論です。
だから僕は「反証実験などすべきではない」と、そちらの方にシフトしてコメントを進めています。
J2さんが「そんなつもりじゃなかった」というのであれば、まさしくJ2さん自身が「書き方が悪かった」ということじゃないですか。

あー,nomadさんのコメントでわたしも自分が見えてきました.これまでJ2さんのブログを拝読して来て今回初めてカチンと来た理由が.
J2さんの論には,「科学者は実験器材と研究予算をいつでも好きなように使える」と言うテーゼがあります.(否定するなら,それがない状態でどうやって反証実験をするのかご教示願います)
奈良の病院たらい回し事件で医師によって書かれた膨大なブログの数々をご存じでしょうか.最初の頃のは拙ココログにもまとめてますが,マスコミ報道とは正反対の内容です.
彼らのブログの他のエントリを読むと,臨床経験がだいたい分かります.彼らがどんなに忙しい状況にあり,貴重な睡眠時間を惜しんでブログを書いている事も,同業者なら想像がつきます.
「自分の仕事は大変なんだよ」などと書くのは,まあどこの文化圏でも恥とされるでしょう.特にサービス業なら.
しかし,自分の劣悪な労働環境が,自分のみならずサービスの利用者に害を及ぼすのに耐えられず,忙しい耳管の合間を縫って,恥を忍んでネットに文章を書く.
田崎先生の行為と似た構図ですね.
ところが,
「それはお前が何とかしろ」
「それがお前の仕事だろ」
(↑いえ,そういう事をしても給料は出ません)
「嫌なら辞めろ」
(↑これはJ2さんは言ってませんが,医師たちのブログにはコメントされてました.そうやって医師が辞めて行った結痂が今回のたらい回し事件なんですけど)
「てゆーかそれによって生じた害もお前の責任だ!」
(↑これもJ2さんは言ってませんけど.でも誰か言い出しそうな気がした.)
それでカチンと来た訳です.
なんだか水伝とは関係ない話に見えてしまったかも知れませんが,
とにかく理系の端くれとしてはnomadさんの>>12のコメント一語一句に賛成だという事で理解して下さい.

22のnomadさんのと、19-20のamuroさんのが今回のまとめになってる悪寒。
田崎先生擁護に回るなら
>根拠となる具体的な過去の実験例を出さない
具体的な根拠は個別のものじゃないんでしょう。『 もし「水が波動の影響を記憶する」のであれば、(水が受ける波動を制御しなかった実験では)かならず再現性が失われるのです。』
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/md/exp2.html
つまり水伝の言っていることは個別の過去の実験結果に反するなんて生易しいものじゃない。
科学実験の基本である再現性の問題を無視するような主張
だと言っているのでしょう。
>「ありがとう」「ばかやろう」と言葉を掛け続けるなんてバカバカしい実験は誰もやってないでしょう?
これに対する反論も上記「言葉について制御した実験は過去にない。それでも再現性があるのだから”言葉は水の結晶化に関与しない”」で反論終了になってしまいます。今回の件は個別の実験よりもう一段メタなところからの反論なのではないかと思ったりするのですが後は科学に詳しい人のコメント待ちで。

まず、nomadさんが取り上げてくれたURLはどれも大変参考になるものばかりだったし、他の提言に関しても理解しているつもりです。ちゃんとしたリアクションができなくて申し訳なかったです。このエントリはnomadさんへのリアクションではなく、他所に見られた一部批判に対して反応したものです。
ネオ筑摩屋 松坊堂さんの”初めてカチンと来た”という率直な心情の吐露は、今回の件を自分なりに総括する上で重大なヒントになりました。ありがとうございます。扇情的な物言いは意図したものでしたが、我ながらやり過ぎ感は否めません。
cioさん、amuroさんのご指摘は的を射たもので、私の問題提起の意図を的確に汲み取っていただいているという意味で救われた想いです。ありがとうございます。
コメントやトラックバックをいただいた他の皆さんにも個別に返答したい気持ちはありますが、ちょっとまだ整理しきれていません。
私は終始一貫して、「一般の人への訴求力」を問題にしていたのであって、田崎さんのテキストもまさにそういう意図であったはずなのに、そこを的確に汲み取った上での批判は少なかった様に思います。そういう意味で、噛み合わなかったなーというのが率直な印象です。
やっぱり、ちゃんと総括した方がいいのかな。

武闘派万歳が滑ってるなあという気持ちで読んだわけです。田崎さんへの不当な言いがかりが酷いので書き込んでいましたが、J2さんが上の方で(実際に書かれた文章はともかく主観的意図としては)そんなつもりじゃなかったと弁解されているので了承しました。
幽霊がいないことを実験で証明せよと本気でおっしゃるなら正気を疑うだけですが、ともかくやれと。善意に解釈してそれはつまり学者先生のデモンストレーションを高名な学者の肩書きにおいて「おまじない」にすることだと思います。ビリーバー予備軍大量発生を肯定するのは犯罪的だと思います。

総括されるようであれば、期待しております。
また、必要であれば、僕の知る関係者に声をかけて、より建設的な提言になるよう協力します。
例えば「反証実験をした場合のコスト」などは実際の研究者でなければ見積もれないでしょうし。

コストと言っても、田崎先生は(企業と組んでビジネスをやっている訳でもなく)研究・教育をする普通の大学教員で、サラリーマンですから、そういう視点での計算もどれだけ意味があるか・・。
ともあれ、私はJ2さんの意図も分からないでもないし、確かにいい議論がいくつかあったと思います。
『「水からの伝言」を信じないでください』に良い提言が出来て、もっと一般人が読みやすいものにできればそれでいいのではないのでしょうか?
J2さんの総括で、田崎先生に何かプラスになることがあったら、ダメ元で菊池さんのブログで田崎さんに呼びかけて意見を伝えてみましょうか?
田崎先生の文章はいろんな人に読まれるべきだと思うし、一方で、例えば、文章は確かにもっと短くした方がいいような気はするし。
(と思いつつ、私からは直接田崎先生にはとてもじゃないけど言えないし(汗)。J2さんに期待。)

総括エントリ&田崎先生の反応待ちみたいになったところでちょっと気になった重箱の隅をつついてみてもいいでしょうか。
>何も言葉を掛けない
>ありがとう、と毎日一定時間声をかける
>ばかやろう、と毎日一定時間声をかける
田崎先生のページもそうですが、そのリンク先にもあった解説
>水に「ありがとう」という言葉を見せたのち(水をいれたビンに文字を印刷した紙を貼って、文字通り”見せる”
言葉じゃなくて文字。声とか人の意思とかじゃなくて文字らしいのです。そうなると田崎先生のページに既出のように「大抵の実験用容器にゃ蒸留水とか書いてあんだから影響出なきゃいけねーべ(意訳)でもそんな影響なんざネーヨ」で反証実験終了なような気がします…J2さんひょっとして斜め読み?
>判りやすく言うと、「メディアを巻き込むためのプレゼンとしての反証実験」をすべきという事です。
これについてはまた別のリンク先(どれだっけ)でプロの人でもパフォーマンスした方がいい説を唱えた人も出たけど、あの界隈では相談した上で「あくまで科学の基本である挙証責任の所在を踏襲すべき。大騒ぎになっているとしても例外(ダブスタ?)は不可」で決着してたみたいです。

>メールしました
え、namadさん、田崎さんと直接いきなりメールできる知り合いなんですか?すご。(田崎さんもここを覗くようになる?)
ともあれ、現在の田崎先生の文章は、恐らく、多数ではないにしろ無視できない数の人々に「やればいいじゃん反証実験」と思わせてしまう可能性があるということは私も分かってきました。建設的な帰結にもっていけるといいですが。


ウホ♪
メールアドレスが載ってるんだからメールすればいい!
「水商売ウォッチング」の天羽さんとはマイミク・MLトモなので、袖擦り合うつながりでダイジョブ!ノープロブレム!

確かにメールアドレスは載ってますが、この調子でみんなが「ウホ♪
載ってるからメールすればいい!」
ってバンバン遠慮無くメールをしてしまったら、田崎先生、こういったことから手を引いてしまわないかな。
(それが嫌なら、ネットにメールアドレスを載せるべきでない?)

田崎さんから返信いただきました。
田崎さんは、このblogのこともご存知でした。
かいつまんで言えば、批判があることは承知しているが、時間的な制約もあり、当面、あちらのサイトを更新することは難しい、とのことです。が、もし資料として適当な本があれば紹介するということでしたよ。
ウホ♪
きちんと筋道立てて、失礼の無いようにメールすれば、相手に余力があれば反応いただける、ということですね。

うわー、恐縮です!
議論は撤回しませんが、礼を失していた事は次のエントリー上できちんと謝罪するつもりです。

議論、興味深く拝見しました。
(ただし、拝見したのは、
http://www.virtual-pop.com/tearoom/archives/000173.html
だけです。「ちゃんと初めから議論を見てない人による、粗雑な書き込みは見たくない」という方は、以下の書き込みは無視して下さい)。
シロウトの立場から言いますと、J2さんの「反証実験を実施して、その結果をメディアにうまく乗せて」の、主張の方が分かりやすいです。
「科学的な思考を常とする人」は、「水伝」に対して、「何をアホな」と言って、済ませまることでしょう。
一方、「科学の成果を信じていて」、同時に「人知を超えたものがあるかも」と思っている「どっちつかずの人」もいると思います。(ちなみに私はこのタイプです)。
で、「どっちつかずの人」は、(水のような無生物を擬人化して扱うような)「心情的に惹かれるストーリー」を、コロっと信じたりすることもあります。
そういう人は「熱烈な信奉者」とはならなくても、「水伝って良いこと言っているね」程度の、ユルイ共感者となるでしょう。
この「どっちつかずタイプ」の人が、かなり多数いるような場合、そういう人に、より科学的な考え方をしてもらうために、「わかりやすく」「繰り返して」「多くのメディアを通じて」「的確で正しい情報を伝える」ことは、重要なことだと思います。
「どっちつかずタイプが多数いても、そんなのは放置しておけ」という主張もあるでしょうけど、私は逆に「科学的思考の賛同者を増やす良い機会」と捉えるべきと思います。
(オカルティズムがはびこるのは、科学振興の妨げになるでしょうし)。
なお、「実験に要するコストの問題」について。
コスト負担は、マスコミに持ってもらうのはいかが?
この件が、バラエティ番組or教育番組の企画として通れば、番組制作費で、コストは十分まかなえるだろうと思います。
(シロウト考えですけど)。
そうすれば、「メディアに乗せる」こともできますし。
(ただ、番組化すると、「十分な厳密性」の点で、困難が生じるかも、という気はしますが)。

もし条件を変えてよいなら、すでに行われている実験が反証になるし、同じ条件であるなら、もともと何かを言えるような実験じゃないので、やっても無駄。もともと立証されてないから、反証しようがない。結果が出ていないのではなく、結果を導けない奴がいると言う話。
この話は「援助」の問題のようなもので、物や金(わかりやすいデモンストレーション)を送るか、生活可能なノウハウ(リテラシーとかいうやつ)を伝えるかと言う話に近い。「その結果を示すだけで、ごたくを並べなくとも完膚なきまでに否定できるじゃん」と言う方が増えるのは、所謂「援助慣れ」に通じる。
なので、実際のところ水伝云々より何故反証が要らないかっていう事の方が、その意味重要なので、「理科読み物」風の長文がおでましするわけで。まあ、hirax.netの人も言うように効果を挙げるのが難しいアプローチではあるけれど。
http://blog-tech.rikunabi-next.yahoo.co.jp/blog/hirabayashi/

なんと。>nomadさん、
まあ、それならなおさら総括を書く意味がありますね。>J2さん
田崎さんも文章の修正に使える時間が限られているとのことなので、J2さん側から (1)具体的な修正案を (2)簡潔に分かりやすく提示なされば田崎さんにとってもメリットがあるのではないでしょうか。箇条書きにするとか。
田崎さんへの提案の部分と、それ以外の部分(今回の経緯など)は、見やすさのために分けて書いた方がいいかもしれません。

反証実験あった方が良いけど、科学者によるものである必要はない派です。
 水伝の反証については、水伝と同レベル以上の質は私は求めてません。
 個人的には、水伝見せられたコドモに、NAさんご紹介のリンク先を見せて、それから田崎先生のサイトを見せれば作業が完了します。
 裁判官が検察と同一人物の裁判はどんなに権威を振りかざしても信任されないだろうし、田崎先生の本質的な仕事は裁判官の仕事なんだろうと思ってるんですけどね。

はじめまして。「やり玉」に挙がっております、田崎です。
拙文についての批判的なご意見は、(ちょっと胃に悪いですが)とても参考になります。ありがとうございます。
こちらであげていただいた建設的なご提案については、昨日 nomad さんから管轄なサマリーをいただきました。時間がない(本業の方のスケジュールが、破綻寸前で、もしかしたら破綻するかもしれない・・)だけではなく、今、書いた物は(もちろん、ぜんぜん完璧ではないし、実は、書きたいけれど敢えて書いていないことが山ほどあるのですが)一つのバランスを達成していると思っているので、大きな変更はしないと思います。本当は、何人もの方が、別の視点からのまとめ的批判を書いて下さるといいと思っています。
ぼくが、あのまとめを書いた際のポリシーとも関連するので、一つだけ具体的なことを。
いわゆる反証の実験についての論点は、大きくわけて、
1 反証実験しなくても、「水伝」が間違っていると(ほぼ確実に)断言できる
という原理的な面と
2 何らかの層を説得するための「作戦」として反証実験をおこなう
という(言い方は悪いけど)「戦略的」な面の二つがあります。1については、公開した文書で詳しく議論しました。しかし、2については、まったく触れてもいないのです。そのことはぜひ注意して下さい。あの文書の中では、「戦略」にかかわるような議論は敢えていっさい述べていない(つもり)なのです。
理由は簡単で、(2に代表される)「戦略」を論じるには、信じている人たちの分類、分析にはじまり、どのようなメディアによるどのレベルの実演が最適かといった議論をしなくてはなりません。これは大変なことですし、なによりも、信じている人たちの内面についての憶測をはさまなければ、話が進まない。これは、本質的なことだと思います。
ぼくは、その手の憶測にもとづく議論をすべて排除したかったので、2にはまったく触れなかったわけです。もちろん、ずっと前から仲間達のあいだでは、2をどうすべきかという議論はしています。
菊地さんと左巻さんがかかわった大阪 MBS のニュース番組 voice では、「反証実験をしよう」という番組側の提案にたいして、それよりは、家庭でもできる人工雪の実験を紹介した方がずっと楽しいし建設的だということで、左巻さんが実演してみせていました。なにしろ、「水からの伝言」をみて、はじめて結晶が人工的に作られたのだと思ってしまった人がいるようなので、こうやって手軽にきれいな結晶ができるよということを言うだけでも、大いに意味があるなあと感心しました。ぼくのページからもリンクで紹介してある平松式ペットボトル人工雪実験です(ないしょですが(?)、ぼくは、まだこの実験をやってません。すでにペットボトルも発泡スチロールケースも用意はしてあるのですが、なんせ、土日もぜんぜん時間がなく、なかなかできない。これを自分でやったら、またあのページに書き足そうと思っているのです)。
このコメントをあわてて書いてから、教授会の前の時間に、明日の講義で配る講義ノートをタイプする予定だったのに、つい、延々と書いてしまった。
推敲もない駄文を長々と書いてしまって、申し訳ありません。
これからもよろしくお願いします。
田崎

>田崎さん
!!直接コメントいただき恐縮至極です。
田崎さんから見て「胃に悪い書き方」をしてしまった点については、近いうちにエントリ上でも謝罪致しますが、この場を借りて心からお詫び申し上げます。
こうして直にコミュニケートできる事になろうとは、まったく予想していなかった事態で驚くと同時に、うれしいです。本当にありがとうございます。
こうなった以上は何か建設的な落し所を目指して(罪滅ぼしも兼ねて)ご提案できないかと思案中です。
また、興味深い情報提供ありがとうございます。諸々含めまして、近いうちに総括記事を書きたいと思います(ちょっと仕事に支障が出始めてきているので 数日あいちゃうかもしれませんが必ず)。
こちらこそよろしくお願いいたします!

流れとしては(傍観者としては)最高な結果だなぁと感じております。こんなにも建設的に落ちるブログ及びコメントは見たことありません。素晴らしいです。これも全てJ2さんのなせる業かと。
これからもファンとして拝見させていただきます。たまに下らないコメントするかもしれませんが、その節はよろしくお願いいたします。
ちょっと毛色の違うコメントもあってよいかとおもいまして。それでは失礼いたします。

「水からの伝言」をめぐって

「水からの伝言」をめぐってJ2さんのエントリ(『「水からの伝言」を信じないでください』と言うのならやるべき事は一つだろう?およびやればいいじゃん反証実験が話題と…

J2 さん、ありがとうございます。
今、長い会議が終わって、これから講義ノートを印刷します。
ぼくが上に書いたコメントを読み直してみたら(だいたい、Preview するつもりで、一気に Post をおしていた)誤字とかがあるのはともかく、「大きな変更はしない」とネガティヴなことだけが書いてあって、感じ悪いなあと思いました。もちろん、できる範囲で小さな改良や加筆はしていくつもりですので、よろしくお願いします。
まあ、さしあたっては、お互い、本業をちゃんとがんばりましょう。

[日記]水からの伝言を否定するのは野暮なこと

2年ほど前のこと。実家に帰ると台所に変なものがある。お皿にパンの切れ端が載せてあって、横に何やら文字の書いた紙が添えてあるのだ。 「ありがとう」と「ばかやろう…

あんまり社会に対してモノ申す気はないのだけど

警察も、教育も、医療も、保険も、年金も、電話も、テレビも、新聞も。 日本中の社会…

余計なお世話かも知れませんが。
総括の新エントリーの準備は時間もかかることでしょうから、取り急ぎ本エントリーと前のエントリーの冒頭に留保なり注意書きを書き加えてはいかがでしょうか。
こちらのコメント欄の流れの中でJ2氏には心境の変化があり「書き方が悪かった」との認識も示されてされています(田崎さんご本人の書き込みまで繋がりました)。しかし後からトラックバックその他を通じてやってきた人はここまでのコメントを読まないで書き込むことも多いでしょう。無用な誤解を減らした方がいいのではと思うのです。

ft さんに同意します。
ちょっと冷静さに欠けるコメントも少なくないですし。

勝手なまとめ
素朴な疑問
「反証実験すればいいんじゃないの?」
反論1
「既に徹底的に反証されている」by田崎先生
反論2
「下手な反証実験をすべきではない」by apj先生
反論1ーこれまで、さまざまな形で水を使った実験は行われてきた。しかし、それらの実験では「言葉」にかんしてまったく制御されてこなかった。もし、「言葉」が水に影響をあたえるのだとしたら、制御されていない実験の結果はめちゃくちゃなものになるはずである。にもかからわず、これまで行われてきた実験にはきちんと再現性がある。ということは、「言葉」は水に対して影響を持たないだ、という結論になる。
反論2ー「素朴な疑問」は、まさに素朴過ぎる。疑似科学者のたちのわるさをまったく理解していない。彼らは実験の条件をきちんと示していない。だから、まともな科学者がきちんと反証実験したとしても「その実験は我々の実験とは条件が違う」とか「実験者が悪い想念を持っていたから失敗したのだ。」とか言って、いくらでも言い逃れができてしまう。これでは、一般人から見ると「いくらやっても反証できない」ように見えてしまう。これは非常にまずい事態である。したがって、下手に反証実験などすべきではない。
提案:一般人に対するアピールのしかた。
水伝の人の発言
「水伝は科学ではなくファンタジーである。ファンタジーだが事実だ。」
そもそも、「ファンタジーだが事実」というのはどういう意味なのか。だいたい、科学は事実に関する知識である。しかも、事実に関する「きちんと確かめられた」知識である。水伝が「科学ではない事実」なのだとしたら、それは「きちんと確かめられていない事実」という意味である。だから、真に受けてはいけませんよ。

今回のようなあいまいな事象に関しては、指摘されているように
反証というものは不可能であり。害悪さえあります。
過去に著名科学者自身が行った、立ち会った実験が
それほど効果をあげていないことを考えても
うまくいきそうにないのはわかるでしょう。
(故ファインマンやマーチンガードナーとかなら
おもしろい方法を考え出しそうだけど)
私自身科学者ですが、かつて某学会の分科会で
こういう現象を否定する実験ができるかいと
問うたことがあります。
「相手が用意したビンに別の人が用意したコインを
ガラスあるいはPETごしに中に投入する」
その場には瓶が無かったので封を切る前のペットボトルの
中に500円玉を入れて見せました。
手品であると宣言した場合は害はない。宣言せずに
実演した場合、否定できるか?
後日、有志が興味ある教授連をあつめてくれたので
彼らの考えた条件下で私はコインを瓶に入れ続けました。
衆人環視、種々の瓶、種々のコイン、高速度カメラによる
全方位からの撮影。
たいした腕でもない私でも一日がかりの実験をすり抜けられます。
手品師は種があるよまでは言っても、それを公表する
ことはしないのでこの手のことを模倣してみせることは
あっても、使い手が超能力だと言った場合には反証には
なりません。
まあ、ほとんどの科学者にとってこのようなことは
手に余るということです。その事象の専門家はだめです。
似非科学ハンターを専門にしている科学者がいいのですが
否定ありきだろうと一般人に思われてしまうところが
逆に肯定側に肩入れさせてしまうことが多いです。
ちなみにボトルにコインを入れるのは非常に簡単で
ありながら多分どのような検証をされてもわからない
最高度に高級なマジックです。
大げさになると胡散臭さが増すので効果は薄れますが
耐火金庫のようなものを用意してもらって、その中に
コインを入れることも同様にできます。コインでなくてもOK。
この手のカメラトリック無しのマジックをうまく使われると
ほとんどお手上げでしょう。
目の前で車を消されたら(カメラトリック版じゃないですよ)
反証実験がどうこうってレベルを超えてるでしょう。

偉い軍医総監がそう言ってるから
脚気の栄養不良説は間違っている。
陸軍に実験は無用。

 ↑
森鴎外は死ね、と言う話ですが森鴎外はもう死んでた。
ヨーロッパで好き勝手やって女を捨てた呪いだ。
でまあ「偉い人が言ってるからそれでいいじゃん」という部分だけ取り出すとそういうことになっちゃうわけですが。
僕の言葉も足りませんでした。
たかが水伝程度のものを信じるくらいのリテラシーの人たちに支払うコストとしては「偉い人が言ってる」くらいでたくさんだ、と言いたい。
リテラシーの低い人が水伝を信じるのは「いかにも科学っぽい実験みたいなのをしてるから」だろう。
ならば「もっとずっと偉い科学者が水伝をウソッパチだと言ってる」と言うだけでそうした人は水伝を信じなくなるだろう。
水伝をうっかりすると信じてしまうかもしれないグレーゾーンの人たち、初等教育過程の人たちには、丁寧な解説が必要だろう。できれば学者、あるいは学者に近い人によって教科書、参考書が作られて、提供されれば便利だろう。
場合によってはシロウトでもできる簡易な実験の紹介がされればいいかもしれない。
さらに高等教育程度のリテラシーを持つ人は「学者の言うことだって正しいばかりじゃない」という見方を持つことも有用だ。というか、そういう人たちはそうした批判的な見方を自分で持ち得る。
なぜ学者の言うことが疑わしいと思うのかも、論理的に示すことができるだろう。
考古学での石器捏造事件を思い出した。
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/kozu.html
このあたりの見識も有用だろう。

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